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政治資金や政務調査費はマイナンバーカードで管理すればいい。

 日本の報道で某与党大臣の大量白紙領収書が問題であるとして盛んに報道されている。

 さらに、時を同じくして富山県などの地方議会で政務調査費の目的外使用などが問題となって、市議会議員や県議会議員が大量辞職する事態が発生する状況となっている。

写真はイメージ

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 まあいずれも議員さんたちのお金に関するルーズさというよりも、意図的な手抜きやごまかしの臭いがプンプンするのだが、一向に改まる様子がない。

 そもそも日本では領収書という制度が性善説に基づいて運用されており、不正をしようと思えば幾らでもできてしまうような非常に穴だらけの制度なのである。

 それゆえ受け取った側が金額や日付を記入できてしまうというとんでもない運用がまかり通ってしまう。

 この点、中国の方が制度的には厳しく、領収書発行は政府認定の領収書(発票)発行マシンで印刷しなければならないようになっており、その発行データは税務局に定期的に報告しなければならないことになっている。

 さらに、法人の銀行口座に入った費用は自動的法人収入とみなされることになり、つまり課税対象となってしまう。
 それゆえに、発票を発行してもらう時点でお金の取引が、払い手受け取り手双方に記録されるので通常のやり方ではごまかしが利かないのである。
 ただしここは中国であり、「上に政策あれば下に対策あり」の言葉にあるように、あの手この手で税金対策を立てて極力税金を払わず済むように庶民は工夫しているようであり、必ずしも完璧にお金の流れが把握できているわけではなく、見た目ほど完璧に機能しているわけではないが、少なくとも日本より厳しく管理されているのは確かである。
 
 さて話を日本の政治資金の問題に戻すが、政治家にああいった不正なお金のやり取りをさせないために、政治団体や政治家個人に向けてマイナンバーを活用した専用のクレジットカードを発行してはいかがだろうかと考えてみた。

 いつだったか現総務大臣の高市早苗さんがマイナンバーカードを使用して、買い物ができるようにしてポイントカード化したらどうかと提案していたが、まさにそれを現実化するために、まずは政治家自ら襟を正し、政治資金の支払いで実験するのである。

 つまり政治資金や政務調査費の支払いは原則このカードを通して行うようにすれば、内容が完璧に把握できるし、とりまとめも簡単なので、非常に合理的となる。

 当然のことながら領収証をいちいちやり取りする必要など全くないので、白紙領収書の大量発行などという事態もなくなる。

 また政治献金もカード会社を通して支払ってもらえばよく、寄付による控除枠申請の証明書類もカード会社に一任すればよい。
 まあ完全な民間企業での運営に問題があれば、財務省管轄の政治資金管理カード団体などでも設立し、運営コストは行政機関で面倒をみてもいいという気がする。
 いずれにしても、税金を把握するという目的のもとに準備されたマイナンバー制度、まずは政治家自らが政治家としてのお金の使い道を透明化するために、政治資金の支出はマイナンバーカードを活用してみてはかがだろうかと思う。

残業時間だけでは測れず、実は出張も隠れた過労死の要因かも

 日本のニュースで電通の新入社員が過労自殺をしたことの労災認定されたと報道されている。

 労基署の認定では一ヶ月の残業時間が105時間と認定されたということである。

 しかし、私はこのニュースを聞いて
 「はて、105時間の残業ってそれほど多いわけじゃないな」
と感じたのである。

 もちろん105時間という時間外労働時間は決して少ない数字ではないが、この残業時間数であれば過労自殺をするほどの数字ではないように思われたからである。

 実は私も日本時代に100時間以上の残業時間は経験したことがあり、確かに楽ではないが、100時間程度の時間外労働だけでは死にたいと思い詰める程のレベルにはならなかったのである。

 この時間外100時間という時間、一見膨大に見えるこの数字を冷静に分解すると、例えば毎日10時間の労働を土日も休まず30日働いても合計300時間であり、そこから仮に月間の所定労働時間を176時間(22日X8時間)として差し引くと、124時間の時間外労働時間となる。

 まあ確かに1ヶ月間休み無しの勤務体制は精神的に楽ではないが、1日10時間の勤務ならば睡眠時間が大幅に削られるほど厳しい状況ではないといえる。

 つまり、月間の残業時間が100時間程度であれば、睡眠時間が大幅に削られるほどの過酷な労働状況とは言いきれないのである。

 しかし、今回発生した過労自殺のニュースを細かく読んでいくと、本人がSNSなどで睡眠時間が2時間とか、過酷な睡眠不足に陥っていることを吐露しており、105時間の残業認定だけでは説明がつかない状況で有ったことがわかる。

 では何が彼女の睡眠時間をそこまで削らさせてしまったのだろうか?

 まず考えられるのがサービス残業の可能性である。

 つまり表向きは100時間の残業時間と言いながら、実態はそれ以上の長時間労働が課されており、その分が認定されていない可能性があるというものである。
 しかし、この点に関して言えば今回は労基署が105時間という時間外労働認定をしており、少なくとも勤務時間に関しては105時間という時間外認定はそれほど不正確なものではないと推定される。

 ただしここには盲点があり、法律上は労働時間に認定されない業務環境が有った可能性が推測できる。

 どういうことかと言えば、実質的には労働をしながらも、法律的には労働時間に認定されない要素が労働環境には存在するからである。

 その第一の可能性は自宅持ち帰り作業の存在である。

 報道では彼女はインターネット広告の担当とのことで、実際の労働にあたる制作作業は会社でやるにしても、企画書作成や他社研究は自宅でやっていたということは十分推測できる。

 私もネット作業が比較的多いから理解できるのだが、ネットは24時間つながってしまうために、起きていられる限り際限なく作業が出来てしまうのであって、会社から帰っても仕事が出来てしまうのである。
 故に労働時間に組み込まれない半強制的な長時間の自宅労働が発生してしまっていた可能性が考えられる。

画像はイメージ

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 第二に、頻繁な出張という要因が考えられる。

 実はこれが残業時間では測れない過労死(自殺)の隠れた要因としてとても怖いのだが、今回のケースに限らず出張は日本の労働者環境における隠れた過労要因であるという気がするからである。

 どういうことかと言えば、世の中の大半の企業において出張の移動時間というのは労働時間に認定されていないケースがほとんどであり、当然のことながら時間外労働時間には算入されないからである。

 例えば、朝5時に起きて7時の飛行機で東京から地方に飛び、現地で9時から20時まで働いて21時の飛行機で戻り東京に23時に到着し、自宅へ深夜1時に帰宅し3時に就寝するような業務があったとする。
 すると実質22時間ほど会社のために稼働しているにも関わらず、労働時間認定は10時間(昼休みを除く)で、そのうち残業認定はたった2時間程度という結果になるのである。

 労働者としては出発から帰宅までを労働時間として認めてもらいたいのが心情であるが、通常の通勤時間は時間外労働として認めてもらえないように、出張の移動時間は時間外労働して認めてもらえないのが通例なのである。

 この理屈で言えば、極端な話として残業時間がゼロであったとしても毎日の出張だけで過労死する可能性があると言えるのである。

 それ故に、例えば今回の事件のケースにおいても認定された時間外労働は105時間であったが、それ以外に出張などで移動時間で消費されていた時間が大量に隠れている可能性もあるのである。
 電通のような多忙な会社であればなおのこと度重なる出張は十分考えられ、それが彼女の睡眠時間を削ってしまった可能性は十分に有る。

 商社に勤める私の友人も実は同様の理由で苦しんでおり、先日も出張の際に台風の影響で空港で足止めを食らって出張先のホテル到着が明け方近くになったにも関わらず、会社は残業認定してくれなかったとのことである。

 その友人は度々の出張にも関わらず実労働時間は多くないので残業代はつかず、逆に睡眠時間がかなり削られ苦しんでおり、体調も崩し気味だと嘆いていた。
 まさに今回のケースに通じるものがある。

 ちなみに私がかつて100時間残業を経験したときは1日中オフィスにおり、通勤以外の出張などの移動時間消費はなく、純粋な残業時間認定であったため、大幅な睡眠不足にはならず、何とか一ヶ月乗り切ったのである。

 つまり比較して申し訳ないが、かつての私と今回自殺された彼女は時間外労働で言えば同じ100時間という単位になるが、その数字だけでは説明できない業務環境が彼女に有ったのだろうと私には推測できるのである。

 今の日本の労働行政は、「過労死防止白書」を見ても総労働時間や時間外労働時間の管理ばかりに目がいっているが、実はその数字に現れない出張などの隠れた労働要因が労働者を追い詰めている可能性があることに気づいていない気がする。

 今回の過労自殺認定報道も105時間の時間外認定で終わらせず、出来れば労働者の労働環境の分析にもっと深く切り込んで頂きたいという気がするのである。

  故人のご冥福をお祈りします。

中医薬の加工場の実態?

半年くらい前からであろうか?

 私の住む部屋の下の方に何やら漢方薬の加工作業所のようなものが設置されている。
具体的に何をやっているかは伺い知れないが、どうも生薬の葉のようなものを蒸しているか煎じているかのようなことをやっているようだった。

 そしてあの漢方薬独特の香りが周囲に広がっているので、窓を開けて長時間嗅いでいると気持ち悪くなる。

 まあ悪臭と呼べるほど深刻な匂いではないが、やはりこれも悪臭公害の一つである。

 それに通りに面した扉の前にはズタ袋が積み重ねられ、お茶の出汁ガラのような葉っぱが袋一杯に詰められている。
 それを救急車のようなサイレン灯を上部に着けた車両が毎晩のように運んでいる。

 まあ医療関係の車両がくるということは、少なくとも医療に関係ある物を取り扱っているということであり、臭いから推測すればまあ漢方薬・中医薬に関連する何かの加工場であることは間違いないように感じる。

 果たしてこんな住宅地の真ん中で彼らは何をやっているのだろう?

 日本で医薬品の工場と言えば、もっと厳密な衛生管理を行なっているようなイメージがあるが、その漢方薬加工場と思しきその場所は日本の薬品工場とは程遠い状況であり、衛生状態などは市中の食堂とかとあんまり変わらない状況となっている。

 ひょっとして漢方薬はこんな住宅地環境の中で加工が行われているのだろうか?

 扱っているものがもし本当に薬だとしたら、中医薬関係者の衛生観念を疑いたくなるようなかの加工場で、今後ちょっと中医薬は医者から勧められても避けたいという印象である。


ちと異常なウィキペディアマニアたち

 ネット上の百科事典「ウィキペディア」は若干正確さに欠けるものの、まあおおよその意味を捉えるのに便利なのでよく利用している。

 しかしながら、執筆協力者たちの編集態度を見るとちと異常過ぎるかなと感じない面もないではない。

 その一つに更新が早すぎるというのがある。

 先日日本の笹子トンネルの天井版崩落事故があった時に、笹子トンネルについて調べようと思ったら、事故から数時間しか経たずまだ全員が救出されていないタイミングにも関わらず、もう事故の記載があったのである。

 これは異常な速さというほかない。

 先を争って一番執筆者争いをしているのかも知れないが、被害者や事故の大きさを考えるとあのタイミングで既に事故の記載を一生懸命行なっているのはいささか不謹慎とも言える。

 もちろん刻一刻と起きている事象は、その瞬間瞬間に記録していくのが一番いいとはいえ、事故の全体像が見えないうちに百科事典的役割のページに速報的に事故状況を書き込んでいく状況はいかがなものかと感じてしまう。

 有名人の訃報なども同様で、その日の朝に亡くなったような人でもYAHOOなどでニュースになっている時は、もう既にウィキペディアに記載が終わっている。

 確かに事実になってしまったとはいえ、いささか無神経さも感じる。

 さらにこの上海の街などについても、日本人のウィキペディアマニアがどこかにおり、地下鉄駅などについて懸命に記述を行なっているようで、開通後の記載がかなり早い。

 どうもこういったウィキペディアマニア工作員たちの存在は、辞書を利用する側からすれば便利な面もあるが、どうも無神経さへの印象が先に立ち、身の回りにこんな奴らが潜んでいるのかと思うとちょっと気持ち悪い面もある。


フェイスブックは時間の浪費

 中国のネット規制の問題もあって、私はフェイスブックをやらないで来ている。
まあアカウントだけは、アメーバの記事を読むのに年齢認証用として必要だったので、登録だけは行なったが、それ以外は全くやっていない。

 時々知り合いと思しき人から友達申請も来るが、拡げる気もないので全てスルーしている。

 ある方によれば、フェイスブックは実名制が原則なので自分の情報管理に時間コストがかかり過ぎるのだそうだ。

 本来なら匿名性ゆえに遮断できるはずの社会のしがらみやノイズが、そのままネットの世界に入り込んでくるのがフェイスブックであり、リアル社会なら本音と建前の使い分けを個人として気を使って語っておけばそうは問題にならないことも、フェイスブックではシステムとして気を使って設定が必要になってくる。

 まあ設定を細かに行っていけば、それなりにプライヴァシーは守れるらしいが、そこに気を使いすぎるのはあまりにも面倒で、時間の浪費だという気がする。

 さらに複雑な友人関係や社会の上下関係が入り込んでくるとさらに煩わしいようだ。

 リアル社会では、人はどうしたって社会の中で自分の都合のいいところと都合の悪いところを使い分けて生きている。

 人間関係だって表面上は平等に付き合っているフリはしても、いろんな都合で偏った付き合いが必要になったり、Aを優先してBを諦めることは必ず出てくるので、それをネット上で管理して公開・非公開をコントロールしようとすればどうしたって矛盾が出てくる。

 リアル社会なら、自然フェードアウトなど人間が忘れることによって「時間が解決すること」が沢山あるが、ネット上にしっかりと記録されている事柄はそうはいかないのである。

 そんな管理に気を使っている時間は非常に無駄な気がしており「別にそんな人間関係をわざわざネット上に再現して管理しなくてもいいんじゃないか?」「リアル社会で普通に気を使って付き合うだけでいいんじゃないか?」そんな印象を持つようになったのである。

 そう思うとますますフェイスブックに対しては興味を失っているのが今の自分である。