大阪北部地震の被害に見る日本の耐震化の進展

 先日の6月18日、大阪府北部を震源とする震度6弱の地震が起きた。  報道によると、一昨日19日現在でこの地震により4名の方がなくなり、負傷者376名、住宅の全半損壊が252棟あったと報告されている。  工場なども一部壊 Continue Reading →

終戦記念日に思う戦没者追悼式と天皇陛下と靖国参拝問題

 昨日の終戦記念日に日本で「全国戦没者追悼式」が行われた。  終戦記念日を「終戦」と呼ぶかどうかについて2年前に「終戦記念日と言う言葉への批判」書いたが、この日に改めて追悼式について考えてみる。  ところで、今回の式典で Continue Reading →

自然災害死亡者を犠牲者と呼ぶのはおかしい

 先日も御嶽山の噴火の事故について書いた際にこの点に触れたが、世間の報道ではやたら自然災害の死亡者に対して「犠牲者」と言う言葉が氾濫しているが、どうもこの言葉の使い方は変であるように感じている。  つまり今回亡くなった方 Continue Reading →

被害者の心理と言動

先日、某お笑いタレントの男性が女性から強姦被害を訴えられていた裁判で、被告の男性側の言い分が認められ、お互いの合意の下での関係だったとの判断が下されたとのニュースがあった。  まあ、この事件の詳細を確認した訳ではないが、 Continue Reading →

ちと異常なウィキペディアマニアたち

 ネット上の百科事典「ウィキペディア」は若干正確さに欠けるものの、まあおおよその意味を捉えるのに便利なのでよく利用している。  しかしながら、執筆協力者たちの編集態度を見るとちと異常過ぎるかなと感じない面もないではない。 Continue Reading →

とってつけたような知識の押し付け

最近地下鉄の中のモニターでよく流れている科学の豆知識的な番組。 宇宙についてとか、地球の自然についてとか、はたまた中医学的知識などが放送されているのだが、どうもそれらに全ておいて共通して感じるのは「AはBである」といった Continue Reading →