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病気はどんどん新しく生まれる

 先日のラジオでNHK特集の「病の起源」という番組についての話題が出ていた。

 まあ私自身はこの番組そのものを見てないので、その内容そのものを語る資格はないのだが、番組のおおよその内容は、「人間は進化の過程において進化と引き換えに新しい病気を発生させてきた」というのが大よその筋だったとのこと。

 例えば二足歩行と引き換えに腰痛が生まれ、農耕と引き換えに糖尿病、石器の発明が人間の顎を退化させた影響で舌の変形を生み睡眠時無呼吸症候群などを生んでいるなどなど、現代の病気の一部は人類の進化の過程で生まれきたという事が主旨となっていたようだ。

 これらは数十万年や数万年という長いスパンで見た話が主であるが、農耕と糖尿病の関係で言えばせいぜい数千年のスパンで、そう遠い昔の話ではもない。

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 この話を聞いて、私は現代の我々の食生活や日常生活について考えてみた場合、それらと同様の、いやそれ以上の変化が現代にも起き病気が生まれているのではないかという気がする。

 つまり我々の生活のここ100年200年ほどの変化は、その前の1000年に比べてみても尋常じゃないほどに変化していると言えるからである。

 例えば我々は100年前とは同じ物を食べていないし、同じ水も飲んでいない

 100年前と同じ空気も吸ってないし、同じ構造の家にも住んでいない。

 同じ家族構成で育ってなければ、親戚や学校、社会も同じ人間関係ではなくストレスを感じる視点なども変化している。

 仕事の方法も肉体労働から機械操作へ、ペンと紙からキーボードと画面にと変わっているし、社会の変化に伴い情報や時間に対する考え方と言った目に見えない社会環境までもがドンドン変化している。

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 こういった急激な社会環境の変化の中で、例えば顎が何世代か前より細くなったとか、子供の視力が下がっただの、100年にも満たない僅かな時間にも少しずつ人間の身体に変化が起きていることが現状でも言われている。

 まあ私にはこの100年で生まれた病気にどのようなものがあるか具体的に挙げられないが、かの番組の内容に従えば、現代に新たに生まれた要因によって以前には無かった現代病が現在沢山生み出されている可能性が高いと考えるのが普通であろう。

 病気とか大げさなものでなくても、冷房病とかキーボードの腱鞘炎などもきっとその一種として考えられる気がする。

 まあそういった意味で、人間の健康に対する考え方も100年前と同じでは済まない状態になってきており、例えば中国には何千年も前からあると言われる中医があり伝統的にやってきた方法や考え方だから安全だという神話があるが、世の中や人間を取りまく環境がこれだけ変化している現代において、臨床試験もなしに伝統だけを頼りに中医や中医薬を盲信するのは、やはり危険だという気がする。

 そのくらい現代における、人間の健康を取り巻く環境というのはすさまじく変化している気がしており、病気の内容も原因も新しくなっているのだから、伝統を盾に安全性を語ることは通用しないのではないのかという気がする。

 常に人間の環境や身体の変化を捉え、それに対応していくのは大変な作業であるが、人間の進化を止めることは出来ないわけだから、この新しく生まれる病気との闘いは人類が続く限り続く永遠のテーマであるような気がする。

中医薬の加工場の実態?

半年くらい前からであろうか?

 私の住む部屋の下の方に何やら漢方薬の加工作業所のようなものが設置されている。
具体的に何をやっているかは伺い知れないが、どうも生薬の葉のようなものを蒸しているか煎じているかのようなことをやっているようだった。

 そしてあの漢方薬独特の香りが周囲に広がっているので、窓を開けて長時間嗅いでいると気持ち悪くなる。

 まあ悪臭と呼べるほど深刻な匂いではないが、やはりこれも悪臭公害の一つである。

 それに通りに面した扉の前にはズタ袋が積み重ねられ、お茶の出汁ガラのような葉っぱが袋一杯に詰められている。
 それを救急車のようなサイレン灯を上部に着けた車両が毎晩のように運んでいる。

 まあ医療関係の車両がくるということは、少なくとも医療に関係ある物を取り扱っているということであり、臭いから推測すればまあ漢方薬・中医薬に関連する何かの加工場であることは間違いないように感じる。

 果たしてこんな住宅地の真ん中で彼らは何をやっているのだろう?

 日本で医薬品の工場と言えば、もっと厳密な衛生管理を行なっているようなイメージがあるが、その漢方薬加工場と思しきその場所は日本の薬品工場とは程遠い状況であり、衛生状態などは市中の食堂とかとあんまり変わらない状況となっている。

 ひょっとして漢方薬はこんな住宅地環境の中で加工が行われているのだろうか?

 扱っているものがもし本当に薬だとしたら、中医薬関係者の衛生観念を疑いたくなるようなかの加工場で、今後ちょっと中医薬は医者から勧められても避けたいという印象である。


台湾人も中国医療を信頼せず

 先日、台湾人の友人が急病のため急遽帰国した。

 お腹が痛いというだけで詳しい事情はわからないが、手術をすると言っていた。

「そんな緊急の状態なのに飛行機に乗って大丈夫なのか?」
という気はするのだが、とにかく帰って行った。

 どうやら中国の病院は信用できないということで、意地でも台湾に戻って治療と手術を受けたかったらしい。

台湾・台北の自由広場

台湾・台北の自由広場

 台湾人でさえも我々日本人同様にやはり中国の医療を信用していないようだ。

 私も先日中国で手術を受けたが、まあ命のリスクは非常に低いだろうということで、怖い物見たさの好奇心が含まれていたことは間違いなく、中国の医療を本気で信用していたわけではない。

 連日、中国人社会の人命軽視というか、命への尊厳が分かってないなというニュースを見ると、医療の世界とてこの社会の一部と考えると日本のそれとはどこかずれているのだろうということは想像に難くない。

 故に台湾人とて同じものを感じて中国の医療を信用していないのだろう。

 何医学であろうがどうも中国で信用のある治療を探すのは大変な気がする。 

 中国の場合、医学の技術より、社会や人に問題があるからである。

 恐らく中国でも医大などで教える項目は日本とあまり変わらない可能性があり、医療のルールそのものはそれなりに厳格なはずであるが、そのルールを細かく守らないでもOKという中国社会の小さな手抜きの積み重なりが問題を起こしている。
 
  連絡一つ、仕事の締切り一つなど直接医療に関係ないルール違反に見えても、それを許容してしまう人や社会の資質は結局人の命にも影響を及ぼすことに繋がっているのである。

 ところで人の命の存在とはあやふやなものだ。

 この台湾人は、現在恐らく手術を済ませて安静にしている頃だと思うが、連絡もないためどのくらい重病なのかわからず、実際のところ今現在生きているか死んでいるか全く分からず、非常に不安な気持ちで成行きをを気にしている。

 便りが無いのは元気な証拠と思いたいが、実際連絡があるまではとっても不安だ。
 
 時間がかかってもいいから、また元気な姿で上海に戻ってきてほしいものだと切に思う。

漢方薬・中医薬の妄信は危険

 よく漢方薬あるいは中医薬は副作用が無いだのと勘違いして物を言う人もいるがそれは大いなる間違いで、薬と呼ばれるからには服用方法によっては毒にも薬にもなるのが薬である。

 漢方薬の場合は経験則的にあまり致命的な副作用が起きにくいとはされているが、されど薬なわけで、薬効成分によって体の内部のある状態を右から左に恣意的に動かせば、少なからず望まない反応が起きる可能性はある。

 漢方薬中医薬についてはそれが致命的な反応を起さない確率が高いという意味で比較的安全とは言われているだけで、やはり手放しで安全だと言い切れるものではない。

 むしろ漢方薬には昔からの処方に頼っていてきちんとした臨床データに裏付けされていない薬が多いような印象があり、ネガティブ条件が重なれば何が起きても不思議ではないのが漢方薬・中医薬の怖さという気がする。

中医薬の注意書き

中医薬の注意書き

咳止めの薬の注意書き
 例えば中医薬の箱の注意書きを見ると時々「不良反応:不明確」という記載があり、危険はないと楽観的に捉えることもできなくはないが、言うなればこれは危険性の確認が取れていないという意味にもとれる。

 つまり実際に飲んでみない本当にどんな反応が起きるかどうか分からない面を残しているのが漢方薬中医薬であり、やはり手放しで安全だと言い切れるものではない。

 現に友人の中に中医薬は安全だと言われて飲んで、呼吸困難に陥って死にかけた者もいる。

 この友人の例はアレルギーか何かの条件が重なったのだと思うが、結局薬は薬であるが故に、漢方薬・中医薬といえども妄信してはいけないである。

 まあ素人はともかくまさか医師にそれを分かっていない者がいるとは思えないが、もし分かっていないならその人はさっさと医師免許を返上すべきである。

 きちんとした診察もせず、表面上の症状だけで病院以外の場所で薬を差し出すような医師は気を付けた方がいいだろう。

原文

国費外国人留学生は宣教師的役割を負う

猫ひろしさんのオリンピック出場資格問題が世間を賑わしている。

 まあこれはどう見てもカンボジアという国と猫さん双方の売名行為にほかならないような気がする。

 特にカンボジアは、世界に対してというより日本に対して自国をPRしたいという意図が見える。

 何故ならばきっと猫さんよりももっと早いマラソンランナーが、ケニアなどにはいるであろうにも関わらず、わざわざ日本人の猫さんに国籍を取得させたというのは、明らかに猫さんが経済大国日本の日本人で、有名人であるからにほかならないからである。

 つまり猫さんはカンボジアという国にとって日本に対する宣伝塔という位置づけで国籍を取得したことになる。

 当たり前の話だが、国家が一外国人に対して何か便宜を図るということは、その国にとって何らかメリットが存在するから便宜を図るのであり、何の意図もなしに外国人に便宜を図るようなお人よしの国は世の中にあるまい。

 つまり、便宜を受ける外国人はそれだけ相手国の思惑を背負わされているわけである。 

 これは今回の件に限らず留学生に対する奨学金なども同様だと見ることができる。

 例えば日本政府は日本の国費で外国からの留学生を大量に招いているが、これは当然国際貢献などという表面的な建前では終わらず、将来的に日本がその国へ経済進出するための人材的な基礎固めの意図が存在する。

 よって日本に招れた留学生たちは、例え明文化されたり義務化されていないにしろ、日本文化の伝播を背負う宣教師的な役割を背負うことが求められる。

 そうしてODA事業をやりやすくしたり、国連などの様々な国際舞台の上で親日的立場の国を増やし、日本の経済進出にとって地ならしをしてくれる立場を期待されるのである。

 このように、言葉は悪いが日本も留学生を使って国力拡大の努力を行なっているわけである。

 逆に言うと、我々日本人が外国の国費で留学をさせてもらうような機会が与えられた場合には、単に相手の国のお金で勉強させてもらえるなどという綺麗ごとでは済まない訳であり注意する必要がある。

 相手の国の立場に立って考えてみれば、何のメリットも目論見もなしに外国人にお金を出して学ばせるようなことはまずあり得ないからである。
 つまり今回のカンボジアの猫さんに対する対応と同様に、外国の人間に留学費用を国費で出すなどということは、その外国人の母国へ対する何らかの戦略的意図がそこに存在するからお金を出すのであり、そういった目論見なしにお金を出すはずがないのである。

 故にもし便宜を受け取ってしまったものは当然その時点でその国の目論見を背負わされることになり、例えば母国へ対しての広告塔や宣教師的な役割、極端な場合はスパイ的役割を担うことになる。

写真はイメージ

写真はイメージ

 従って相手国の意図を考えず国費外国人留学生の選考に合格し「自分は選ばれた!」などと自慢すればそれは完全にピエロであるし、分かった上で便宜を受け取るなら相当したたかな生き方ということになる。

 もちろんこれは相手国の思惑がどこにあるかにもよるが、例えば中国は世界文化遺産への中医学の申請でもわかるように、世界に対して薬品権益の拡大を狙っている面がある。

 つまり何とか中国の薬剤を日本で売れるようにしたいらしく、それに必要な人材を育て日本へ売り込む戦略を立てているようでそのために国費留学生で人材を招いている。

 最近気が付けば、日本のテレビやマスコミに対して懸命にそういった人材の露出を図る姿が多く見られるようになり、日本人がテレビ番組や講演活動などで文化の売り込みを必死に行っている姿が目に付いているが、これらはまさに育てた人材の宣教師そのものの活動ということになる。

 つまりそういった意味での商売をしやすい環境づくりのために、国費で外国人留学生を受け入れているわけであり、いうなれば自国の営業マンや宣教師として働いてくれる人間を育てているのである。

 よって、そういう風に外国の国費を使って学んできた人と相対するときは、相手は国家の思惑や特命を何かしら背負っているため、表面上の部分だけで話を鵜呑みにしてはいけないし、また逆に己にそういった外国からのオイシイ話があっても、うかつにそれに乗ってしまえば何らかの国家の思惑を背負わされ、さらにその後他人から色眼鏡で見られる人生になる可能性があることを肝に銘じて行動するべきであろう。

 つまり普通の人にとっては外国からお金をもらって育てられた人を同じ国の人として素直に信用するには抵抗があるし、さらにそこにはその外国に対する国家観が非常に大きく影響するからである。

 まあ国家への帰属意識のあり方は人それぞれだが、今回の猫さんのようにどこに帰属意識があるのかはっきりしない人間は、いずれに国からも信用されなくなるというのが人の社会というもので、彼にベトナムに骨をうずめる覚悟が無ければ、外国の思惑は背負うべきではなかったというのが私の意見である。