昨年の地元の議会選挙の時、父親が車いすの母親を連れて投票所を訪れたところ、投票所はバリアフリー対応になっておらず、スロープが付いていなかったとのこと。
私もその投票所は利用したことがあるが、普通の民家を利用した集会所のような建物が投票所として使われており、玄関は個人宅並みの段差を上がるような構造になっており、車いすなどを考慮したスロープはついていなかった。
その時の両親の投票においては、投票所の係の人が出てきて入るのを手伝ってくれて、車いすごと内部の床の高さまで持ち上げてくれたので投票所に入ることが出来たが、父親一人だったら無理だった可能性があるようだ。
近年の公職選挙においては、とかく投票率の低さが話題になるが、実はこういったバリアフリーへの配慮の低さが文字通り投票への敷居を高くしている面は否定できないような気がすると感じた。
現状、私の母親のように車いすが必須の場合は、もちろん自力では投票できないし、介助者一人が付き添った程度では投票に至れないのである。
その時の地方議会選挙では、立候補者たちは様々な公約というか政策を掲げて選挙活動をしていたようだが、改めて選挙公報を確認してみてもバリアフリーの推進を掲げている候補者は見当たらなかった。
もし、そういったバリアフリー政策を掲げている候補者がいれば投票しようかなとは思ったが、結局誰一人目が行き届いていないのが地元の現状だった。
そもそも日本の住宅を振り返ると、バリアフリーどころか敢えて床をかさ上げして道路から玄関までの段差をつけている住宅が大多数だ。
湿気を嫌う日本家屋では床下を作り湿気を遮断する構造が伝統的なのだが、そこには将来的なバリアフリーへの配慮はなく、歩行能力低下へのリスクヘッジはほとんどない。
まあそういった建築環境においての社会認識であれば、投票所へのバリアフリーの配慮が欠けてしまうのは仕方ないのかもしれない。
しかし現実的に社会の高齢化が進行しているのに、その足元に目が行き届いていないのは、候補者は足元が見えていない証拠ともいる。
今後もその投票所は地方選挙でなく、国政選挙でも投票所として使われる場所なので、今後の選挙ではそういった目でも候補者の政策を精査しようと思っている。