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ガラケーから格安スマホに乗りかえた。

 昨年末に日本に一時国したさ際に日本契約の携帯電話を格安スマホに乗り換えた。
 上海に来て10年になるが、一時帰国の際や昔の人間関係から全く切り離されてしまうのも嫌だったので、日本の携帯番号はずっと維持してきたのである。
 で、この10年ガラケー端末のままずっと維持してきたのだが、一昨年から日本で格安スマホ制度が始まり、スマホであっても毎月の維持コストが比較的低価格でキープできそうな見込みになったので、機を見てスマホへの乗り換えをしようと目論んでいた。

浅草寺

浅草寺

 もちろん、日本に一時帰国するのは多くても年に数回なので今後もガラケーのまま維持しても良かったのだが、ガラケーのままだとデータ通信をWIFIに流せないので、帰国の度に料金プランを変更して帰国月のコスト上昇を抑えていたような経緯があり、それを携帯端末から操作したりするのが毎回結構面倒臭かったのである。

 これがスマホだと通信はWIFIが使えるので、レンタルのモバイルルータと組み合わせたり、市中のホットスポットの活用でデータ通信量を最小限に抑えることが出来、コストも抑えられると踏んだのが今回乗換えを目論んだ理由である。

 つまりスマホの高機能を求めるというより維持コスト削減に目的があり、当然ながらスマホであってもガラケー回線の維持費より安いプランを探す必要があった。

 しかし実際探してみると、わがままな要望だったと思っていた割には意外なほど簡単に商品が見つかった。
 今まで月額1500円ほどをAUのガラケーに払っていたが、これが1000円前後に抑えられるプランを各スマホキャリアに見つけたのである。
 ただ、長年(12年ほど)使っていたAUにも多少愛着があり、義理立てではないが、取り敢えずはAUショップにも赴き、まずは現時点で可能なプランを提示してもらったのである。
 しかし提示いただいたプランは、以前の認識よりはかなり安い価格帯まで下りてきているものの、やはり月額3500円程度が必要で、とてもじゃないがガラケーから乗り換える必然性を感じない価格だった。
 またAUの2年縛りの割引プランもちょうど更新のタイミングであることに気づき、乗り換えには絶好のタイミングであり、この機を逃す手はないという状況だったのである。

 そんな自分の現状を把握して腹が決まり、その後某格安スマホ会社への乗り換えに絞って検討を始めた。

 で検討を始めると上記のプランは確かに月額使用料が安いのだが、残念ながら端末代が別なので、スマホ本体をどこかで調達する必要があった。
 その格安スマホ会社にも端末とのセットプランなどが沢山用意されていたが、どれも数万円台であり、端末代金を分割払いにする手もあるが、それだと結局ガラケーの月額使用料を上回ってしまうし、まぁ日常から使うなら出す価値もあるが、年に数回の一時帰国のためにはちょっと大きすぎる出費かなと感じた。

 そんな時、ふと現在中国で使っているスマホにSIMスロットが2つ付いていることを思い出した。
 
 もしや日中のSIMを2枚差しでもいいじゃないのかと思い、早速ネットでその中国スマホの通信バンドやスロットの規格などを確認したところ、どうやら適合しそうだった。
 故に今回は最悪の場合は当面中国スマホに2枚差しになってもいいなと考えたのである。

 で、このように心が決まったので早速移行手続きの行動開始であり、まずはAU側の残存ポイントの整理から始めた。
 電話会社を移行してしまうと、こういったポイント類は一切無効になってしまうので、勿体ないので残っているうちに消費してしまうのである。
 まずAUポイントをAUプリペイドカードにチャージし、それを今度はマツキヨでの購入費用に充当した。
 商品の金額調整が難しく端数も出るので全額は無理だったが、おおよそ9割方を消費することに成功した。

浅草のマツキヨ

浅草のマツキヨ

 こうやってAU側を未練もない状態にした後はいよいよ本格移行の開始である。
 まずガラケー端末上で、現在の電話番号を移行するモバイルナンバーポータビリティ(MNP)をするための予約番号を取得する。
番号移行は10年以上も付き合ったキャリアを裏切るようでちょっと心が痛んだが、こちらも背に腹は代えられず、仕方ないと割り切った。
 そしてこの予約番号を持って格安スマホ会社に番号移行の手続きをする。

 ネット上で申し込むことも出来たが、私の滞在期間が限られていたため、手っ取り早くSIMなり端末なりを手に入れるため直接窓口に向かったのである。

 で、現場に着いていろいろ端末を見てみたものの、どうにも適当な端末の目星がつかなかった。
 それならばということで、窓口で中国から持ち込んだスマホで動作チェックをしてもらったところ問題が無いとの判定となり、結局中国スマホへのSIM2枚差しを選択し、SIMカードだけを契約したのである。

 ただ、中国スマホ端末には何らかの機能ロックが入っているようで、スマホ会社が用意するアプリがインストール出来ず、アプリによる格安通話サービスは受けられないようだった。
 これに関しては利用頻度も低いことから、将来的にいつか中古か格安の日本仕様スマホを見つければいいとの判断でその場は見送ることにした。
 これで取り敢えず電話番号を維持したままの目先の予算カット作業は完了した。

 これにより今後もし日本に一時帰国する日が決まればネット上でプランを変更すれば、数百円の差で通信量の増量も出来、上海に戻ったらすぐに元に戻せるようなので、無駄なコストを発生させず柔軟な運用が可能になった。
 まあたかが数百円の違いかもしれないが、コストのコントロールが可能になったという面で、大きな一歩となった今回の乗り換えだったような気がする。


上海ディズニーランドの行く末が心配

 先日、ハロウィンの日に川沙の方に仕事で赴く機会があり、帰りついでに久しぶりに上海ディズニーランドの周辺を訪れてみた。
 というのは、つい先日ダイヤモンドオンライン社のネット上に出した記事の中で上海ディズニーランドがガラガラであるようなことが書かれていたからで、ちょっと心配になって様子を見に行ったのである。
このほかにも見込みの半分しか来場客がないなどの記事も見かけたので、実際の状況がどうなのかを確認したくなったというところである。
まあ上記の記事では、ガラガラと言いながら順番待ちに75分程度待たされる施設もあるなど文章表現がちぐはぐに誇張されているような面もあり、実際の状況がつかみにくかったというのもある。

 むろん、今回も入園せず周辺部のウォッチのみである。

鉄柵越しの上海ディズニーランド

鉄柵越しの上海ディズニーランド

 で、行った見た結果、実際に園の内部にどれだけの入場客がいたのかはやはりほとんどわからないのだが、個人的印象を言わせてもらうと、ハロウィンの夕方とは思えぬほど人が非常に少なかったというのが感想である。

 上海ディズニーランド本園のゲート付近こそ、そこそこの人がいたが、鉄柵越しに見える範囲の園内の様子も人がまばらで、ガラガラの表現が適当かどうかはともかく、賑わっているというにはほど遠い状況だった。

上海ディズニーランドショッピングセンター

上海ディズニーランドショッピングセンター

 さらに、関連施設のショッピングセンターなどは、人影を探すことに苦労するほど人が少なく、寂しいくらいの状況だった。
当然駐車場などもガラガラであり、私が持つディズニーランドのイメージとは非常にかけ離れている状態なのである。
どうして客入りが悪いかの理由については、以前も書いたので今回は省略するが、このままだと上海ディズニーランドの存続にも関わりかねない状況だと言う気がする。

上海ディズニー駅も人が少なく

上海ディズニー駅も人が少なく

 かの広大な敷地にどのくらいの開発費をかけたかのか具体的な数字は忘れたが、とても回収できそうな雰囲気ではなく、上海市や中国の経済の起爆剤としての役割はとても担えそうにない気がする。

 まあ運営会社の方もそんな状況に危機感を感じたのか、冬期間に非常にお得なチケットを売り出したようで、収益はともかく集客に必死になり始めたような状況となっている。
 その特価チケット方策が功を奏するかどうかは分からないが、このままではどうも行く末が案じられる上海ディズニーランド周辺の現状である。
 

戦勝国になってしまった中国のモヤモヤ

 日本では8月15日が終戦記念日となっているが、国際的には9月2日が日本の無条件降伏受け入れ調印日となっている。
 あれから70年以上が経過したが、中国ではいまだ反日の根っこがくすぶっており、例えば日本とアメリカ、日本とイギリスのような友好関係には戻っていない。
 ともすれば、戦争の謝罪などを求める論調もいまだ出てくる。

 まあアメリカや欧州諸国と違って隣国という要素が、近親憎悪的なものを生み出しているとも考えるが、どうも違う気がする。

 どうしてかの隣国にはこういった反日的な思想が残っているのかと考えたところ、実は期せずしてなまじ戦勝国側になってしまったことが原因の一つなのではないかと考えた。

 日本は第二次世界大戦で周辺諸国と戦争を行なったが、結局最終的に日本を降伏に追い込んだのはアメリカであり、プラスでイギリスとロシアなどもいたが、これらの国の攻撃に屈した結果、日本は無条件降伏を受けいれることになったのであり、中国に追い詰められた結果ではなかったというのが私の認識である。
 しかし、この無条件降伏によって、日本は同時に中国戦線からも撤退することになったため、結果として中国(当時は国民党の中華民国)が戦勝国側の国家となった。

 中国にとってみれば、形として戦勝国側とはなったものの、日本との直接の戦闘において目に見える戦果によった結果ではないため、自国が勝利したという自尊心がないままの勝利だったと思われる。
 しかも当時は、国民党、共産党、日本という三つ巴の複雑な戦線が存在しており、中国として一つの国としての統一感に欠けた状態で、各勢力の陣取り合戦が行われていた。
この状況にあっては、日本が降伏したといっても、三つ巴に中から一勢力が退場することになっただけで、中国という国が日本に勝利したという安堵感が得られるような状態ではなかったと思われる。
故に日本が退場した後も混乱は収まらず、そのまま国共内戦に移行し、日本がいなくなっても中国国内は平和な状態にならなかったのである。
 このような状態の中で、上記の休戦の調印式にこそ中華民国の代表が参加したが、後のサンフランシスコ講和条約の際には、国共の代表者とも呼びにくい状況のため招請は見送られた経緯があり、交戦国でありながら、なかなかケリがつけられなかったのが日中間の戦後である。
 そして今度は朝鮮戦争が勃発し、再び中国は北朝鮮の後ろ盾として戦争に参加することになり不安定な時期が続いてしまうが、一方で日本はこの朝鮮特需を起爆剤に高度成長を遂げることになる。
 つまり戦勝国側になったはずの中国がなかなか戦争状態から足抜けすることができずにもがく中、敗戦国となったはずの日本が急速に復興していき国際的評価を取り戻すことになるのである。
この敗戦国である日本が復興していく様は、中国としては何とも理不尽な状況として見ていたに違いなくモヤモヤ感がたまっていただろうに思う。
 この状況を受けてかどうかは分からないが、中国は改革開放のあと、急速に日本の後を追いかけることになる。
五輪、新幹線、万博、高速道路、宇宙開発と日本の戦後発展をコピーしたかのような開発を行い、敗戦国であるはずの日本に負けじと発展を目指すのである。
恐らく、この中には日本に嫉妬に近い感情というか社会学でいう相対的剥奪感があったような印象で、それが負の形で出たのが反日感情であり、何とか戦勝国側として敗戦国より心理的に優位なポジションに立ちたいがため、日本の過去の傷を蒸し返そうとしていたのだという気がする。

これがもし、かの戦争で中国軍が日本軍を戦争によって撤退させていたり、あるいは戦後の発展が日本と同等かそれ以上のスピードで進んでいたなら、今のような反日感情は生まれなかったような気がするのである。
実は隣国韓国の反日感情もほぼ同様の理屈で生まれているような気がしており、植民地宗主国の日本を、朝鮮民族の手で追い出していたなら今に至るような状況は生まれず、朝鮮戦争で国土が荒れ発展が遅れなければ反日感情もここまで遺恨を残すことにはならなかったという気がするのである。

ところで、日本は第二次世界大戦においいて南方戦線でも戦ったはずだが、東南アジア諸国が隣国2国のように反日感情をあまり残していないのは、現地の人々とあまり直接戦っていないからであろうからに思う。
かの戦争の敵国はイギリスやオーストラリア、オランダであり、東南アジア地域は戦場になってしまったのでそれなりの戦禍を残してしまったものの、直接の対戦国ではなかったのである。
もちろん一部の右翼が言う大東亜戦争はアジア諸国を解放するために戦ったなどという理解は詭弁に過ぎないが、東南アジア相手に直接戦ったわけではないので、先方地域には日本が敵国という強い意識は残らなかったのだと考える。
台湾も同様で、日本の植民地となった経緯も日清戦争による移譲であり、直接の戦地になっていないのである。
まあ大陸から逃れてきた国民党が実権を握った際に、戦時中の敵対関係の影響もあって反日的キャンペーンがかなり行われたようだが、台湾人そのものには大陸のような強い反日意識にはならなかったのは、やはり直接戦ったわけではないからであろうに思われる。
しかも戦後も台湾は戦地にならずアメリカの保護もあって発展が余り遅れなかったこともあり、日本に対して反日感情を醸成する要素は少なかったのだろう。

 先日の舛添問題を見ればわかるように相対的剥奪感というのは強い反発を持つ要因となるわけで、中国が経済規模で日本を追い越す規模にはなりながらも、未だに反日感情がくすぶっている状態というのは、戦勝国側として満たされていないモヤモヤが内在しているに他ならないような気がする。
 今後中国がいかにその満たされないモヤモヤ部分を解消するかは非常に難しい課題であるが、中国に10年も住んでいる日本人として、ぜひ何か良い解決策を探りたいものである。