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海外生活者にとって二重国籍問題は他人事ではない

数年前から騒がれていた蓮舫氏の二重国籍問題だが、実際海外の最前線にいる身としては政治的影響云々以前に、かなり身近な問題であり他人事ではない。

 私自身は未婚であるため現時点では子供の国籍で悩むということに直面してはいないが、外国に住む身としては、将来国際結婚をする確率は日本国内にいるときより遙かに高く、子供が出来ればやはりその問題に直面するのである。
 
しかも上海など中華圏にいる限りにおいては、蓮舫氏の両親と同じように台湾人や中国人などが配偶者となる可能性は非常に高く、やはり日本と中国・台湾間の国籍関連の法律手続きは気になるところである。
実際、私の周囲には日本人夫婦として中国に来た場合を除き、独身状態で来た場合は国際結婚に至っている場合が非常に多く、当然の如くその子供について皆さん国籍の選択や手続きについて悩んでいる。

写真はイメージ

まあ国籍選択そのものについては正式な統計を見たわけじゃないが、伝わっている話を総合すると大半は早期に日本国籍を選択している。

これは日本の国籍を選択した方が、国際的に入国できる国が多いのと、日本人学校の入学条件として。日本国籍かつ親が労働ビザを持っていてその家族の資格であることが条件になっていることが影響していると推測する。

いずれにしても手続きが煩雑であり、皆さんいろいろ苦労されている。

それでも生まれた場所が日本国内であれば日本国籍を選択することに関しては、手続きは比較的簡便だと聞く。

ただ問題なのは中国で生まれてしまった場合である。

中国では二重国籍を認めていなので、外国人同士の夫婦間で生まれた場合を除いて、取り敢えず中国に出生届を出さなくてはならず、自動的に中国の国籍を持つ子として登録されてしまう。

そして合わせて日本の大使館・領事館に出生届を出せば、両方に国籍がある状態が成立してしまうのである。

この二重国籍状態は二十二歳になるまで許されており、二十二歳になるまで国籍選択届を出すとされている。
で、これが蓮舫氏に実際発生した状況とも共通するのだが、日本で日本国籍選択届を出したとしても、自動的にもう一方の国の国籍離脱とはならないのである。

つまりもう一方の中国や台湾の国籍の離脱手続きをしなければ、その国においては籍が残ってしまうことになる。
ただ、そのような籍が残っている状態でも、日本国籍を選択したならば日本国内で生活を続ける限りにおいては基本的には何ら支障がない。
 蓮舫氏の例にみられるように、選挙に立候補して公職に就くことも出来る。

 問題があるとすれば、籍を取り消していないもう一方の国へ入国するための居留ビザなどを取る場合である。
 この件、台湾の状況は詳しくないが、中国の場合は、日本人学校への入学などの目的で外国人として居留証を取ろうとすると、中国籍の離脱を求められてしまうのである。

 ただこういったビザを必要としなければ、両方の国のパスポートを持ち続ける場合もあるようである。
つまり、それぞれの国へ戻る時にそれぞれの国のパスポートを使って入国するようなケースであり、その便利さ故に意図的に国籍を離脱しないという人もいないとは言えないようである。

しかしながら大抵の場合は、国籍国へ生活の拠点を固定するので、取り消さなければならならない国家に戻って鉄続きをすることは非常に面倒ということもあって、怠る場合が多いと推測される。

 今回の蓮舫氏の件においても、この取消手続きが終わっていると本人は思い込んでいたが、結局は手続きが行われていなかったところに問題があったとされる。
まぁ彼女は国会議員や野党党首という目立つ立場に立ったため、より強く批判にさらされるわけになったのだが、実際の法手続きの現状や面倒臭さを考えると彼女の手続きミスを責めるのは少々気の毒に思える。

ところで、この件に関して、蓮舫氏はスパイだのなんだのと必要以上に酷い言われようをしている。

個人的に蓮舫氏を政治的な意味で肩を持つということではないが、スパイ呼ばわりまでされている状態は、国際結婚夫婦やその子供に対する酷い偏見と差別に他ならない気がする。

もちろん、実際に彼女が他国のスパイでないという証明は非常に難しいことではあるが、本物のスパイなら、一般的に考えて二重国籍(相手国の国籍取消忘れ)など分かり易いミスを残さないであろうに思う。

 もし他国がスパイとして送り込むなら、彼女のように手続きに問題が残る人物より、完全に帰化した人物や二重国籍を解消したよう人物の方が疑われる点が少なく使いやすいように思うのである。

更に言えば最初から日本国籍である人物を利用した方が遙かに怪しまれにくく、恐らくそういう人物を利用するのであり、手続き漏れをしているような人物はスパイとしては使えないだろうに思う。

いずれにしてもあのような彼女への差別的な言葉は、海外で暮らしたり国際結婚をした者にとっては他人事では無いのであり、我々の帰国後や自分が国際結婚をした際の子供が日本社会でどう扱われるかの切実な問題なのである。

統計によれば日本人と外国人との国際結婚は、現在は以前より減ったもののここ20年を均せば3~6%程度が国際結婚であった。
つまりその夫婦が日本人夫婦と同じだけ子供を生んだと仮定すると、学校のクラスに必ず1人や2人がハーフの子がいる状態が日本の現状であり、レアケースでは無くなってきているのである。

しかしながら国家間の関係の問題もあって、手続き上の煩雑さは相変わらずであり、社会の理解も一向に進まないどころか、蓮舫氏への批判に見られるようにその存在への反発の方が強くなっている印象さえあるのである。

 こういった現状や、手続き上の複雑さ、さらには差別的な言葉を見るにつけ、本来は一人の人間として何の価値も変わらないはずなのに、何故に後からつけられた国籍などという記号に悩まされなければならないのか、非常に疑問を感じるのである。
 


情報を精査せず怒る日本人たち

 引き続き舛添さんの件であるが、どうも世間の舛添さんのニュースに対する反応が過剰反応であるような気がしてならない。

 前回も書いたように、舛添さんの肩を持つということではないのだが、マスコミも一般国民のネットでの反応も、細かい情報を精査せず、表面上のヘッドラインテキストを思い込みで捉えて、勝手に怒りを沸騰させているという印象が否めない。

 例えば、今回の2014年のホテル宿泊費について、具体的に問題点を正確に把握している方がどのくらいいるのかという疑問がある。
 恐らく、今の雰囲気だと舛添氏が都知事として都の公費を使って家族とホテルに宿泊したと考えている人も少なからずいると思われる。

 もちろん、これは明らかに間違った認識であり、今回問題とされている内容を全く理解していないものであり、情報を精査しないで一部の偏った報道をするマスコミの雰囲気にただ釣られて舛添氏に嫌悪感を感じて叩いているだけのものである。

 では今回舛添氏が指摘された行為のどこが問題で、どこが過剰な批判なのか?を具体的に整理してみたい。

 まず今回の問題点を正しく理解するには、政治団体と政治資金というものを正確に理解する必要がある。

 政治団体というのは、文字通り政治活動を行うための団体であり、都道府県などに届出をして成り立つ団体であり、いわば政治の法人格的存在となっていて、透明性は必要なものの実は公共団体ではなく私的な団体である。

 そして、その政治団体の運営資金が政治資金であり、その多くは政治献金やパーティー券などの収入で賄われることになっている。

 もちろん政治団体の政治資金は透明性を求められるが、その目的は特定の企業や個人との結びつきによる利益供与、つまり賄賂的な資金の流れを監視するためのものである。
 あるいは選挙買収のための費用の流出を監視するためのものであり、いずれにしても過去に何度も発生した賄賂や選挙買収を防ぐため、つまり不公正な政治が行われないように政治をお金の面から透明化しているものである。

 それ故に、この点で舛添氏の今回の費用支出に関して言えば、まず都知事当選以前の話であり、賄賂の受取でもなければ、選挙買収の支出でもないことになり、政治資金の本来の目的の部分では大きな問題となるものではないといえる。

 もちろん政治活動とは言えないものに対しての支出は不適切とは言えるが、政治献金だけで賄われている政治団体であれば、献金元に対する責任はあるが、税金を基にした公的資金を私的流用したかのような認識は誤解ということになる。

 では、どこが問題となっているのか?

 まず、政治団体への政治献金は、非課税扱いとなっており、税法上特別な扱いとなっているということ。
 つまり税法上優遇されているお金を政治活動以外で使用するのは不適切ということになる。

 ただこれに関しては、一般企業と国税庁でも時々見解の相違として追加納付があるように、悪質でなければ記載ミスや処理ミス部分に対して支出費用の項目訂正をすれば済む問題である。

 第二に政党のように政治資金の一部に政党助成金を受けている場合である。

 今回、舛添氏が指摘されている問題はここが一番問題といわれている点である。
 舛添氏の問題となった政治団体は直接政党助成金を受け取っているわけではなが、前年7月まで代表を務め所属をしていた新党改革からの寄付金を当年度に受けている。

 つまり直接公的資金を受けていなくても、公的資金を受けている団体から献金を受けている団体の政治資金は、公的資金的性格を帯びているという判断が生まれ、この点を舛添氏の政治団体にあてはめれば、やはり使い道に問題があるという見方である。
 しかし、政治団体としては別の団体であることも確かであり、その政治資金の性格をどう判断するかは難しく、今の法律では使い道を規制するのは難しいものだと言うことになる。

 そしてである。
 実はこの政治資金の使い道とされている政治活動の定義そのものが、今回の件を違法とまでは言えなくしている。
 公職選挙法の法律上では、政治活動とは「政治上の目的をもって行われるすべての行為の中から、選挙運動にわたる行為を除いた一切の行為をいう。」とされている。

 つまり実は公共の法律に反せず、政治的目的を持っていれば原則何でもありなのが政治活動の定義なのである。

 この括りをもってすれば、家族会議でさえ政治的目的があれば政治活動の範疇に入り、そのための支出であれば違法とは言えないのであって、次の選挙に出るか出ないかを家族間で話し合えば立派な政治活動とも言えるのである。
 さらに好意的に解釈すれば、都知事選を控えていたからこそ、都知事選の有権者のいる都内のホテルを敢えて避け千葉のホテルを使って(費用を払って)会議を行ったとも考えられる。

 この政治活動定義をどう見るかは判断は難しいが、現時点では家族会議を政治活動ではないと完全に切り捨ててしまうのはなかなか難しいのである。

 つまり、今回の件をまとめれば「私的な政治団体のやや公的な匂いがするお金が含まれた献金などの政治資金を使った家族との政治活動がおかしいいとされている状況」であるのであって、実はその政治活動と政治資金の内容は法律的には必ずしも違法だといえない状況であり、少なくとも公的資金そのものを直接目的外で私的使用したという認識が世間にあればそれは大いなる誤解なのである。

 こういった部分を精査せず、一部の特定マスコミの見出しに釣られ、国民が正確な認識も無いまま浅はかな怒りを爆発させているのが今の現状だという気がする。

 先日の激甚災害指定の遅れに対する批判の時も同様だったが、現状の制度がどうなっているかも正確に理解せず、ただ無知なマスコミが煽るままに煽られて怒りを表明するような、浅はかな日本人が最近増えてきたことは、同じ日本人として非常に嘆かわしいという気がする

代議士を選ぶ間接民主主義の限界

 昨日、日本の大阪市と大阪府の合併を巡るいわゆる都構想の住民投票で、反対が賛成を上回り、議案が否決された。
 まあ、この政策そのものは私はどちらかといえば反対の立場で、行政システムを変えなくても改革は可能だと言う考え方であり、かの橋下市長のような敵を作って叩いていくという劇場型行政運営には懐疑的な見方を持っていたので、今回の結果には一応安堵している。

 あのような大きな改革は、旧制度の中にいる層を懐柔しつつ変化を促す政策をとらないと、単に敵ばかり増やしてしまう結果になるので、既得権益層の抵抗でまずうまくいかないというのが私の持論である。
 分かりやすい二元論に持っていく彼の姿は、派手好きな関西系の市民にはそれなりにウケていたのかもしれないが、実際の社会はそんなに単純に片付くものではないのであり、そういった二元論的手法が結局行き詰ったのが今回の結果だと思っている。

 ただ一方で、今回一つの政策に対して住民の直接投票が行われ、その結果によって意思決定が行われたのは大変意義深い結果だと思っている。
 
 現在、日本の国政では先の選挙で勝った政権与党が、国民の意思を反映しているとは思えない安全保障政策を遂行しようとしている現状がある。
 確かに先の選挙では、現在の与党が結果的に過半数議席を獲得しているが、得票数の上では過半数に達しておらず、しかも有権者数全体から見れば25%程度しか得ていない政党が圧倒的議席を持つ結果となっている。

 しかも、恐らくそういった投票行動の理由の中身は、経済政策への期待が強い面が高いと察せられ、安保政策の推進で票を得たのではないというのが私の印象である。
 まあ、これは私のあくまで私見であるため実際の中身がどうなっているかはわからないが、一人の候補者の全ての政策にOKを出してはいなくても、有権者にとって最優先課題で合致すれば投票してしまうことになるのが今の選挙制度である。

 つまり、現在の代議制間接民主主義の現状では、政策の選択ではなく「人」を選択する選挙しか行われていないわけで、多くの検討課題分野について、個別の政策判断ではなくそれを決定する人、あるいは政党を選ぶ総合的判断だけの選挙行動になってしまっているのである。

 それゆえに、例えば前回の選挙のように「民主党候補者」というレッテルだけで、投票行動が判断されてしまえば、どんなに個別案件で素晴らしいアイデアや見識があったとしても、立候補者個人が駄目な人だとして否定されてきたのが実態である。

 或いは現在の政権のように国民は「アベノミクス」という経済政策についてだけ期待をして投票していたとしても、別の軸の検討課題である安全保障という問題にまで下駄を預ける結果となっている。

 こういった現状を考えると、現在のような間接民主主義というのは制度的限界に来ているのではないかと感じる面がある。 

 現代では近代の間接代議士制の生まれた時代に比べ、遥かに容易に国民の意見集約が可能であり、情報伝達力や発信力も高いため、国民自身が直接意思表明をしやすい環境も整っている。

 故にこういった時代において、間接民主主義にだけよって政治が行われるのはやはり時代にそぐわなくなっているのかも知れないと感じる面があるのである。

 そういった意味で昨日行われた大阪での住民投票は非常に意味が大きく、住民が個別政策に直接参加して判断したというのは素晴らしい結果だという気がするのである。

 今後、国政においてもやはり国民の直接参加というのは必要だと感じており、有権者4分の1しかの得票を得ていない政党の判断によって全国民の命が危険にさらされるような政策の実行は阻止されるべきであり、個別の政策に対する国民の直接の意志判断がもっと直接的に国政に反映されるべきだという気がするのである。