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北海道日本ハムファイターズの日本一とラジオの野球実況技術の高さ

 一昨日、日本のプロ野球の日本シリーズで見事に北海道日本ハムファイターズが勝利を決めて日本一に輝いた。
 実に10年ぶりの日本一であり感慨ひとしおである。

 この一週間は日本シリーズのおかげで、いろんなことが手につかなくらい日本シリーズに集中していたので、ある意味やっと解放されたともいえる
 
 実はちょうど10年前の優勝の際に、私は上海にやってきており(正確にはまず蘇州に行った)あれ以来の日本一ということになる
 それ故にこの10年という長さはちょうど私が上海で過ごした時間と同じことになる。

 当時はたぶんテレビの実況中継も見てないし、インターネットの速報で優勝を知ったようなことだったと思うが、ファイターズの日本一を知って始まったばかりの上海生活の心を引き締めたような心境だったような気がする。

 で、あれから10年が経ち、相変わらず上海にいる私は未だ日本のテレビとは縁遠い生活を送っている。
 有料の海外テレビ視聴サービスも身近で提供されているのだが、コストが高いのと、日本のテレビを見始めると結局自分が怠惰になるだけなので遠ざけてきており、視聴サービスは一度も契約しないまま10年が過ごしている。

 どうしても見たいサッカーの試合などがあるときは、テレビ設置の日本料理屋などにいけば事足りたのである。

 その後VPNには加入したので、日本のパリーグテレビくらい入ってもいいかなと考えた時期もあったが、仕事や時差の関係上毎試合見られるわけでもないので、コストパフォーマンスを考えやはり見送った。
 で、結局残ったのが日本のラジオのインターネットサービスである「ラジコ」であり、このラジコを通じて日本のラジオの野球中継を聴くことにしたのである。
 
 でラジオの実況中継を聴いていて改めて感じたのは日本のラジオ実況の技術の高さである。
 ラジオなので当然音だけなのだが、会場の雰囲気から選手の動きまで手に取るようにわかるように実況され、選手の表情から天候、守備体形までが詳しく説明される。

 そしてその合間合間に解説者の解説まで織り込んで放送するのだから下手にテレビで見るよりわかりやすいのである。

 むしろテレビの実況のほうが映像に頼り切ってしまい、時には緊張感に欠ける実況が行われることもあり、盛り上がりに欠ける放送が行われる時がある。

 その点、ラジオ実況は一球一球耳が離せず、緊迫するので試合が動いたときの緊迫感や盛り上がりがひしひしと伝わってくる。

 まあ野球という競技自体が比較的定型的な動きの繰り返しなので、比較的説明が容易というのもあるかもしれない。
以前サッカーのラジオ中継を聴いていたこともがあったが、まるで場面が想像できずもどかしさばかりが募ったのを覚えている。
その点、ラジオ実況を聴いている範囲ではもどかしさを感じないほどに、状況が理解できるのである。

 こういったラジオ実況の技術のおかげで、今回の日本ハムのペナントレースやCS、日本シリーズにいたるまでライブはすべてラジオで聴いていた。

 まあ、どうしても映像で見たくなったシーンなどはYAHOOやYOUTUBEに上がってきたもので確認しており不足はない状況になっていて、ライブで映像を見たいという欲求はそれほど高まらずに済んでいる。

 ただまあ、映像で見たい欲求はそれほど高くはないが、スタジアムで一緒に応援したかったという気持ちはちょっと残り、日本一はうれしいがちょっと今後どうするべきかを悩んでいる。

 とにかく北海道日本ハムファイターズ日本一おめでとう。
 


産みの苦しみ

 先日のサッカーの日本代表の東欧遠征の試合で、日本が2連敗した。

 双方ともW杯出場を逃している国との対戦とあって、W杯出場を真っ先に決めている日本代表にとっては現在の実力を測る絶好の機会ともあって善戦が期待されたが、結果はいいところがあまり出ず2連敗となった。

 これを受けて、マスコミやサポータからは不満の声が続出しているが、一方で今回の試合では寧ろ真剣勝負で臨んだというよりいろいろテストを試合中に行なったということが記事で伝わっている。

 トーナメント大会のようにガチンコの勝負で勝ちにこだわれば、もっと違う結果が出たかも知れないが、最終目標のW杯本大会で大きな結果を引き寄せるための試行錯誤の時間だということのようだ。

 まあ全てに勝ちの結果を求めるサポーターにとっては、どんな理由であれ「負け」という結果は嬉しくないのかも知れないが、大きな目標で結果を出すための一過程だと考えれば、この数試合で一喜一憂することは逆に大きな目標を得るためには邪魔な感覚かも知れないという気もしており、今は産みの苦しみの最中だということで長い目で見守りたいという気がする。

 サッカーに限らず、仕事でも私生活でも目先の小さな結果にこだわるか大きな目標にこだわるかで、日々の取り組み方というのは大分違ってくるものである。

 この「産みの苦しみ」の言葉の元の意味にもあるように、子供を産む母親は1年近くをかけて子供をお腹の中で育ててからようやく産むから、出産後は大切に育て一生大事にする。
 これが数日で産めるような子供なら、出産前も出産後もそれほど大事にせず大きくなるまで頑張って育てないのではないという気もするのである。

 そういえば先日、雑誌ananの特集で「出来ちゃった婚」ならぬ「さずかり婚」は、プロポーズから出産まで一気に叶えることが出来て、悩む要素もなくスピーディに出来るから素晴らしいなどという記事が出て、世間で物議を醸している。

 確かに今や4組に1組が出来ちゃった婚というのが現実らしいから、そのこと自体は特に恥ずかしい事ではなくなったようなことだが、推薦するのはどうかということだ。

 まあ当の本人たちにしてみれば、いきなり妊娠してしまうというのは突然行動の締め切り時間を設定されるわけだから、悩んでいる暇などなく決断しなければならないし、行動が素早くなる可能性はある。

 しかし、そういった試行錯誤を経ない安易な結婚は、崩壊も早いようで通常の離婚率33%に比べ授かり婚の離婚率は44%にも上るというデータがあるという。

 ある人に言わせれば、結婚は結婚に至る迷いや試行錯誤の時間を経て、さらに周囲への説得など多くの過程や困難を乗り越える過程を経るからこそ、夫婦の絆を強くするのであり、それ自体が長く維持できる結婚生活を迎える必要な過程であり、その過程を面倒くさいとか省略しようという発想は、結婚に対する認識自体が間違っているとのことである。

 結婚や出産など重大なものに踏み出したいなら、産みだしたいものが大きい物であればあるほど、本来は産みの苦しみや悩みは深いはずということである。

 まあこれはビジネスの上でも言えて、例えばある目的のために事業を起こす場合、自ら育てることをせず、安易に会社を買収してノウハウや機能を吸収しようとする手法では中々ビジネスの目的にはたどり着きにくいように思われるのである。

 安易に得た関係は結婚同様にやはり壊れやすいわけで、それなりの覚悟で向き合う覚悟を無いと、会社や社員に対する愛着も薄く切り捨ても容易になりやすいような状況になる。

 しかし、じっくりと腰を据えて物事に取り組み、試行錯誤の上で作り上げていったものはちょっとやそっとでは揺るがないし、結果として買収などの安易な姿勢で結果を求めようとするよりは、大きなものにたどり着きやすいのではないかという気がしている。

 産みの苦しみ、それに直面している日本代表は見守ってあげたいし、自分も頑張りたい。

オリンピックに持っていた夢

 今回、2020年の東京オリンピック開催決定を受けて、昔持っていた一つの夢を思い出した。

 まあ中国に来て以来、この滞在国で北京オリンピックという時期を経験してしまったがために、オリンピックに対する崇高な精神をことごとく破壊されてしまった印象があり、オリンピックそのものを素晴らしいものとして捉えられなくなっているような自分がいた。

 こういったネガティブな印象は昨年のロンドンオリンピックでやや取り戻されたが、結局あのサッカーの3位決定戦の試合で最後に嫌な印象を残してしまったがために、悪い印象の完全払拭とはならなかった。

 しかしながら、今回の東京オリンピック決定により、トルコとの友好的な争いなどもあって、ようやくオリンピックに対するネガティブイメージを排除した形でオリンピックに向き合えるような気がしている。

 確かに原発事故や震災復興、南海トラフ地震に国家財政など、不安を上げればキリがないが、これらはイベント成功の不安要素ではあってもオリンピック精神そのものを脅かす存在ではない訳で、そういった意味ではようやく純粋にイベントに向き合える気持ちになりつつある。

 さて、私が若い頃に持っていた夢というのは、オリンピックの開会式イベントの演出をすることであった。

 1984年のロサンジェルス大会のファンファーレと開会式の演出に強烈な衝撃を受けた私は、以来小さいながらもイベント的なもの表現的なものに多くかかわって生きてきた。

 あの頃はまだ前回の東京オリンピックが20年前に実施されたばかりの頃であったが、50年くらい経てば、もう一度くらい日本でオリンピックをやるチャンスが巡ってくるかも知れず、私が40歳を過ぎた頃に開催されればいいなぁなどと考えていたのである。

 開会式の演出のアイデアなども何度も何度も頭の中で浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返すほどの想像をしてきていて、例えば和楽器や世界中の楽器によるラヴェルのボレロの演奏を行なって、1人からスタートして最後には世界中の人が一つの大きな輪になるようなイメージが作れないかなど、様々な要素を日々オタク的とも言えるほど色々考えてきたのである。

 そして今回なんと夢に描いていた通りに私の40代の時期に東京にオリンピックがやってくることになったのである。

 これは驚きの予想的中である。

 私にはこれまでの夢がある故にひょっとしてこれは天が与えたチャンスか?とまで考えてしまったのである。

 とはいえ、現在においての自分自身は中国にいるわけであり、中国に来て以来そういったイベントに関わる仕事などから離れてしまっているため、日本の名誉にかかわるようなイベントの中枢に入り込めるような状態ではなくなってしまった。

 もちろん、日本に居続けて望んで努力し続けたところで、中々入れる世界では無いことは、もう私も十分大人になったので良く分かっている。

 しかしながら、こうやって東京オリンピックの開催が実際に決定した現在においては、やはり見る側ではなくできれば作る側に加わりたいというのが本音である。

 今更演出やプロデューサーの位置に立とうなどとは夢にも思わないが、世界中に希望を与えられる演出の一端をどこでもいいから担げたら幸せだなという気がしている。

 こんなことを考えるようになっただけでも、今回の開催決定は私にとって結構衝撃であったニュースであり、開催決定後の時間は決定前の時間とは全く違った人生が流れ始めているような気がしている。