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在上海日本国総領事館は市役所的な存在

上海に住み始めて12年を超えたが、長く住んでいても身分が中国人になるわけではないので、時折り日本人としての事務手続きが必要になる場合がある。

そんな時に頼りになるというか、有難い存在なのが在上海日本国総領事館の存在である。

領事館は日本政府の出先機関である上に、その名称から非常に硬いイメージがあって一般市民には縁が遠い存在のような印象を受けるが、実際にはその逆である。

上海にいる邦人にとっては、市役所の市民センターのような存在であり、何かと重宝する機関である。

その第一としてパスポート関連の業務があり、旅行者の紛失の際の緊急対応を行なってくれるほかに、現地在住の邦人の旅券再発行や更新、増補など、通常は日本の各都道府県の旅券事務所で行っている事務を、ここで済ますことが出来る。
 よって期限が迫ってきたからと言っていちいち帰国しないでもよいのである。
私はこれまでパスポート紛失時も含めて二度上海でパスポートを更新している。

第二に、各種証明書関連の発行や届け出業務が非常に充実している。
例えば、結婚証明書や出生証明など中国での労働ビザや家族ビザ申請に必要な書類類は領事館で取得することができる。
さらに無犯罪証明書(犯罪経歴証明)の発行・認証、卒業証明書の認証などを受け付けてくれる。
そのほか中国人と結婚する際には重婚を防ぐ意味で独身証明書などが要求されるが、こういった書類は日本の市町村では公式には取り扱いが無い。

しかし、このような証明書類も、この上海の領事館ではローカライズされて発行が可能になっている。
また届けに際しても、結婚届出生届、離婚届に死亡届に至るまで日本の住民票を抜いてしまって移住されてしまっているような場合でも総領事館で手続きができるのである。

これらは通常は市区町村役場で行う届け出であり、その役割を在上海日本国総領事館が担っている。

また国政選挙に限りだが在外投票もここで実施されており、総領事館で投票が実施され日本に帰って地元の自治体に行かなくても日本国民としての権利が行使できる。

最も法律的な理屈を述べれば、そもそも旅券交付や戸籍事務などは国が果たす業務であり、それを法定受託事務(以前の機関委任事務)として都道府県や市区町村などの地方自治体が代行しているだけのため、国の直属機関である在上海日本国総領事館がこの業務を負うのは原点回帰として何ら不思議な事ではないのである。

まさに日本政府直属の日本人のための役所であり、邦人保護の役割も含めて重要な存在である。

ちなみに。総領事館のもう一つ大事な仕事として、訪日中国人のためのビザ発給という仕事がある。

総領事館のホームページによると昨年2017年の年間ビザ発給件数は185万件で、地球全体の日本の在外公館発給の1/3を占める件数となっており、つまり日本の訪日観光客引き入れのための非常に重要な役割を担っている。

東方航空機

以前、本館で取り扱っていたときは「中国人の日本行きビザ申請の現場」で書いたような状況となっていたが、現在は量が増えすぎたため別館で取り扱っているようだ。

まあこの状況を上海在住の日本人の人数は数万人規模であることに比較して考えると、今や在上海日本国総領事館は日本人のための機関というより中国人のための機関としての意味合いが重要になっているのかもしれない。

在上海日本国総領事館のホームページ


上海に馴染める日本人・馴染めない日本人

上海には毎年多くの駐在員さんが入れ替わり立ち代わり派遣されてくるが、これらを見ていると上海生活に馴染める人と馴染めない人がいるのが分かる。

このうち知り合えるのはほとんど無事に馴染んで駐在業務をこなしている人たちばかりなので、馴染めない人の実態はあまり把握しづらい。
しかし、そういう人達が実際いるという状況は時折噂が漏れ伝わってくる。

そもそも派遣される前に拒否している人や、家族が中国というだけで拒否反応を示し帯同を拒否されて単身赴任になったケースも少なくないと聞くが、まぁこれらは実際来れば馴染める可能性もあり、実際本当に馴染めないのかどうかは分からない。

最も上海に馴染めないタイプの人としては、やはり神経質で几帳面な人が多いようだ。
血液型で言うとA型というか、その中でもAAタイプの性格イメージの人。

こういうタイプは、中国の持つ大陸的気質や、町中にまだ散見される不潔な環境の部分、或いは大気汚染、そして日本メディアの情報として伝わる中国の様々な悪い多くのイメージに意識が潰されてしまうらしい。

これらの方々はおおよそ赴任直後から職場と自宅の往復ばかりで週末は家に閉じこもりきりとなる場合が多く、2~3か月でノイローゼ状態となるらしい。
そして終いには体調を崩して帰国してしまうパターンが多いようだ。

場合によってはもっと切羽詰まった状態になり、部屋をそのままにして誰にも告げず勝手に日本に帰国してしまったようなケースもあると聞く。

そこまで酷くなくとも、1年ほどで心身ともに疲れ切ってしまい、ギブアップして帰国されるようなケースは意外と多いようだ。
実は、数年前に実際にそうなってしまった人と倒れる直前に話をする機会があったのだが、口から出てくるのは中国人スタッフに対する愚痴ばかりで、文化や考え方の違いにアジャストできない状況が良く分かったのである。

そしてその人が直後に倒れたと聞いて、驚きもしたが納得もしたのである。

まあ、そこまで追い込まれなくても、日本との文化やリズムの違いに普段からイライラしている人も時々見かけ、性格上の理由で馴染めないのはいかんともしがたいようだ。

じゃあ逆に馴染める人というのはどういう人か。
これは良い意味でも悪い意味でも、アバウトな性格の人が基本的に合うという気がする。
悪く言えば、ちょっといい加減というのか、そこそこ適当な人間である。

時間やルールに対してはアバウトに向き合い、本質的に失敗しなければ細かい部分を気にしない性格ということになる。

血液型のイメージで言うと、B型とかO型のタイプであり、実はこれは中国人の血液型分布の主力と一致する。
言うなれば中国人の社会はB型やO型気質が支配する社会である。

B型やO型の日本人は、仕事や日常に対してそこそこ適当に構える中国人気質と一致するのであり、中国人社会と馴染みやすい性格で、即ち上海に馴染める性格となるようだ。

 また上海に来ている駐在の奥さん達の話も時々聞くが、中国に来る際に周りからは心配されたが、上海は来てみれば非常に暮らしやすく、駐在だから待遇も良いので生活はルンルンで、帰らないで済むのならもう暫く住み続けたいと言っている人も少なくないのである。

かくいう自分も上海生活は10年を超え、ほぼ干支を一回りする状況になってきたわけであり、上海に馴染める適当な人間であることは自認している。

日本人が主語を省略する理由

 中国に来てからもう10年以上経つので、中国語での会話もそれなり使えているが、未だに中国語を使うときに抜けない癖がある。

 それは「我」などの主語を省略してしまうことである。

 自分のことを説明する際も、相手に質問する際も、頭の中の日本語の原文から中国語に翻訳して話す場合が少なくないので、そうすると「あなたは行ったことがあるか?」から「あなたが」が抜けてしまい、「行ったことある?」と言ってしまうのである。

柴又の寅さん像

 そういった場合、結構「私?」と聞き返されることがよくあった。

 中国語だと「誰」を言わないと、動作主体が確定できず、相手も一応自分のことだろうとは思いながらも確認で訊き返してくるのである。

 まあ日本語そのものが主語を省略することの多い言語だということが根本の理由なのであるが、私にとっては何故日本語がこのように主語を省略するのかは結構長年の疑問の一つだった。

 で、最近落語を聞いていてよやくその疑問が解けた。

 日本人が主語、つまり動作主体を言わないのは、日本語が動詞部分の言い回しによって主語を言わなくても誰が動作主体か分かるような言語体系になっているからだと言える。

 どういうことかと言えば、日本語は言い手、聞き手、動作主体、男女によって言葉の使い方がそれぞれ使い分けられている。

 尊敬語、普通語、敬語、謙譲語など日本語は相手との立場関係に配慮した言葉のオンパレードで、ここに男らしいや女らしい、若者らしいや老人らしいなどのバイアスが加わったりして非常に複雑に構成されている。

例えば動作主体が自分であれば「する」というところ、「なさる」と言えば、動作主体がおよそ目上の人だと想像できてしまう。

 男女間でも同様で「でしょう」など丁寧な言葉遣いなら女性的、「だろ」などぞんざいなら男性的とおおよその分類が可能で、まあ男女の性別の厳密な区分は出来なくても、大よその性格傾向は類推可能になる。

故に会話の登場人物が限定されていれば、いちいち言葉で主語を言わなくても誰が動作主体かはほぼ確定するのであって、わざわざ言う必要性は非常に少なくなるのである。

このような動作主体による言葉の使い分けが日本語の最大の利点ではあるが、ただ同時に外国人が理解するのが難しい部分でもある。

分かり易い例を言えば、この日本語の特徴を最大限に利用した芸能が日本の落語であり、動作主体によって言葉が使い分けられる日本語で無ければ落語の人物の描き分けは非常に難しく、英語での落語は芸として成立し難しいのである。

英語の場合、演者がいくら声色を使い分けしたとしても、喧嘩のシーンでお互いに「YOU、BAD」「YOU、NO GOOD」などと言っていたのではどちらがどちらなのか分からない結果となってしまうのである。
 これが日本語だと「どうすんのよ」「うるせー」の一言ずつの喧嘩を一人の人間が演じていても男女の喧嘩が成立するのである。

 さらに私もよく中国人たちの日本語文章を直しているが、彼ら彼女らもこの言葉の使い分けに苦労している。
中国人たちが書いてくる文章の中には、時々変に主語をだけを省略し、動作主体や聞き手を考慮しない言葉遣いで書くので、誰に書いている文章なのか全くわからない文章が出来上がってくる時がある。

その場合まず極力主語を省略するなと指導する。

すると全ての文章に主語がついてくるので、これはこれとして日本語としてはかなりうざい文章になってしまうのだが、動作主体がわからないよりはマシになる。

そこから名詞を代名詞へ置き換えたり、動詞部分の言葉遣いを加えながら主語を省略できる部分をみつけたりして、文章を整えていくのが私の指導パターンだが、ここが一番大変な部分である。
日本人にとっては当たり前の文章でも、外国人はどの主語が省略できるのかの匙加減が非常に難しいらしいのである。

日本語側の私が主語を省略する癖が抜けないように、中国語側にとって主語の省略はハードルが高いようで、主語をほぼ必須とする外国語と、省略可能な日本語の言葉のトランスレーションは結構難しいということのようである。