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やはり曲順は大事、上海ブラスの演奏会より

 先週の日曜であるが、雨の中上海ブラスの演奏会に行ってきた。

 この演奏会、アマチュアながらというかアマチュア故というか、結構人気が高く事前に取り置きを言っておかないとすぐに満席になってしまうので油断がならない。

 もっともそれは、チケット代が無料であることにも理由があり、団員の知り合いを集めただけでいっぱいになるようだ。

 今回団員に知り合いがいるのでチケットを確保してもらったのである。

上海ブラスのパンフ

上海ブラスのパンフ

 聞くところによると、中国ではこのようなアマチュア音楽家文化というのはほとんど育ってないらしい。
 つまりプロになるか、諦めるかの二択ということのようで中間がないということのようである。

 日本人のようにプロにもならないのに自費で参加費を払ってまで大勢でコンサートを開くなどという文化がほとんど存在しないというか、少なくとも今の時点までは育ってないようだ。

 欧米についてはあまり詳しい例を知らないが、学生ならともかくいい年した大人が集まって演劇だのコンサートをやる文化は、実はそれほど盛んではなさそうな気がする。

 もちろんそこそこはあるだろうが日本ほどではない印象である。

 これに対して日本はアマチュアの劇団・楽団からママさんコーラスまで、プロ手前の腕前から素人に毛の生えたような人まで、様々な幅の広いセミプロアーティスト集団が、夥しいほど存在する。

 これについて、たまたま見つけたお隣韓国のメディアの記事によると日本のプロオーケストラは32団体、固定聴衆は400万人、楽器を持って演奏している人は20万人もいるという超アマチュア文化大国ということになるらしい。

外部サイト:プロオケ32楽団、聴衆400万…欧州も凌駕する“ジャパン・パワー”(1)

まあ、そんな1億総アーティストのような文化の日本というのは、世界でも稀に見る国民性なのかもしれない。

 さて、今回の演奏会でも、前回同様にクラシック→ジャズ→ポピュラーという三部構成で行われたのだが、その中でもJAZZステージが秀逸だった。

 さらに、個人的に嬉しい出来事もあった。

 それは実は今回も「sing!sing!sing!」の曲が前回同様に演奏プログラムにあったのだが、今回は前回と違ってJAZZステージのラストの順番に置かれていたからである。

 何故、プログラムの最後で嬉しかったかというと前回の冬のコンサートの時は1曲目に置かれ、演奏自体は悪くななかったが、熱さに欠ける印象が残った印象だった。

 どうもエンジンを暖めきれないうちにスタートしてしまい、曲が熱くなる前に終わってしまったなぁという印象を受けたのである。

 まあ個人的好みかもしれないが「sing!sing!sing!」はもっとヒートアップできる曲であり、誰が演奏するのであってももっと攻めの演奏をして欲しいのだが、前回はどうもエンジンをふかしきれないまま不完全燃焼である印象だったのである。

 そこで私は演奏会終了後に団員の友人に生意気にも「エンジン温めてからのほうがよかったね」と感想を言い、出来ればジングルベルと順番は逆のほうがよかったと伝えた。

 そして半年後、前回の私の感想が届いたのかどうか知らないが、何と希望通り曲順が後になり、In the Moodなど入りやすい曲から繋いで、メインの「sing!sing!sing!」の流れになったのである。

 すると目論見は大当たりで、今回は演奏者の音も非常に熱く、ドラムのソロの見せ場では会場全体が引き込まれ集中して演奏を見守っていた。
 会場で途中までワーキャー言っていた子供の声もほとんどしなくなり、会場全体が静まりかえる中でドラムの熱演が行われたのである。
 そして演奏直後の拍手と声援は物凄く熱く、映画「スウィングガールズ(上野樹里主演)」のごとく盛り上がった。(笑)

 まあ今回の盛り上がりは、決して演奏順だけのことではないとは思うが、数々の演劇やコンサート、さらには結婚式を見てきた私としては、やはり音楽の順番は大事だと思っており、今回彼らが見事にそれを証明してれたような印象で、そういう意味で嬉しかったのである。

 演奏者や聴衆が生身の人間である以上、身体や心が温まらないうちにいきなりエンジン全開で突っ走るのは難しいことであり、高い頂上を目指すならの、例えアマチュアのコンサートでもちゃんと音楽の順番と流れにも気を配るべきというのが私の持論である。


D案の朝顔のエンムブレム候補

 昨年大騒ぎになった2020年の東京オリンピック・パラリンピックのエンブレム問題だが、先日ようやく新たな候補作品が4作品が発表され、間もなく正式なロゴが選出される段階になっている。

エンブレム候補作品

エンブレム候補作品(引用元

 まあ私もこのエンブレム問題については何回かブログで触れているので、こういうことを言ってしまうと矛盾があるだが、そもそもエンブレムなどオリンピックにおいて主役でもないので、騒ぎすぎるのもおかしいという気がしている。

 つまり元々はそんなに力を入れて選ぶものでも無いのであって、盗作とかよほど恥ずかしい作品でなければ特に気にする必要はないのである。

 参考までに過去のオリンピックのエンブレムを振り返ってみたが、確かにどれも記憶にはあるが、強烈に印象に残るような名作があるわけでもなく、つまりその程度の存在でしかない。

歴代オリンピックエンブレム

歴代オリンピックエンブレム(引用元

 そういった意味で言えば、まあ今回の候補作品も招致ロゴほどインパクトはなかったものの、どれも無難である印象である。
 それ故に、この候補作品の中からどれが選ばれても恥ずかしいものとはならないはずなので、後はどれかを選ぶだけであり、もうこの問題が長引くのは良くないと感じている。

 それよりは聖火台や神宮球場問題など、解決しなきゃいけない問題が噴出しているのだから、納得いく形でどんどん手際よく進めてほしいのである。

 と、書いてはしまったが、ネットであのように4点の候補作品が並べられてしまうと、やはり私も気になってしまう。
 私が、かの候補作品の中で気に入ったのはD案の「朝顔(あさがお)」モチーフの作品である。

 その理由としては、やはり花がモチーフであることが大きい

 さらに朝顔は江戸文化の象徴でもあり、夏の花の代表格の一つ(俳句としての季語は秋らしいが)でもある。

 故に夏のオリンピックの象徴としては夏に咲く朝顔はとっても似合う印象なのである。

 もともと私は以前からブログで書いているように今回の東京オリンピックには「花」が切っても切り離せない存在であるという印象を持っており、やはりエンブレムにも花を描いてほしいという希望があった。
 そこに、この朝顔モチーフの候補作品が登場したのだから、私個人としてはほかの作品は選択肢としてなくなったのである。

 もちろん日本の代表的な花と言えば桜が一番であり招致ロゴも桜を取り上げていたのだが、今回は夏のオリンピックであり、桜のイメージ自体もの実は明治政府の恣意的な姿である可能性もあるわけで、桜では相応しくないという印象も持ち始めていた矢先であったから、なおのことこの朝顔がしっくり来た。

 また朝顔は品種も豊富でそれぞれが個性豊かで、色とりどりである花であることも、単一種のソメイヨシノよりオリンピックに相応しい花である印象となっている。

 しかも朝顔はその名の通り朝咲く花であり、今回真夏に行われる東京オリンピックでは恐らく日中を避けて早朝に実施される競技もあるはずで、そういった意味でも似合う花と言える。

 また東京周辺の多くの人が恐らく小学校の時に朝顔を育てた経験があるはずで、非常に親しみのある身近な花でもある。

 そういった花だからこそ東京オリンピックに朝顔のデザインが使われるのは意味があるという気がする。

 まあ一部の意見では、朝顔は中国原産だから日本ぽくないのでエンブレムに相応しくないという人もいる。
 確かに中国でも朝顔は「喇叭花」と呼ばれあちらこちらに普遍的に咲いているが、しかし中国ではそれほど特別な存在の花になっているわけではなく、沢山ある花の一つでしかないという気がする。

 それに比べ江戸にとっての朝顔は江戸時代に二度もブームが起きるほど品種改良が盛んだったと言われ、着物や浴衣の柄にも良く取り入れられているほど象徴的な花なのである。
 さらに夏に暑さを凌ぐために簾に朝顔の蔓を這わせ、自然の遮光壁を生み出す知恵は見事であり、古き良き江戸の風景をも作っていた存在なのである。

 こんな江戸文化に深く関わっている朝顔を是非オリンピックでも東京を象徴する花として、エンブレムにもやはり使ってほしいというのが今回の私の強い個人的希望となっている。

ソメイヨシノ桜は明治政府のプロパガンダの名残?

2011年4月上野公園(花見)

2011年4月上野公園(花見)

 東京で開花宣言が行われ、上海でも各地で桜の花が綻びる季節となった。

 この桜の代表格とされているのが日本のソメイヨシノであるが、先日ラジオでちょっとビックリするような知識を聞いて驚いた。
 それはまず日本のソメイヨシノというのは1本の元木から挿し木で増えてきたクローン種でどれもDNA的には全く同じものだというのである。
 これに対して一般の山桜や大島桜などの品種は、人間の各個人のDNAが違うように系統はあっても全てが別の遺伝子を持つ存在とのことである。

 つまり、日本全国にこの季節に咲き誇るソメイヨシノは全て同じ元木のクローンであり、それ故に全国で同じ場所の桜は同じ時期に一斉に咲き一斉に散るという現象が発生し、日本の春の桜の風景となるようだ。

 しかし、ソメイヨシノはこういった独特な品種であるため自然繁殖出来ず、ソメイヨシノであり続けるには永遠に人の手で挿し木を行っていかなければならないという。

 逆に自然繁殖では別の品種と交配するしかないので、似た品種は出来ても同じものにはならないとのこと。

 ソメイヨシノはこんな特殊な品種にも関わらず、全国津々浦々の学校などに植えられて日本を象徴する風景と呼ばれる状況になっている。
 しかしよくよく考えれば南北に長い日本でこういった同一品種が全国に同じように植えられているのはちょっと不自然とも言える。

 実はこういった日本の桜の風景が生まれたのは明治以降の話らしく、それ以前は同じ桜でも山桜系など多様な品種がそれぞれの地域に、それぞれ自生しており江戸時代までは全国一様の桜の風景ではなかったようなのだ。

 それが今のようにソメイヨシノが桜の大半を占めるようになったのは、明治政府が積極的に全国の各学校や公園に植樹したからだと言われる。
 日露戦争の戦勝記念とか、天皇即位とか皇子誕生とか結構国家行事に絡んだ場面で植樹されていったようなのである。

 このあたりの詳しい経緯は調べ切らなかったが、恐らく日本の国民が天皇の臣民とされた明治において、江戸時代から分権的な藩政国家でなく「日本」という中央集権国家のイメージを醸成するために、ソメイヨシノという桜が選ばれたのではないかと考える。
 すなわち、同じ時期に一斉に咲き一斉に散るというイメージを共有させることによって、「日本」という郷土は一体なのだというイメージを固めるのに役立ったのではないかと思われるのである。

 さらに、ソメイヨシノが一つの品種のクローンであることは、天皇の下に等しく仕える臣民であれというようなイメージと共通するような面があり、そういった意味で戦前の政府は積極的にソメイヨシノを全国に展開していったのはないかという気もする。

 逆に言うと、多様性を生み出すようなその他の桜の品種の植樹は望まれなかった訳であり、多様性を排除する状況がソメイヨシノの拡大にあったとも言えるのである。

 このソメイヨシノの拡大の結果、実際例えば「同期の桜」のような軍歌に代表されるように、桜は軍人たちや日本の心のように謳われることになる。
 散り際の潔さや美しさが、桜の咲く土地に生きる日本人の心だと感じ、心を打つというようなイメージになったのである。

 しかしながら、こういったソメイヨシノが拡がった時代の背景を考えると、ソメイヨシノに代表される日本の桜の風景は、戦前の国家プロパガンダと強く結びついた影響の名残ということになり、それ故に意図的に演出された日本のイメージだということもできる。

 昭和になり戦争は終わったが、そういった桜によって意図的に演出された「日本」というイメージは現代にも続いていて、戦後も積極的にソメイヨシノが植樹され、ますます桜による「日本」のイメージ演出が加速する。
 故に戦後生まれの私もそういった「日本」のイメージの中で暮らしてきており、桜は日本のイメージとして生活をし愛着を持ってきたのである。

 しかし、この当たり前のように毎年咲くソメイヨシノの桜の風景が、実は明治政府の富国強兵や軍国主義的なプロパガンダの演出の名残かもしれないと知ると心は結構複雑である。

 もしかすると明治政府が何もしなかったならば、本来の江戸以前から続く多様な桜の風景があったのかも知れず、現代に多くの人が考える「日本」だの「日本人の心」だのと言われる部分も、もっと違うものになっていたかもしれないからである。

 まあソメイヨシノに罪はないが、全国で一斉に同じ花が咲くという風景は考えてみればちょっと異様な光景であり、不自然な演出された風景だということに気づく。

 そしてこの不自然さに気づいてしまうと、どうもソメイヨシノではない桜の風景を取り戻すべきではないかと考えてしまうのであり、明治政府の影響を排除した日本本来の自然な多様な風景を探したいと言う気がするのである。