Category Archives: 身体

誕生日を祝う意味

 今日はある友人の誕生日である。
 その友人は物理的にそばにいる人間ではないので、おめでとうのメッセージだけ送った。

 若い頃はともかく歳を経てくると、誕生日を祝われることを遠慮する人もいるが、やはり誕生日を祝うということは大事な意味があり、祝うだけの価値があるのだと思う。

写真はイメージ

 それは「生まれてきておめでとう」という意味より、今年も「無事誕生日を迎えられてよかったね、また来年も無事誕生日を迎えられるようにまた1年頑張りましょう」という意味があるからである。

 例えばその友人も、決して体は強くなく幾つかの持病的なものを抱えていることを聴かされており、まあすぐに命がどうのこうのではないものの、常に健康問題には悩まされている。
 またつい10日ほど前に友人の祖母が亡くなったということで、相当気分が落ちこんだ状態のようだ。

 さらに、飼っている犬も老犬でかなり弱ってきているとのことで、もうそう長くはないだろうと言われており、これも気持ちを悩まされている要因となっている。

 このように命がある時は当たり前のように感じてしまう存在も、やがてはいずれ去り行くものと考えれば、無事誕生日を迎えられたことは、貴重な祝うべきことなのような気がする。

 私自身の周囲でも、同級生など同世代の人間がこれまでの人生の中で何人か亡くなっており、私が無事に今生き残れているのは、幸運だと感じている。

 また、恐らく自分の人生の折り返し地点は過ぎていると考えれば、自分の残りの人生とてかなり限られたものであるわけで、その1年1年が無事でいられるかどうかは神様のみぞ知るところである。
 そういった存在の当たり前さが当たり前ではないと気づけば、やはり誕生日は祝う意味があるのだと思う。

 誕生日おめでとう!


 

老眼になるとスマホが億劫になる

 1年半前に老眼に気づいてメガネを替えたが、どうやら少し進行してしまったようで、物が見えづらくなり再び昨年末に眼鏡を買い替えた。
 ネットで調べた情報によると、老眼というのは45歳頃から65歳頃に向かって継続的に進行するようで、その間に眼鏡も2~3年おきに調整していかないといけないようだ。

画像はイメージ

 前回メガネを替えたのが自分ブログの記録によると2017年の7月だったようだから1年半ぶりの交換となり、平均よりやや早い交換となってしまった。
 症状の進行が早いのか、前回が軽めの矯正度数だったのか分からないが、今回改めて調整した結果、体調不良も解消したような気がする。
 ただ今回は、ネットの老眼情報と併せて考えてみると、老眼進行に合わせた調整と言うより近視か乱視の進行の調整の意味合いが強かったような感じだ。
今回手元より遠くのものの輪郭がはっきりした印象が強いからである。

 まあ、いずれにしても私の眼に老眼の症状が出ていることに変わりはなく、手元が見づらい状況が始まってしまっている。

ところで、この老眼の症状が始まってからスマホの操作自体が億劫になり始めている自分に気がついた。
 以前は、スマホ操作に億劫な意識などなかったが、老眼がはじまったころからどうもスマホでSNSやサイトを見ることがやや億劫になりつつある。

画像はイメージ

 まず細かい文字が読みづらくなった。

仕方なく一旦テキストフォントを大きくする設定にしたが、サイトページの形が崩れてしまうケースが続出したので、仕方なく元に戻したが、やはり読みづらい。

 また外出中に飛び込んでくるWECHATなどのメッセージも、スマホに眼をやってもすぐにピントが合わないので読み取りづらく、それ故に確認すること自体が煩わしくなり、結局移動中は基本的にメッセージを読まないことにした。
 そもそもWECHATは連絡手段として便利な面もあるが、管理機能が貧弱でビジネスでは使いづらいAPPでもあり、仕事ではあまり使いたくないと思っている、
故に最近では、友人以外の新たな承認申請を基本的に断っている。
こういったスマホに関連する様々な億劫さが重なった上に、先日「仕方なくファーウェイ」で書いたように、新端末ではアプリなど機能制限が激しく、ますます使いづらさを感じて少々スマホ離れ状態になっている。

  ああこうやって、ITに疎い老人が生まれていくのかなと身を持って感じている状況となっている。
 ただ裏を返せば、老眼さえ克服できれば実は歳をとってもIT離れをしないで済むという推論も成り立つのであり、視力の老化はIT技術の浸透の最大の障害として克服に取り組むべき科学の命題だという気がする。

スーパー銭湯「極楽湯」でのぼせる

 先週のことであるが、あまりにも寒い日が続くので、日系のスーパー銭湯の「極楽湯」さんへ行ってきた。
 実は職場からかの銭湯の最寄り駅までは地下鉄1本で行けるので、個人的には意外と使い勝手の良い位置関係にある。
 で、仕事の時間が終わると同時に職場を出て一目散に向かった。
 手続きを経て入場し、ロッカールームで服を脱ぎ、すぐにお風呂場へと向かった。
 何種類か泉質の浴槽があるのだが、それぞれ5分から10分ほど満遍なく浸かっただろうか?
 気が付くとトータル1時間くらい浴場に滞在しており、これは長くなってしまったなと、風呂からあがり浴衣に着替え、2階にあがった。

 少々身体がだるく、長く湯につかり過ぎたかなと思いつつ、当初の予定通り食事をとるべく、レストランに向かったのだがどうも、調子が悪いような気がしていた。

 入り口でメニューを開いてみたが、やはり食欲が湧いてこない。
 それどころか、少々気持ちが悪い。

 仕方なく、休憩室へ向かおうとした瞬間に頭がクラっと来た。

 卒倒こそしなかったが、あと一歩で気を失ったのでないかと思えるほど眩暈がして、そばにあったベンチに倒れかかるよう横になった。

 どうものぼせてしまったようである。
 一歩間違えれば周囲の人に心配をかけるほど大事になっていただろうに思う。

 幸いというか、その時は大して周りに人がおらず気にかけてくれる人もいなく、私がそのベンチに横になっていたことすら気にされなかったかもしれない。

 そしてそこからはもう、なかなかまともに立ち上がるのが怖くなり、気分が落ち着くまでその場で横になるしかなかった。
 数分ほど経過し、何とか立ち上がることは出来たが、まだ気分が悪いので、横になれる休憩スペースに異動して仰向けになって、安静にすることにした。
 横になっても目がぐるぐる回るというか、気分が悪く落ち着かない。
 まあ、その状態で実際にどの程度命に危険があるのかは分からなかったが、この症状の延長上に命が危険な状態があることを初めて実感したような気がする。
 単に入浴方法の問題なのか、自分の年齢的身体的衰えなのか分からないが、自分という存在は永遠ではないことを改めて実体験した。

 その後30分くらい横になり起き上がる元気はなんとか回復したが、さすがに食欲はわかず食事を摂らず退館することにした。
 冬の冷たい空気に触れたかったのである。
 
 そして表へ出たが、出た瞬間は心地よかったが、やはり冬の寒さは強烈ですぐに肌が冷やされてしまった。
 まあのぼせの恐怖感を感じた直後だったので、さすがにその時は温泉に戻りたいとは思わなかったが、今回は温泉も入り方に気を付けなければ身を亡ぼすことを知った年明けの教訓だった。