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ようやく開通する東京外かく環状線

今日、東京の外かく環状線(外環)の千葉区間(三郷南~高谷JCT間)がようやく開通する見込みになった。
私が生まれる前の1969年の都市計画決定から実に約50年を経てのようやく開通となる。

地図が好きな私はそれこそ物心ついた時から、地図を眺め、常磐自動車道の最初の区間の開通から三郷で接続する外環の開通を心待ちにしていた。

私の高校の時の自由研究のテーマも、高速道路のランプやインターチェンジについてであり、当時日本一大きいと言われた三郷JCTの複雑な形状を何度も何度も手書きで再現して、楽しんだりしていた。

さらに手元で楽しむだけでなく、休みの日には地元から自転車を飛ばして現地まで三郷JCTを見学しに行ったこともあった。

そのくらい建設を楽しみにしていた外環であったが、埼玉区間が1992年に開通して以降、全く進む様子が見えなかった。

特に外環の千葉区間に関しては計画発表以来、松戸市や市川市の住民の反対が激しく、待てども待てども計画が全く進まない状況になっていた。

そしてその後地元からルート変更案が提案されるなど、かなりの紆余曲折を経て、結局は当初の高架案から掘割スリット方式に変更され、開口部以外は植樹されるなど環境に配慮した街路整備が行われることで建設が進むことになった。

しかし、建設計画変更でようやく整備が進められるようになったが、それでもまだ10年以上も開通がいつになるか分からないような速度でモタモタ整備をやっていた気がする。

 私は就職した後の頃、既に運転免許を取っていたので、何度も建設予定地の周りを見学しに行ったことがあるが、なかなか遅遅として進まない雰囲気だった。

 結局開通に向けての最後の後押しになったのは、震災復興の大義名分のもとに、東京オリンピックの開催決定であった気がする。

 つまり、オリンピック開催時に東京都心への流入を回避しつつ、成田からの首都圏各地への移動手段を確保する意味で、この外環の千葉区間は重要になったのである。

具体的には、東関東自動車から直接繋がる東京の湾岸部にはオリンピック会場が集中しており、このエリアに通過交通が流入することを避けるため、高谷JCTから首都圏北部に交通量を逃すことは非常に意味があり、必要な路線になったのだろう。

また埼玉スーパーアリーナや、埼玉スタジアムなど都外の会場も外環沿線にあり、都心を通過せず成田から交通を流すことが可能になる。
 つまり、今回の外環の千葉区間の開通は、東京オリンピックに向け成田空港方面と首都圏北部や放射高速道路との連絡手段を向上するために、完成が促進されたのだと思う。

2020東京五輪会場と外環開通区間
引用元

まあ事情はともあれ、計画発表から50年を経てようやく開通の日を迎えた外環建設の歴史を見渡すと、自分の人生を振り返るようで感慨深いものがある。

今は上海にいるので、しばらくこの区間を走る予定は当面ないが、日本に戻った時に開通区間を確認しに行こうと思っている。

まずは開通おめでとう!


小田急線複々線の下北沢駅における緩急入れ替え構造

 今週一時帰国をしており、ちょっと小田急線方面に足を延ばす予定があったので、先日ニュースで知った開通ばかりの小田急線の複々線を体験してきた。
 ニュースによれば代々木上原(事業起点としては東北沢)から和泉多摩川までの約10.4キロが複々線化し連続立体化されたとのこと。
これにより、停車駅の少ない優待列車と緩行列車の分離が可能になり、運行ダイヤ編成上、非常に効率が向上し、運転本数の増強やスピードアップが可能になったとしている。

 まあ細かい数字は小田急発表の資料に任せるとするが、芝居好きの私としてはこの小田急線の変貌により下北沢駅とその周辺の街がどのように変わっていくかかなり興味がある。

 聞くところによると下北沢駅は従来の地上駅から地下化され周辺の開かずの踏切と呼ばれた問題点などが解消されたとのこと。

 まあ開かずの踏切はともかく、駅の地下化については私は必ずしも賛成ではなく、「地下鉄は街を発展させるとは限らない」で、書いた通り、必ずしも街にとってはプラスに働かないのではないかと思っている。

 ところで、この下北沢駅は地下駅であることは分かったが、何故か緩行線と急行線の二階建て構造になっていた。

 普通こういった複々線の場合、共通停車駅は乗り換え客の便宜のため行先方向別の2面4線構造が組まれるのが通例なのだが、何故か乗り換えに不便な積層構造となっている。

 はてなぜだろう。

 この疑問を抱えたまま実際乗車してみて、疑問が解けた。

 実は小田急線の緩行線と急行線がこの下北沢駅のトンネル区間で入れ替わる構造を持っているのである。

 具体的にどういうことかといえば、東京メトロ千代田線は折り返しの必要のために、代々木上原駅では新宿方面からの小田急線の複線の間に割って入るように地上に顔を出す。

 そして、代々木上原駅で行先方向別のホームを経て、千代田線から来た列車はそのまま小田急線の緩行線に乗り入れるため、この区間の小田急線の複々線は緩行線が内側、急行線が外側という順番で配置されている。

 ところが、下北沢区間のトンネルを出た梅ヶ丘駅に至ると、複々線は急行線が内側、緩行線が外側となり、緩急が入れ替わっているのである。

 つまり急行線は上下線とも緩行線の下を潜って、緩行線の内側に入りこんだという構造になっている。

 これにより梅ヶ丘より西側の緩行線のみの停車駅は、対向式ホームとなっている。

小田急線下北沢駅周辺路線図

 果たしてなぜこのような、複雑なひねり構造を下北沢駅周辺にいれたのだろうか?

 鉄道設計者がゼロから設計し合理的に駅を配置するなら、複々線の緩行線は内側に配置し抱き込み式の島式ホームにもできたはずである。

 しかし、あえてそうしなかったのは、これまであった既存の沿線駅がそういう構造になっていたからにほかならない。
 つまり、過去からあった駅の構造をそれをそのまま利用したということになる。

 小田急線の梅ヶ丘駅以西は元々の複線の外側に待避線を作って駅を設置していたため、急行(通過)線は内側、緩行線は外側という原則で駅が作られていた。

 また、緩行線を抱き込みの島式ホームにすると外側の急行線も曲線が生じスピードにも制限がかかるので、なるべく直線が維持できるセンター方式のほうが有利だというのもあっただろう。

 つまり、過去の駅の構造を極力生かしつつ、代々木上原駅での内側の千代田線に接続する構造を両立させたのが、下北沢駅付近での緩急ひねり構造ということになり、その都合で生まれたのが下北沢駅の緩急二層構造ということになろう。

 東京周辺の鉄道はもともと複雑な構造を持った路線が多いが、また新たに複雑な構造の駅がうまれたという印象である。。

上海地下鉄博物館は日本の地下鉄の存在をスルー?

先週の週末、ちょっと時間が空いたので、最近オープンしたという龍柏地区のショッピングセンターを覗いてきた。

 で、その途中に上海地下鉄博物館なるものを見つけて、ちょっと気になりついでに入場し見学してきた。
 この地下鉄博物館は10号線の車両基地に隣接して建てられており、展示スペースは3階レベルの位置にあるが、入場口は地上レベルにある。
 入場料は大人30元であり、入場ゲートは自動改札のようなものが設置されていたが、使われておらず、そのままスルーが可能で、すぐにエレベーターで展示スペースの3階に上がる構造になっていた。

上海地下鉄博物館 エントランス

内部の展示物の内容は、基本的には一番最初の1号線が完成するまでの歴史的経過の紆余曲折などの資料が展示されている。
また、それらに付随してトンネルを掘る技術や、鉄道としての信号設備などの紹介が行われていた。

 それらによると、上海の地下鉄が構想されたのは1960年代らしく、試掘なども行われたようだが、文革などが発生したため、実際の着工は1990年までずれ込み、開通したのは1993年とのこと。
 ちょうど私が大学生の頃であり、私の人生のそのころの状況を思い出しながらこれらの資料や写真を見ていた。
 
  上海の地下鉄は開通当初は映画館の招待券のような、長い券を使っていたようだ。

  ところでこのような展示の中の一環で、世界の都市の地下鉄のような展示があった。
 ニューヨーク、パリ、ロンドン、マドリッド、モスクワ、メキシコなど欧米の主要都市が紹介されているものの、何故か日本の地下鉄は全く紹介されていなかった。
 アジア代表として、北京が掲載されていたが東京や大阪は全く触れられていない。

世界の地下鉄紹介コーナー

 ウィキペディアなどによると、アジア初の地下鉄は東京で、あの三球照代さんの「地下鉄の電車はどこから入れたの?」で有名な銀座線が、昭和2年開通となっている。
 従って世界の地下鉄を語るならば、東京の地下鉄の存在は無視できないはずなのに、ここでは全く触れられていないのである。
 まあ、日本だけでなくアジアごと抜けているので、アジアは取り上げなかったという理由は成り立つが、アジア初という東京の地下鉄の位置づけを考えると、日本の地下鉄を取り上げたくないからアジアごと外したという穿った見方もできなくはない。
 結局、詳しい理由は闇の中だが、とにかく東京の地下鉄は取り上げられていない。
 こんなところに見えない日中の溝の影響があるのかもしれないと考えるとちょっと寂しい展示という気がする。
 

上海地下鉄博物館

上海地下鉄博物館