Category Archives: 社会のこと

中国独特の座席番号の割り振り方

 中国の劇場やホールなどの公共施設に何度か足を運んだ人ならご存知だと思うが、中国のホールでは、独特の席番号の割り振り方が行われている。
 番号振りが独特と言われても、ピンと来ないかもしれないが知らないで会場を訪れてしまうと非常に戸惑うことになる。

 日本の劇場などの座席表を見ると、日本のホールは舞台側から「A、B、C・・」あるいは「1列、2列、3列」などとなっており、これは中国側も同じである。

東京文化会館大ホール座席表(引用元

 ただ違うのは、横方向の番号の振り方である。

 日本の劇場は一般的に舞台に向かって左側から「1番、2番、3番・・」と小さい番号から順に振られている。
(施設によっては、劇場形状により縦のラインを合わせるために1番から始まらない場合もあるが。)

 これに対して中国の劇場は番号が真ん中から始まる。

 まず劇場の中心線上に1番の番号が振られる。
 そして舞台に向かって右側へ「2番、4番、6番・・・」と偶数番号が割り振られ、逆に左側に「3番、5番、7番・・・」と奇数番号が割り振られている。

長寧芸術文化中心の中央部座席

 つまり中心の1番から「右、左、右、左・・・」と外側へ行くに連れ番号が大きくなっている法則となっている。

 よって、2枚のチケットが22番、24番という飛び番号だったらそれは飛び席ではなく、隣あった席ということになる。

上海交響楽団音楽庁の座席

 中国の全ての会場をチェックしたわけではないが 固定の座席を持つ劇場は総じてこの法則で番号が振られており、フリースペースの劇場の状況はわからないが、映画館なども基本的にこの法則に従っている。

上海大劇院3階席の座席表

 何故、このようなわかりにくい法則になっているか?

 明確な根拠文書は見つけていないが、おそらく座席序列の明確化なのではないかと思われる。

つまり、真ん中を最高峰の席として、振られる座席がその人の組織の中での序列を表していることになり、肩書や地位の序列によって座る場所が定められているのだろうに思う。

 つまり逆に座る場所によって序列が分かってしまうことになる。
 
 階級社会の国内文化の影響が強く感じられるこの劇場の座席番号の割り振り法則であり、これを見ると中国はそういう社会なんだなということに改めて気づかされる。

 まあ我々外国人は外交官でもない限りこの序列そのものを気にする機会はほとんどないだろうが、演奏会などで劇場空間を訪れる機会がある場合は、戸惑わないように予め知っておいた方が良いこの法則である。


日本の国歌に「故郷(ふるさと)」を加えたらどうか

日本の法律では国歌として「君が代」が定められている。

まあこの「君が代」は日の丸とともに国旗・国歌の論争のもとになっている。

この「日の丸」「君が代」は長らく国旗国歌とされてきたが、実は法律として定められたのは1999年になってからで、それまでは慣習的に使われてきただけであった。

この法律ができてから、公立学校の入学卒業式では起立斉唱が義務のように言われるようになり、またそれに違反した教師が処罰され、それを不服とした教師が教育委員会を訴えるなど何かと社会問題化している。

個人的にはこの国旗国歌の制定については消極的には同意するものの、公立学校とて国が建てた学校ではないし、憲法が保障する思想の自由などから考えれば入学式や卒業式における斉唱や掲揚は強制されるものではないものと思っている。

起立斉唱を参加者に求めるのは、どう見ても権威主義的な軍隊教育のように見え、多様な人間が生きる現代社会での教育にはそぐわないと思えるからである。

ただ、今回はこの是非についてはとりあえず横へ置いておいて、日本の国歌というものについて考えたい。

まあそもそも国歌が必要なのかという議論も本来はしなくてはならないが、一応国家体裁として必要なんだという前提で、考えてみたい。
さて、現在国歌となっている「君が代」について、そもそも一体どのくらいの日本人が歌詞の意味を理解して歌っているのだろうか?ということに疑問を感じている。

正直言って、私もよくわかっていない。

一応日本語だから言葉の一つ一つの単語の意味は分かるが、全体として何を歌っているのか理解していないのである。

戦時中に、天皇の歌として扱われたこともあったようだが、どうやらそれも違うらしく、誰が何を思って詠んだ歌なのかは現代でもはっきりしない。
一説には平安時代の恋の歌だと解釈する説もあるが、それとて定まった説ではない。

つまり、われわれ日本人は歌詞の意味もはっきり分かっていない歌を、たぶん国のことを表した歌だろうと咀嚼せず適当に飲み込んで歌っているだけなのである。

このように「君が代」は国歌として法律で定めた割には随分根拠も内容のあやふやな歌であり、むしろ国体復古を目論んだ右翼系の「王政復古」の意図で法律定義したのが結局正解のような気がしてならない状況である。

故にそんなあやふやな「君が代」は、例えみんなが歌えたとしてもどれだけ日本人にとって意味のある存在かは不明であり、国歌として適当なのか疑問を持ってしまう。

これらのことから実は個人的には「君が代」より、「故郷(ふるさと)」のほうが現代の国歌にふさわしいと思っている。

この「故郷」はそもそも大正時代に長野出身の高野辰之氏の作詞、鳥取出身の岡野貞一氏の作曲によって作られた学校唱歌である。
唱歌であるが故に、誰にとっても歌いやすく、心に残りやすい歌となっており、実際多くの人に歌われている。

まあ歌詞については現代となっては多少古い言い回しにはなっているが、何を意味しているかは理解できるし、多くの人の心に通じるものがある点においては君が代の比ではないだろうに思うのである。

そして、心に染み入ってるからこそ、ふとした瞬間に不意に口をついて出る。

例えば戦時中に特攻へ出撃していったパイロットが機上で歌っていたという話もあり、日本人が共通して心の中に持っている歌は結局「君が代」ではなく、「故郷」ではないのかと思うのである。

故に国家を強制されない意味の国歌として「故郷」を強く推薦したいと思う。

さらにこの歌は決して国を限定しているわけではないので世界の人にも自由に歌ってほしいし、それぞれの「故郷」のイメージは違えど、故郷への思いは通じるものがあるのではないかと思っている。

まあ今の「君が代」を退かせたい意図があるわけではないので、法律定義としては並列でも良いが、国際スポーツ大会や卒業式はこちらを採用できるよう国歌に加えてほしいという気がするのである。

仙台七夕の日程の不思議

 先日の2018年8月17日は旧暦の7月7日にあたり七夕で、中国的に言うと夏の情人節つまり夏のバレンタインということになる。
 この日は、婚姻届の件数が増えたりする現象も起き、ちょっとしたイベントデーとなる。

 ところで日本で七夕といえば新暦で行われる7月7日の七夕の他に、仙台の七夕まつりが有名だがこの仙台の七夕は何故か8月7日前後に行われる。
 なぜ8月7日に行われるかについて、勝手に「旧暦」だと思い込んでいる人もいるようだが、今年の旧暦の7月7日が新暦の8月17日であったことから分かるように、仙台の七夕の8月7日は旧暦ではない。
 いわゆる月遅れの実施のために8月7日という日程が選ばれているということになる。 
                                                      
 前回「東京のお盆」についても全く同様のことを書いたが、明治5年の明治改暦によって従来の太陰太陽暦から太陽暦(グレゴリオ暦)に変更されたため、基準となる1月1日が毎年一か月以上ずれてしまうことになった。

 これにより、従来の日程のまま伝統行事を実施すると季節感が全く合わなくなってしまうので、月遅れの中暦という暦を設定し、七夕やお盆は新暦の日付の1か月遅れで実施されることになった。

 これが現在8月7日に七夕が行われる由縁である。

 しかし、一か月遅れにしたおかげで季節感的にはなんとかマッチングできたものの、やはり太陽暦上で日程を設定したが故に月の満ち欠けは無視されることになり、七夕なのに半月にならず満月や三日月の晩となってしまうのが仙台の七夕の日程である。

 まあ日本では現在でも旧暦を復興する動きはほとんどないが故に、仙台の七夕も今後も永遠に月とは無関係の日程で行われていくのかもしれないが、やはり行事の由来を考えると伝統とは言えちょっと残念ではある。