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電子レンジでは温められない料理

一人暮らしを続けていると、結構な頻度で電子レンジのお世話になる。

買ってきたお弁当を温めたり、冷凍食品を解凍したりと一人暮らしの食生活には欠かせない必需品となっており、電子レンジなしでの食生活を想像するとゾッとする現状となっている。

しかも最近では、ゆで卵なども電子レンジで作れるツールもあるようになってきていて、使い勝手の幅が広がっており、便利さの面ではこの上なく重宝している。

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しかし中国に来て以降、日々の食事の瞬間においてガス台で温めた料理と電子レンジで温めた料理には明らかに差があることも感じるとるようにもなってしまった。

その差とは料理の温度の質の差である。

よく知られているように、電子レンジはマイクロウェーブで、料理の中に含まれている水分を振動させて温度を上げている仕組みであり、それゆえ冷めた料理を温めることが出来るとされている。

しかしよく考えてみると、料理が温められたといっても、実際に温度が上がったのは料理の中の水分だけであり、料理の固体の部分は温められていないことになる。
つまり固体の部分は水分からの熱伝導を受ける必要があり、熱伝導を受けて初めて固体部分も温かいものとなって、温かい料理として成立することになる。

しかし一般的には、恐らく水分部分の温度が上昇しただけで料理が温まったことになって食事として出され、食べていることがほとんどなのではないかという気がするのである。

よって舌が火傷するほどアツアツに温めてあったとしても、どうしても料理全体としては熱不足を感じてしまうケースが多いのである。

さらに水分だけが温度上昇した結果、水分が蒸発してしまい料理がパサパサになるというのはよく聞く話ではあり、そのためか、実際電子レンジで温めたられた料理はどこか物足りなさを残す印象となる。

もちろん最近の電子レンジは技術がどんどん進歩しており、水分蒸発によるパサパサを防ぐスチーム機能付きなどの製品も登場していて、電子レンジの欠点と追われる部分をどんどん克服しつつあり、なかなか凝った料理まで出来るようになっている。

しかし、そういった高機能の電子レンジにより質が上がったアツアツ感であっても、私のように中国に住み、日常的に高火力で温められる料理を体験してしまうと、電子レンジで温めた料理の温度感はやはりどうも違うなと感じ取ってしまうのである。

実際こちらの食堂で使われる鉄の中華鍋で高火力で炒められた料理は実にアツアツであり、具材のどれを食べても熱いといった印象で、食事としての満足度はやはり段違いなのである。

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それ故に、電子レンジでは本当の意味で料理がおいしく温まらないというのが最近の私の基本的な考え方となっている。

よって時間と手間が許す限りにおいては、やはり料理は電子レンジではなく、ガス台など直火を使って温めたものを食べたいと考えている。

さりとて、恐らく今後もかなりの頻度で電子レンジにお世話になることもまた間違いなく、更なるメーカーの努力に期待したいところでもあり、ユーザーとしても電子レンジの特性を把握した上で上手に使いこなしていきたいと思っている。

「恐怖の食卓」に出演した芸能人の怖~いその後

 10年ほど前、つまり私が上海にくるちょっと前の時期に、日本のフジテレビで「恐怖の食卓」という番組が放送されていた。
 芸能人のリアルな食生活をウォッチして、医師達が将来起こりうる病気のリスクについて警告するといった内容だった。

 やや過剰な内容かと思わせる部分もあり、行き過ぎた内容も時々含まれ一度謝罪を余儀なくされるようなこともあったようだが、いい加減な食生活を送っていると寿命は短いということを警告するものとしては十分だった番組だったような気がする。

 そして放送から10年経ってこの番組を振り返るとちょっと驚くべき状況となっている。

 特に2006年1月12日の回に出演した方の現在まで生存率が凄いことになっている。

 情報源として見つけたのは「青木晃のアンチエイジング日記」という出演していた内科医の方が書いたブログだが、その回のゲストというのは大原麗子さん、うつみ宮土理さん、山下真司さん、松原のぶえさん、今井雅之さん、飯島愛さんで、豪華なゲストとして表現されている。

 しかし、ご存知の通り上記出演者のうち、大原麗子さん(62歳)今井雅之さん(54歳)飯島愛さん(36歳)は既に亡くなっており、いずれもそれほど高齢ではないのに若くして亡くなってしまった。
 実にゲストの半分が10年で亡くなっている事実となっている。

 番組で指摘された理由はそれぞれだが、飯島さんは収録後わずか2年後に肺炎で、大原さんは3年半後に不整脈で亡くなっているし、今井さんもワインをがぶ飲みする生活を指摘され、9年後の今年の5月に大腸がんで亡くなった。

 そして驚くことに先日肝内胆管ガンで亡くなった川島なお美さんもやはり2005年4月放送のこの番組に出演していたようで、具体的な指摘内容はちょっとわからなかったが、10年後の今年に54歳という若さで亡くなってしまった。

 まあ、放送時に指摘された食生活と亡くなった時の死因のそれぞれの因果関係は不明だが、それぞれ褒められた食生活を送っていたわけではなかったのは確かなようで、日常の食生活が寿命に大いに影響を与える可能性があるという見本となってしまっている。

 特に飯島さんと大原さんに関しては、番組内で相当厳しい警告が出されていて、その通りに数年内に亡くなってしまった。

 もちろん人にはそれぞれ事情があり、必ずしも100%理想通りの食生活が送れないのは仕方ないことかもしれないが、なるべく世間の常識通りの食生活を送ることが長生きの秘訣だというのは、かの芸能人たちの状況を見てよくわかった気がする。

 やはりコンビニ弁当やハンバーガーばかり食べていてはいけないのである。

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母親の細菌が決める子供の健康とスポック博士の育児書

以前スポック博士の育児書という子育てに関するベストセラーが最近否定し始められているようなことを書いたが、つい最近それを裏付けるような事実があることを見つけた。

それはここにこちらに「女性の細菌が健康と幸せを決める鍵」というブログで紹介されている話。
ほぼそのまま引用するが、微生物学者JASON TETRO氏の研究結果として人体内には100兆もの細菌(microbiomes)が存在するとし、子供に対して

母親や育児に関わった女性のmicrobiomesが、母親の産道から〜キスや触れ合い〜母乳〜など愛情深く育てられるなかで体内に入り、これらの女性由来の微生物が免疫系も含め人間の原初の健康の元になっているということ

つまり母親とのスキンシップが、子供の健康の基礎となるというのである。
さらに、それは乳児期間に限らず、成長過程においても、

お母さんが素手で磨いで炊いた、細菌一杯のごはんを、またまたお母さんの素手で漬けて揉み込んだ、細菌一杯のお漬け物と、自家製のこれまた細菌一杯のみそ汁と一緒に食べて、みんな健康で幸せになる!

と影響を及ぼすことになるらしい。

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この話を読むと、かのスポック博士の育児書で記されている「個人の自立を促すため、泣いても抱っこせず泣かせなさい」「母乳と抱っこに頼りすぎると大人になってから自立が難しくなる」といった記述が、実は赤ん坊の健康を保つ細菌環境醸成に対しては反する行為だということがわかる。

つまり、母親とのスキンシップ不足となった子供は免疫に必要な細菌を母親から与えてもらえず、免疫不足に陥る可能性があると考えられるのである。

実際この免疫不足となる現象が、スポック博士の育児書が読まれた時期の直後の1980年頃からアトピー患者が増加しているという時期とちょうど重なる。
 つまり育児書に従った母親による子供とのスキンシップ不足がアトピー患者増加の一因でないかという推測が成り立つのである。

 さらにこの免疫力低下に関する犯人は「スポック博士の育児書」だけにとどまらず、レトルト商品や調理済食品の増加により、母親の手を経ないで作られた食品を食べることが増えたのも原因なのではないかと言う推測ができることになる。

 つまり調理済みの既製品の食生活では、お腹は満たせても上記の健康を保つための細菌環境の母親からの譲渡という意味ではマイナスの環境となるのであって、それがアトピーあるいは花粉症などという免疫に起因する症状を生み出しているのではないかということになる。

 もちろん、アトピーなどに関しては食生活の変化による化学調味料の多量摂取などが原因ということも考えられるが、時期的なタイミングで言えば、化学調味料より調理済み(母親の手を経ない)食品の浸透が原因と考える方がしっくりくる。

このことから考えると最近の極端な殺菌商品の普及もひょっとすると子供の健康に必要な母親から子供への細菌の受け渡しを妨げる可能性もあり、神経質すぎる殺菌・滅菌商品の乱用は実は子供の健康を守るどころか成育能力の低下を招いている可能性もあるのである。

母親のスキンシップが子供の健康を守るという、古くて新しい考え方であり、既製品ばやりの育児環境に一石を投じるこの研究である。

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中国の食卓テーブルが高いのは○食いが原因

 中国で現地のレストランに入ると、日本のレストランよりテーブルの高さが高めに設定してある店が多いということに気が付く。
 まあ一軒一軒高さを測って調べたわけでもないし、具体的な平均値データがあるわけでもないので、完全な個人的感覚に基づく所感でしかないのだが、どうもローカルレストランのテーブルは、日本のそれに比べ高いように感じるのである。
 
 高いと言ってもせいぜい数センチかそこら程度の差でしかないので、店ごとの個体差だと思えば気がつかない人は気が付かないかも知れない。
 しかし、中国のローカルレストランで背筋を伸ばしてテーブルに腕を置くと、肘がやや窮屈な店が多いのである。

 逆に上海でも日本料理店などでは日本的なテーブルの高さの店が多いようで、およそ肘よりやや低位置の高さのテーブルの店が多く、はっきりとこの差を感じることが出来る。
 
 はてはて、何がこのテーブルの高さの差を生み出しているのだろうと考えてみた。

 普通に考えて一番大きな要因は、食文化、特に食べ方の差だろうと考えるのが最も妥当である。
 日本と中国はご存知の通り同じ箸の食文化であるが、実は許される行儀の面では大きな差がある。

 日本の食文化において行儀良い姿勢というは我々が知る通り、背筋を伸ばして茶碗を持ってご飯や汁物を頂く形となっている。
 そのため、おかずを箸で取るために腕の自由度の空間が要求され、自ずと食卓に要求する高さは低くなるのである。

 これに対して中国の料理は(と書いたが国土が広いのできっと一律ではないが)、一般的にお椀に口を近づけて食べる、日本で言う犬食い的な恰好が通常となっている。
 そのため、お椀に口を近づけやすい高さが高いテーブルが好んで用いられているのではないかと推測できる。

 中国では日本より麺類が食べられる機会が多いと思われるが、麺類の器は大きく熱いので、器を手で抱えて麺をすするのは現実的ではなく、顔の方を器に近づけるのが普通で、そういったことから食べやすいようにテーブルが高くなっているとみることが出来る。

 この点日本のラーメン屋など麺専門店でも、比較的テーブルの高さが高めに設定してある店が多いのは、やはりラーメンはどんぶりを手で持って食べることが少ないから、顔を近づけ易くするため、テーブルを高くしているのだろうと思われる。

 同様に日本蕎麦屋も比較的テーブルが高い印象であるが、蕎麦屋にあるご飯ものメニューに伝統的にカツ丼や親子丼などどんぶりが多いのは、食べやすさという点を考慮すると、実は蕎麦屋のテーブルの高さと無縁ではないような気がするのである。

 こうやって考えると、麺食が主流の店ではテーブルが高く、それ以外のおかずをつついて食べるスタイルではテーブルが低く設定されているのではないかと整理することが出来る。

 もしかするとこんなことは、レストラン専門の内装屋さんにとっては常識なのかもしれないが、私にとっては中国に来て初めて気が付いた発見である。 
 
 この推論の検証のために、またしばらくローカルレストランの食べ歩きが続きそうである。

日本人価格の崩壊

 今日で中国に住み始めてちょうど満8年になった。

 8周年だからといって特別何もないのだが、毎年言っていることだが中国に踏み入れた日付と言うのはかなり忘れないものだなという気がする。

 さて、8年前を振り返ってみるとあのころは上海での物価水準は今より低くかったが、それに対して日本料理屋のメニューはそれほど美味しくないくせに日本人価格ということでローカルレストランとはかなり差があった。

 それでも、日本から来た駐在員たちは日本食にありつけるという事で、これらの日本料理屋に通ったり、日本人向けの高いナイトクラブを割安といって年中通っていたのである。

 また私が来たころは人民元の価値もまだ低く、1万円を両替すれば800元以上になったので、現地の人から見ればかなり馬鹿高い「日本人価格」であっても、日本から来た出張者や駐在員は安い安いといってかなりウハウハで上海ライフを楽しんでいた状況があった。
 そしてそういった日本人目当ての「日本人価格」を設定したお店もこの時期上海や蘇州には沢山あり、さらにこれらのお店の広告を主ターゲットにしたフリーペーパーもあの頃沢山あったのである。

 現在8年の時が流れてあの頃と比較してみると、まず何より上海・中国のサービス水準が上がったことが言える。
 この8年の間に日系や台湾系、欧米系のサービス産業が数多く進出してきて、レストランや商店のサービスレベルをどんどん押し上げてゆき、例えローカルなお店であっても以前ほどには日本料理店とサービス水準に差が無くなってきたのである。

 加えて上海では労働者の給与水準も上がり、富裕層からミドルレンジ労働者たちの日常の消費意欲が高まったお蔭で商品の品質に対する目も厳しくなり、その結果として街中で手に入るありとあらゆるものの品質が底上げされる状況になっている。

上海のマクドナルド

ファーストフードも増えた

 もちろん今でも「中国クオリティ」と呼ばれるような品質の悪いものやサービスもたくさん存在するが、以前ほど高いお金を出さなくてもそれなりに良いものを気軽に手に入れることも十分可能になってきたのである。
 このようにローカル商品の品質やサービスレベルが上がると、それまで外国人向けのお店にしか行かなかった外国人も、これらの中国ローカル系のお店に次第に足を向けるようになるわけで、質で差をつけて高価格を保っていた外国人向けお店の優位性が失われてくるようになってきた。

 さらにこの8年間の人民元の切り上げや円安の進行によって、外国人駐在員の可処分所得(=自由に使えるお金)も相対的に目減りし、外国人専用価格のような特別価格は割高感を感じるような状況になった。
 特に日本円の対人民元レートはこの8年で4分の3以下程度になっているわけで、以前は1万円が800元以上になったものが現在では570元くらいにしかならず、さらに物価が1.3倍程度になっていること考えると、以前に比べ駐在員が使える費用は同じ日本円金額なら以前の6割程度になっている。
 すると当然駐在員たちの財布のひもは固くなり「日本人価格」を受容できる比率は減って来るわけで、必然的に質に見合わない「日本人価格」を設定するお店は淘汰されていくことになり、結局日本人価格はデフレを起し崩壊する運命をたどることになる。

 またこの「日本人価格の崩壊」によって、その差別化によって成り立っていた日本人向けフリーペーパーも衰退してゆくことになり、既に姿を消した媒体や、廃刊までは至ってないものの以前ほどの勢いを持たない媒体が数多くある状況となっている。
 
 このように以前は存在した「日本人価格」が、もはや姿を消したといっていいのがこの8年間の変化であり、日本人価格の崩壊とともに中国人の生活レベルの向上を目の当たりにした時間だったなというのが、この8年間の中国生活の感想である。