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三國連太郎逝く

 俳優の三國連太郎さんが亡くなった。

 世間では最近まで出演し続けていた釣りバカ日誌のインパクトが強いようだが、私個人の映画鑑賞履歴の中では、「ビルマの竪琴」や「八甲田山」での印象が強い。

ビルマの竪琴の三國連太郎さん

ビルマの竪琴の三國連太郎さん(引用元

 若いころはキリッとした好青年で、年老いてからも味のあるおじいさん役が似合っていた。

 いずれにしても存在感のある名優の1人であり、昭和の名優がまた一人逝ってしまったという気がしている。

 あるところで聞いたところによると、彼はずっと自分に自信がなく生きてきたようで、出演した映画にも役どころにも自信がなく、そのコンプレックス故に弛まない努力を続けていたようで、さらにいつ俳優を止めていてもいいと思っていたから思い切った演技や監督らとの衝突も厭わなかったとのこと。

 まあ世の中の自信満々を語る奴には実際に大した人はいないという気がしており、こういったコンプレックス的な部分を持つ人こそ逆にあのような名を馳せる人を生み出すのかなという気がしている。

 人が努力をするきっかけは人それぞれだが、常に地位に安住せず高みを望む姿勢が人の成長を生むのは確かなようである。

 そんな見本の名優が逝った。

 故人のご冥福をお祈りします。

あの相撲甚句はもう聞けなくなった。

 今月1日に3年程前まで上海の街にいた岩見正昭さんが亡くなったと、昨日人づてに聞いた。

 年齢とか亡くなった時の状況など詳しいことは伺ってないが、亡くなったという事実だけで十分ショックなニュースだった。

 岩見さんといえば上海の日本人社会の中でも結構有名人だった人で、上海にある全47都道府県の県人会を巡り、自ら作成した各都道府県の風光明媚な名所を謳いこんだご当地相撲甚句を披露していた。

 私も彼の紹介で幾つかの県人会に参加させてもらったり、実際に一緒に相撲甚句などを謳ったりした。

 日本時代にやはり全都道府県を回った私にとっては、歌に歌われる名所などが懐かしく、よくまあこんなに調べて歌詞に織込んだと感心したものだった。

 歌だけでなく、もと関取だった大柄な体型同様に懐の深い人で、今でも彼の声や言葉を鮮明に覚えている。

 あれからまだ3年程度しか経ってなく、1年ほど前にもまた上海に来たいとメールをもらったので元気だと思っていたが、人の人生ははかないものである。

「ヨイショ!ヨイショ!」

 もうあの相撲甚句は聞けなくなたと思うと残念でとても悲しい。

 故人のご冥福をお祈りします。

ちと異常なウィキペディアマニアたち

 ネット上の百科事典「ウィキペディア」は若干正確さに欠けるものの、まあおおよその意味を捉えるのに便利なのでよく利用している。

 しかしながら、執筆協力者たちの編集態度を見るとちと異常過ぎるかなと感じない面もないではない。

 その一つに更新が早すぎるというのがある。

 先日日本の笹子トンネルの天井版崩落事故があった時に、笹子トンネルについて調べようと思ったら、事故から数時間しか経たずまだ全員が救出されていないタイミングにも関わらず、もう事故の記載があったのである。

 これは異常な速さというほかない。

 先を争って一番執筆者争いをしているのかも知れないが、被害者や事故の大きさを考えるとあのタイミングで既に事故の記載を一生懸命行なっているのはいささか不謹慎とも言える。

 もちろん刻一刻と起きている事象は、その瞬間瞬間に記録していくのが一番いいとはいえ、事故の全体像が見えないうちに百科事典的役割のページに速報的に事故状況を書き込んでいく状況はいかがなものかと感じてしまう。

 有名人の訃報なども同様で、その日の朝に亡くなったような人でもYAHOOなどでニュースになっている時は、もう既にウィキペディアに記載が終わっている。

 確かに事実になってしまったとはいえ、いささか無神経さも感じる。

 さらにこの上海の街などについても、日本人のウィキペディアマニアがどこかにおり、地下鉄駅などについて懸命に記述を行なっているようで、開通後の記載がかなり早い。

 どうもこういったウィキペディアマニア工作員たちの存在は、辞書を利用する側からすれば便利な面もあるが、どうも無神経さへの印象が先に立ち、身の回りにこんな奴らが潜んでいるのかと思うとちょっと気持ち悪い面もある。


和解できたのがせめてもの救い

プロ野球日本ハムコーチの小林繁さんが急死した。57歳という若さである。
俗にいう空白の一日は私が小さい時の話だったので、当時は状況を知らなかったが後になってニュース記事を読むと、小林繁と江川卓という二人の投手が運命に翻弄されていたことがよく分かる。
その後、双方引退後、プロ野球解説者などの道をお互い歩みながらも現場で顔を合わすことがあっても会話はなかったという。二人とも避けていたつもりはないが、積極的に向き合うようなこともなかったようだ。
 お互い、気にしていないようでやはり心の中にどこか整理しきれないものがあったに違いない。

 その二人を引き合わせたのが2年前の黄桜酒造のCM。
 いわゆる「和解の酒」のエピソードである。
もちろんお互いが会うことは承知していたが、事前打合わせなく、CM撮影の現場でぶっつけ本番で会うシーンを撮影したあのCMである。

CM狙い通り二人はこのCM内で和解した。

その後たった2年で小林繁さんは亡くなってしまった。
早過ぎる小林繁さんの死にはただ驚くばかりだが、
死ぬ前に彼らが和解できたことがせめてもの救いだ。

故人のご冥福をお祈りいたします。

山城新伍さんの思い出

一昨日、俳優の山城新伍さんが亡くなったとの訃報を耳にした。

実は一昨日の「24年前の記憶」というタイトルのブログに、日航機墜落の翌日にハワイへ旅行に行ったことを書いたが、実はこのハワイ旅行というのは山城さんの司会するテレビ番組の優勝の賞品だった。
 つまり彼の司会するテレビ番組に出場し、優勝してゲットしたのが「ハワイ旅行」で、その旅行の前日に日航機が墜落し、あのような大惨事であった。

単なる偶然かもしれないが、24年前の記憶を思い出したその日に山城さんが亡くなっていたというのは偶然というには出来すぎなくらい因縁を感じる。虫が知らせたのであろうか?

 実は彼と私にはちょっとした共通項があった。それはここでは書かないが、それゆえ彼の司会する番組に出場したとも言えるし単なる一有名人ではない親しみを感じてテレビの中の彼を見ていた。

 結局本人に会ったのはそのテレビ番組に出た一度だけだが、多感期の思い出であるだけに、その記憶も先の日航機の墜落の事件ともに残り鮮明である。
握手をしたとき手が大きく温かったような記憶がある。おどけてひょうきんなキャラクターはテレビそのままで色んな意味で人間っぽい人だった。

 そんな彼が亡くなった。

24年といえばほぼ四半世紀で、まあ彼も私もそれだけ歳をとるわけで、時期が来れば順番に亡くなってしまうのは仕方のないことであるが、当時あったもの、生きていたものが徐々になくなって思い出だけが残っていくのは少し寂しい。

 故人のご冥福をお祈りしたい。