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防腐剤は本当に悪か?

 先日、自然食品に関するセミナーや販売を行っている方が、とくとくとネット上で自然食品の大切さを語り、防腐剤の悪影響を語っていた。

 その人によれば、我々が日常に飲んでいる烏龍茶や緑茶などにも防腐剤が含まれており、その防腐剤ががん発症の原因になっているのだという。

 人間は古来から防腐剤など入っていない自然食品を食べてきたのだから、自然食品こそが身体に良いのだというような主旨の主張だったと思う。

 まあ、自然食品が身体に良く、防腐剤ががん発症をもたらす可能性があるという意見自体はそれほど否定すべきものではない。

 しかしだからといって茶飲料などに含まれている防腐剤を全て悪だと決めつけてよいものだろうかとちょっと疑問に思ったのである。

 まともな食品会社なら防腐剤が強すぎたり、品質が悪ければ身体に悪影響を与える可能性があることはよく知っているわけで、それでも防腐剤を使っていることを考えると、防腐剤を使うメリットがあるはずなのである。

スーパーに並ぶ飲料

スーパーに並ぶ飲料

 確かにかの自然食品論者の言う通り、現在市販されている茶飲料から防腐剤を一切排除すれば、社会全体のがん患者の数は減らせるかも知れない。

 しかしながら、自然の状態のままの茶飲料などを飲む場合、腐敗の進行は自然任せなのだから、当然のように腐ったお茶や食品でお腹を壊したり病気を発症する可能性が生まれてくることになる。

 これが抵抗力の低い子供や年寄りであれば当然死に至る可能性も高くなるはずである。

 つまり食品から防腐剤を排除することのトレードオフとして、腐敗した食品で人が病気になったり死んだりする可能性が出てくることになるのである。
 具体的な数字はあまり持ち得ていないが、例えば大自然で暮らすアフリカの原住民たちの平均寿命(余命)は40歳前後と言われ、自然食品だけを食べているはずなのに現代人より長生き出来ていない実態がある。

 特に乳幼児死亡率が高いため、平均寿命に大きく影響を与えているようである。

 これに対して、現代文明に生きる我々、つまり防腐剤の入っている食品を日々摂取している現代日本人の平均寿命は男女とも80歳を超えており、防腐剤の影響で寿命が縮まったとは言えないような状況なのである。

 もちろん日本人は長生きした分だけがんの発症率は高まっているかもしれないし、その原因の一端が防腐剤である可能性はあるのだが、一方で防腐剤などによる腐食防止によって、食品や飲料の安全が保たれ、乳幼児死亡率がかなり低くなっているという事実もあるのである。
 まあ長寿命を支える要因には様々なものがあるから、防腐剤一つを理由に語ることは到底できないが、少なくとも防腐剤がある社会の方が長寿命傾向にあるということはできるのである。

 故に食品への防腐剤を悪とみるか善と見るかは、目先の衛生管理をとるか、数十年後のがんリスクを取るかという二者択一の問題に置き換えることもできるといえる。
 人によっては防腐剤入りの食品によっていたずらに寿命を伸ばすということは自然の摂理に反するから、例え衛生悪化のリスクを負ってでも防腐剤を排除するという考え方もあるかもしれない。
 しかし、もしそこまで防腐剤を悪にする考え方があるとすれば、それは私から言わせれば一種の宗教のようなもので、普通は長生き出来る方法を選択するのではないかという気がする。

 防腐剤を排除してがんの可能性を低減できるには越したことはないが、それによって逆に早死にしたのでは本末転倒なのである。

 現代のまともな食品会社においては、防腐剤の使用は最小限に抑えられているはずであり、少なくともデータ上でがん発生の傾向に明確な影響が出るほどの量の防腐剤使用はされていない。

 近年の自然食品ブームで防腐剤は何かと悪者にされがちだが、適切に使うことによって使わないより現実的な安全性は高くなるというのが実際のところであり、安直な健康記事や自然食品業者の話をただ鵜呑みにしてやたら高い食品などを買わされないよう是非気をつけられたい。


甲子園女子マネ問題に見る安易な時代錯誤論

 先日、夏の甲子園大会の事前練習において、大分高校の女子マネージャーが禁止されているグランドへの立ち入りを行なって注意されたとの報道があった。

 禁止されている理由としてグランド内は危ないから安全上の理由から女子は立ち入らせないのだという理由が伝えられている。

 これを巡って、ネット上では「今時なんて男女差別なルールなんだ」とか「男子ならケガをしてもいいのか」などと言う意見が飛び交っている。
 一見至極まともに聞こえるこれらの意見だが、私からするとあまりにも安易な時代錯誤論というか、陳腐な男女平等論に映る。

 どうも、これらの意見はこのルールが定まった本質的な理由を見誤っているという気がするのである。

 女子がグランド内に立ち入ってはいけないのは、確かに女性本人を守るという意味があるのかもしれないが、理由はそれだけではないと思われるからである。 

 つまり、全員が男子生徒で構成されている甲子園の高校野球の選手たちの中に、女子マネージャーが紛れ込むことによって高まる危険要素が別に存在すると言えるからである。

 その危険要素とは、私が推測するに男子選手たちの気が散って集中力を欠くということではないかと思われる。

 グランド内は非常に硬い硬球が飛び交ったり、バットが振り回される空間であり、集中力を欠いてちょっと気を許せばあっという間に大けがに繋がる場所である。

 数年前札幌ドームでボールに集中していなかった観客の女性が失明してしまった事故があったが、野球が行われるグランドという空間はそれほど危険と隣り合わせなの場所となっている。
 つまりそういった空間だからこそ、常に緊張感を持って動かなければならないのであり、集中力が求められる場所なのである。

 もちろん野球部の女子マネージャーをやっているような女の子ならば、本人がグランドが危険な空間であることくらいは心得ているだろうが、問題はそこではないのである。

 男子だけで練習や試合をやっている分にはグランド内でそうそう緊張感や集中力を崩すことはないかもしれないが、異性である女子マネージャーがうろうろすれば、男子たちの集中力が削がれる原因となる可能性が高いのである。

 女子マネージャー本人が危険を自覚して行動できたとしても、実はうろつかれたほうの男子は女子がいるだけ(可愛いならなおさら)で気もそぞろになるわけで、その結果集中力を欠いてケガに繋がる危険度が高まるということなのである。

 つまりかのルールは女子マネージャーの身の危険だけを心配して作られたルールではないのだろうと思われるのである。

大分高校の女子マネージャーの首藤さん

大分高校の女子マネージャーの首藤さん(引用元

 まあ自チームのマネージャーであれば日常から顔を合わせているので、甲子園だからといって突然ドギマギすることもないかもしれないが、対戦チームに可愛い女子マネージャーが現れれば、ドギマギするのが若い男子高校生の宿命といえ、理屈で整理してもどうにもならない人間の本能なのである。

 つまりそんな状態で選手がもし野球に集中せず敵の美人マネージャーに気を取られれば、怪我をする危険度が増すという話なのであって、それ故に女子の出入りは禁止するというルールなのであろうと察する。
 
 もし女子マネージャーのグランド入りを許すルールとなれば、可愛らしさを逆手に取った攪乱要員として女子マネージャーをグランドに送りこむ卑劣な学校も絶対ないとは言えず、やはり好ましくないと言える。

 こういったことから考えて行けば、男子だけで行われる高校野球のグランドに、女子が踏み入れることを禁止するルールは一定の合理性があると考えられるのであり、安易な男女平等論では片付けられないものといえるのである。

 それなのに分かったような論理ですぐに時代錯誤論や男女平等論を振りかざす世の中の反応は、どうもあまりにも安易で浅はかな反応だという気がするのである。

グアムが独立投票を実施するらしい

 日本のラジオでグアムが11月にも独立投票をするらしいとのニュースを耳にした。

 どうやらグアムはアメリカの領土でありながら、大統領選挙に参加できないような国政参加権の無い地域であり、アメリカ国民としての市民権を得られない植民地的待遇に不満を持っているらしいとのこと。

 急いでグアムについてウィキペディアで政治状況を調べたが、グアムは自治を行うための議会や知事は置かれているが、完全な自治権を持たない状況で、国会では非自治地域に指定されているという。
 また連邦議会の下院に議員を一人送れるものの投票権を持たないものとなっており、グアムの土地自体もアメリカ軍が収容権をもっているようだ。
 つまり言うなれば、グアム島民はアメリカの国民としての権利を与えられてないばかりか、土地を軍に自由に使われている状況となっている。
 この21世紀において迫害のようなことこそないものの、アメリカの領土でありながら参政権が認められていないというのはこれは結構驚くべき状況と言ってもいい気がする。

 そういえば、先日FIFAサッカーW杯のアジア予選にグアムが単独で参加しているのを見つけ驚いたことが記憶に残っているが、今回こういう状況を知るとアメリカチーム参加ではなく単独チームであることに妙に納得した。
 歴史を振り返っても、もともと住みついていたチャモロ人に対してスペインが植民地化し、その後アメリカに移譲された後、一時日本の占領下になったが戦後再びアメリカ領となるなど、大国の都合で振り回されてきてどこかに帰属意識が高い場所ではないようである。
 そんなグアムが参政権も得られていないアメリカから独立の是非を問う選挙を実施するのは、それほど不思議ではなく寧ろ必然の流れという気もする。

 これまで、日本の沖縄の基地問題においてグアムに移してしまえば良いという意見を持っていたが、万が一グアムが独立してしまえばそんな計画も白紙になり、日本の安全保障上に大きな影響を与える独立となる。

 そうすれば、普天間基地移転や辺野古の埋め立て問題なども、今まで予想しなかった全く違った展開になる可能性もあり得るのである。

 しかしながら、まあ現実的にはグアムはたった18万人の島民しかおらず、独立したとしてもアメリカに軍事や外交の面で頼らざるを得ないのは明々白々で、経済の上でもアメリカ軍に大きく依存しているので、国家として独立してもそうそうアメリカと距離をおけるものではないというのは島民も知るところであろう。
 それ故に、例え独立したとしてもパラオのように自由連盟に参加し、外交内政は自国で行い国連加盟権を持ち、軍事はアメリカに依存するような形になるとされ、現状とそれほど大きく変化する状況にはならないと予想される。

 とはいえ、グアムが国家として独立するとなれば、やはり日本からの海兵隊の基地移転などの事項については影響がないと言えず、さらに沖縄独立論なども再燃する可能性もあり注意して推移を見守るべきこの投票となっている。