ヴィヴァルディの四季が春から始まるのは何故か?

 日本人に大変親しまれているイタリアの作曲家ヴィヴァルディ作曲の「四季」
合奏協奏曲ともヴァイオリン協奏曲ともいわれるが、邦題だと「和声と創意への試み」という12曲の作品群のうちの最初の「春」「夏」「秋」「冬」4曲が、「四季」の愛称で呼ばれている。

 私ももちろん好きな曲でありブームの火付け役になったイムジチのCDはコンサートマスターが変わる度に購入し、五枚目のフェデリコ・アゴスティーニさんの版までは全て買っていた。

ところで、最近この曲に対して素朴な疑問を持った。
何故、この四季の曲は春夏秋冬の順序なのだろうか?

チューリップ

チューリップ

 我々日本人は4月1日を年度替わりにおいているので、春をスタートとした季節順序には全く違和感がないので当たり前に受け止めているが、イタリアなどの欧州は学校などの年度始まりは夏の8月或いは秋の9月になっている。

 これは中国もアメリカも同じであり、欧州サッカーなどのシーズンも同様に8月などの夏をスタートとし、6月か7月に終わるので年度の感覚は夏が境目になっているはずである。
 よってその感覚に従えばヴィヴァルディの四季も「夏」から始まっても良さそうな気がする。

 一応各曲にはそれぞれ、RV○○○と言ったリオム番号という整理番号が付けられているが、番号が若い順に春→秋→冬→夏となる。

 しかし実はこれは作曲順ではなく、後の時代の研究家が調性に基づいて整理してしまったもので作曲順序とは全く関係ないようだ。
 よって春夏秋冬の順序を探る根拠にはならない。

 ちなみに、他の作曲家の例で言えばチャイコフスキーもピアノ曲で「四季」という名前の曲を書いているが、これは1月が12月までの月ごとに各月の情景をテーマに描いたものであり、数字の順列に従ったものであって、まあその順番の理由は理解できる。

またリベル・タンゴで有名なアストール・ピアソラも「ブエノスアイレスの四季」という季節シリーズの曲を残しており、これは「夏秋冬春」の順序で、シーズン感覚は夏が年度のスタート的に扱われている。
(※アルゼンチンは南半球のため秋である3月頃が年度始まりらしく11月か12月に年度が終わる)

 このように、欧州文化の中では1年というか季節のスタートは標準的に「夏」或いは「秋」なのであり「春」スタートで書かれる四季の順序は異様な存在に見える。

 しかし、やはりもう一例「春」から始まる「四季」の曲があり、ハイドン作曲のオラトリオ「四季」は、やはり「春夏秋冬」の順番で書かれている。

 但し、このハイドンの曲の順序には理由があり、スコットランドの詩人ジェームズ・トムソンの作品を基にしていて、この詩人の作品「四季」が「春夏秋冬」であり、ハイドンはそれをそのまま受け継いだだけであり、春をスタートとする理由はこれだけではわからない。

 このトムソンの四季(1726~30)と、ヴィヴァルディの四季(1725年)はほぼ同年代ではあるがヴィヴァルディのほうが少し早く、ヴィヴァルディがトムソンに影響を受けたという仮説も成り立たない。

 結局、何故「春」をスタートとする「四季」となったかについては振り出しに戻ってしまった。

 ひょっとすると、一番最初に「春」を作曲してみた後、じゃあ四季の全部を作ろうという順序で作曲が決まったため春が先頭になったという単純なことかもしれないと考えた。

 しかし、それでは少々面白みに欠けるのでちょっと大胆な仮説を立ててみた。

 以前、「日本発祥の扇子が活躍するバレエとフラメンコ」でも書いた通り、15世紀には既に日本は南蛮貿易を通じて、ヨーロッパとの交易が始まっていたことから、その中で絵画などが渡っていた可能性があり、その絵を通じて日本の季節感のインスピ―レーションが伝わったのではないかという仮説である。

 日本の安土桃山時代には狩野派など、色彩感豊かな絵画が既に生まれている時代である。

 ジャポニスムが起きる100年以上前ではあるものの、日本の色彩感覚はヨーロッパ文化にとっては新鮮な印象を与えた可能性はあるかもしれないのである。
 しかし残念ながら具体的にヴィヴァルディのいたベネツィアに日本画が伝わったという具体的な記録は見つけられず、この可能性はかなり低いようだ。

 或いはベネツィアの先人マルコポーロが開いた中国との交易のルートにおいて、ポーロ自身やその後裔や後進たちが持ち帰った資料が、影響を与えた可能性も考えてみたが、やはり具体的な繋がりは見いだせない。

 ここで、基本に戻って世界の暦の成り立ちを調べて直してみると、ようやく答えが見えてきた。

 実はヨーロッパで広く使われている太陽暦であるグレゴリオ暦では春分の日を基準として、1年が定められているのである。

 その前身のユリウス暦でも同様に春分を基準に暦を定めており、キリスト教の宗教観の中では春が1年の始まりであり、復活祭(キリストが処刑の3日後に復活されとする日)を含め、春夏秋冬を1年のサイクルとして順序を定めていたようだ。

 つまり春をスタートとして季節を数えるのはキリスト教圏の世界では正当だったようである。
 よって、かのヴィヴァルディの四季もこのキリスト教的季節観の中で習慣づいた季節順序だったことになる。

 では逆に湧いてくる疑問が、何故世界の学校の多くは秋冬春夏など秋や夏を起点にしたサイクルをとっているのか?

これは恐らく、ユダヤ人の使っていたユダヤ暦の影響が大きいと推測される。

 ユダヤ暦は太陰太陽暦で決まる暦であり、上述のキリストの復活と絡んだ春を起点とする宗教暦と、秋に始まる政治暦があり、ユダヤ人は主に政治暦を使っていたようだ。

 つまりこの秋冬春夏の季節サイクルは、ユダヤ暦の政治暦を世界中に散らばって政治の裏舞台で活躍したとされるユダヤ商人たちが広めた結果だと推測されるのである。

 故に、ヨーロッパのキリスト教信者にとっても日本同様に春が季節のスタートである感覚自体は変わりが無いようだが、ユダヤ人によって敷かれた政治的経済的の仕組みにより、クリスチャンであっても両方の年度サイクルをこなしていることになる。

 たかが曲の順番への疑問であったが、調べていくと色んな世界の歴史が繋がりがわかってくる。





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