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子供の送迎を止めさせたらどうだろうか

 平日の午後、夕方近くに上海市内を移動していると突然路上駐車の大群を見つけることがある。

 「休日でもないのに何だ、何だ?」

 と、こちらが訝しがっていると、そばに学校が有って、親たちが群がっているのを見つける。

 「ああ、なんだ、子供のお迎えの車か」

 そう、上海市内のインターナショナルスクールなどでは毎日の様に下校する子供を親が迎えにくる光景が見られ、その時間は学校の周りに自動車の路駐がたくさんあるのである。

 朝の登校時はどういう状況になっているか確認したことはないが、恐らく似たような状況になっているのではないかと察する。

 まあ大量の車があるだけでも迷惑であるが、寒くなってくるとアイドリングしながら車の暖房をつけ、下校時間を待っているよう車さえ見かけるようになり、その数は冬に向かい徐々に増えているような気がする。

 良く考えてみると大気汚染が深刻化するなか、これは非常に反社会的行為ともいえ、実は大気汚染の一端を彼らが担っているのではないかという気もしてしまう。

 アイドリングはともかく、彼らの乗りつける乗用車の数だけ考えても相当なもので、その分だけ排気ガスがばらまかれていることになる。

 まあインターナショナルスクールに通うくらいだから、家はそこそこ裕福であるのは言わずもがなで、親としては心配して送り迎えするのであろう。

 しかし、それらの学校には当然スクールバスもあり、無料ではないにしろ、要望すれば自宅そばまで送迎してくれるはずだが、やはり心配なのか自らで送迎したいというのが親達の心理の様だ。

 しかし毎日生徒1人につき1台のあれだけの車が、登下校の送迎のために動くのはやはり非効率という気がするし、これだけ大気汚染が深刻化する中ではもっと社会として対応する必要があるだろうという気がする。

 さらに言えば、そのスクールバス車両も数年前に内陸部で起きた事故以降、新しいものが導入されかなり良くはなっているが、環境という面を考えればさらに一歩進めて電気自動車やハイブリッドカーの導入が進められてもいいような気がしている。

 スクールバスのように決まった範囲しか運行されない車両はそういった電気自動車に向いているはずなのである。

 何気なく毎日繰り返されている日常の中でも、大気汚染を減らす糸口は沢山転がっているように思うのである。

とってつけたような知識の押し付け

最近地下鉄の中のモニターでよく流れている科学の豆知識的な番組。
宇宙についてとか、地球の自然についてとか、はたまた中医学的知識などが放送されているのだが、どうもそれらに全ておいて共通して感じるのは「AはBである」といった紋切り型の知識の押し付けである。

 それぞれの科学分野においては、世の中にはいろんな考え方や学説があり、その「AがBである」ためにはいろんな条件が必要であろうと思われることに対して、たった一つの視点から「AはBである」ということをただひとつの真理であるかのように断定的に言い切っている。

 私はこの点が非常に気になる。

 その伝えている事実自体は間違っているとまで言わないまでも、条件が崩れれば正しくなくなるであろう場合が多々あるからである。

 中国の実際の教育の内容は知らないが実は全てがこれ式なのであろうかと思うとちょっと怖い点がある。

 もし中国の教育が全てがこれ式であるならば、「AがBである」ことの理由を知ろうとする訓練がされていないことになり、その成立条件が崩れたとき、どうして「AがBではなくなる」のかについて理解できないと思うからだ。

 今回の高速鉄道事故で「雷が原因である」といった報道を盲目的に信じている中国人の姿がテレビで報道され、このことも非常に気になった。

 雷で事故が起きたとすれば、雷がどうなったからあの事故に繋がっのだとという思考の組み立てが本来あるはずなのだが、そのインタビューに答えている彼はそれなしに盲目的に信じていたのである。

 また中国伝統の知恵とされている中医学の知識などもよく「Aを食べるとB」だという現象は多く整理されているが、「何故、Aを食べるとBになるのか」について成分分析などを検証しているといった事実はほとんど見たことが無く、どうも表面的現象を取り上げた自然科学の端緒とは言えても医学とまで言えるような理屈・理論はあまり表に出てくるような状況にはなっていない。

写真はイメージ

写真はイメージ

 掘り下げてみれば実はAがBになっているのではなく、AがCになるとき、Dという条件であればさらにCがさらにBになるのかもしれず、Dの条件によってはAはBにはならないかもしれないのに「Aを食べるとB」という知識で終わっている。

 これらのように、どうも中国人たちは「AがBである」という形で覚える以外の形で、別の答えの可能性があるかもしれないという考え方に慣れていないようだ。

 逆に我々日本人からすると、そんな「AはBである」式の決め付けの押し付け的な言葉は、どうも思慮が浅く見え辟易するのであり、そこがいろんな場面で日本人が中国人を馬鹿にするひとつの理由であるように思う。
 
 事故で亡くなられた方は気の毒だが、まだちゃんと事故原因究明も安全対策も施されていないのに、「もう安全」という言葉をそのまま信じらされている方々が日本人からするともっと気の毒だと思う。

今回の高速列車の事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

上海ワルツ

興味深い中国の課外活動体系

 中国の生活にもすっかり慣れ、ある程度中国の事情は把握したつもりでいたが、実は自分とは直接関係ない世界にはまだまだ日本とは違う世界が沢山在る。

 その一つが小学生たちの生活である。

 もちろん私も日本の小学校に通っていたから、日本の小学校の状況に関してはある程度の様子はわかる。

 確か自分が小学校のときに、高学年からクラブ活動があり、朝晩と参加していた記憶がある。
 私は体が柔らかかったので器械体操クラブにいて、でんぐり返しが結構得意だった。
 もちろん、学校の体育館を使って練習していた。

 しかし、実はそこが中国の学校の事情とは違っていた

 どこが違う「そこ」なのかというと、中国の児童や生徒たちもやはり授業以外の「課外活動」のようなものに参加しているのだが、実は中国では学校内でその「課外活動」をやらないのである。

 ええー?
 学校でやらない??どういうこと?

 中国人の同僚に聞いたところ、学校は勉強するだけの場所と割り切って存在しているようで課外活動は全く別の場所で行なわれる

 それが、少年宮といわれる課外活動センターであるらしい。

 初めてこの事実を聞いたときちょっと軽いカルチャーショックを受けた。

 そうなんだぁ、、、

 同僚の話によると近隣の小学校から、同じ内容の課外活動に参加する少年少女が集められ、複数の学校の児童が学校とは違う枠組みの中で音楽やスポーツなどの活動に参加するようである。

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 実は上海以外の中国の他の都市もほぼ似たような状況で、中国全国で同様にやはり授業と課外活動は分けて実施されているとのこと。

うーん、5年近く上海にいて初めて知った真実。

 まあ学校の人間関係を外れて活動することが本当に良いことなのか悪いことなのかの議論はともかくとして、実際、児童たちはこれらの活動をどのように選択参加しているのか、例えば大会などはどう運営されているのかなど、質問して聞いてみたいことが山ほど沸いてきた。似たような学校教育に見えて、全く違う側面を持った中国の教育スタイル。

 非常に興味深い異国中国の「課外活動」の状況である。

上海の夏の夜に出歩くには覚悟が必要

 最近、7月になって中国の学生達が夏休みになったからか万博の入場者数も絶好調が続いているようで、それに比例して上海市内の繁華街の混雑が著しく激しくなっている。

上海の町中

上海の町中

特に外灘などの観光地に直結する南京東路や陸家嘴付近などは特にひどい。

 夜8時とか9時になると特に人が増えてくる。以前から観光スポットであったため人は多かったのだが、最近はそれに輪をかけて人が増えている。

 こんなに混んでいるとタクシーはつかまらないし、バスは乗り場には行列だし、地下鉄も2号線も車内・ホームが異常に混雑をしていて、朝のラッシュ並みの混み具合である
(といっても私は朝電車通勤してないのだが)。

 昨年までの記憶があまり定かでないのでこんなに混んでいたのかどうかあまり自信がないのだが、とにかく今年はひどい。

 時間を置いて夜遅い時間に帰宅すればいいのかもしれないが、湿度も気温も高い夜間はそれも苦痛だ。ファーストフード店などに飛び込めば涼しいがどうしても無駄な金を使うことになる。

 故に観光客ではない私は夜間時間帯は迂闊に観光スポットに近づかないことが懸命だが、昨日の夜はどうしても用事で外灘まで行かざるを得なかった。

 結局汗だくになりながら駅に辿り着き、混み混みの地下鉄に乗って帰宅した。

 お陰さまで私の自宅は観光スポットから若干離れているので、通常より人が多いかもとちょっと感じるぐらいで日常からそれほどかけ離れた状況にはなっていない。

 今後は出来ることなら夜に観光スポットに近づくことは避けたいものである。

住んでいる者にとっては万博はメリットよりデメリットの方が多すぎる気がする。

師匠の死

 実は最近、小さい時分に柔道を習った先生が次々に他界したことを知った。最近亡くなったのは直接教わった方ではないが、いろんな意味でお世話になった方である。

 私は上海にいる身分で葬儀には行けなかったが、幸い父親とも親交があったので、父親に行ってもらった。
 実はその席で私が最初に柔道を教わった先生が今年の5月に亡くなったことを知ったのである。

 私にとってはこちらのほうがショックであった。まだ54歳であったとのこと。

 小学校2年生から約4~5年の間、人生の礼儀の基礎を学んだような師匠であり原因は忘れたが道場で遊んでいるのを怒られ、一時間正座させられていたような思い出がある。

 道場の天井のスス掃除のために梁に上らさせられたこともあった。
 正月に食べた鏡開きのお雑煮は格別に美味しかった。
 筆字が非常に上手であったことも覚えている。

 その師匠との関係が縁遠くなってしまったのは、私が高校のとき練習時に骨折したときからである。

 当時高一だった私は二級上の先輩とも互角に練習できたが、調子に乗ったところ蟹バサミにあい、受身が取れず鎖骨を骨折した。

 で、接骨院であったその師匠ところに運ばれ治療していただいた。
 ところが私はその状態にも関らず、二週間後に高校生クイズに参加するために当時に西武ライオンズ球場に出かけてしまった。

 暑さの中動きまわったため、案の定状態が悪化し、傷口が開いた状態になり入院が必要になり夏明けまで約1ヶ月半入院することになる。

 その間の入院費はその師匠が責任ということで払っていただくことになったが、今度はその師匠が心労が重なって脳溢血で倒れてしまった。
 幸い一命を取り留めたがその後、体に麻痺が残ってしまった。その後私は無事退院できたが、ほとんど、その師匠とは会わなくなった。
 どうにも、そのとき師匠が倒れた原因が自分にあるような気がして顔を会わせずらくなったのが本音である。

 その後、大学に進学以降は柔道からも離れたが、いつかちゃんと挨拶に行かなければならないとずっと心にひっかっかっていた。

 故郷に錦を飾るではないが上海でもっと胸を張った仕事ぶりができるようになったら会いに行こうと自分の中で言い訳をして会いに行かなかった、
 そんなところへの先日その訃報である。

 自分の心の弱さを非常に後悔した。

 もう心の懺悔をする機会がなくなってしまったのかと思うと非常に辛い。

 今度帰国したら、家族にあやまりたい気分でいっぱいである。