Category Archives: クラシック音楽

中国人はラデツキー行進曲がお好き?

先月のことになってしまったが、中国の春節前後になると、旧暦の新年ということで上海でも新春音楽会と銘打ったコンサートが数多く開かれる。

その中での目立つプログラムとしては、ヨハンシュトラウス親子らが作曲したウィンナワルツを中心とした曲目であり、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを模した構成である。

私自身も今年はこれらのコンサートに幾つか足を運んだが、やはりワルツやポルカのプログラムが非常に多い。

そして、その鑑賞の際に特にびっくりしたのは、ラデツキー行進曲という曲の聴衆への浸透度の高さである。

ラデツキー行進曲(中国語名:拉德斯基進行曲)とは、ヨハンシュトラウス一世作曲の楽曲で、上記のウィーンフィルのニューイヤーコンサートで、締めの曲として必ず演奏されるので非常に有名な曲である。

 まあ音楽好きなら常識のようなこの事実であり、それだけ有名な曲なのではあるが、それ以上に上海の聴衆はこの曲だけ異様に反応が高かったように感じたのである。

何故そう感じたのかというと、この曲は上述のニューイヤーコンサートなどでは演奏に合わせての会場の手拍子が発生するのが慣例となっているが、本場の元祖のコンサートでは普通は指揮者の合図があって初めて手拍子が始まる。

しかし、今回行ったコンサートでは、指揮者の合図とか関係なしに曲が始まった途端、反射的に聴衆から手拍子が起きていたのである。

どうもこの反応の良さというか、物分かりの良さは単なる本場ウィーンの模倣であること以上に、この曲が中国に浸透しているように感じられたのである。
 
 例えば学校教育の中で定番として使われているとか、中国の有名なテレビ番組でやはり締めとして使われているのではないか、そんな状況を想像させるくらい、彼らにとってはあまりにも馴染みがある曲の様のように映った。

 で、この点、ちょっと気になってラデツキー行進曲を説明する中国語のサイトを幾つか当たってみたが、ウィーンの本場で使われるという記述はあるものの、それ以上の記述には出くわさなかったのである。

 何が中国の市民に、そんなにラデツキー行進曲を浸透させているのか?

 非常に気になるこの疑問であり、しばらく探求をしてみようかと思っている。


あの人材会社CMがスタンスを変えた?

 先日のブログで「音楽を冒涜する某人材会社のCM」というタイトルで、チャイコフスキーの弦楽セレナーデという曲を滑稽的に使うCMを批判的に書いたが、その直後にかのCMに変化が現れているのを発見した。

 このブログが読まれたのか、他にも同様の批判が音楽ファンからあったのかわからないが、少なくともかの○タッフサービス社のCMシリーズに変化が現れた。

 先日、聴いたラジオのCMバージョンでは、チャイコフスキーと名乗る関西弁の変な男が登場し、「めっちゃいい曲出来た」とか、「100年経っても癒される曲」などのセリフを語り、最後は「100年残るいい仕事をしましょう」とナレーションが付き、曲や作曲者に対してスポットを当てるスタンスのCMになっていた。

 これまでの扱いを贖罪するような構成である。

 また、別の短いヴァージョンでもやはりチャイコフスキー男が登場し、「思ってたんとチャイコフスキー」と関西弁のダジャレを交えてCMを構成している。

 このように、かの音楽を使い続けて数十年経ってようやく作曲家を登場させスポットをあてた形になったようであり、かの曲のファンとしては少し溜飲を下げたような状況となった。

 ただ、一方で笑いを取るCMの基本スタンスそのものは捨てて無い印象でもあり、このチャイコフスキーヴァージョン以外の作品では、やはり昔ながらの滑稽のスタンスのままCMが流されている。
 従って手放しで褒めるという状況にはまだなっておらず、今後かの会社のCMがあの曲の扱いをどう変化させていくのか、もう少し注視が必要なのかもしれない状況である。
 

音楽を冒涜する某人材会社のCM

 テレビ・ラジオのCMには昔から様々な音楽が使われており、その中にはクラシック音楽も良く使われている。

 雰囲気やイメージを醸成するのに音楽が欠かせないものであるからには、これは当然の現象であり、昔私が舞台音響をしていた時も様々な音楽を使わせていただいた。

 ただ人が作った曲を使わせていただくわけなので、表現の自由は有れども、使用許諾を含め作曲家や演奏家への最低限のリスペクトをもって、曲のイメージや背景に配慮しながら使用したつもりではある。

 しかし、最近のCMの中には音楽を間違ったイメージを与えるケースで使用する場合も見受けられ、音楽を大事にする自分にとっては許せないと思うケースが時々ある。

 その代表的なケースが某人材会社○タッフサービスのCMである。

 かのCMには、かれこれもう20年近くチャイコフスキー作曲の弦楽セレナーデの第一楽章の冒頭の部分が使用されており、いわゆるテーマ音楽存在として定着してしまっている。

 CMでは、「部下に恵まれなかったら」とか「会社に恵まれなかったら」とか悲劇を揶揄するような形で、滑稽な音楽として使われている。

 しかし、あの弦楽セレナーデをちゃんと聴いたことのある人ならわかると思うが、あの曲はそんな滑稽な面を微塵ももつ曲ではなく、非常に純粋で美しい曲である。 

 それこそ、心を洗われるほどの美しい曲なのである。

 故にあの曲をCMに使うことを決めたCMプランナーや、○タッフサービス社の社長や広報担当はかの曲をちゃんと聴いて使用を決めたのかと疑問を感じてしまう。
 以前、この弦楽セレナーデがプログラムに出ていた日本のオケのコンサートに出かけた時に、この曲が始まった途端に会場から笑いが起きたことがあった。

 この弦楽セレナーデが大好きな私は、この会場の笑いに結構傷ついた。

 あのCMのおかげで、かの曲に間違ったイメージが世間にしみついており、CMに関係ない純粋なコンサートでも聴衆の笑いを誘う結果になってしまったのである。

 しかし、何度も書くが弦楽セレナーデは笑いの要素など何もない甘美な美しい音楽である。

 私にとっては、チャイコフスキーの弦楽セレナーデをあのような形でCMで滑稽に扱うことは音楽に対する非常な冒涜だという気がするのである。
 もちろん、日本には表現の自由というものはあり、CMにとって音楽は単なる部品の一つかもしれないが、どうせ使うのならもっと音楽をリスペクトした使い方をして欲しいと思うのである。