Category Archives: クラシック音楽

上海のダフ屋チケットはちょっとドキドキ

前回「上海で(運が良ければ)コンサートチケットを半額以下で買える方法」で書いたように、最近何度か票牛網を使ってチケットを購入しているが、何度か購入しているうちに、これらの正体が段々と見えてきた。

票牛魔天輪 

 やはりこれらのサイトは、正規のチケットエージェントではなく、ダフ屋サイトというか、転売屋サイトのようだ。

 ただ転売屋といっても、日本のオークションサイトとかと違って、恐らく公演主催者からのスポンサー割り当てのチケットを買い取っているような雰囲気であり、そういったルートから仕入れたチケットを中心に売りさばいている印象である。

 要するにダフ屋が合法的に組織的な商売している仕組みのようで、組織規模は上海に留まらず中国全土にネットワークが広がっているようである。
 従って、ニセモノを掴まされたりお金をだまし取られたりするようなリスクはまずなさそうなのだが、やはり正規のエージェントから買うよりは、ややリスクがある。

 それは転売屋であるがゆえに、彼らは情報を持っていても、必ずしも実際のチケットを手元において販売情報を流しているわけではないようだからである。
 つまり出品者から委託された状態ではあるが、買い手がいれば手配するといった段取りをとっているようなのである。
 そのため、入金からチケット手配まで若干のタイムラグがあり、その隙間にリスクが発生しうる状況がある。

 ここが時々ドキドキの元となる。

 そんなドキドキを実は先日体験してきた。

 その時に私がチケットを予約したのは公演日の2日くらい前だったと記憶している。
 本当は予め実券のチケットが手元に届いているほうが理想的なのだが、公演まで時間がなかったため、結局現場受け取りとなった。

 いつもの通り、公演開始前1時間までに会場周辺で引き渡しとなる旨のショートメールが来てそれに合わせて現場に向かった。
 現地へ着くといつもチケットを渡してくれるおばちゃんがいて、そのおばちゃんに声をかけた。
 すると、リストをチェックしながら「あなたはどの価格(額面)のチケット?ふんふん、もうワンランク上のチケットを用意してあげるから、19時30分まで待って」と言われた。

 こちらとしてはちょっとばかり良い席をもらってもたかが知れていると思うので、元のランクでいいですと言おうとしたが、バタバタと他のお客も受け取りに飛び込んでくるので、うまく伝えられない。

 結局流されるまま19時半まで待つことになった。
 公演開始時間は20時なのである。

上海交響楽団音楽庁の夜景

 どうやらランクアップは私へのサービスというより先方の都合で、まとまった席が必要となったため一人で来ている私がはじき出され、その詫びとしてワンラックアップを提供されたような状況のようだった。

 そして19時半に再び同じおばちゃんのところに行くと、まだチケットの実券を受け取らないうちに、ショートメールに受け取りましたと返事を書けと言われた。
 この作業自体は基本的にいつもやる作業なので、特段の驚きはないのだが、今回は実際にチケットを受け取る前なのでちょっと緊張した。

 もしかするとチケットが受け取れない状況に陥ったとき、受け取った証拠とされてしまうからである。
 そんな不安を抱えたまま、「受け取りました」の返信をして、直後におばちゃんが「ちょっとこっちへ来てください」と呼ばれたので後をついていく。

 ホールの前の道沿いに後をついていくと、暗がりのベンチに2人の中年の男女が腰を下ろして話していた。
 男性は黒いマスクをしており、暗がりということもあり、何となく怪しさを醸し出している。
 その男性の方に私を連れてきたおばちゃんが私を紹介すると、じゃあ行きましょうということで私をロビーに連れていき、喫茶スペースのところで待ってくださいと言われた。

 なんだか狐につままれたような感覚で、不安を感じてその男性の動きを見守る。
 手配師は誰かの到着を待っているようだっだが、その待ち人が来ないので、ちょっと困っている様子だった。

上海交響楽団音楽庁の喫茶スペース

 やがて、開演25分前になって男性数人のグループがやってきてその男性手配師に連れられて会場内部に入っていった。
 結局その手配師と一緒にいた中年のおばさんと私が、喫茶スペースに取り残されるが、開演時間が迫ってきて、こちらは焦りが募る。

 まさかこのまま忘れ去られてしまうんじゃないだろうか、そんな不安が頭をよぎった。
 しかし、目の前にいた中年女性も一応一蓮托生らしく、それ故に大丈夫なんじゃないかと自分に言い聞かせながら更に待つ。

 しかし、開演まで15分を切ったところで、その中年のおばさんが痺れをきらしてその男性手配師に電話をかけた。
「あと15分しかないけど、どうなってるの?」と。

 すると、今行くとの返事だったようで、その男性手配師が戻ってきて、ようやくついてきてくださいとの言葉が出てきた。

 ただ、その時渡されたのは、入場済みの客が一時退出の際に渡されるチケットの半券だった。
 どういう状況か分からないが、他の人を入場させた後に預かってきた半券で、入場させられるようである。

 ということはこの手配師のほかに会場から出てきた人間がいるのか、など細かい状況が気になったが、とにかくその半券で入場した。
 で、連れていかれたのは確かにステージ正面だったが、2階席の最後列だった。

上海交響楽団音楽庁の座席

 果たしてチケット価格と見合う席なのかどうかはとても自信がなかったが、とりあえず開演に間に合ったことだけは確かで、演奏は聴けるような状況にはなった。
 あのダフ屋のおばちゃんの言ったワンランク上の席には恐らくなっていないだろうが、そもそもダフ屋チケットは、そのようなものであり、私はさほど席位置にはこだわらないオーディエンスであるのでさほどは気にならなかった。

 ただ主催者から見るとモグリの入場客のような状態になってしまっており、もし摘発されたら私の立場はどうなるのかなどちょっと心配な面はあるが、まあ一応お金は払っているし、席もかなり空いていたので問題にならないだろうと腹をくくった。
 チケットの半券が手元に残らなかったことは心残りなのであったが、聴けることが大事であり、席やお金のことを忘れて安堵した気持ちで演奏を聴いた。
 そんなドキドキ感を経て聴いた演奏は予想以上に満足が行くものとなった。

 ただやはり、会場に入れるか入れないかのドキドキ感はもう2度と御免であり、次回はもっと早くチケットを買うべしと心に決めたのである。

平成はインターネットの時代だった。

天皇陛下の交代を一か月後に控え、新元号が「令和」に決まったと発表された。

この新元号に関してはあまり好印象を持って受け止めていないのだが、海外生活を続ける限りにおいてはほとんど目にすることもないので、取りえず気にせず受け流すことにした。

さて、新元号登場の代わりに終わり行く平成の元号だが、自分の中で時代を総括すると平成というのはインターネットの時代だったなと受け止めている。

上海の電子マネーの広告

我々一般人の間にインターネットが大きく浸透したのは1995年(平成7年)にOSウィンドウズ95が登場した時だが、実はアメリカで商用インターネットが始まったのが1988年(昭和63年)で、平成が始まる前年のことである。

つまり単に日本という一国家の元号であるにもかかわらず、平成という時代はインターネットの黎明期からその発展とともにシンクロして存在していたことになる。

現代は既に、インターネット無しでは我々の生活は成り立たないほどインターネットは社会生活の一部として浸透し、大半の人がスマートフォンパソコンを持ち、インターネットで通信やエンターテイメントを楽しんでいる。

これが平成に入る前には全くなかったのだから今思えば隔世の感がある。

同様に昭和(1926~1989)は電波メディアの時代であった。

アメリカで昭和の始まる前の1920年にラジオの商業放送が始まり、昭和元年を迎える前年の1925年に日本のラジオ放送が始まっていたことから、昭和の時代は電波メディアとともに時代が進んだという印象である。

テレビやラジオを通じて、世界中の情報を知ることが出来る世の中になっていったのであり、一つのニュースがメディアを通じてあっという間に世界中に伝わる世の中になった。

さらに遡って大正(1912~1926)は、まあ短かったのでそれほど固定的な総括は難しいが、敢えて言えば映画などのエンタメ・大衆文化の時代で、チャップリンが頭角をあらわしたり、音楽でも刺激的なストラヴィンスキー作曲の「春の祭典」の初演や、イタリア・レスピーギ作曲のローマ三部作が作曲されたのもこの時期であり、日本国内でも宝塚歌劇団がスタートしたりしたと華やかな大衆文化がスタートした時代であった。

そして明治(1868~1912)とは言えば、電気の時代であり、1870年の発電機の発明や、1875年の電話の発明など、電気・電話の普及によって、革命的に我々の生活の仕組みや文化が変わっていった時代だった。

こうやって振り返ると、これらはぞれぞれの時代を象徴する動きであるとともに一本で繋がる流れでもある。
すなわち、電気の普及により照明が生まれ、電話が生まれ、電話の普及により遠隔の1対1の通信が始まった。

また電気の活用により、広い会場や夜間のエンタメ活動も可能になり、映画や舞台など娯楽文化が広がった大正時代。

そして電波メディアの普及により、1対1からより1対多数への文化伝達が可能になったのが昭和時代である。

 そして国際イベントは世界同時中継が行われるようになり、オリンピックやワールドカップが、世界で同時に見られるような時代になった。

 ちなみに音楽ネタでいえば、ラヴェル作曲のボレロが初演されたのが、1928年で昭和の始まりであり、ソロから次第にオケ全体に音が広がる音楽形式はまさに昭和を象徴するような形式であり、それを全く日本と関係ないラヴェルがこのタイミングで作曲したというのは偶然とも思えない部分もある。

そして、平成になりメディア放送や各個人がインターネットと結びつくことによって、1対多数から多数対多数の情報伝達となり、それぞれ情報の発信元と受け手の物理的場所までが自由になった時代となった。

 このように各元号は、いずれもそれぞれの時代で劇的に庶民の生活に変化を与え、前の時代にはなかった価値観を生んできたのであり、日本の元号と言えどもどうも世界の動きと連動してきたような世相を見せている。

さて、平成がそういった時代だと定義して、新しい「令和」はどういった時代になるのだろうか?

少なくともこれまでの流れから言えば、新しい時代の変化の兆しはもう既に芽が出ている可能性があることになる。
パッと思いつくのは自動運転車とか電子マネーとかだが、その程度の出現だと実現しても世界が圧倒的に変わるようなものでもない気がする。

このほか例えば現在実験が進んでいる店舗無人化などは、働き方改革などとともに、ベーシックインカムのような制度と組み合わさって、働くとか生きることの意味が変わってくるかもしれない。

また所有という概念がさらに薄れたり、ビットコインなどにより通貨やそれを定義する国境という意味がなくなるかもしれない。

さらに、もはやスマホではなくICチップを体内に埋め込むことによって自動的な健康管理が行われ通院の必要がなくなったり、思っただけで意思疎通、通信などが出来るような研究も行われておりそれが実現するかもしれない。

このように、変化の可能性は無限大にあるが、果たしてどうなるのだろうか?

もちろん私の頭で思いつくようなことであれば、社会が劇的に変化するなどとは呼べないかもしれないが、今後数十年で何かが劇的変化するのであろうであるわけで、楽しみのようやら怖いやらである。

天皇陛下の思い出

 退位のタイミングが間もなくに迫ってきた今上天皇陛下であるが、かつてこの現在の天皇陛下を実際に見かけたことがある。

 それも新年の一般参賀のようなタイミングではなく、もちろん防弾ガラス越しでもない状況で、素の陛下を見かけた。

 それは1996年10月7日の東京上野の東京文化会館の出来事。

東京文化会館前(こちらの演奏家は本文とは直接関係ありません)

 その日は東京都交響楽団の定期演奏会の日であり、故朝比奈隆氏指揮によるブルックナー交響曲第5番が演奏される予定になっていて、私はそれを鑑賞する予定になっていた。

たぶんその日も私はいつも通り会場には1時間前には着いていたと思うが、ついた時点からどうも会場の雰囲気が物々しかった。
やたら警備員というか警官の数が多いのである。

ああ、ひょっとすると外国の要人でも来るのかなとその時は思った。
 クラシックの演奏会では時々ある話で、どこどこの国の皇太子とかが来日の記念に演奏会へ顔を出すことはあり、今回もそれかなと思ったのである。

 そして会場に入り席について開演を待っていた時のことである。

 通常はオケのメンバーが配置についた後、チューニングが行われ指揮者が入場してくる番なのだが、突然2階席にパーッとフラッシュが焚かれ明るくなった。

 その時なんと、天皇陛下と皇后陛下のご夫妻が入場なされたのである。

「おお、天皇陛下だ!」

 生の天皇陛下ご夫妻を初めて見たという驚きとともに、その荘厳な雰囲気に衝撃を受けた。

 ひょっとしてあの時の眩しさはフラッシュではなくスポットライトだったのかもしれないがお二人の姿がまるで後光が差すというか光輝いているかのごとく眩しく見えたのである。

 会場全体で万雷の拍手でお二人を迎えていたというのも手伝ったかもしれない。 

私はそもそも天皇主義者でも崇拝者でもなかったのだが、この時は日本の象徴として君臨されている方はかくも神々しい雰囲気があるのかと驚いたのである。

 そして両陛下は会場の聴衆に向けて例の片手をあげたポーズで挨拶をした後に着席された。
お二人が着席された後、会場は何とも言えぬ緊張感に包まれており、その状態でマエストロ朝比奈隆氏の登場を待ったのである。
そして朝比奈氏が登場すると、会場は普段より緊張感に支配された堅い感じの印象の拍手でマエストロは迎えられた。
もちろんマエストロは陛下の鑑賞は知らされているわけで、ステージ中央に立つと陛下の座られている席に深く一礼した。
そしてすぐにオーケストラに向かい合った。

いかに百戦錬磨のマエストロとは言え、陛下を迎えての演奏は緊張感もただならぬものがあるだろうし、明治生まれのマエストロにとっては陛下という存在は戦後生まれの私とは比べものにならないほど崇高なものであっただろう。
その緊張感がマエストロの背中から伝わってくる印象なのである。

そしてピーンと静かに張りつめた会場の空気の中、ブルックナーの5番の冒頭のチェロと弦バスによるピチカートが非常にゆったり、ズン、ズン、ズンと重々しくスタートした。
指揮者によってはもっと柔らかく鳴らす場合もあるこの部分だが、こんなに引き締まった始まり方は初めてだった。
もちろん、それはマエストロの音楽的特徴でもあったのだが、陛下の存在が余計に音楽を引き締まらせ、緊張感の高い音楽にしていたような印象だった。

その緊張感はこちらにも伝わり、聴く側に緊張感と集中力を要求してくる。
その緊張感の中、音楽は非常にゆったりと濃く前へ進んでいく。

そもそもブルックナーの交響曲第5番は演奏時間が1時間を超える長丁場であり、それを極度に緊張感の高い状態でゆっくり演奏されたのでこちらも体力をかなり消耗したのを覚えている。

覚えているというか、眠りこそしなかったが演奏が終わった時に疲れ切っていたのを覚えている。
演奏は集中し聴いていたが、どうやら高い緊張感のあまり集中力がスタミナ切れしていたかもしれない。

そしてこちらが聴き終えて疲れきった状態の中、両陛下が挨拶をしながら拍手に送られながら退席されたことは何となく覚えているが、入場時のような鮮烈な記憶は残念ながら残ってないのである。

その後朝比奈氏を何度もカーテンコールで呼び出すことは当時の慣例となっていたが、あの時のマエストロの顔には責任を遂げたような安堵感があったような気がする。

 兎にも角にも、これが天皇陛下をテレビ以外で見かけた唯一無二の体験であり、今も記憶に残っている天皇陛下の思い出である。