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校歌作曲職人「平井康三郎」さん

 先日、選抜甲子園で地元の中央学院高校の試合ぶりをYOUTUBEで確認していたところ、思わぬ名が目に飛び込んできた。
 試合の結果自体は既に事前に知っており、逆転サヨナラ3ランでがっくりするほどの結果だったのだが、そのホームランがいか程のものかを確かめたかったのである。

 で、映像では物凄い打球がバックスクリーンに飛び込んでおり、何というか自分を納得させるような確認となった。
 で、映像はそのまま相手の明徳義塾の校歌の斉唱シーンになったのだが、そこで校歌の作曲者として「平井康三郎」さんという名前が表示されていた。

 「平井康三郎??」

この名前には見覚えがあった。

 実は私が卒業した小学校の校歌の作曲者だか作詞者がこの名前だったのを憶えていた。

 で、気になってインターネットで調べてみると、確かに母校の小学校の校歌の作曲者はこの平井康三郎さんだったのである。
ウィキペディアによると平井康三郎さんは、明治生まれで戦前から戦後にかけて活躍した作曲家で、普通のクラシック的な曲も多く作曲しているとのこと。

しかし、その大きな特徴としては、異様に学校の校歌の作曲した数が多いことのようであった。

 その多さたるや、彼が作曲した校歌の数は500校以上を数える。

 そういった平井康三郎さんの作曲した校歌を集めているリンク集も見つけた。

 どういった事情で、こういった校歌職人になったかは知る由はないが、恐らく当時の作曲家稼業としては、そういった学校の校歌作曲などが手っ取り早い収入源であろうというのは容易に想像できる。

昔の王宮のお抱え作曲家のよう時代と違い、現代日本のような環境で交響曲とかを作曲家してもよほどヒットしなければ、印税を得ることは難しく、一曲いくらで校歌の作曲委嘱を受けるほうが確実な収入になったと思われる。

そんな背景はともかく、テレビで流れる明徳義塾の校歌作曲者と自分の母校が同じ作曲者の校歌を使っているだけで、親しみがわいてきたのである。
 それまでは平井さんが作曲した他の学校の校歌などはまず聴いたことはなかったと思うが、かの明徳義塾高校の校歌を聴いた瞬間、我が母校と共通する匂いのようなものがあった気がするのである。

 私自身の歴代の母校での校歌は、小学校、中学校、高校、大学とそれぞれあった気がするが、大学はほとんど歌ったことが無いし、中学校も少々暗い曲調だったのであまり好きではなかったが、小学校の校歌は今でもそらで歌えるほど鮮明である。

 もちろん流石に6年間も繰り返し歌っていた曲でもあるので、当たり前と言えば当たり前だが、それだけ親しみやすい曲でもあったとも言える。
 そう言えば、上海の茨城県人会恒例となっている、「茨城県民の歌」の斉唱の際に、歌詞カードが配られるが、この曲は平井康三郎さんの作曲ではないが補筆編曲となっており、私が馴染んだ曲調になっているのかやはり歌いやすい。

 こんな平井康三郎さんが亡くなったのは2002年ということで、私の小学校時代にはとっくに亡くなっていた先人かと思っていたが結構同時代を生きていた方だったようである。

 今自分は上海にいるため、なかなか彼の作品に触れる機会は多くはないが、出来ればその作品をもっと追いかけてみたいと思わせる今回の明徳義塾高校の校歌との接触であった。


終戦記念日に思う戦没者追悼式と天皇陛下と靖国参拝問題

 昨日の終戦記念日に日本で「全国戦没者追悼式」が行われた。
 終戦記念日を「終戦」と呼ぶかどうかについて2年前に「終戦記念日と言う言葉への批判」書いたが、この日に改めて追悼式について考えてみる。

 ところで、今回の式典では異例のことが起きたと報道されている。

 天皇陛下が式典からご退席の際に、慰霊の碑をじーっと眺めて1分ほど立ち止まったというのだ。

 気になってYOUTUBEで式典を通してみてみた。
 (考えてみれば、戦没者追悼式を通して見るのは初めてである)

 すると、報道通り天皇陛下は退席の際に1分ほど慰霊碑のほうをジーと眺め、御動きにならなかった。
 まあ司会から特に言葉が無かったので、次に動くきっかけのタイミングを待たれていたのだと推測できなくはないが、美智子皇后陛下が声を掛けるまで動かなったのである。

 天皇陛下があの時に何を思ったかなどは私には知る由もないが、何となく陛下は今回の追悼式の対象に、日本人戦没者しか含まれていないことに気づかれたような気がするのである。

 まあ日本政府が主催する追悼式なので、追悼の対象が戦争で亡くなられた日本の軍人や日本の民間人であることは当たり前ではあるのだが、そこに陛下の心にひっかかった部分があったのではないかという気がするのである。

 どういうことかと言えば、天皇陛下は美智子皇后を伴ってここ数年慰霊の旅を実施しており、当初は広島、長崎、沖縄など国内が中心だったが、その後、パラオやサイパン、フィリピンにまで足を伸ばして慰霊の祈りを捧げる行動を続けている。

 もちろん、その現地はかつて日本軍が多くの戦死者を出した場所ではあるが、同時に敵方であったアメリカ軍もそれなりの戦死者を出している場所でもあった。

 それぞれの地で天皇陛下は、敵味方関係なく戦争で命を落とした軍人や現地住民たちへ慰霊の祈りを捧げており、戦争の犠牲者に敵も味方もないことを直接肌で感じ取ったのではないかという気がするのである。

 この流れから言えば、政治状況さえ許せば中国へも訪問したい意識はあるのかもしれない気がする。(まあ現在の政治状況では流石に難しいのだろうとは思うが。)

 実はそういった天皇陛下の分け隔てない気持ちは、今回の追悼式で述べられたお言葉にも現れており、今回戦没者を自国民に限定せずお話になられていることが伺える。

具体的に書きだせば

「(前略)先の大戦においてかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。(後略)」

 と述べられており、自国民に限られない犠牲者に追悼の意を表しているのである。

 もちろん、日本政府の主催する式なので、日本人だけが対象ととらえられなくもないが、直前に安倍総理が式辞で「三百万余」と日本人限定を示唆する言葉を敢えて言ったことと比較すれば、天皇陛下の追悼の意を表したい相手とは、戦争で亡くなった人全てなのではないかと思えるのである。

 それがあの追悼式での立ち止まりであり「全国戦没者追悼之霊の碑」の「全国」という言葉に考えらえるところがあったのではないかと勝手に推測している。

 ところでこの終戦記念日で必ず話題になるのが、時の政権の首脳が靖国神社へ参拝するかしないかの問題であり、隣国からの非難も含めてなかなか難しい政治問題化している。
 まあこの靖国参拝問題は、本来は外国に気を使う必要のない内政のことと言い切れそうな気もするが、靖国神社自体が戦前の国家体制の象徴であるから、そう簡単な問題でもない。

 今の靖国神社をどうとらえるかは、終戦記念日を境とした前後の日本をどうとらえるかにかかっているような気がする。

即ち、靖国神社を含めた戦前の国家体制を、終戦を機に全て否定したから今の日本があると考えている人と、終戦とは戦争に負けたり憲法が変わったりしただけで明治からの日本が基本的に続いていると思っている人では、自ずと靖国への思いは違うだろうと思う。

 この違いにより、同じ戦災で亡くなった人に対しても、国のために命を捧げたと感じるのか、犠牲になったと感じるのかが違うのだろう。

ただ毎年行われている戦没者追悼式はそういった、靖国という政治的なイデオロギーを排除したところで政府が主催して行われている。
諸外国もこれに関しては口出しをしていないことから分かるように、純粋に追悼の場として認められており、靖国参拝とは明らかに意味が違うものとしてとらえられている。
 
 やはり靖国は戦前の象徴であり、私は現在の日本は戦前を否定したからこそ、平和と繁栄を得られていると考えており、靖国はもう政治家が政治の世界に持ち出すものではないと考えている。 

 故に今回閣僚全員が参拝をしなかったのは、賢明な判断だととらえている。

思い出のホルストの「惑星」N響&デュトワ

先日YOUTUBEをチェックしていた際に、ふとシャルルデュトワ氏指揮NHK交響楽団の演奏によるホルスト作曲の組曲「惑星」の演奏映像に出くわした。
見始めた途端に出足の1曲目「火星」から非常に熱い演奏で、すぐに引き込まれたのである。
優等生的な演奏を見せる普段のN響とは一味違う熱い演奏で、さすがシャルルデュトワ氏だなと感心するような、オーケストラのドライブ振りを感じたのである。

そしてその熱さを感じ取ると同時に、非常に懐かしい記憶が私の中に湧き上がってきた。

そう、私の記憶に間違いが無ければ、この収録が行われた演奏会場(NHKホール)に私もいて、実際にこのライブ演奏を聴いていたのである。

あの日も一曲目から鳥肌が立つほどの強烈な印象を受けた記憶があり、映像の中で演奏されるあのリズムやパッションは確かに一度体験したものとして、体が覚えていたのである。
それを、映像を通してではあるが、演奏を再び耳にすることにより今回約20年ぶりに記憶が甦ったのである、

人間の記憶というのは不思議なもので、昨日まで忘れていた時間の体験について、音楽を聴くことによって体の感覚までもが記憶として呼び戻されるようである。

実はこのコンサートは私の「惑星」という曲に対する印象を一変させた演奏という意味でも思い出深い記憶であり、さすがデュトワ氏、さすがN響だなと感服した時間であったことも覚えている。

その記憶は最後の女声合唱が消え入るところまで残っており、曲全体を通してまさにあそこに自分がいたなという感覚を映像(音楽)は思い出させてくれた。

まあこうやって振り返ってみると、実はもうあの時から20年を経たことに気づくのであり、時間の経過の速さに寂しさも感じるが、記憶を甦らせてくれる音楽って改めて凄いな感じた記録映像であった。