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センスのない上海の地下鉄設計

 仕事柄、毎日のように上海市内の地下鉄を縦横無尽に利用させていただいているが、どこへ行ってもその設計センスの無さを感じずにはいられない日々である。
 そのセンスの欠けるポイントとというのは、利用客視線で効率をよくするという意識に欠けるということになろうか?
 上海の地下鉄ネットワークの中で、これは特にセンス不足を感じた幾つか駅の構造についてちょっとまとめてみることにした。
 
センスの無い構造その①『3号線の長江南路駅』
 ここは途中折り返しの機能を持った駅であり、駅の北側に折り返し列車のための留置線があるのだが、何と本線の外側に1本ずつ設置されており、折り返し列車は本線を横断しないと、留置線に出入り出来ない構造となっている。
 運転間隔がまばらな日中ならこの構造でも構わないかもしれないが、朝晩のラッシュ時にいちいち本線横断をすれば、横断を受ける列車の妨げになるのであり、増発や列車を遅らせる原因になるだろう。
 明らかな設計ミスであり、将来的な増発に向けては改善をするべきで構造である。

3号線長江南路駅の折り返し線

長江南路駅の折り返し線
(真ん中が本線)

 センスの無い構造その②『10号線の龍渓路駅と11号線の嘉定新城駅』
 ここはいずれも本線と支線の分岐点駅であるが、合流する側は島式ホームで2本のホームが用意されているものの、分岐する側は同じホームでどちらに行く列車かを見分けなければならない構造となっている。
 列車の合流の時間調整が必要になったと時を想定して、合流側は2本のホームとしてあるのだろうが、案内板が不備でどちらに列車が来るのかは、構内放送を聞くか列車が来てみなければ分からない状況となっている。
 むしろ本来は分岐方向でホームを分けてもらった方が利用者には分かりやすいのに、実際はそうなっておらず、利用者に不親切な構造の駅といえる。

 センスの無い構造その③『6・8・11号線の東方体育中心駅』
 ここは11号線のホームの間に6号線が乗入れ、階段を使わなくても乗り換えが出来る構造となっており、一見これまでの上海の地下鉄に比べ非常にセンスの良い構造になっているようにも思えるのだが、実はその方向というか組み合わせに問題がある。
 すなわち、11号線の徐家匯方面から6号線への乗り換えのホームが隣で階段要らずなのだが、果たしてその方向の需要がどれだけあるのかということなのである。
 11号線で北方向から来て、ここで6号線に乗り換えて北東方向に向かう乗客の移動は幾らでも途中の駅でショートカットが可能なので、とてもホームを共有するほどの需要は感じられないのである。
 ホームを共有する発想があったなら、むしろどちらかの路線と8号線を組み合わせ、例えば8号線と11号線ならいずれも北→乗換→南と東へという乗換になり効率的な乗り換えが実現したと想像されるのである。

 センスの無い構造その④『11・16号線の羅山路駅』
 ここは11号線と16号線の接続する駅で、複線の島式ホームが2段重ねとなっている。
 ここは将来上海ディズニーランドへ向かう利用客にとって重要な拠点となるはずであり、乗り換え客も多くなるはずなのだが、残念ながら乗換に上下移動が必要な構造となっている。
 設計側からすると、上下に移動するだけで乗り換えが出来る構造としたつもりなのだろうが、本当にセンスがあれば同じ2段重ねでも行先方向別になるようにホームを組み合わせるべきだったと思われる。
 すなわち、上海ディズニー方向と滴水湖方向を隣り合わせのホーム、徐家方面と龍陽路方面を隣り合わせのホームとすることによって、市内方向ホームと郊外方向ホームというそれぞれ同じ流れの組み合わせになり、乗り換え客の大半はエスカレーターや階段を使用せず乗り換えられる、駅や設備の耐用年数に大きな差が生まれたであろうに思う。

羅山路駅の乗換図

羅山路駅の乗換図

 このほか、江蘇路駅のように出口同士が向かい合わせになるなど、出口の設置センスに疑問を感じる駅も多数あったり、同じ駅なのに乗換に延々と歩かされる駅があったり、どうにも設計センスに疑問を感じる構造の駅が多い上海の地下鉄なのである。

指導教官になった気分

台北

 ここ数か月知り合いの台湾人に対してスカイプを通してみっちり日本語の指導をしている(させられている?)日々が続いている。

 しかも、単純な日本語のレッスンというより、大学のゼミのような感じで、日本語の経済に関する本などの読解を行なって、その意味を解説するような授業?を行なっている。
 つまり単純な日本語文法を教えているのではなく、遥かに高度な文章の読解を訓練していることになる。
 もちろん相手は外国人なので、わからない日本語の単語が出てきたり、時には背景まで踏み込んで解説しなければならないことも出てくる。
 時には中国語を交えて解説しているが、ほとんどは日本語だけで説明している

 それ故に普通の日本語授業では習わないような専門用語も多く、こちらも知らなかったり、あいまいにしか把握していない言葉に対する質問も時々出てくるわけで、そんなときは慌ててネットで調べて回答したりしている。 
 どうもこうなると大学の指導教官にでもなったような気分である。
 まあ私は大学の教官でもないし、学士しか取得していないが、普段から文章を書く量は多いので、文章が上手かどうかはともかく文章構成や校正・編集に関しては一般の方よりは数はこなしているので、今回のように外国人相手の指導であれば不足はなく教えられている気がする。

 こういった努力が功を奏してか、相手の方もめきめきと腕を上げている。

 「てにをは」などを見れば、まだまだ全然足りないし、間違いだらけだが必死で文章を読み解き、自ら組み立てようとする相手の姿勢には頭が下がり、こちらも必死に応えたくなる。

 最近ようやく、一つ一つの単独の文はそこそこの形になって来たので、今後は個々の文をどう並べればスムーズな文章になり、さらには全体として論文のように頭からお尻まで繋がった文章を作ることが出来るかというエッセンスを教えていかなければならないという作業に入ってくる。

 日本人相手でも難しいこういった指導だが、文章はセンスで書く面もあるが実は理屈で割り切れる面も非常に多いというのが私の考え方であり、理屈をきちんと伝えられれば、そこそこの文章は書けるようになると考えている。

 この理屈を整理するという作業が、実は私自身にとっても訓練となっているので、今後も可能な限りこの授業は続けたいという気がしている。

鍋で見る日中文化の違い

 中国でも日本同様に鍋文化があり、大勢の人間が一つの鍋を囲んでつつくスタイルが存在する。
 まあ鍋に入れる食材などが異なるのは日本でも地域によって違うので当たり前と言えば当たり前のことだが、細かく観察するとその食材の整え方というか鍋の仕立て方に、日中の文化の象徴的な部分を見ることが出来る。

 どこが象徴的なのかというと、日本はお店が最初に所定の具材セットしたお任せパックの鍋スタイルが基本であるのに対して、中国スタイルは一品一品の鍋の中に入れる具材を好みに合わせて選ぶスタイルとなっている。

中国の鍋

中国の鍋(火鍋)

 もちろん日本の鍋だって、石狩鍋、湯豆腐、カキ鍋などといった風に、全体の仕上がりで鍋の種類を選択することはあるが、具材の一品一品を指定することは無く、全体の鍋一式で2000円だの5000円だのという形で料金が決まってくる。

 その具材の組み合わせ方や全体のバランスも含めて、お店のセンスと味に料金を支払うスタイルである。

 これに対して中国式の鍋では、もやし1人前5元、豆腐1人前8元などというように細かく具材一つ一つに料金が設定されており、予算に応じて自分の具材を選んで足していく方式である。
 基本の鍋底(割り下)の味付けはお店ごとであるが、利用客の主眼はどちらかと言うと素材が新鮮かつ適正価格であるかに置かれ、鍋としての総合的仕上がりに対する結果は自己責任でありお店に求めていないようである。
 その結果、中国式のお店ではどのお店に行っても各自が自分のスタイルを貫いてしまうので、素材の取り揃え以外に店舗ごとにそれほど差が出にくい事業形態だという気がする。

 以前、「日本人的安心感と中国人的誠意感」のブログでも書いたが、中国人達は鍋においても日本のように「お任せパック」でまかせっきりにすることを嫌い、任せた結果において内容をごまかされたりして損することをとても嫌がり、このような究極の個別会計と呼べるような食材ごとの料金設定がされた明朗会計を好むのである。

 しかも、最近では店舗ごとの差では飽き足らずテーブルごとに違う味の鍋底(割り下)となり、更には鍋さえ分割して幾つもの味を楽しむようになり、各自それぞれの好みで注文しそれぞれの鍋をつつくので、同じテーブルで顔を突き合わせているのに食べている鍋料理は別物といった、本来の鍋スタイルとは別物の独自の現代鍋スタイルを確立してしまっている。

 私がイメージする本来の鍋のスタイルとは、同じものを仲間同士や家族で分け合って食べるというものであり、同じ釜の飯と言うか同じものを一緒に食べることに意味があるのだと思っていたが、中国の現代の鍋スタイルは明らかにそれとはかけ離れてしまっている。

 中国は従来から団体スポーツではなかなか世界一に慣れないと言われる程に団体行動が苦手であるとされるが、中国の食文化が以前のような大皿スタイルではなく、個人ごとのスタイルへ分化していく姿は、まさにそういった個人主義を好む中国文化として自然流れであるのかもしれないし、この鍋スタイルはその変化を象徴するものだという気がするのである。

中国のまだちょっと足りないセンス

 先日、中山公園にある某高級レストランばかり集めた場所にある会合で行ってきた。
 レストランを沢山並べて儲かるのかとかと言った直接のビジネス上の疑問点はさておき、会の途中でトイレに行きたくなったので捜すことにした。
 訊けばトイレは各店舗共通で、店舗スペースの外の共用部にあるとのこと。
 まあ会計もフロア全体で集中精算になっているようだったから、運営としてはこれで良いにしろ、困ったのはトイレの場所が分かりにくかったことである。

 一応共有スペースには、フロア案内図が置かれているのだが、実はこれが逆さまで読み取りづらかった。
 この逆さというのは、字が逆さということでなく置かれている向きという点で逆さであり、こちらの視点が南向きになっているのに、北向きの視点の図がそのまま置かれていたのである。
 頭を冷静に整理して、頭の中で図を逆にすれば理解できるのだが、これは意外と容易でなく理解するまでに時間がかかる。

 つまり情報としては間違っている訳じゃないが、お客からの視点にかけている表示なのである。
 高級店を標榜するこのお店だが、この図を見る限りどうもセンスに一歩欠けており、中国人オーナーの店かなという気がしてしまったのである。

 実は、こういったちょっとセンスが一歩足りないという経験は、サービスの進んだ上海でも沢山みかけることが出来る。
 例えば地下鉄の車内のドアの上の路線図は、左右の扉とも同じ図が貼ってあったりする。
 つまり一方の扉では路線図の示す方向と列車の走る進行方向が一致するが、もう一方の扉では、路線図の左右と進行方向が一致せず、感覚的な理解が出来ないのである。

 これも情報としては間違っているとはいえないが、やはり親切な表示とは言えないだろう。

 さらに中国の公共トイレでは男女別表示をトイレの入り口の扉に直接貼ってある例も多いが、これもやはり親切とは言えず、開け放たれている時はその男女別マーク表示が見えないのである。 
 すると、少し首を中に入れて扉に貼られている男女別表示を確認してから入ることになるが、間違ったところを覗いて中に別の人がいたりすると恥ずかしい思いをすることになる。
 これらはほんの少し利用者の視点があれば解決できる問題なのだが、そこが一歩足りないのが今の上海の現状だという気がする。

大家の趣味

昨日、大家がやってきて今の部屋の賃貸契約を1年延長した。
まあこの部屋に引っ越してからどうも運がついていないと思う部分もないこともないのだが、会社からの距離が近いという便利さと、家賃の割には部屋が綺麗であるというメリットは大きく継続して住むことになった。

 一応、先月に不動産屋を訪ねて見たのだが、どうもこれといったヒット物件もなく、引越しそのものが非常に面倒くさく感じ始めたので物件探しを諦めてしまった。
(そういえば浅草で引いたおみくじも凶で「家移りわろし」だった。)

そんなこともあって昨日契約延長のサインをした。家賃は100元アップになったが、まあ昨今の不動産の値上がりを考えれば許容範囲である。

そして、そのついでに大家がカーテンを持ってきて取り替えていった。以前のものは丈が長すぎて引きずっていたので不便であろうということで持ってきたらしい。
最初っから測ればいいのにと思うところは無きにしも非ずだが、私も細かいところは気にしないので1年間放置してきた

カーテンの柄

カーテンの柄

 で取り替えられたのが写真のカーテン。

 白っぽい地に赤やピンクの大きな水玉柄となっている非常にかわいらしいカーテンだ。
この部屋、もともと風水的な趣味がある部屋であったのだが、イコール少々女の子の部屋っぽい内装であった。
それが今回のカーテンの取替えでそれに更に磨きがかかってしまったような格好だ。

 このカーテンの色合いが風水的に何か意図したものであるのかは非常に気になる。
それにしても中国人のインテリア嗜好の究極というのはどうもヨーロッパのお姫様部屋スタイルなのではないかと最近感じ始めた。
世の中のパープル色傾向は今後ますます強まりそうな気がする。

 今回のカーテンはインテリアとしては悪くないかなぁと思いつつもなんだかますます他人を招き入れにくい部屋になってしまったなぁと思う。