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日中辞書に載っていない言葉の訳語の探し方

 中国生活も長くなってきているので、他人との意思疎通については、今ではどうにかこうにか知っている単語の範囲で意思伝達を済ませられるようになってきており、現在ではたまにしか日中辞書を引かなくなった。

 とはいえ、中国語で文章を作る必要があるような場合は、時々インターネットの中日辞書の世話になるし、辞書だけでなく念のためネットで確かめたりする。

 また中文読解も、おおよその意味は理解できても固有名詞などは知らなければそれだけで意味がわからない場合がほとんどなので、ネットの中日辞書で調べることになる。

 しかし、比較的語彙数の豊富なネットの日中・中日辞書でも調べきれない単語も世の中にはたくさんある。

 例えば、コンサートでの演奏予定の曲名とか、映画のタイトル、あるいは植物の名前などは辞書にはまず載っていない。

 例えば先日中国語で「時光倒流70年」と表記されている映画の曲があったのだが、これは邦題では「ある日どこかで」(ヤノットシュワルツ監督)と表記されている米国の映画だった。

 また「假如愛有天意」と表記されていた映画は、「ラブストーリー」(クァク・ジェヨン監督)という韓国映画だった。

 これらは、よほど有名じゃない限り中日辞書に訳語が直接載っていることはありえない。
 しかし、どうしても知りたい、調べたいというようなケースも出てくる。

 このような場合はどうするか?

 まず曲名などは、作曲者と作品番号が出ていれば、それをもとにYAHOOやGoogleなどで検索すればおおよそ答えが出てくる。
 またその作曲者のウィキペディアなどを探せば、答えにたどり着く。

 しかし、映画の題名など作品番号などが示されず、発音から中国語の当て字が使われていたり意訳が行われている場合は非常に厄介であり、邦題の特定をするのに難儀する。

 ではどうするか?

 こういった直接の辞書が役に立たない場合は、英語経由の訳語探しを試すことになる。

 どうするのかと言うと、中国語の単語そのままを例えば百度(バイドゥ)などの中国語の検索エンジンで検索をかけ、百度百科などの項目を探す。

 すると、その文章の中にかなり高い確率で英語表記などが示されている。

 植物や動物の名前なども同様で、英語の学名などが記されている確率が高い。

 このように英語の名称が判ればしめたもので、あとはその英語表記を日本語のYAHOOなどで検索をかけると、かなりの確率で日本語表記にたどり着ける。
ちなみに上記の「ある日どこかで」は英題が「Somewhere in Time」であり、「ラブストーリー」の英題はなんと「Classic」であり韓国語原題も「クラシック」の発音であった。

つまり普通の辞書でたどり着けない言葉も、英語を介すことによって答えがでやすくなるのである。

 なお、気をつけなければいけないのは、百度百科やウィキペディアなど、ネット上の情報は必ずしも100%正確とは言えないということ。
まあ映画の題名などはそれほど間違うことはないが、植物などは同じ仲間であっても地域などにより別の固有種を指す場合があるので、正確性を必要とされる場合は慎重に確認を行なう必要がある。

このように日々言葉の壁には苦しみもあるが、発見の楽しみもあり、コンサートのプログラム一つに驚きがある日常となっている。

戦場のメリークリスマス

映画監督の大島渚さん訃報を受け、恥ずかしながらこの「戦場のメリークリスマス」をこの歳になって初めて見た。(中国語字幕だが)

大島渚監督

大島渚監督(引用元

 坂本龍一さんが担当した音楽は何度となく耳にしていたが映像そのものは初めてだった。

 この映画の公開が1983年だというから私はまだ小学生くらいの時で、内容からすればまあ当時見ても理解できなかっただろうと思うので、この歳で初めて見るのは正解だったかも知れない。

 この映画には色んな愛の形が描かれている。

 ストーリーの中心となっているのは戦地における兵隊さんたち同士の同性愛を巡る嫉妬や葛藤ではあるが、そんなにどろどろした内容とはなっておらず、寧ろみなそれぞれが純粋でさっぱりしている。

 そしてそれを見つめるタケシ演じる原軍曹の存在感が秀逸であった。

 一見かなりいい加減そうでふざけた人間に見える彼の役柄は、きとんと人間の生と死を見つめ、人の人としての尊厳を大事にし誰もを平等に扱っており、武士道の根幹とも言うべき人生観を内に秘め、達観した悟りのような状態で任務を遂行していた。

 人間の姿をした菩薩如来そのもである。

 それを演じたタケシ、本人は演技はまるで駄目だったと言っているようだが、人間としての経験の深さが滲み出た彼そのものの人間性が見せた業であろう。

 そんな彼が生き残った友人にかけるラストの

メリークリスマス、ミスターローレンス

 のセリフはとても意味が深く、この映画を名画たらしめるいいラストシーンであるように思える。

 その後北野武さんはご存じのように映画監督の道を歩んでいくのだが、大島渚監督のこの作品に出演したことの影響が大きかったというのは、やはり言わずもがなである。

 大島渚監督のご冥福をお祈りします。素晴らしい映画をありがとう。

映画「南極物語」を見た

 先日の「南極料理人」に引き続き、南極モノの映画観賞である。

 個人的に人生の難局続きだから南極モノというわけではないが、私は基本的には北国など寒冷地を舞台にしたドラマや映画を好む傾向にあるような気がする。

 以前見た「八甲田山」もやはり寒冷地ものであった。

 そういえば現在日本ではキムタク主演の「南極」というドラマが話題らしいが、こちらは今のところ興味がなく中国のネットから古いライブラリーばかりを掘り返している。

 どうもスターの名前が先に出てくる映画やドラマはそれだけで興味がそがれてしまう。やはりドラマや映画はストーリーが大事で役者を見るために映画を見るわけではないからだ。

 故に今回のそのキムタクドラマは、いいドラマという評価が聞こえてきてから見ても遅くないと思っている。

写真はイメージ

写真はイメージ

 さてこの「南極物語」、少なくとも1回は過去に見たことがあるはずだがストーリーはすっかり忘れていた。
 主演は高倉健さんと渡瀬恒彦さん、そして犬たちである、というか犬が主役の映画で人間は脇役といったほうがいいかもしれない。

 止むを得ない事情で置き去りにされた犬たちの南極でのサバイバルの姿が描かれているこの映画、犬たちの演技(しているように見せるスタッフの努力)が素晴らしい。仲間の犬が命を落としてしまったときに見せる表情などは人間顔負けで、つい感情移入して犬たちを見てしまう。

 それにしても零下40℃とも50℃ともなる極寒の地で生き抜く姿は物凄い生命力である。

 もちろん実話をもとにしているとはいえ、人間の手を離れた犬たちの南極での行動は全て想像上でのフィクションだから、実際はどうやって犬たちが生き抜いたかは全く分からないのだが、気温と環境はどう考えても厳しい現実であったはずでその環境の中で人間の保護もなく生き抜いたことは凄いことであろう。

 そして犬を仲間と思う高倉健さんと渡瀬恒彦さんの存在感も素晴らしく、彼らによってこの映画が単なる動物映画やヒューマンドラマに終わらない重みを持った映画になっている。

 ところでこの映画の音楽を担当したのがヴァンゲリスで、初期のシンセを駆使した機械的な硬質な音がこの南極の厳しさをうまく表現していて、サントラ曲の名作との一つと言ってもよいであろう。
 ヴァンゲリスは、炎のランナーや2002日韓ワールドカップのテーマ曲など非常に印象に残る音楽を作っており私の好きな現代作曲家のひとりである。
 
  こうやって極地モノを続けて見ると自分も何となく南極に行ってみたい気になるから不思議である。

「MY HEART WILL GO ON」

MY HEART WILL GO ON」は皆さんご存知の映画「タイタニック」の主題歌だが、実はこの映画の封切り当時は映画があまりにも騒がれすぎる故に私はこの曲をあまり評価していなかった、というか気に入っていなかった。

 とはいえ、一応ヒット曲であるゆえにライブラリーとして確保するため、映画のサントラ盤はさっさと手に入れてはいた。 
 もちろん手に入れただけではなく一応数回は流して聴いてみてはいた。

 この曲、確かに映画の雰囲気を盛り上げる要素は整っており、この曲を映画に重ねればヒットするであろうとなということは分かったが、それ故にこの曲が計算しつくされた単なる演出音楽のように感じ、音楽的価値を感じずにいたので、仕事として結婚式場で使うことはあっても個人的に特別な印象はなかったのである。

 それ故に日本で幾らブームになっていても、この映画を見る気にはならず、レンタルビデオでも借りてみるようなことはなかった。

 しかし、中国に来てDVDが格安で手に入るようになり、何かのDVDを買ったついでにこのタイタニックの映画も目に留まったので、ようやく封印を解いてこの映画を見ることになった。

 つまり実際にこの映画を初めて見たのは中国に来てからである。

 実にリリースから10年以上経っていた。
 
 実際に映画を見る段になって、この映画が世間の女性を泣かせまくったという評価は当然知っていたので、果たして私も涙を流すのだろうかと期待に胸を膨らませ映画を見たのだが、結局まあ一回くらいどこかで涙をこぼしたかもしれないが、大泣きをするようなことにはならなかった。

 悪くない映画とは思ったが、そんなに感動もしなかったのである。

 泣くかも知れないという先入観が感動を遠ざけてしまった面もあるかもしれないが、とにかくその時点で、音楽についての評価も変化にはいたらず最近に至っていた。

 ところがである。

 最近、ラジオでこの曲を耳にして、なんだか急にこの曲の真価を感じ取ることが出来たような瞬間があった。

 曲を聴いていて、ああこの曲は女性が愛の幸せを感じている瞬間の曲なんだな、そう感じた。

 まあ恋愛的な「愛」を表現していることには変わりはないが、単なるメロドラマ的つくりのちゃっちい音楽ではなく、思ったより深い叙情的表現が出来ている秀作の曲だなと感じたのである。

 実は今回私がラジオで聞いたのは音楽のコアだけを使ったようなスローテンポのピアノアレンジの曲で、曲に対する派手なアレンジが多いオリジナルの曲ではなかった。派手なアレンジが取り除かれて、純粋にメロディラインだけを聴けたので、この曲の本質をようやく聞き取れた感じがした。

 私が感じたこの曲の表すところは、男性の最大限の優しさに抱かれた女性が、愛されている喜びを感じている至福の瞬間、そしてその瞬間の永遠を感じている女性の浮揚感そのものである。
 私は何年も結婚式の音響をやっていたから男女の至福を瞬間を見てきたが、この曲が表すような至福の瞬間は特に女性が強く感じている。

 もちろん映画の中では確かに悲劇的な幕切れがあるが、それ故にその愛の至福が永遠に刻み込まれた形になっている。

 世の中のどんなに至福の結婚を迎えたカップルでも、人生の中で長い時間夫婦を続けていれば、新婚当初の熱さや至福感が薄れていくのは一般的な自然の流れであり、故に本当の意味で永遠の愛を体現し続けるカップルはなかなか目にしない。

 しかしこの映画では悲劇があったからこそ、瞬間が永遠になったような格好になり、つまり愛が永遠に継続している。

そんな愛の至福の瞬間を表現している音楽がこの「MY HEART WILL GO ON」なのである。

写真はイメージ

写真はイメージ

 故にこの「タイタニック」の映画を見て涙を流した女性というのは、悲劇に悲しみを感じて泣いていたのでは無い様に思う。
ヒロインが感じた至福の愛情の感覚、つまりはそれを与えてくれた男性の愛に感動して涙を流したように思うのだ。

そう思って、この曲と映画を改めて見直すと非常にすっきりする。

 ただ、女性はこれでいいとしても、泣いてしまった男性の存在というのは、ちょっと整理しづらい。

 愛を尽くしつくした満足感なのか、女性的感性の豊かなのか、あるいは単に悲劇的ストーリーに悲しみを感じたのか分からないが、私の見方ではこの音楽の持っている雰囲気には男性はなかなか酔いづらいという気がする。

 もちろんそういう意味でカップルで観る映画としても秀作かも知れないのだが、、、。
 こういう発見を得て音楽マニアの私は音楽単独でもこの曲をあわせられるシーンはどこかにないかと思案する今日この頃である。

 まあ映画が有名すぎるので、パロディにしない使い方は非常に難しいのだが、、どこかで使ってみたいいい曲ではある。

フィギュアスケートと音楽

 オリンピック競技の中で使用する音楽が競技に影響する種目は数多くない。
 思いつく限りでは新体操、シンクロナイズドスイミング、そしてこのフィギュアスケートくらいであろう。

 その中でもフィギュアスケートにおいて音楽の要素の占める割合は侮れないものがある。

 実際の得点上でも構成点として音楽の解釈に対して10点満点の配点が与えられ、さらに加重がかけられるのでSP、FS合計で男子で最大30点、女子でも最大24点の配点となる。

これまでの最高点が200点程度の現在のフィギュアスケートの採点方式の中では、この音楽の解釈に対する配点がいかに低くないかわかる。

 つまり音楽の使用方法いかんでは、10点差などすぐに上下するということである。例えば音楽に合わせずジャンプやスピンをばらばらに行えば、それらがどんなに技術点が高い技であろうとも、映像と音がシンクロしないという構成の面で点が低くなる。

 つまり音楽に合わせて演技しないと高い点がもらえないわけで、音楽のどこでジャンプを入れ、スピンを入れるかを考えて構成を組み立てる必要がある。もちろんスタートからフィニッシュまでどう盛り上げていくかも大事な要素となる。
 逆に言うと演技全体の流れを考えながら、場面場面でジャンプやスピンを入れやすい音楽を選ぶことが、フィギュアスケートの得点稼ぎの第一歩ともいえる。

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 また、採点に直接表れない部分で、音楽は競技者に影響を与える。
本来、音楽が表現する主たるものは感情であり、それらが演技者の心理状態や感情にも大きな影響を与えるからである。
 競技者はスポーツとしてスケートを滑っていても、人間が行うことであるからには、その心理状態が動きに大きな影響を与えるのは言わずもがなで、その心理状態を左右してしまうのがこの音楽という要素である。

 小気味よい音楽であれば心が軽やかになり、雄大な音楽であればたっぷり余裕のある心理状態で演技に向かうことができる。
 そしてその心理状態はそのまま技のキレになって現れる。音楽に気持ちが乗ることができれば、競技者は気持ちよく演技ができいい演技につながるのである。

 ただ音楽というのは競技者の性格との相性があり、さらには演技の特徴との相性の問題もある。故に同じ技術レベルの競技者が同じ音楽を使えば同じ心理状態になり同じ演技ができるというものでもない。

 ノリノリの音楽が好きな人が、情感たっぷりの音楽で演技しようとしても堅くなってしまうであろうし、逆に小気味の良い動きの苦手な人がビートの利いた音楽では、音楽に乗り切れずどこかぎこちなくなってしまうかもしれない。
 かのトリノの金メダリスト荒川静香さんも小気味良い細かい動きが苦手だったので、たっぷりとした曲を選曲していたとのことのようだ(ちなみにオリンピックのFSはトゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」)

 さらにこれらの音楽から感情的な影響を受けるのは競技者だけではない。
 審査員や観客も同じである。
 特に観客に音楽が与える影響は小さくなく、観客を巻き込んで盛り上げる演技が出来れば声援にもつながり、それらの声援が今度は競技者に勇気を与えさらには審査員の審査にも少なからず影響を与える。
 逆に個人の趣味に走りすぎたマニアックすぎる音楽は観客には受け入れがたく、競技者が会場から浮き上がってしまい、なかなか上位にはいきにくい。
 実際、上位に来る選手はほぼ例外なく観客に対して説得力のある音楽を使っている
 つまり音楽選びにセンスがなければフィギュアスケートでは上位にいけないことになる。

 ここがスポーツであるにも関わらず、音楽が多大な影響を与える「フィギュアスケート」の妙である。

 このあたり、フィギュアスケートの競技会を下位からずっと見ているとその差がよく分かる。私はスケートの専門家ではないが、演技が始まって10秒くらい動きを見れば大体どのくらい順位に属する選手かぐらいはすぐ見抜ける。

 下位に低迷する選手はまず音楽とスピードが動きがあっていないし、選ぶ音楽もスケートに向かないような音楽だったりする。そういう選手に限ってやはりジャンプなども転倒して尻餅をついたりする。体の動きが音楽に乗り切れていないためうまく飛べないのである。

 その点上位に来る選手はさすがであり、音楽にうまくシンクロして演技をする。さらにその中の数名の本当にきっちり音楽にシンクロできた選手がやはり表彰台に上る。このあたりテレビを見ていてほとんど予測を裏切られたことはない。そのくらい音楽で演技の良し悪しが見抜けてしまう。

 さてさて、今回のバンクーバーオリンピック、いよいよ女子シングルのFSを明日迎えるが、SPを見る限り上位二人のキムヨナと浅田真央の演技はさすがであった。
 小気味よくキレが良かった分だけヨナが少し上まわったという感じであろう。

 で肝心のFSの曲はヨナがガーシュウィンのヘ調のピアノ協奏曲に対して、真央がラフマニノフの前奏曲「鐘」という対決で、アメリカとロシアという全く対照的な選曲となっている。

 この二人、もう史上稀に見る高いレベルなので個人的にはもう言うことがないのだが、選曲の面だけで言うとガーシュウィンの曲はほとんどジャズといってよいくらいのリズム感を要求されるので音楽に乗り切れるかがポイントで、その点ラフマニノフはたっぷりした曲なので慌てず音楽に入れるのが安心要素である。

 まあヨナがリズムに乗れたらヨナに軍配が上がりそうだが真央がたっぷり大きな演技をすることができれば逆転の目は十分ある。
 どちらにしろこの二人の演技は見るべき価値があり、FSが楽しみである。