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3.11イベントへの遠慮

 震災から8年が経ち、日本国内では多くの追悼イベントなどが行われている。
 チャリティコンサートのようなイベントだったり、流し雛のようなイベントなど様々行われている。

 日本国内だけでなく、こちら上海でも東北地方の関係者が色々集まって、イベントが実施される。
 まあ、それらのイベントについては、とても有意義なことであり続けられる限り続けたほうがいいとは思う。

 ただ自分個人としては、そういったイベントごとに参加することに対しては、やや気兼ねを感じてしまう。
 その理由として自分自身は震災当時に既に上海におり、震災を体験していないということが大きい。

 あの震災によって、自分は被災してないし家も家族もほとんど被災してないこともあって、自分は震災の被災当事者ではないという気持ちが小さくないのである。

 まぁ親戚の一部で避難生活を送っているところもあるようだが、亡くなったような友人や親せきはおらず、そこまであの日が自分にとっての節目になったような強い印象がないのである。
 もちろん、被災者の気持ちに寄り添いたい気持ちは十二分に持っていて、彼らの苦しみを感じているつもりだが、毎年のように行われる追悼イベントへの参加となると、やはり心に遠慮が生じてしまう。

 「その場へ足を運ぶ資格が果たして自分にあるのだろうか。」
 
 何の被災もしていない自分がのこのこと本当の被災者たちと顔を並べても、被災者の一人のような顔して同じ時を過ごす資格があるのだろうかと感じていたたまれなくなってしまいそうなのである。

 そういう居心地の悪さの予測が、震災の追悼イベントなどにはなかなか積極的に足を向けられない原因になっている。
 参加しないことも参加することにも何れも胸が苦しいが、今のところ参加しない選択をしている。

 故に本当の被災者の方々には申し訳ないが、この日の震災イベントなどは、外側から静かに応援させていただくことに留めている。 

晴れない上海の冬

 例年のことではあるが、上海の冬の空は関東の冬のように晴れてはくれない。
 どちらかというと日本海側のごとく、曇った天候が続きぼんやりとした天候が続く。

上海の空

 気温も上がらず1ケタ台の気温が続くので、日照時間の少なさも手伝って毎日寒々しい思いで過ごさなければいけないのが、上海の平均的な冬の顔である。
 暦の上では既に立春を過ぎ、春節も過ぎ去ったというのに、春という印象からはまだほど遠い。
 この2週間ではっきりした青空が覗いたのは1日くらいしかなかったのではないだろうか。

 大気汚染という要因も確かにあるにはあるのだが、雨の日などは汚染物質の値は低く、視界の悪さは汚染物質だけではない要因であるようで、この地域の持つ気候環境がこの寒さや陰鬱さをもたらしているようだ。

 その割には以前「上海人はあまり脱がない」で書いたように、ストーブなどの暖房器具などをほとんど利用しないのがこの上海地域の特徴でもある。

 このような気候が続くと、当然行動力は鈍くなるし、気持ちも重く成る、

 医学の世界では冬季性うつ病という言葉もあるように、太陽光を浴びる時間が少なくなるこの季節は、うつ病に近い心理的状態になる人もいるようだ。
 そのための治療用ライト(照明)なども世の中にはあったりする。

 まあ私とて、底の底まで気持ちが落ちているわけではないが、やはり決して爽快な気分でこの気候を過ごしているわけではない。

 音楽などを聴いて意図的に気持ちを前向きに持ち上げたり、外出機会を増やして引きこもりにならないよう努めているが、やはり気持ちは重い。
 関東で育った人間にとって冬は寒いが、空は青いのが当たり前なので、この重い空は結構堪える。
 晴れた青空が待ち遠しい今日この頃である。


<目覚まし用ライト>

宝くじ購入の心得、当たると思うな、当たらぬと思うな

先日、ネットで読んだ記事の中に宝くじで高額当選した場合の注意事項なる記事が掲載されていた。
高額当選しても、仕事を辞めるなとか普段の生活を変えてはいけないなどのことが書かれていた。

画像はイメージ

中には、高額当選した結果、金銭感覚がマヒして夫婦離婚したり借金をするまで浪費して金銭感覚が改まらなくなったケースまで紹介されていた。
確かに、普段持ち慣れない金額を手にすると気が大きくなり自律意識が狂うというのは理解できる話である。

宝くじは、夢を買うという意味では楽しい行為だが、一方で度を越えた依存をすると人生を破壊する存在でもある。

その理由としてまず購入段階でいえば宝くじが当たりさえすれば人生が良くなるという一発逆転を狙う心理を持つ人も少なくないと思う。
しかし宝くじというのは当たらないと思っていたほうが間違ないほど当たらないので、宝くじの当選やギャンブルの勝利を前提にした金銭計画や人生計画というのは、ほぼ実現しないと言ってもよい絵空事だということを自覚すべきである。

よって、宝くじはリターンがほぼないことを前提として、無理のない範囲で買う姿勢が必要となる。
つまり当選金額に目が眩み、なけなしの金を突っ込んだり生活費を削ったり借金をしてまで宝くじを購入することは、身の破滅を招く危険な行為となるのである。

また、宝くじは大量に買えば当たる確率が上がると思っている人もいるようだが、確かに理論上は僅かに確率が上がるともいえるが、大きな当選を狙うという意味では実質的にはほとんど意味がない。

例えは、年末ジャンボの季節になると、何百枚も買ったなどという話題が時々紹介されるがあれはかなり無駄な行為である。
確かに10枚買うより20枚、20枚より30枚買うほうが確率は上がる。

しかしよく考えてほしい。

 もし仮に1等の当たる確率が、100万分の1であれば、そもそも外れる確率が100万分の99万9999あるということなのである。(2等以下は考慮しないとして)
 従って上記の宝くじを2倍の枚数買ったとしても、外れる確率が100万分の99万9998になるだけで、これを差し引いた当たる確率は実質的にほとんど変わらないのである。

つまり最小単位以上に枚数を増やして買う行動は、確率の上ではほとんど意味のない行為なのである。

では、宝くじ買わないほうがいいか?

宝くじはそもそも「元が取れる取れない」という意味で測れば、胴元が売り上げから利益を抜く仕組みだから、払戻金は絶対全部は還元されない。
極端な話で言えば売られている宝くじを買い占めたとしても損するのである。

つまり宝くじはいくら買い続けても当たらない限りは最終的に損をするものだから買わないほうがいいとなる。
従って損をしたくない人は絶対に買わない方がいい。

ただそうは言っても夢を買うという側面から言えば、将来に夢を持ち生活に希望を与える心理効果もあって、全く無駄な買い物とも言えない面はある。
故に、損を承知なら買うことには意味があると言える。

ただそこで、ちょっと気を付けなければいけないのは「宝くじを買えば当たる可能性がある」ということ。

「当たること」に何故気を付けなければいけないんだと言われるかもしれないが、人間は持ちつけない金額のお金を持つと金銭感覚を狂わすことがあるからである。
金銭感覚が狂うと、冒頭に書いたような悲劇を招くことになってしまう。

ならば、どうするか?

変な話ではあるが、宝くじを買う際は可能な限り当選した時の使い道を概ね決めておくべきだと思っている。

例えば1億という金を手にすれば、あれも買いたいこれも買いたいという欲が出て、気が大きくなって買う必要もないものや、やたら高いものを買って無駄遣いしてしまう可能性がある。

これを事前に防ぐため、買いたいものを予め片っ端からリストアップし、本当に必要なものに絞って価格調査をして当選金を振り分け予算を決めておくのである。

例えばもし、そのリストに家などの不動産が入るなら購入後に未来に渡って毎年かかる固定資産税や修繕費なども計算に入れ、予めその費用を見込んで積んで計算しておく。
また、もし給料の足しとして毎月分割して使う場合は、何歳まで使えるのかを計算するなどなど。。

こうやって使い道を決めておくことにより、何億という無限に見えたお金も、限界のある有限の限られた金額であることに気づけるのである。

まあ1億すらを持ったこともない私が言うのも何だが、1億という金額でも使いきれないほど贅沢できる金額ではない。

従って宝くじ当選金予め使い道を考えることによって、当選金額の大きさを掴んでおくことは、いざ当選した際に舞い上がり過ぎないためにも大事なことなのだと思うのである。
宝くじ購入の心得は「当たると思うな、当たらぬと思うな」ということでお金としてアテにしてもいけないが、当たった時のことは考えておくべきなのである。

結婚式と葬式では同じ曲が使える

 先日、人に頼まれて最近亡くなったある方を偲ぶ会のBGMの準備を頼まれた。
 はて、昔日本にいた時に結婚式のBGMはさんざん利用してきたが、葬祭系のBGMは初めてであった。

 まあ葬祭といっても正式な葬式ではなく有志が集まる「お別れ会」であったため、どちらかというと会食中心で宗教色のない会である。

 故に一面おごそかにしながら、湿っぽくなり過ぎず和やかな雰囲気の音楽BGMが必要とされると判断し曲を集めることにした。

 でいろいろライブラリーをひっくり返して選曲していったのだが、実はウェディング用のBGM集CDが結構使えることが判明した。

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 もちろん、結婚行進曲など結婚そのものを表す曲は当然使えないのだが、それ以外の恋愛が歌詞に絡むバラード系の曲というのは、意外にも葬祭系の儀式にも使えることがわかったのである。

 例えば今回利用した曲の中にはMisiaさんの「Eveything」の歌詞無しピアノ演奏版ヴァージョンを含めたのだが、この曲は基本は愛を歌う歌ではあるが、決して甘い歌ではなくどちらかというと遠く離れてしまった相手を想う悲しい曲調であり、その曲調が実は同様にもう会えない故人を偲ぶシーンでも合うように思えたのである。

このほかにも「Let it be」とかいずれもウェディングBGMから何曲かピックアップしたが、いずれもしっくりくるという印象だった。

そのほか冬ソナ(古い!)の「My Memory」のヴァイオリンバージョンや「涙そうそう」の二胡バージョンなどを色々織り交ぜて1時間くらいのBGMを組んだのだが、いずれもウェディングで使ったことのある曲であった。
 (10年前でライブラリー更新が止まっているので新しい曲は入れられなかったが・・・)

 で、実際に本番で曲を流した場面にも立ち会ったのだが、参列者はどう思ったか分からないが私的には非常にマッチングしていい選曲が出来たのではないかという印象だったのである。

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 さて今回どうして結婚式と葬式の曲が共通で使えるのかをいろいろ考えてみたが、私の結論としてはいずれも人生の区切りを示す儀式だからではないかと考えた。
 葬式も結婚式も、本人や周りの人にとっては人生の一区切りのタイミングであり、これまで歩んできた時間を振り返り噛みしめる時間になる。

 そういったシーンにおいて、実は過去を振り返り人を想うと言う意味では、感情の状態は結婚式も葬式も似たような状態なのではないかという気がするのである。

 また感情の高ぶり方も似たようなものがあり、一方は幸せ、一方は悲しみの儀式ではあるが、人を想い感極まる部分があるという意味では同じであり、いずれも人間は涙を流す。

 音楽とは感情を表現するものというのが私の基本的な考え方であり、そういった意味では結婚式も葬式も感情状態としては実は非常に近く、BGMとして共通の曲が使えるということなのだろうかと思う。

 もちろん葬式の場合は事故死など亡くなり方によっては和やかとはいかず、ただただ突然の悲しみに暮れるだけの心理状態の場合もあり、同じようなBGM選曲が通用するのかは分からないのだが、少なくとも共通で使える音楽があるという意外なことを発見し、一つ良い経験になった今回の依頼であった。

上海の天気・空気の悪さは悩ましい

 11月の梅雨空のような毎日からようやく解放され、12月になって晴れ間が見えるようになった。

 

11月28日の上海の空

11月28日の上海の空

当たり前のように見えていた青空が、長い間見えなくなるだけでどうも心は蝕まれていくような印象である。
 毎日の仕事に追われているうちはまだよいが、週末にぽっと空を見上げても灰色の空、遠くを眺めても灰色の空気しか見えないのでは、どこに出かけたくなくなるし、文字どおり心も晴れないのである。
 音楽を聴いたり、おいしいものを食べたりして、何とか心を紛らわせようとしても、やはり青空が見えないというのは辛いことだと初めて知った気がする。

もやがかかる上海市内

もやがかかる上海市内

 私は日本の関東で生まれ育ったので、梅雨時以外は長期間晴れないということはあまりなく、一週間雨続きで太陽が見えなくても心が重くなる。
 今年の上海は夏以降、カンカンに晴れたケースはそれほど多くないと感じており、雨続きの印象である。
 特に11月はひどい印象で、11月3日あたりに晴れた空を携帯電話の写真で撮ったが、それ以降はほとんど晴れた記憶がないのである。

 ようやく、晴れ間が見られるようにあったのはいいが、今度は空気の悪さがなる状況になった。
 いわゆるPM2.5問題で、今行われているCOP21という国際会議でも中国の空気の悪さは世界から指摘されており、今日は79㎍でまだマシな方だが、これでも世界基準の25㎍の3も悪い状況である。
 日によっては200や300がザラであり、上海よりも北京などの北の地域で更に深刻な状況になっている。
 先日もVWが原因の一端ではないかと書いたが、まあ個別の車がどうのこうのというより、中国の車の多さを見れば大気汚染が深刻なのも納得できる状況ではあり、車を減らしたり一台一台を改善しなければ、やはり大気汚染は解決しないと思う。

 もちろんこの国の政府とて、それなりに努力しているという情報は伝わってくるが、実際結果として繋がっているようには思えず、努力の後は見られない。
 空気が悪い場所は、呼吸器系統への影響も懸念がある上に、心理的にも悪影響があるということを是非理解して取り組んでもらいたいものである。