指導教官になった気分

 ここ数か月知り合いの台湾人に対してスカイプを通してみっちり日本語の指導をしている(させられている?)日々が続いている。  しかも、単純な日本語のレッスンというより、大学のゼミのような感じで、日本語の経済に関する本などの Continue Reading →

反体罰時代の「教鞭をとる」

 今日聴いたラジオの中で、何気なく「私は長年教鞭をとっていまして」と言う言葉を耳にした。  どうやらその方は教師をやっていた方の様だったが、私はどうもこの「教鞭をとる」と言う言葉に違和感を感じた。  確かに教師を務める人 Continue Reading →

IPADで医師も教師も削減?

 昨年だったが、中国のどこかの大学の講師が「iPadの無い生徒は授業を受けるな」的な発言をして論議を巻き起こしていたニュースがあったのを思い出した。  この講師は、教育に便利なiPadを理解できない、持たない人はアホだと Continue Reading →

日中の一人前感覚の差

一人前と言ってももちろん食事の差ではない (もちろんこれも大きな差があるが、、、) 職業や仕事の成長レベルや到達度における「一人前」のことである。 どの時点で一人前になったかというのは、つまり人が生きるための自信を得るか Continue Reading →

まばたきと精神状態の関係

 日本の菅首相が会見の中で瞬きを1分間に100回も行い、精神的にパニック状態になっているのではないかとネット上で話題になっている。 確かに、まばたきが多い人は精神的に落ち着きがないように見え、逆に目が据わっているという言 Continue Reading →