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春秋航空に茨城空港から初搭乗 その2(茨城空港内編)

前回のブログの終わりに、茨城空港の2階の食堂でそばを食べてからチェックインに向かったと書いたが、今回「その2」を書くにあたって、写真をチェックしてみると、どうも撮影時間から言えば、私は空港についてまず先にチェックインを済ましていたようである。
(数か月も経つと人間の記憶なんていい加減なものである><)

 で改めてチェックインの時の様子を記すと、茨城空港には春秋航空専用となっているカウンターが4つほどあるのだが、ロビーが非常に狭いため、くねくね折り返しの通路に行列を作って並らばさせられた。

 この「くねくね通路」は日本でもそれなりに見かけるが、中国ではかなり多くの施設の入り口に導入されており、行列のある所には「くねくね通路」ありといった感じで私にとっては中国名物といった印象になっている。

 今回の茨城空港でのくねくね行列も、日本の空港なのに春秋航空という中国キャリア故なのかなとちょっと面食らった光景に映ったのである。

 狭い空間に人が折り返し行列を重ねており、人がごちゃごちゃ溜まっている状態になっていて、日本語や中国語、さらには上海語が飛び交う随分と混沌とした雰囲気である。。

春秋航空のチェックインを待つ列

 またチェックインの窓口と荷物の委託荷物が別であり、実はチェックイン(搭乗券発行)後に、再び行列に並ぶ必要があり、チェックイン待ちの列と委託待ち荷物の列が交差し非常に錯綜した状況になっている。
 で、この委託手続き、預ける荷物だけ重量を計るのかと思いきや、まず委託荷物が計られ、さらに手荷物も載せて全体の重量オーバーが無いことを確認した上で計量パスとなる。

 徹底していると言えば徹底しているが、このタイミングで手荷物から中身を少し抜いて誰かに預けておけばスルーできそうだなぁという気もする。

今度は荷物を預けるための列

 さて、冒頭で訂正した通りこの後に食事をし、その際に航空機の到着を見かけたので搭乗手続きに向かうことになる。
 小さな空港なので安全検査も出国審査も通路は最小限しかなく、それでも人数が少ないのでほとんど詰まることなくスムーズに進む。

茨城空港荷物検査場の入り口

 直線距離で言えば30mも歩けばあっという間に搭乗待合室に到着するので、成田国際空港や上海浦東国際空港など大型空港に慣れた人間からするとちょっと拍子抜けするほど近い。

 待合室は学校の教室より小さいと思われるスペースで、目一杯にベンチが置かれているが、とても搭乗客全員分の数は足りず、立て待っている人も結構いる状況となっていた。

茨城空港の国際線搭乗待合室

茨城空港の国際線搭乗待合室

 この待合室の脇には「永山」という免税店があり、主に中国人たちがお土産に買って帰るためのスペースとなっており、訪日観光の記念になるお菓子から炊飯器などの家電まで、かなり多様なアイテムが所狭しと置かれている。
 やはり第一人気は北海道の石屋製菓の「白い恋人」のようで、他に比べ非常に大きなスペースを占めて置かれている。

茨城空港の免税店「永山」

茨城空港の免税店「永山」

 まあ「白い恋人」が一位を占めてしまうのは致し方ないものの、茨城県や茨城空港を応援する立場から言えばちょっと複雑な気分で、「もっと茨城産頑張れ」という気持ちになる。

 待合室の脇には、申し訳程度の電源設備があり、パソコンでもスマホでも充電できるようにはなっているが、これもまた最小限の設備だけ用意したという感じになっている。
 現時点では国際線の便数も多くないので需要も余り多くないのであろう。

気持ち程度の茨城空港の充電設備

 いよいよ搭乗時間が来て、歩いて航空機へ向かう。
 ご存知の通り茨城空港はボーディングブリッジを設置していないので、ターミナルから航空機まで30mほどを徒歩で移動する。
 天候の悪い日はちょっと辛いが、屋外を歩いて航空機へ向かうのはやはり心地よいものである。

茨城空港の搭乗通路

 中国ならこのタラップ搭乗は珍しくないのだが、そうはいってもバスで駐機場へ行くパターンは多いがターミナルから直接歩いて行くというのは小さな地方空港に行かないと体験できず、日本だとかなり貴重な体験ではないだろうか。
さあ、春秋航空初搭乗である。(続く)

カタカナ代表時代にオリンピックの国旗掲揚はもう不要

 先週からリオオリンピックが始まっているが個人的にはあまり盛り上がっていない。

 まあおおまかな結果程度は、YAHOOのニュースでどんどん報じられるのでそれなりには知っているのだが、どうもそこまで熱くなってはいない。

 寧ろ日本のプロ野球のファイターズの勝敗の方に一喜一憂しているような状態で、オリンピックにはあまり熱くなっていないのだ。

 その一番大きな理由として、テレビ放送を見ていないことが大きい。
 元より日本のテレビを見られるような契約をしていないのだが、中国の放送すら見ていないのである。
 それ故に開会式の中継や映像も全く見てないし、その後の競技もほとんど見てない。

 またブラジルとの時差が(中国と)11時間もあるのも大きい。
 殆どの競技は深夜から朝方にかけて行われるので、とても起きていられないのである。
 それ故に朝起きて、ネットで結果だけをざっと確認するだけのオリンピック観戦となってしまっている。
 
 さて、そんな中で今回のオリンピックでは、日本代表とされる選手たちの質が過去に比べかなり変化していることに気がつく。
 それは何かといえば、選手のボーダレス化である。

 今回の代表選手でやたらカタカナの名前のついた選手、つまり外国人とのハーフ外国人アスリートの活躍が目立つのである。

 昨年のラグビーのワールドカップの時にも既にその兆候は現れており、日本代表と言いながら、リーチマイケル選手とかヘスケス選手とか外国出身の選手やハーフの選手で溢れていたが、今回のオリンピックではさらにその状況が深くなった感がある。

 まずはつい先日柔道90キロ級で金メダルを取ったベイカー茉秋選手で彼はアメリカ人とのハーフである。
 そしてテニスのダニエル太郎選手で彼も国籍は日本だがやはりアメリカ人とのハーフである。

ダニエル太郎選手

ダニエル太郎選手

 さらに現時点で快進撃となっている7人制男子ラグビーもフィジー人2人ニュージーランド人1人が参加している。
 また陸上男子100mのケンブリッジ飛鳥選手と400mのウォルシュジュリアン選手はやはりジャマイカとのハーフであるが日本国籍の日本代表選手である。
 いずれも、日本の学校への留学や両親の血筋の関係で日本代表になったわけであるが、まぁ保守的な古い意識で見てしまえば彼らを日本代表としてしまうことには少々違和感があるだろう。

 しかし、世の中のグローバル化が進むに従って、徐々にかのように人種のボーダレス化が進んでいるのが現実である。

 オリンピック以外でもプロ野球のダルビッシュ有投手のようなハーフアスリートの台頭や、ローラベッキーといった芸能界のハーフタレント活躍がかなり目立って増えてきている。

 こういった時代になってくると、恐らく「オリンピック日本代表」というのは、徐々に日本国籍を有する人の代表ということでしか意味を持たなくなってくることになり、個人の国家への帰属意識とは必ずしも一致しなくなる。

 つまりスポーツ界における国家の存在の有形無実化である。

 先日、今回のオリンピック開催前の日本代表壮行会において、東京オリンピック組織委員会の森喜朗会長が「君が代歌えない選手は日本代表ではない」といった趣旨の発言をしたことが論議を呼んでいたが、こういった代表選手のボーダレス化を見る限りにおいては、どうも時代錯誤ナンセンスな発言のように映った。

 そもそもオリンピックの代表選手に国家の名誉を負わせられるほど、国家は選手を育てているのかという疑問が湧く。

 オリンピックに参加する選手の殆どは、個人でスポンサーを得たり、企業が育てたりしているわけで、国家が費用を出してアスリートを養成しているわけじゃない。
 しかも最終的にオリンピックへ派遣する段階でもその多くはIOCを通じてスポンサーが費用を出しており、国は僅かばかりの補助金を出しているに過ぎない。
 にも関わらず、オリンピック代表選手に日本国家代表の命を追わせるのは少々虫がよすぎると思うのである。

 そして、選手の質と育成状況がこういった時代になってくると、表彰式での国旗掲揚や国歌の演奏も少々白々しい印象にも映ってくる。

 選手がこのようにボーダレス化をし、選手育成が国家の命題ではなくなっているこの時代に、オリンピックにおいて表彰式で国旗と国歌というのはどうも陳腐な印象なのである。

 本来オリンピックとは「個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競争ではない。」とオリンピック憲章に定められている。
 つまり国家は選手取りまとめの役割を担っているに過ぎず、この意味から言えばオリンピック本大会で国旗や国歌を表に出して表彰することが果たして適切なのかという疑問が湧くのである。

 日本のアスリートのボーダレス化やロシアの国家ぐるみドーピング疑惑を受け、そろそろオリンピックの表彰式での国旗の掲揚や国歌の演奏を止めてもいいのではないか、そんな感想を持つようになった今回のリオデジャネイロオリンピックである。

 

日本から中国に輸出された故事成語「天王山の戦い」

 日本語には、古くから中国より漢字などの多くの文化が輸入されてきており、同時に数多くの中国の故事を基にした故事成語(故事成句)なども一緒に流れて込んできている。
 これらは決して歴史の遺物ではなく、現代でも一つの重みをもった言葉として我々の生活の中でも日常よく使われる言葉として残っている。

 その代表的なものとして四面楚歌呉越同舟、或いは臥薪嘗胆などの言葉が挙げられるのではないかと思われ、これらは今でも使われているのは周知のとおりだろう。

 ところが、こういった中国生まれの故事成語に混じって、日本生まれの故事成語が中国に逆輸入されているケースがあることをつい先ほど知った。

 その逆輸入された言葉とは実は「天王山の戦い」という言葉である。

 まあこの言葉は日本人なら誰でも知っているように、戦いの上で勝敗の分かれ目となるポイントを指す言葉であり、戦国時代の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と明智光秀が争った際に、京都府と大阪府の境目にある山崎の天王山を先に取った秀吉が勝ったことに由来する日本発の故事成語である。

 この日本人なら誰でも知っている故事成語であるが、実は中国でも日常的に使われる言葉となっていたようなのである。

 それを見つけたのが、実は先ほどまで見ていたサッカーのドイツブンデスリーガのネット放送であり、バイエルン対ドルトムントの試合のサブタイトルに、「天王山の戦い」と記されていたのである。

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 へぇー、これって日本の故事成語じゃんと思いつつも、ひょっとして中国にも同じような名前の場所で同じような戦いがあったのではないかと思い、百度(バイドゥ)で調べてみた。
 しかし、出ていたのはやはり日本の故事を基にした言葉だという説明で中国に類似した言葉があったわけではないようだった。

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 これは非常に驚くべきことである。

 まず、日本で生まれた故事成語が中国で使われていることが一つの驚きであり、さらにこういった「天王山の戦い」的な同様の意味を持つ言葉が中国の故事成語の中に無かった(残らなかった)ということがとっても驚きなのである。

 言っては悪いが、中国の4000年の歴史なんてほとんどが戦乱の歴史であるからして「天王山」的な存在は過去にもありそうに思える。

 しかし、日本発の故事成語、しかも16世紀末という遥かに遅い時代の言葉が輸入されてまで今まで残っているということは、中国の古代史には天王山に類するものがなかったということになるのではないだろうか?

 懸命に探せば中国の故事に似たような言葉があるかもしれないが、この「天王山の戦い」という言葉が、しっかり中国に逆輸入され中国人が普通に使う言葉になってしまっているということは確かのようである。

 今回日本人の私としては非常に驚く状況を発見してしてしまったようである。

きちんと羽柴秀吉と明智光秀の経過がかかれている。

きちんと羽柴秀吉と明智光秀の経過がかかれている。