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阿久悠さん没後10年に振り返る日本語の歌詞のリズム

 先日、日本のラジオで阿久悠さんの没後10年を機に、彼の業績を振り返る特別番組が放送されていた。

 阿久悠さんと言えば、物凄く幅広い作詞家であり、私のような歌謡曲に比較的疎い者でも知っている曲ばかり作詞している。

 というか、私がカラオケで歌えるレパートリーはほとんど阿久悠さんの作詞と言っても過言でもないほど占有率は高い。
 とくに1970年代から80年代にかけて耳に残っている歌はほとんど阿久悠さんだという気がする。

 6000曲も書いていらっしゃるらしいので、例を挙げるのはキリがないのは分かっているが、それでも敢えて書き出すと、

石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」、ピンクレディの「UFO」や「ペッパー警部」ほかほとんどの歌、都はるみさんの「北の宿から」、西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」、八代亜紀さんの「雨の慕情」、フィンガー5の「学園天国」、和田アキ子さんの「あの鐘を鳴らすのはあなた」、ザタイガースの「色付きの女でいてくれよ」森昌子さんの「せんせい」、森田公一とトップギャランの「青春時代」、河島英伍さんの「時代おくれ」、小林旭さんの「熱き心に」などなどである。

 さらに子供向けの曲でも「宇宙戦艦ヤマト」「ウルトラマンタロウ」「ウルトラマンレオ」「デビルマン」、スポーツでも「地平を駈ける獅子を見た(西武ライオンズ球団歌)」なども詩を書いている。
とても一人の作詞家が作ったとは思えないほど幅が広い。

 世界中に作詞家は大勢いると思うが、一つの国でこんなに多くのヒット曲を飛ばしている例は他にないのではないだろうか?

 阿久悠さんの詩の歌は何でこんなにヒットするのか?

 色んな理由があると思うが、私が分析するところでは、一つ重要なポイントとして阿久悠さんの詩はリズムが良いというのが挙げられる気がしている。

 彼のヒット曲の歌詞を分析すると、ほとんどの歌詞が三五七九の音で区切ることができることがわかる。

 日本には、ご存知の通り古くから俳句や和歌などで七五調などの奇数音のリズムに慣れ親しんでいる文化があり、日本人にはこの七五調のリズムが口ずさみやすいのである。

 例えば「津軽海峡冬景色」は「つがるかいきょう(七音)+ふゆげしき(五音)」で七五調なのである。
 また「きたのやどから」も七音であり、出だしの歌詞も「あなた変わりは、ないですが」も七五調になっている。

 このように、意図的なのか持って生まれたセンスから発生する自然の作詞力なのか分からないが、阿久悠さんの歌詞は七五調のリズムを常に内包しており、故に歌いやすい言葉遣いの歌詞となっている。

 もちろんこの七五調で全ての歌詞が100%構成されているわけではなく、部分的に三音区切りだったり、九音まで伸びている場合があるが、ほとんどが奇数音区切りに落とし込まれている。

 このような七五調にリズムが整えられた歌詞というのは、やはり日本語文化圏にはなじみやすく、それ故にヒットにつながりやすかったのではないかという気がするのである。

 このあたり近年のヒット曲、例えばAKBの歌の歌詞などは完全に七五調から解放されているというか自由になっており、最近の歌詞は四分音符の音に支配されているのか四音や八音が多くなっている。

 これらの曲は、彼女たちのファンには申し訳ないが、音楽のリズムやメロディは良くても 残念ながら歌詞が私の心に入って来にくいものとなっている。

 歌詞の内容自体のジェネレーションギャップももちろんあると思うが、やはり歌詞のリズムに重要な差異があるという気がする。

 阿久悠さんのような七五調の歌詞には一句ごとに言葉の余韻が生まれるが、四音の歌詞にはそれがなく、余韻を生む行間の間が消されてしまっているとでも言おうか、言葉が残らなくなっている気がするのである。

 まあ、現代にヒットしている曲がそういった四音の音を使った歌詞のリズムというならば、時代が余韻を求めていないということになるのだろうか。

 もちろん今の若者の心の音楽が未来にどうなっているかは未来になるのを待つほかないのだが、余韻のない今のヒット曲が何十年か経って今のファン層が歳を経たときに心の中に残っているとはちょっと私には想像しずらいのである。

 阿久悠さんの歌詞が今もなお多くの人が口ずさむというのは単に同時代性ということだけで説明しきれない理由がやはりあるように思えてならないのである。


井村雅代コーチに金メダルを取らせてあげたい

 リオオリンピックが閉幕した。

 小池新東京都知事が赴いて引継ぎ式に参加しただの、安倍首相がマリオの姿などで登場したなど、お祭りが終わったという雰囲気になってしまっているが、まだパラリンピックがあるのに、この雰囲気はどうなのだろうかと思う。

 寧ろ、閉会式や引継ぎ式はパラリンピックが終わった時にやるべきで、このタイミングでやるのは中継ぎ式程度で良く、このままパラリンピックへ流れを繋いでいくべきだと思うのだが、違うだろうか?

 さて、そんな閉会式への不満はさておき、今回のオリンピックにおいて、シンクロナイズドスイミングの日本代表が「チーム」として銅メダルを獲得した。
 シンクロ種目ではこれで「デュエット」と併せて両方の種目で銅メダルを獲得したことになる。

 日本のシンクロ界は直近のオリンピックは低迷時代とされ、「チーム」は2大会連続でメダルを逃し、デュエットも前回はメダルを取れなかったのである。
 しかし一昨年から井村雅代さんがヘッドコーチ(HC)に復帰し、今回チーム・デュエットともに銅メダルを獲得し見事結果を出した。

シンクロ井村雅代HC

シンクロ井村雅代HC(引用元

 さすがメダル請負人の面目躍如といったところで、一時中国のコーチに就任した時は裏切り者扱いされたときもあったが、そういった汚名を払しょくする結果で、彼女によってようやく日本が世界のシンクロ上位国に復帰した感がある。

 井村さんの指導は非常に厳しいことでも知られているが、それは選手にメダルを取らせてあげたいという情熱の裏返しでもあり、愛情に満ちた指導だという気がする。
 まあ自分ならあの練習にはきっと耐えられないと思うが(例え違うスポーツであっても)、モチベーションを刺激する術は天下一品であり、別のことであれば叱咤激励を受けてみたい気がしており、一度会ってみたい存在である。

 さてそんなメダル請負人の名伯楽であるが、残念ながら金メダルには未だ手が届いていない

 シンクロ界ではロシアの壁が非常に高く、今回のリオを含めて目下5連覇中という高い壁になっているのである。
 日本のシンクロ界に長年貢献している井村コーチには是非一度は金メダルを取らせてあげたいと思うのだが、なかなかロシアの壁は高いのである。

 4年に一回しかないオリンピックであり、年齢から言っても今後何回もチャンスがあるわけでもないと考えると、是非次の東京で金メダルを取ってもらいたいという気持ちになる。

 しかしそのためにはロシアの壁を乗り越えなくてはならないのである。

 そこでお節介ながら日本とロシアの差がどこにあるのかと、過去の映像を片っ端からチェックしてみた。
 すると、やはりロシアとは大きな違いがあることに気がついたのである。

 何が違うと感じたかというと、日本とロシアでは拍子の取り方が違うのではないかということ。

 どういうことかというと、日本チームの演技は1、2、3、4とメトロノームでリズムを取るが如く、点と点で拍子を取るため、点から点への移動は非常にキレがあり、スピードもある。
 しかしその代わり、点から点への移動速度はどれも一律であるような印象で、結果として動きのリズムはシャープではあるが悪く言えば単調となり、ポーズの連続のような演技となっていたのである。

 これに対してロシアの演技はポーズからポーズへの移行が滑らかであり、スピードの変化が随所に加えられており、そこが魅せる要素となっていた。

 つまりリズムが点と点で途切れず、連続的につながった動きとなっているような印象なのである。

 例えていうならバイオリンで奏でられるワルツのようなもので、メトロノームで示されたリズムだけでは表現できないリズムの変化がそこにあるのである。

 ここが日本とロシアの差であり、これが単に技術的な差であるのかどうかは、私はシンクロの専門家ではないので分からないが、日本がロシアを上回るためにはこのリズム感の差を埋める必要があるように思えるのである。

 以前「フィギュアスケートと音楽」でも書いたが、シンクロナイズドスイミングは音楽が結果に影響する数少ない競技の一つであり、技術要素以外の音楽的な要素が結果に影響を及ぼす。

 それ故に、オリンピックで今より上を目指すには技術的な要素だけでなく、リズム感的要素を、それも音楽的な要素を身につける必要があるような気がする。
 もし音楽的な感覚を身につければ、ひょっとするとシンクロ競技の最大の目標である演技の同期性も音楽的なリズムで埋められる可能性もある。

 まあ、こんな素人の意見は釈迦に説教かもしれず、そんなこと分かっているよと怒られてしまうかもしれないが、井村HCファンとしては何としても次こそ金メダルを取っていただきたいのである。

上海の太極拳とビッグバンドジャズはよく似合う

 今朝上海市内の某所でコーヒーを飲みながら朝食を摂っていたとき、窓の外で太極拳で体を動かしている老人を中心とした市民の姿を見かけた。

朝太極拳に興じる人たち

 こちらはそれを室内から眺めていたのだが、ちょうどその時、店内では朝にもかかわらずビッグバンドのジャズが流れてきた。

 詳しい曲名はわからなかったが「SING,SING,SING」のような激しいドラムのリズム感のあるビッグバンドの演奏による曲だった。

 その激しい曲を聴きながら、外でゆったりと太極拳で体を動かす人達の姿を見ているとまるで映画のワンシーンを見ているようで凄く気持ちがよかったのである。

 その時「ああやっぱり上海はジャズが似合う街なんだな」と妙に納得してしまった。

 太極拳のゆったりした動作とジャズの激しいリズムは一見(一聴?)不釣り合いにも見えるが、しかし太極拳で体を動かす人たちのいたって真剣な顔と、そのゆったりとした動作の中で非常に集中して体を動かす姿は、見るものに非常に熱いものを伝えて来るという意味では重なるのである。

 それゆえにリズムが違うように見えるものであっても音楽がマッチするのだという気がする。
 まあこれは音楽の表現するものが単なるリズムやメロディではなく、人の心の感情を示すものであるといういい見本かもしれない。
 つまり心の熱さが音楽を示すバロメーターであり、リズムは二の次だということになる。

 そういった意味では、上海が本場ニューオリンズを離れて、アジアのジャズのメッカになっている理由も分からないのでもないのである。

 ジャズのガチャガチャ(と言っては失礼かもしれないが)としたリズムも、上海の人々の言葉や生活のゴチャゴチャ感とマッチするし、見栄っ張りでおしゃれ好き、でもすぐヒートアップして怒り出す気の短さのようなものも、ジャズと非常に合うんじゃないかと思う。

 上海が何故ジャズの似合う街であるか、今日改めてわかったような気がする。