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宝くじ購入の心得、当たると思うな、当たらぬと思うな

先日、ネットで読んだ記事の中に宝くじで高額当選した場合の注意事項なる記事が掲載されていた。
高額当選しても、仕事を辞めるなとか普段の生活を変えてはいけないなどのことが書かれていた。

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中には、高額当選した結果、金銭感覚がマヒして夫婦離婚したり借金をするまで浪費して金銭感覚が改まらなくなったケースまで紹介されていた。
確かに、普段持ち慣れない金額を手にすると気が大きくなり自律意識が狂うというのは理解できる話である。

宝くじは、夢を買うという意味では楽しい行為だが、一方で度を越えた依存をすると人生を破壊する存在でもある。

その理由としてまず購入段階でいえば宝くじが当たりさえすれば人生が良くなるという一発逆転を狙う心理を持つ人も少なくないと思う。
しかし宝くじというのは当たらないと思っていたほうが間違ないほど当たらないので、宝くじの当選やギャンブルの勝利を前提にした金銭計画や人生計画というのは、ほぼ実現しないと言ってもよい絵空事だということを自覚すべきである。

よって、宝くじはリターンがほぼないことを前提として、無理のない範囲で買う姿勢が必要となる。
つまり当選金額に目が眩み、なけなしの金を突っ込んだり生活費を削ったり借金をしてまで宝くじを購入することは、身の破滅を招く危険な行為となるのである。

また、宝くじは大量に買えば当たる確率が上がると思っている人もいるようだが、確かに理論上は僅かに確率が上がるともいえるが、大きな当選を狙うという意味では実質的にはほとんど意味がない。

例えは、年末ジャンボの季節になると、何百枚も買ったなどという話題が時々紹介されるがあれはかなり無駄な行為である。
確かに10枚買うより20枚、20枚より30枚買うほうが確率は上がる。

しかしよく考えてほしい。

 もし仮に1等の当たる確率が、100万分の1であれば、そもそも外れる確率が100万分の99万9999あるということなのである。(2等以下は考慮しないとして)
 従って上記の宝くじを2倍の枚数買ったとしても、外れる確率が100万分の99万9998になるだけで、これを差し引いた当たる確率は実質的にほとんど変わらないのである。

つまり最小単位以上に枚数を増やして買う行動は、確率の上ではほとんど意味のない行為なのである。

では、宝くじ買わないほうがいいか?

宝くじはそもそも「元が取れる取れない」という意味で測れば、胴元が売り上げから利益を抜く仕組みだから、払戻金は絶対全部は還元されない。
極端な話で言えば売られている宝くじを買い占めたとしても損するのである。

つまり宝くじはいくら買い続けても当たらない限りは最終的に損をするものだから買わないほうがいいとなる。
従って損をしたくない人は絶対に買わない方がいい。

ただそうは言っても夢を買うという側面から言えば、将来に夢を持ち生活に希望を与える心理効果もあって、全く無駄な買い物とも言えない面はある。
故に、損を承知なら買うことには意味があると言える。

ただそこで、ちょっと気を付けなければいけないのは「宝くじを買えば当たる可能性がある」ということ。

「当たること」に何故気を付けなければいけないんだと言われるかもしれないが、人間は持ちつけない金額のお金を持つと金銭感覚を狂わすことがあるからである。
金銭感覚が狂うと、冒頭に書いたような悲劇を招くことになってしまう。

ならば、どうするか?

変な話ではあるが、宝くじを買う際は可能な限り当選した時の使い道を概ね決めておくべきだと思っている。

例えば1億という金を手にすれば、あれも買いたいこれも買いたいという欲が出て、気が大きくなって買う必要もないものや、やたら高いものを買って無駄遣いしてしまう可能性がある。

これを事前に防ぐため、買いたいものを予め片っ端からリストアップし、本当に必要なものに絞って価格調査をして当選金を振り分け予算を決めておくのである。

例えばもし、そのリストに家などの不動産が入るなら購入後に未来に渡って毎年かかる固定資産税や修繕費なども計算に入れ、予めその費用を見込んで積んで計算しておく。
また、もし給料の足しとして毎月分割して使う場合は、何歳まで使えるのかを計算するなどなど。。

こうやって使い道を決めておくことにより、何億という無限に見えたお金も、限界のある有限の限られた金額であることに気づけるのである。

まあ1億すらを持ったこともない私が言うのも何だが、1億という金額でも使いきれないほど贅沢できる金額ではない。

従って宝くじ当選金予め使い道を考えることによって、当選金額の大きさを掴んでおくことは、いざ当選した際に舞い上がり過ぎないためにも大事なことなのだと思うのである。
宝くじ購入の心得は「当たると思うな、当たらぬと思うな」ということでお金としてアテにしてもいけないが、当たった時のことは考えておくべきなのである。


カンパニーの語源

 昨年の話になるが、久米宏さんのラジオ番組で「カンパニー(company)=会社」の語源の話をしていた。

 それによると、カンパニーの語源というのは「com=一緒」と「pan=食べるパン」という言葉が合わさったもので、パンを食べるためのお金を一緒に稼ぐための組織が「カンパニー」ということになるらしい。

 つまり、会社で働く者はある意味運命共同体の意味を持ち、一緒でなければ「パン」をお互い食べられないという意味を含んでいる。

写真はイメージ

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 実はコンパニオンという言葉も語源が一緒らしいが、何故コンパニオンという言葉が現在のような接客業の女性を指すようになったのかはよくわからないがやはりそういった「食べる」ための組織を意味しているという。

 こういった意味から考えると、中国の会社のように一人のラオパンがふんぞり返って従業員をこき使うよう組織形態は、会社とは言えてもおよそカンパニーとは言えないようだ。あまりにも収入の格差と権限の差が大きすぎるからだ。

 つまり近代的なカンパニーとは、社長からヒラまで、立場や責任の重さ、賃金の額に差はあっても、それはあくまでもロールプレイング(役割演技)として相対的なものであり、中国のような絶対的な権力の差ではなく、カンパニーとしての運命共同体的意味は変わらないというものである。
 そういった意味で、近代的なカンパニーにおいて資本家と労働者は相対的な意味でしかないということにもなる。

 ちなみに「会社」という日本語は単なる人の集まった組織という意味が本来の語源のようで、必ずしも経済単位としての企業を指すものではなかったらしい。

 さて、こういったカンパニーは「パンを食べるため」の組織であるからして、お互いにパンを食べるという同じ意識をもっているのが普通で、そこに同じ意識を持っていない人間が紛れ込めば、カンパニーがカンパニーとして機能しないのは自明の理であり、パンは食べられなくなるのが人の世の常である。

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 明日のパンを食べるためにカンパニーとして仕事をする。カンパニーの誰かがサボったら明日からパンが食べられなくなる。

 つまりは死んでしまう。

  当たり前のことなのに実は理解していない人がいることに最近驚かされる。