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天皇陛下の思い出

 退位のタイミングが間もなくに迫ってきた今上天皇陛下であるが、かつてこの現在の天皇陛下を実際に見かけたことがある。

 それも新年の一般参賀のようなタイミングではなく、もちろん防弾ガラス越しでもない状況で、素の陛下を見かけた。

 それは1996年10月7日の東京上野の東京文化会館の出来事。

東京文化会館前(こちらの演奏家は本文とは直接関係ありません)

 その日は東京都交響楽団の定期演奏会の日であり、故朝比奈隆氏指揮によるブルックナー交響曲第5番が演奏される予定になっていて、私はそれを鑑賞する予定になっていた。

たぶんその日も私はいつも通り会場には1時間前には着いていたと思うが、ついた時点からどうも会場の雰囲気が物々しかった。
やたら警備員というか警官の数が多いのである。

ああ、ひょっとすると外国の要人でも来るのかなとその時は思った。
 クラシックの演奏会では時々ある話で、どこどこの国の皇太子とかが来日の記念に演奏会へ顔を出すことはあり、今回もそれかなと思ったのである。

 そして会場に入り席について開演を待っていた時のことである。

 通常はオケのメンバーが配置についた後、チューニングが行われ指揮者が入場してくる番なのだが、突然2階席にパーッとフラッシュが焚かれ明るくなった。

 その時なんと、天皇陛下と皇后陛下のご夫妻が入場なされたのである。

「おお、天皇陛下だ!」

 生の天皇陛下ご夫妻を初めて見たという驚きとともに、その荘厳な雰囲気に衝撃を受けた。

 ひょっとしてあの時の眩しさはフラッシュではなくスポットライトだったのかもしれないがお二人の姿がまるで後光が差すというか光輝いているかのごとく眩しく見えたのである。

 会場全体で万雷の拍手でお二人を迎えていたというのも手伝ったかもしれない。 

私はそもそも天皇主義者でも崇拝者でもなかったのだが、この時は日本の象徴として君臨されている方はかくも神々しい雰囲気があるのかと驚いたのである。

 そして両陛下は会場の聴衆に向けて例の片手をあげたポーズで挨拶をした後に着席された。
お二人が着席された後、会場は何とも言えぬ緊張感に包まれており、その状態でマエストロ朝比奈隆氏の登場を待ったのである。
そして朝比奈氏が登場すると、会場は普段より緊張感に支配された堅い感じの印象の拍手でマエストロは迎えられた。
もちろんマエストロは陛下の鑑賞は知らされているわけで、ステージ中央に立つと陛下の座られている席に深く一礼した。
そしてすぐにオーケストラに向かい合った。

いかに百戦錬磨のマエストロとは言え、陛下を迎えての演奏は緊張感もただならぬものがあるだろうし、明治生まれのマエストロにとっては陛下という存在は戦後生まれの私とは比べものにならないほど崇高なものであっただろう。
その緊張感がマエストロの背中から伝わってくる印象なのである。

そしてピーンと静かに張りつめた会場の空気の中、ブルックナーの5番の冒頭のチェロと弦バスによるピチカートが非常にゆったり、ズン、ズン、ズンと重々しくスタートした。
指揮者によってはもっと柔らかく鳴らす場合もあるこの部分だが、こんなに引き締まった始まり方は初めてだった。
もちろん、それはマエストロの音楽的特徴でもあったのだが、陛下の存在が余計に音楽を引き締まらせ、緊張感の高い音楽にしていたような印象だった。

その緊張感はこちらにも伝わり、聴く側に緊張感と集中力を要求してくる。
その緊張感の中、音楽は非常にゆったりと濃く前へ進んでいく。

そもそもブルックナーの交響曲第5番は演奏時間が1時間を超える長丁場であり、それを極度に緊張感の高い状態でゆっくり演奏されたのでこちらも体力をかなり消耗したのを覚えている。

覚えているというか、眠りこそしなかったが演奏が終わった時に疲れ切っていたのを覚えている。
演奏は集中し聴いていたが、どうやら高い緊張感のあまり集中力がスタミナ切れしていたかもしれない。

そしてこちらが聴き終えて疲れきった状態の中、両陛下が挨拶をしながら拍手に送られながら退席されたことは何となく覚えているが、入場時のような鮮烈な記憶は残念ながら残ってないのである。

その後朝比奈氏を何度もカーテンコールで呼び出すことは当時の慣例となっていたが、あの時のマエストロの顔には責任を遂げたような安堵感があったような気がする。

 兎にも角にも、これが天皇陛下をテレビ以外で見かけた唯一無二の体験であり、今も記憶に残っている天皇陛下の思い出である。

上海は東京より気圧が低いようだ

 天気予報を見ると、どうやらまた台風が上海に向かってきている。

 ここ一か月ほどで3~4個の台風がやってきており、ほぼ毎週のように台風の進路に気を配る状況が続いている。
 また台風の接近により、気圧も下がってきているようで、私の体調も何となく下降気味でテンションが上がらない。

 気になって中国の気象サイトをチェックすると、既に1000hPaを切っており、900hPa台になっているようだった。
 予想通りの低気圧状態である。

 ところで、これらの気象情報をみていて気付いたのだが、上海の過去1週間の気圧はずっと1000hPa前後を推移しており、最も高い時でも1005hPa程度で、1010hPaには届かない状況となっている。

 はて、これは低いなと思い東京の状態を調べてみると、時折1010hPaを切るときもあるが、概ね1010hPaを超える状況だった。

 ただこれは台風の影響などを含んだ短期のデータの比較なので、これを持って何かを判断することはできないと思い、さらにデータを調べてみた。
 そうすると、東京の気圧は夏場こそ月の平均気圧が1010hPaを割り込むが、総じて1010hPaを超えており、過去30年の海抜換算の年間平均気圧は1013hPaとなっていた。
 これに対して上海は、、、実は中国は、気圧のデータ自体が得にくく、気温や湿度が精いっぱいで、気圧データは探すのに苦労した。
 それでも、何とか見つけたデータによると、海抜気圧ではなく地上気圧のデータだが上海の平均気圧が1005hPa程度であることが分かった。
(上海の高度は海抜4.2mなので影響は少ないと判断する)

 つまり、東京より年間平均7~8hPaほど低いようなのである。

 たかが7~8hPaではあるが、されど気圧が低いのは事実であり気圧が低いと体調に影響する人にとっては見逃せない差である。
 まぁ医学的には低気圧による頭痛の発症などは証明されていないようだが、影響を感じている人は世の中に少なからずおり、一応頭に入れておいてもよい情報だと思われる。

 ちなみに中国の都市は、内陸部に行くほど海抜高度の高い都市が多く、例えば有名な西安などは海抜約400mで、地上平均気圧が959hPaとデータにはあったので、中くらいの台風並みの気圧の低さということになる。
 気圧の低さは高度によるものなので気圧が台風並みだからといって、暴風に悩まされることはないが、低気圧に弱い方が旅行に行かれる場合は一応注意されたほうが良いであろう。
 健康を左右する隠れた因子の気圧にはちょっと気を付けたい。

ようやく開通する東京外かく環状線

今日、東京の外かく環状線(外環)の千葉区間(三郷南~高谷JCT間)がようやく開通する見込みになった。
私が生まれる前の1969年の都市計画決定から実に約50年を経てのようやく開通となる。

地図が好きな私はそれこそ物心ついた時から、地図を眺め、常磐自動車道の最初の区間の開通から三郷で接続する外環の開通を心待ちにしていた。

私の高校の時の自由研究のテーマも、高速道路のランプやインターチェンジについてであり、当時日本一大きいと言われた三郷JCTの複雑な形状を何度も何度も手書きで再現して、楽しんだりしていた。

さらに手元で楽しむだけでなく、休みの日には地元から自転車を飛ばして現地まで三郷JCTを見学しに行ったこともあった。

そのくらい建設を楽しみにしていた外環であったが、埼玉区間が1992年に開通して以降、全く進む様子が見えなかった。

特に外環の千葉区間に関しては計画発表以来、松戸市や市川市の住民の反対が激しく、待てども待てども計画が全く進まない状況になっていた。

そしてその後地元からルート変更案が提案されるなど、かなりの紆余曲折を経て、結局は当初の高架案から掘割スリット方式に変更され、開口部以外は植樹されるなど環境に配慮した街路整備が行われることで建設が進むことになった。

しかし、建設計画変更でようやく整備が進められるようになったが、それでもまだ10年以上も開通がいつになるか分からないような速度でモタモタ整備をやっていた気がする。

 私は就職した後の頃、既に運転免許を取っていたので、何度も建設予定地の周りを見学しに行ったことがあるが、なかなか遅遅として進まない雰囲気だった。

 結局開通に向けての最後の後押しになったのは、震災復興の大義名分のもとに、東京オリンピックの開催決定であった気がする。

 つまり、オリンピック開催時に東京都心への流入を回避しつつ、成田からの首都圏各地への移動手段を確保する意味で、この外環の千葉区間は重要になったのである。

具体的には、東関東自動車から直接繋がる東京の湾岸部にはオリンピック会場が集中しており、このエリアに通過交通が流入することを避けるため、高谷JCTから首都圏北部に交通量を逃すことは非常に意味があり、必要な路線になったのだろう。

また埼玉スーパーアリーナや、埼玉スタジアムなど都外の会場も外環沿線にあり、都心を通過せず成田から交通を流すことが可能になる。
 つまり、今回の外環の千葉区間の開通は、東京オリンピックに向け成田空港方面と首都圏北部や放射高速道路との連絡手段を向上するために、完成が促進されたのだと思う。

2020東京五輪会場と外環開通区間
引用元

まあ事情はともあれ、計画発表から50年を経てようやく開通の日を迎えた外環建設の歴史を見渡すと、自分の人生を振り返るようで感慨深いものがある。

今は上海にいるので、しばらくこの区間を走る予定は当面ないが、日本に戻った時に開通区間を確認しに行こうと思っている。

まずは開通おめでとう!