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人生は休日の過ごし方で変わる。

 先日惜しくも準決勝で敗退してしまったWBCの侍ジャパンであるが、一部の選手や首脳陣たちの休日やオフ時間の過ごし方に批判的な記事があったのを見つけた。

 一部の選手たちが休日返上で練習を行なっている傍らで、監督が映画館で映画を観ていたとかコーチが関係ないイベントに参加していたとか、選手たちが夜遊びにうつつを抜かしていた云々の記事である。

 まあ休日であったりオフの時間帯であった模様だから、拘束される義務のない時間帯の出来事であり、基本的にはその時間をどう過ごそうと個人の自由であって法律に違反するような行為でなければ非難することはできないと思う。

 ただ休日に何をしてもいいと言っても、野球と全くない行動をしていた姿は応援する側から見れば期待外れの姿だったことは否めない。

 もちろん、体を休めたりリラックスするための気分転換の日や時間は必要だと思うが、1年もの長丁場の中の1日だったのならともかく、たかが1ケ月程度の合宿から本番までの日程で、しかも本番直前の大事な時期に目先のこととは全く関係ない時間の過ごし方は、目標に対する熱意がなく、参加そのものが彼らにとって義務で仕事だったというようにしか見えない印象となる。

 まあ義務でもなんでも協力してくれたわけだから彼らを責めることはできないものの、目標に対する熱心さに欠ける姿を感じ敗退の結果以上に失望を感じたのは私だけではないだろう。

 もし目標に対する熱意を持って参加していたなら集団での行動は休日であったとしても、集団に拘束されていない時間だからこそできる目標のための行動は幾らでもあっただろうに思う。

 引き合いに出して申し訳ないが、元中日の落合監督や日ハムの栗山監督などは休日でさえ野球のことから頭から離れず、どうやったら勝てるかそればかりを考えていたという。
 時には休日を返上して選手の練習に付き合うようなこともあったというから、これらに比べると今回の首脳陣の目先の目標に対する熱意が、彼らほどに感じられないのは確かである。

 今回のWBC参加に際して色んなごたごたがあって、時間的不足が生じていたことは仕方ないにしても、熱意を持って行動していれば十分対応できたと思うし、休日の過ごし方も変わってきたと思われ、今回その熱意が見えずに結果的にあのように敗退してしまったのはやはり必然なのかなと思われる。

 振り返って我々のことを考えると、休日の過ごし方というのはやはりとても大事である。
 
 平日にたまった疲れを取るのも大事な役割であるし、精神的にリラックスする時間を確保し平日にバリバリ仕事をするための鋭気を養うという過ごし方もある。
 また趣味を追及したり、仕事以外の人的交流を深めるというのは平日にはなかか出来ないことであり休日ならではのプラスアルファである。

写真はイメージ

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 仕事を平日の出勤時間で完結させようとする人に有能な人はまずいないと言っていいし、趣味の知識や好奇心、人とのつながりなどを仕事へ活かしている人ほど仕事でも活躍している。 そういう人はやはり休日をうまくつかっており、仕事へ繋げると言っても決して平日の延長の仕事で潰されるだけではない時間の過ごし方をしている。
 もちろん寝て過ごす休みだって、眠り方一つで平日の鋭気は違うだろう。

 子供たちや学生だって学校の勉強をしているだけでは社会で通用する人間には絶対になれないわけで、放課後や休日に遊んだりアルバイトをしているうちに社会で生きる術を身に着けるのである。

 もちろん平日は生活の基礎になるわけだからその過ごし方が重要であることは言わずもがななのだが、人としての価値や個性のプラスアルファを決めるのはやはり休日である気がする。

 人は休日の過ごし方ひとつで人生のその先が変わってくるように思われるのである。

 原文

豆乳に見るコスト感覚

 昨日の豆乳の件で思い出したが、かつて中国かぶれになってしまった知り合いが豆乳は原材料費に1元もかかっていないから、街中で豆乳を1元とか2元とかで買うのは馬鹿馬鹿しく、自分で機械を買って自分で作っているという話を思い出した。
 
そのとき私は

「はぁ?」

と思ったが、あまりにも力説するのでその時はその人に何も言わず黙って聞いていた。

 しかしである。

 もしその人の言うとおりに豆乳の原材料費が1元に満たないのだとしても、その人が手間をかける分のコストは幾らだというのだろうか?

 恐らく安く見積もっても日本人なら1時間50元は下るまい。

写真はイメージ

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 仮に豆乳を作るのに30分かかったとしたら、1時間50元の人間が取り組めばコストは25元かかることになるが、豆乳はまあ30分では作れないだろう。

 豆乳は、豆を購入するところからはじまり、豆を水に浸し・煮て・絞るなどかなりの手間暇をかけないと豆乳は作れないのである。

 つまりおおよそどんなに頑張って見ても、作り始めから飲める状態になるまで丸一日以上かかるし、作業にかかる時間だけに絞ってもとても30分では作れまい。

 さらに細かいコストを言えば、水代、電気代、ガス代などがこの間、僅かだが少しずつ上乗せされる。

 こうやって考えていけば、家庭で作る規模の場合は豆乳1杯あたり1元以下で抑えることはほぼ不可能であり、工場製の街で売っているものを下回ることはまず無理であろう。

 もちろん毎日家族で飲むからということで、家で作りたいという気持ちも分からないではないが、それは安全上など別の理由によるものや趣味的思考の問題であって、少なくとも豆乳に関してコストを理由に自家製にするのはちょっと説得力が無いことになる。

 またコスト面で直接の出ゼニを抑えることからメリットがあるんだといった理屈も有り得なくはないが、その人が豆乳を作らずに他の事に時間を使えば得られるはずだった対価を考えれば、やはり自分で豆乳を作るという行為はコスト的におトクとは言えず、結局は趣味的な問題に帰結してしまう。

 実はこういうコスト感覚に勘違いをしているおじさんやおばさんは世の中に少なくない。

 僅かな出費をケチるために膨大な時間を使って懸命な作業を行い、市販されているものやサービスと同様の結果を得て満足しているような人たちである。

 豆乳に限らず内装や家庭菜園など自分でやれば出ゼニを抑えることができることは少なくないが、そのためにどれだけの時間コストがかかり、その時間の分だけ何かが犠牲になっている可能性があるにも関わらず、その人たちは出ゼニを抑えた差額の分だけ「トクをした」と喜んでいるのである。

 まあ私はそのことを直接非難する気はないが、その努力は決してコストのためではなく本人の自己満足の世界でしかないことに是非自分で気が付いて欲しいのである。

 自分にも他人にも時間コストがかかっているはずなのに、人は意外とそれを忘れがちなのである。

原文