Tag Archives: 感覚

上海のコンサートの19時半開始の習慣はありがたい。

 上海でのクラシックのコンサートなどエンタメ系の夜の公演は、たいてい19時半開始になっていて日本より遅い。
 これは非常に利用しやすい時間だと感じている。

 日本のコンサートや演劇の類は、平日の夜の公演は大半が19時開始の慣習になっている。

 まあ土曜日など週末は昼の14時や18時開始の公演などもあり、プロ野球のナイターなどは18時開始が多いが、コンサート系の平日夜公演はやはり19時開始である。
 これらは恐らくいずれも帰宅する時間を意識した時間設定と思われ、およそ21時に終了することを目安に開始時間が設定されていると推測される。

 しかし聴衆・観衆にとっては、19時開始に合わせて出かけようとする場合、18時定時の仕事だと会社を慌てて出ても60分しかないことになる。

 まあ駆けつけるだけなら60分あれば、山手線周辺から都内の主要コンサートホールや劇場などは何とか間に合うようにたどり着ける。

 しかし、出来ることならサンドウィッチの一つでもお腹に入れた状態で、開演15分前にはホールに入って着席したいのだが、18時からの移動ではとてもそこまで余裕は持てないはずである。

 以前に日本時代に働いていた会社は17時半終業であったため、かなり余裕をもって何れの会場に到着することができたが、もし18時終業の会社であったなら、なかなか難しかったのではないかという気がする。

 これに対して上海のように19時半開始ならプラス30分の余裕がある。

 コンサートによっては上海交響楽団のように20時開始に設定されている場合もある。

上海交響楽団ホールの客席

上海交響楽団ホールの客席

 いずれにしても上海中心部での職場なら、18時の定時で仕事を終了することができれば、移動と軽食の時間を考慮しても開演には何とか間に合わせることができる。

 まあ今の私の仕事は17時には会社を出られるので、いずれの時間でも間に合うタイミングで駆けつけることができるのだが、もし仕事終了が18時であったとしても19時半なら十分間に合うのである。

 ただ開演が遅いと逆に心配になるのが、終演後の帰宅の足である。

コンサートなどはおよそ2時間を目安にプログラムが組まれているので、平均21時半終了、或いは22時までとなる。

 上海市の場合はもし22時が終演になったとしても、地下鉄の足は一応確保されており、大よその地下鉄路線の終点駅まではたどり着くことができる。
 すべての地点を検証したわけではないが、地下鉄は22時30分に最終列車が始発駅を出発するようにダイヤが組まれているので、よほど遠くなければなんとか帰れるはずである。

 また最悪途中でタクシーを利用せざるを得なくなっても、タクシー料金を考えれば、東京に比べそれほどひどい出費が必要になるわけではないし、深夜バスが走っている区間もあり、それなりに足はある。

 そういった意味では上海での音楽鑑賞環境は東京に比べ恵まれていると言える。
 もちろん聴衆マナーを含めて考えると本当に良い環境であるかは疑問符が付くのだが、昼間の労働者が勤務後にエンタメを楽しむためには非常に嬉しい時間設定の習慣とも言える。

 この上海の状況に比べると実は日本の東京などのエンタメ環境は、それほど洗練されているとも言えないということになる。
 19時開始では都心の劇場やコンサートホールの夜公演はその周辺で働いている方か、勤務終了時間が早いなど時間が比較的自由になる人しか利用できない状況になっているからである。

 まあプロ野球など、遅れて入場しても問題なく観戦しながらお弁当が食べられるような環境の催し物の場合は、18時や19時開始でも良いかもしれないが、コンサートや舞台は最初から楽しみたいのが当然なのであり、遅れたくなく、その設定として19時開始はちょっと苦しいのである。
 
 特に私のようにコンサート通いを趣味にしたい者にとっては、コンサートのたびに会社を休めないので、30分遅くスタートしてくれる上海の環境は意外と美味しいということになる。
 最初はこの30分遅い時間設定にやや違和感を感じていたのだが、今となっては恵まれていたのだなと感じる今日このごろである。
 東京も出来れば、開演時間がもう少し遅い時間になると嬉しいのだが、出演する側の拘束時間や観客などの帰宅の足を考えると、なかなかこの習慣を変えるのは難しいのかもしれない。
 日本の場合は法律で22時以降は残業代の深夜割り増しの対象になるので、劇場従業員のコストアップとなることもその要因だろう。

 ところで余談だが、上海の日本人コミュニティの宴会の開始時間もやはり19時開始に設定されていることが多い。

 やはりこれも日本人的時間感覚の習慣の現れという気がしており、18時終業後に移動して駆けつけるのにちょうどよい時間なのでそうなっているのだと思われる。
 そして飲み放題の時間制限も2時間などという枠が多く、19時から21時までが結局宴会のコアタイムとなる。

このように我々日本人の日勤者にとって19時スタート21時終了というのは夜のエンタメタイムとして染み付いた時間感覚であるようで、中国人たちがそうでないリズムであることを見せられて初めてその特異性に気付かされるのである。

寒さ冷たさは鈍感になるから危険

日本でも大雪だの寒波だので冷え込んでいるニュースが伝わっているが、この中国でも全国的に寒波が広がり、この週末は上海市内でもなんと氷点下9度を記録した。

 街中の水たまりの凍結は無論のこと、各住宅でも水道が凍結などの被害が出ているようだ。
 もともと寒さにあまり備えの少ない上海であり、「上海にストーブ文化がなく、室内でも服を脱がない」ことは以前書いた通りで、想定以上の寒さに襲われると脆いのが上海という街のようだ。

 
 ところで、このような寒さに遭遇した時に、気をつけなければならないことがある。

 それは、人間の皮膚の感覚というのは、気温が下がれば下がるほど痛みを感じるのではなく、感覚が鈍くなるのだということ。

 どういうことかと言えば、実は-10℃であろうが、-20℃であろうが皮膚が瞬間的に直接感じる痛みのような感覚にはあまり差がないのであり、冷やされる速度が違うことによる鈍感になる時間の差として現れるだけだということ。

 それ故に、寒さを一旦我慢すれば、低温の屋外で行動を続けていても皮膚感覚的には冷えているという感覚無しに行動出来てしまうのであり、肉体の冷えを忘れてしまうことになる。

 しかしこれが危険である。

 低温の中で肉体を動かしているうちは身体が動くので体温低下に気がつかないのだが、それは温度に対する感覚が鈍っているだけで、体温は確実に下がっていく。
 で、体温がある一定程度まで下がると、突然動かなくなるのであり、その時になって初めて体の主は体温の低下に気づくのである。

 私もかつて冬の中国東北部に行ったとき、-15℃くらいの環境の中で平気なつもりで歩き回っていたら、突然腿がつって、その場から動けなくなったことがあった。

 足が動かなくなるほど体が冷えているというのに、感覚が鈍っていて気がつかなかったのである。

 幸いその時は街中だったので、すぐに暖房の効いた屋内に足を引きずりながら逃げ込んだので事なきを得たが、これが人里離れた山中や郊外の誰も通らないような場所だったら生命の危機だった可能性がある。

 寒さに慣れない地域の人間が、下手にやせ我慢をして寒い中行動を続けると、思わぬ危機に陥ることもあるので、皆さんもぜひ注意していただきたい。

5年前の東北旅行の写真

5年前の東北旅行の写真

落合博満さんの名言

 先日、落合博満元中日監督の名言を集めたサイトを見つけた。

 落合さんは、現役時代も監督時代も一癖も二癖もある雰囲気で、その独特の考え方などから「俺流」などと評されもしたが、考え抜かれた意識から出て来る言葉は非常に含蓄があり、惹きつけられるものがある。

 その中で気に入っているのが下記の言葉である。

「最も厄介なのは、言葉は悪いが、感覚や時の勢いだけで物事に取り組む人だ。そんな勢いは決して長続きしないことを覚えていてほしい。 」

掲載元

 世の中に流行やマスコミの言葉に流されて、呪文の如く耳あたりのよい流行語を語る人が時々おり、例えば「IT」や「イノベーション」などという言葉を中身もロクに理解していないのやたら振り回し、地に足がつかないような方々である。

 聞きかじった流行語でバーンとアドバルーンを上げるはいいが、中身が無い為一つの物に成立させることも出来ずに終わってしまったり、始めたとしてもきちんとした理念や目標に向かって行動する意識や、忍耐力が無い為に途中で飽きて尻すぼみになり、結局は周りの人に尻拭いをさせるような場合が多いのである。

 そんな人を見た時、この落合さんの言葉はぐっと腑に落ちる。

 感覚や時の勢いだけで物事に取り組むというのは、表面的な完成形だけしか見えておらず、継続性に対する覚悟や意識もないため、結局耐え切れず長続きしないのだろうに思う。

 どんな些細な事でも、一つのことを成し得るには勢いだけでは目標に到達できるわけではない、落合さんのこの言葉はそう言いたかったのではないかと私は思っている。

上海にいると人命への尊厳がマヒする

 先日の京都祇園の事故は大騒ぎだったが、今日またもや京都で無免許運転の車が小学生の列に突っ込むという痛ましい事故が起きた。

 しかし、ほぼ時を同じくして上海近郊でも13人もの人が亡くなるバス事故が起きている。

 実は中国にいると日本以上に凄惨な事故で人が死んでいるニュースが毎日のように流れる。

 本来は死んだ人の人数で事故の大小を騒いではいけないはずだが、中国の事故のように死亡者の数が2ケタの人数になる事故が日常になってしまうと、どうも日本の交通事故は死者数を見ても大きくない事故に見えてしまう時がある。

 しかし死者の数が何人であろうが人が死ぬということは重大な事態であり、周囲の者にとっては身を切られるより辛い事である。

 故にそういった身の回りの人間を失う立場を想像すれば、死んだ人数の多い少ないなど言ってられないはずなのだが、中国にいるとどうもその感覚がマヒしがちになる。

 しかもそれは長く居ればいるほど深刻になるようで、意識的に心をキープしないとどうも人の死にマヒし全く反応しなくなる場合もあるようだ。

 例えば昨年温州で起きた列車事故でも多数の人間が亡くなったが、事故当日のある中国が長い人のブログには、壊れた新幹線車両の姿が惨めだという感想や日中の列車の責任争いや事故原因の分析などがつらつらと書かれていたが、結局車両や鉄道についての文章に終始し、あの映像からすぐ想像できるそこで犠牲になったであろう人間への配慮が全くなかったのである。

 あれくらい凄惨な事故であれば普通の日本人は人の命にまず配慮が行くはずだと思えるが、中国に長いその人は人の命に対する感覚がやはりマヒしているようで、犠牲者や乗客に対する配慮の言葉が一文も現れなかったのである。

 つまり中国に長く居続け、数多い悲惨なニュースの中にいるとそういった配慮を忘れるくらい人の命への尊厳がマヒした人間になってしまう可能性があるのである。

 そういう人の命の重さを忘れた人の心を知ってしまうと人として非常に悔しい思いでいっぱいになる。

 まあ中国では悲惨なニュースが多すぎるため、日々のニュースに心を痛めすぎても暮らし続けるのは大変だが、そうは言っても人の命への尊厳がマヒするような人間にはなりたくないので、長くここに滞在したいと思うなら意識的に心を保って過ごす必要があるかもしれない。

 まずは京都の2つの事故と中国の今回の事故の犠牲者の冥福をお祈りするとともに負傷者の1日も早い回復をお祈りします。

商売人感覚の欠如

先日、JALの会長に就任した<稲盛和夫会長さんが「社内に商売人感覚や企業家精神をもった人があまりに少ない」と指摘(MSNニュースより引用)>していた。

商売人感覚、つまり物事の採算を考えて判断するということである。

 まあJALに関していえば、そういう人間が幹部に大勢いたならば、今回のような事態は引き起さなかったであろうから、特段驚くべきことではない。

 現に航空不況と言われながらANAに関しては何とか持ちこたえている状況を見れば、危機を回避できる手段はあったはずなのである。

 しかし残念ながらJALは民間会社とはいうものの国策会社として半民半官のような状態で運営が行なわれ、政治的な意思で地方の赤字路線を背負わされてきた歴史がありその結果今回の状況を招いたので、このことに関してJALだけを責めることはできない。

 故にこの会社に普通の民間会社のような商売人感覚が育つような土壌があったとは到底思えず、というかそういう商売人感覚を持った人がいれば、政治国策の押し付けは断っていただろうが、断れないのがこの会社の根本であり、社内で下手に商売人の理論を振りかざせば居心地が悪くなる社内体質であろうという状況は想像に難くない。
 
 まあJALのみならず、日本の官僚の中に商売人感覚を持った人間が少ないのは、先日の「予算仕分け作業」でぞろぞろ出てきた訳の分からない事業を見ればよく分かる。よくこんなことにお金を使おうとしていたなぁというくらい訳のわからないことにお金を使っている。

 しかも彼ら官僚は、国の教育制度の中で優秀とされている大学を卒業し、難しい試験を突破してきたエリートのはずである。その教育エリートであるはずの官僚が行なう施策に商売人感覚が欠如するのは、つまり日本の教育システムの中に商売人感覚を育てる部分が欠如していると言い換えることができる。

 これはよく考えてみれば不思議な部分で、自立するための技術を身につけるべき教育の中に商売人感覚を育てる部分がないのは教育の欠陥といっても良いかもしれない。

 もちろん子供の頃からあまりお金に細かい人間になってしまうのも考え物だが、大人になっても採算を考えての行動できなければ、会社や生活が破綻し路頭に迷うだけである。

 現に優秀な官僚が統治してきたはずの日本の国家財政が破綻寸前で青色吐息であるのは周知の事実である。

 まあ、これがどこかの党が主張するように政治主導でよくなるのかといえば、なんともいえない部分であるが、今のままではJALどころか日本が破綻するのは時間の問題ともいえる。

 JALの現状は残念としか言い様がないが、個人的には思い入れのある会社なので、商売人の感覚を取り入れて再建に向けてぜひ頑張ってもらいたいものである。