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中華圏では台湾と大陸の芸能人は区別されないようだ

 普段からあまり芸能界に特別な興味を持っていない私だが、さすがに滞在期間が8年を超えてくると、時々見かけるCMなどで、ごく一部のトップクラスの俳優や女優、モデルの名前と顔くらいは覚えるようになった。

 そこで気がついたのは、これらの中国の俳優やモデルの中に台湾や香港出身の人がかなり含まれていたとのこと。

 まあ同じ中国語圏であるということもあってか、その辺の区別と言うか垣根はあまりないようである。
 もちろん、出身が違うという事は戸籍が違うので、何もかも全く同じという事もないのかもしれないが、少なくとも画面を通して見る存在としては、そんな垣根が存在しないように映る。

 例えば中国の国民スターのジャッキーチェン(成龍)さんは香港であり、林志玲さんは台湾であるが、普通に大陸のCMなどに出ている。
 故テレサテンさんも台湾出身だが大陸でも国民的歌手である。

 改めて言う事ではないが政治上では、大陸と香港では一国二制度の言葉の通り制度が違い、大陸と台湾では政治的に別の勢力が統治して、ほぼ別の国家に近い状態になっている。

 しかしこのようにエンターティメントの世界では、同じ中華圏・中国語圏であり政治で敷かれた境界線はほとんど存在しないかのような動きを見せる。
 周囲の中国人たちに訊いても、やはりその出身の垣根を意識している人はほとんどおらず、あれは台湾人だからどうとかといった偏見などもない。

 これは、日本語=日本という単一言語が単一国家体制でしか使われない我々日本人にとっては、結構新鮮な感覚であり、言葉が通じれば国境はあまり関係ないのだという事を思い知らされる。
 昔から日本にも欧米系のタレントさんがテレビに出ていたり、最近では台湾・韓国の芸能人などもテレビに登場もしているが、あくまでも「日本語を話せる外国人芸能人」であり、イロモノの域を脱しきれない状態でどこかに垣根が残っている。

 やはり自分の住む領域と別の領域にいる人々が、何の違和感もなくテレビやドラマに映し出される姿は日本人にはちょっと見慣れず、中華圏のこの現状は違和感があるのである。 
 
 そういえば、ビートルズなんかも私はちゃんとした知識を得るまでは、英語=アメリカの印象が強く、ジョンレノンの事件なども有ったことからアメリカのアーティストだと勝手に思い込んでいたが、後にイギリスのアーティストであることを知り、言葉が通じればやはり国境はあまり関係ないのだということを知り驚いたという記憶がある。

 こういう面を見ていくと、日本と言う国は単一言語国家であるがゆえに、言葉の壁により外国からの情報に守られている面あるが、それ故に逆に孤立している面もあるという気がする。
 まあどちらが良いとも悪いとも言えず変えようもないのだが、日本に育った私としてはない物ねだりもあって中華圏のこの現状は羨ましくもある気がするのである。


中国人は音楽を聴かないで教養として理解?

 昨晩、自宅に帰った際にあまりにもやはりインターネットの接続が悪いので、何となくテレビをつけたところ、ベルリンフィルのコンサートを放映していた。
 グスターボ・ドゥダメルというベネズエラ出身の指揮者の指揮で、ベートーベン作曲の交響曲第5番、つまり「運命」の演奏が流れていた。

 まあこれらの演奏に全く興味が無かったわけではないが、しょせんテレビ放送を通しての音では音が悪すぎて感動もへったくれもないので、あまり集中できず流すように見ていた。
 以前から中国のこの手の放送には指揮者のプロフィールや曲目の概説などが、字幕スーパーで紹介されており、私はこれらがウザったく音楽に集中できないので、中国の音楽放送は好きではなかったのである。

 ところがである。

 昨日の放送はこれまでのものに更に輪をかけてウザったいものとなっていた。
 昨日の放送では、曲目の簡単な概要どころか、曲の楽譜が進むにつれて、やれここが提示部だ、ここが展開部だ、ここが反復部だといちいち曲が進む度に画面表示を加えて曲目の解説をしてきたのである。
 これには私もさすがにあんぐりとなってしまった。

 まるで、学校で音楽の授業を受けているかのような解説なのである。

 まあ音楽学校などの学校の教材としてこれらの解説が加わるなら理解できるが、少なくともこれでは音楽を音楽として楽しめない。
 この放送を見る限り、中国ではクラシック音楽を単なる教養としてしか捉えておらず、音楽を音楽として聴いていないのではないかという気がしたのである。

 しかも演奏が終われば、余韻など楽しむ間もなくあっという間に放送が終了する。

 音楽を音楽として受け止めるなら、こういった扱いは有り得ないはずで、単なる「西洋の教養」としてしかクラシック音楽を受け止めていない現実があるようである。
 音楽の知識は決して無駄だとは言わないが、音楽はまず音を聴いて心に受け止めるべきであり、その後から「教養」を探しに行っても遅くないのである。

 最近では、中国各地にお金をかけた音楽専用ホールも沢山出来てきたが、単なる教養サロンのような場所としてしかとらえてない人々に立派な音楽を聞かせるのは非常に勿体ないわけで、その場にいても音楽をロクに聴いていないような人達に幾らいいホールを作ってあげても無駄だという気がする。

 どうも昨日の放送に、中国の今の経済発展が未だイメージ先行の上っ面の物でしかない現実を見た気がするのである。

花火映像は合成で少女は口パクだったらしい

オリンピックの開会式で派手に打ち上げられたテレビの映像は実は合成だったというニュースが伝わっている。さらに革命歌を歌った少女が口パクだったという。
さすが映画監督の張芸謀というか、世界の映像配信 への配慮は怠らなかったというか。。。

 嫌味としては言わせてもらえば、開会式当日の「鳥の巣」付近への立ち入り制限は、花火の合成が本当であったなら安全上の問題ではなく、「演出上の理由」ということになるだろう。

 開会式演出を見ているときから、基本的に映像を通して観ている世界の人だけを意識していて、会場の人間に対する演出的配慮が一切無いなとは感じていたが、ここまで「映像だけ」にこだわった内容だったとはさすがに思わなかった。オリンピックのこの舞台でのこの大胆さはさすが中国というべきか?

 CCTVの国際映像を握っているので世界の人にバレないとでも思っていたのだろうか?
 それともばれてもやらなければならない程のプレッシャーが中国にあったのだろうか?

 過剰な開会式の演出を求める観衆にも責任はあるが、小手先の技術で世界を欺いたこのやり方は、開催決定以来、世界に叩かれながらも何とかようやく開幕まで準備をやり遂げたと思わせた世界の人々をのっけから裏切った形になっていると思う。