中国人は音楽を聴かないで教養として理解?

 昨晩、自宅に帰った際にあまりにもやはりインターネットの接続が悪いので、何となくテレビをつけたところ、ベルリンフィルのコンサートを放映していた。
 グスターボ・ドゥダメルというベネズエラ出身の指揮者の指揮で、ベートーベン作曲の交響曲第5番、つまり「運命」の演奏が流れていた。

 まあこれらの演奏に全く興味が無かったわけではないが、しょせんテレビ放送を通しての音では音が悪すぎて感動もへったくれもないので、あまり集中できず流すように見ていた。
 以前から中国のこの手の放送には指揮者のプロフィールや曲目の概説などが、字幕スーパーで紹介されており、私はこれらがウザったく音楽に集中できないので、中国の音楽放送は好きではなかったのである。

 ところがである。

 昨日の放送はこれまでのものに更に輪をかけてウザったいものとなっていた。
 昨日の放送では、曲目の簡単な概要どころか、曲の楽譜が進むにつれて、やれここが提示部だ、ここが展開部だ、ここが反復部だといちいち曲が進む度に画面表示を加えて曲目の解説をしてきたのである。
 これには私もさすがにあんぐりとなってしまった。

 まるで、学校で音楽の授業を受けているかのような解説なのである。

 まあ音楽学校などの学校の教材としてこれらの解説が加わるなら理解できるが、少なくともこれでは音楽を音楽として楽しめない。
 この放送を見る限り、中国ではクラシック音楽を単なる教養としてしか捉えておらず、音楽を音楽として聴いていないのではないかという気がしたのである。

 しかも演奏が終われば、余韻など楽しむ間もなくあっという間に放送が終了する。

 音楽を音楽として受け止めるなら、こういった扱いは有り得ないはずで、単なる「西洋の教養」としてしかクラシック音楽を受け止めていない現実があるようである。
 音楽の知識は決して無駄だとは言わないが、音楽はまず音を聴いて心に受け止めるべきであり、その後から「教養」を探しに行っても遅くないのである。

 最近では、中国各地にお金をかけた音楽専用ホールも沢山出来てきたが、単なる教養サロンのような場所としてしかとらえてない人々に立派な音楽を聞かせるのは非常に勿体ないわけで、その場にいても音楽をロクに聴いていないような人達に幾らいいホールを作ってあげても無駄だという気がする。

 どうも昨日の放送に、中国の今の経済発展が未だイメージ先行の上っ面の物でしかない現実を見た気がするのである。





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