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2020東京オリンピックまであと4年、次の都知事選も4年後

 2020年の東京オリンピックは7月24日の夜8時に開会式が行われるとのことで、昨日であと4年となったということになる。
 しかし、ネットの情報を見る限り4年後に迫ったという話題では盛り上がっていないという気がする。

写真はイメージ

写真はイメージ

 チェックしてないので詳しくは分からないがテレビの番組などで多少は取り上げられているだろうが、世間の話題の中心ではない印象なのである。

 その代わりオリンピック周辺の話題としてロシアのドーピング問題と、東京都知事選挙が盛り上がっている。
 このうち、ドーピング問題は何だかIOCによる灰色決着で、ロシア国外で検査を受けることでOKとなったようだが、国家間の政治的駆け引きと絡んで、これからもくすぶりそうで、次の東京大会への課題を残した印象となった。

 そして、都知事選であるが、あまりにも3候補に偏った報道ばかりで呆れている。

 確かに3候補以外は、下馬評的に当選の望みが薄いとは言え、蔑ろにされ過ぎるである。
 もしかすると、その候補の中に優れた人材や、或いは政策単位で優れたものを持っている方もいるやも知れず、そういった民主主義の芽を潰しているのが日本のマスコミだということが、今回の都知事選挙ではっきりした気がする。

 つい最近まで与党が報道各社に対して、偏向報道の批判を浴びせていて実際に降板してしまったキャスターもいるが、あれらの報道より今回の選挙報道のほうがよほど偏向だという気がする。

 まあただ旧態依然とした選挙活動方法にもやはり問題があるような印象で、街頭演説のような一方的な発信ばかりの選挙活動はあまり意味がないという気がする。
 演説で自分に都合の良い言葉だけを並べられても、それが本質的に実際の政治や行政に結びついているか分からないからである。

 そんな選挙演説より、私は候補者全員を集めた討論会を提案したい。

 討論会の司会は、候補者の中から抽選で数人を抽出し、1時間ごとの持ち回りで担当し、議題は司会者が決める。

 このような形で議論することによって、各候補者の認識をうかがい知ることが可能になり、勉強不足や思慮が浅い方、或いは他社とのコミュニケーション不足の方が浮き彫りになり、誰が都知事として相応しい見識と調整力を持っているのか分かるだろう。
 もちろん、参加に応じなくてもいいが、そういった候補者は必然的に有権者の評価が決まる。

 本来はそうやって、有権者が候補者を見極めていれば、舛添さんだってあの程度問題では揺るがなかったかもしれないのだが、知名度と組織力で選ぶような選挙がまかり通っているから、選ぶ時も選ばれた後も扱いが軽くなるのである。

上野の西郷さん像

上野の西郷さん像

 さて、今回の選挙だが、やはり旧態依然のままの選挙活動が行われ、しかもメディアの3者偏向報道により当選する確率があるのはその3者に絞られるが、事前調査から見ても恐らく小池百合子氏が次の都知事となるのはほぼ確定だろうと思われる。

 個人的にも他の二氏より、いい意味で政治家に必要な図太さを持ち合わせている印象なので、都知事としてそれなりの風格を感じる。

 さらに自民党という与党議員でありながら、中央の主流派と反目して距離を置く立ち位置も、下手な野党候補より面白い存在に映るのであり、人気を集めるという気がする。
 まあ、実際の選挙結果はどうなるか分からないが、とにかく今週の日曜日に新たな都知事が選ばれることになる。
 
 で、最初の話に戻るが今週末に都知事が選ばれるということは、実は4年後のオリンピックの開会式が行われている真っ最中あるいは直前に再び都知事選挙が行われることを意味する。

 オリンピック準備の緊張感の中でまた選挙となるわけであり、とんでもない混乱が予想される。

 本来舛添さんの辞任が秋になっていれば起きなかった問題であるが、冷静さを欠く今の都民の風潮によってそれが許されなくなり、50憶もの再選挙費用とオリンピック直前選挙が選択されたのである。

 もっとも、今の都民の風潮から言えば次の都知事も4年の任期が勤め上げられるか分からないのであり、何らかのきっかけによる炎上により新都知事が途中でまた辞任し、選挙が再び行われる可能性も多いに有り得るとも言える。

 オリンピックのことだけを考えれば、次の都知事の途中辞任は好都合とも言えるのだが、選挙費用や行政の安定性、首長の在り方、さらにはオリンピック準備を考える上では決してプラスとも言えまい。
 馬鹿な選挙を繰り返さないためにも、4年後までになんとか選挙活動とメディア報道がもう一歩成熟することを祈りたいものである。 

安心して見られたロンドン五輪開会式

 腰を据えてみるつもりはそれほどなかったが結局開会式を見てしまった。

残念ながら日本の放送ではなくCCTVの放送で、やかましい解説付きであったが画像は本物なのでここは外国で見る身としては仕方ない。

 結論から言うと今回のロンドン五輪の開会式は安心して見られたにつきる。

 下手な国威形容のゴリ押しの演出もなく市民スタンスの雰囲気、インチキまがいの合成映像演出もなく自然な流れ、闇に消された映像と花火のごりおし演出もなく人の顔が見えるパフォーマンス、嘘くさい友情の演出ではなく自発的な友好の雰囲気の醸成、何もかも素晴らしく、大人の国のオリンピックだなという感じだった。

 当初ポールマッカートニーあたりが点火の儀式をやるのではないかと予想していたが、過去の名誉に頼らず欲張らず若手に託す当たり、大人の対応で流石グレートブリテンである。

 指揮者ラトルとロンドン響はともかく、そこにミスタービーンを登場させてしまうあたりイギリス流のユーモアもよい。

写真はイメージ

写真はイメージ

 そして参加国一つ一つが持ち寄ったランプを合わせて、聖火台にしてしまうあたり自国の国威形容をゴリ押しする国や国民には出来ない演出だった。

 2020年を目指す日本としては、まあ開催できるかどうかはともかく、成熟した国の大人のオリンピックとして見習うべきものが沢山あった開会式であっただろう。

昼間の開会式はいいね

 W杯が開幕した。

 開会式を見ていて思ったのはやっぱり昼間の開会式はいいなぁということ。

写真はイメージ

スポーツマンシップを象徴するかのように、隠し隔てなく全てを白日の下にさらし堂々と人間がパフォーマンスを行っている。
パフォーマーの動きは決して振りとしては完全に揃っているわけではないが、リズムに乗っていて一体感がある。

 演出に参加している人も観客席にいる人々も物凄く生き生きしている。もちろんあれがアフリカンなノリだと説明する人もいるかもしれないが私はそれだけではないように思う。
 誰かに強制された動きではなく、喜びから生まれるリズム感ならではのグルーヴ感なのである。

 夜に行なうイベントの方が幻想的で好きだという人もいるかもしれないが、私は断然この太陽の下のイベントが好きである。

 夜のイベントでは、必ず光と闇が生まれ、光を当てた場所以外は闇になってしまう。

都合のよい場所にだけ光をあて、まるで都合の悪いことを隠してしまうかのように。光を当てた人以外はまるで参加者じゃないかのように光をあてない。

 そんな誰かの意図が見え隠れしてしまう演出は、なにかごまかされてしまうようで私は好きではない。

 最初から誰かを主役にして、最初から誰かを脇役にしてしまうような考え方も好きではないのだ。

闇の中でこそこそ動かれるのもやはり気持ちが悪い。

 太陽の下で行なえば、主役脇役関係なく全ての人に平等に太陽のスポットライトが当たる。

 特にスポーツ事のイベントは太陽の下で行なうに限るような気がする。
どこから新たに主役が生まれるか分からないのがスポーツである。

 そんなサッカーの祭典の始まりにやはり太陽はよく似合う。

さあお祭りの開幕である。

ん?日本の応援?うーん日本だけが出場国ではないでしょう。(笑)

盛り上がってないなぁ・・・

テレビでの中継とは裏腹に、万博会場から離れた私の家の近所では、万博開幕なんぞどこ吹く風と今日も日常の風景が広がっている。

 昨日の開幕式中継も、途中でちょっと家の外へ出てみたが、窓の外からチラ見える他の家のテレビも、ドラマなどを見ている家が多く中継を見ている人はわずかだった。

 春節の花火と比べれば盛り上がり方は雲泥の差である。もちろん安全上の理由から爆竹は禁止されたのかも知れないが、それにしても近所は静かだった。

 まあ市民から見たら万博などは期間限定の遊園地のようなもので184日間の会期中に1回見に行けばいいというスタンスなのかもしれない。

 この盛り上がっていない風景に、上海に暮らす私としては逆にすこぶる安心した。
 
 お祭りはお祭りとして否定する気はないが、お祭り騒ぎは会場だけで十分なのである。会場に行ったときだけ楽しめればよく、日常の生活まで入り込んできて欲しくない。

 それにしてもこの静か振り、意図的な面もあるかもしれないがどうも主催者の旗振りほど万博に対しては盛り上がってない気がする。

 この様子では入場者目標の7000万人はおろか、5000万人も危ういのではないか? 7000万人の目標を達成するにはコンスタントに毎日40万人平均の入場者数を必要とするが果たしてどうだろうか?

 リハーサルで20万人でキューキューだった会場に40万人入るかもしれないと聞いたらそれだけで個人的には行きたくなくなる気がする。

 そういえば上海人の友人の家族でさえ、万博の喧騒を嫌ってこの期間は香港に旅行をして上海から逃げ出していることを思い出した。結局そういうことなのである。

原文

冗長な開幕式

全く見ないと文句も言えまいと、万博の開幕式の中継をテレビを見ていたが、あまりにも緩急のない単調なごり押し演出に飽き飽きしてしまった。
どうして中国という国はこんなにもセンスがないのだろうと改めて感じてしまう。
パワー、壮大さのごり押し、中国が万博をやるとここまで下品になってしまうのか、そう思いたくなるようなひどい内容だった。
 こんなことに、大金をかけてまでやる必要があるのかと疑問に思う。

 万博って何?そう問いかけずにはいられない上海万博の開幕である。