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夏に春の祭典とローマの祭り

 中国にいると、国家が人が集まって騒ぐことを好まないためか、お祭り的なイベントに接する機会がほとんどない。

 そういうイベント的なものはせいぜい春節の花火くらいなもので、日本で言う夏祭りや盆踊りのようなテンションを上げてくれる機会はあまりないのである。

 上海で6年も夏を過ごしているとさすがにそういった、夏祭り的な雰囲気がちょっと恋しくなる面もある。

 まあ私の場合は祭りそのものと言うより、夏祭りのもたらしてくれる音というか、リズムが恋しいと言ったほうが正しいかも知れない。

 そういった時に一つの代用としているのが音楽であり、ここ数週間そんな意味もあって繰り返し聞いているのが、ストラヴィンスキー作曲の「春の祭典」とレスピーギ作曲の「ローマの祭」である。

 何れもストラビンスキーバレエ三部作とローマ三部作と言われている三部作の中の一つの曲である。

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 春の祭典は、もともと原始宗教の世界を元につくられた音楽のようで、神に対する生贄の乙女が死ぬまで踊るといった狂気的な内容が表現されている。

 それゆえ、非常に複雑なリズムとメロディが数多く入交じり、不協和音が鳴り響くスリリングな音楽となっており、そういった点で日本古来の祭りの感覚に近い物があり、映画のクライマックスに近づいていくようにどんどん引き込まれ、聞いているこちらも理性的に聞くというより、本能を煽られる感じで非常にボルテージが上がる。

 ただその斬新的な過激な内容ゆえに1913年のこの曲の初演時は、クラシック音楽史上もっともスキャンダラスな1日として語り継がれるほど大騒ぎになったようである。

 一方「ローマの祭」は作曲者レスピーギがローマの4つの情景を描いたもので、第一楽章の冒頭から、暴君ネロへの恐怖心を感じさせるような鋭い切れ込みで音が始まり、スリリングな音楽な渦の中に巻き込まれていくように始まっていく。

 私は生涯数多くコンサートに接して来ているが、その中で東京で最初に聴いたこの「ローマの祭」ほど、鳥肌が立ったことはないことを鮮明に記憶している。

 それくらい衝撃的なスリリングな音であった。

 まあ全体の四つの楽章それぞれに違う祭りを描いているので、最初から最後までスリリングと言うことではないのだが、それぞれ全く事なった雰囲気なので「祭り」という言葉の意味の深さを教えてくれる音楽でもある。

 で、この4つ楽章のうち一番派手で騒がしいのが第4楽章の「主顕祭」で街のあちこちで大道芸人が騒いでいるのではないかというようなサルタレロのリズムの狂喜乱舞する情景が描かれ、まさに祭りの大騒ぎとなっている。

 ベートーベンの第九なんかも、実はこんな風に描きたかったのではないかと思える程、楽しげに描かれており、夏の祭り気分を味わうにはぴったりな気がする。

 いずれの曲も、日本とは遠く離れたロシアとイタリアの国の人間が作った祭りの情景をテーマにした音楽であるが、祭りという行事がリズムを以て人間の本能に働きかけるという関係でいえば、共通の物が感じられる。

 1年に1度は祭りで狂喜乱舞したいという感覚は実は世界共通なのかもしれないと感じるこの2曲である。


季節外れの花火大会

花火

花火

 先ほど、部屋のベランダから花火が上がっているのが見えた。

 はて、この季節になんだろうか?

 打ち上げ場所の詳細は分からなかったが、どうやら外国人が多く住む高級住宅街の方角なので、そのエリアでのイベントがあったのかなと思ったりもした。

 ところが、その場所からの打ち上げが終わった後に、今度は別の方角からの花火の打ち上げがあった。

上海の花火

上海の花火

 ええっ?一カ所だけのイベントじゃないの?今日は何の日?

 新たに打ちあがった場所は住宅街とは全く関係ない場所で、どうもこの2つに直接の関連性は考えにくかったので、今日という日に何か特別な意味があるのかどうかを急いでネットを調べてみたが、日本は5月3日が憲法記念日としてお休みであることは知っているものの、中国で今日は何か特別な意味のある日かどうかは全く分からなかった。

 まあ反日的な抗日記念日とかだったら、美しい花火も一瞬にしてブルーな印象に切り替わってしまうところだったが、どうやら違うようである。

 まあ、意味は分からなかったが、思いがけず今夜は花火を楽しめたのでヨシとしたい。

 それと直接関係ないが贔屓の日ハム・中田君が仙台で3発も花火を打ちあげたらしく、今日はそれもあって1日が花火デーのようで今夜はちょっと気分がいい。


大気汚染は低気温が原因?

日本では季節的な黄砂の飛来とともに中国から流れて来てるであろう悪い空気の問題が話題となっており連日ニュースを賑わしている。

 ただ、その汚染源とされている中国では、世間の気候が暖かくなって、あれだけ騒がれていた大気汚染問題はややトーンダウンした感がある。

 実際、観測値も一時程の酷い数字はなく大気汚染は減ってきているような感がある。

 これは何故であろうと考えてみた。

 幾つか資料を調べてみたが中国ではまともなデータが拾えないのが現実で、説得力のある理論が成立しないのだが、まあそれでも今回一つの憶測的推測を立ててみた。

 それはやはり気温の低下が要因で大気汚染をもたらしてるのではないかということ。

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 まず冬の気温の低下による電気需要の増加によって発電量が増大し、火力発電所の稼働が上がっているということは実際にあるはずで、その影響は多少なりあると思う。

 ただ、これだともっと電力消費の大きな夏との差が説明できない。

 次に第2の要因として考えられるのが低温が排気ガスの質を悪化させているのではないかという推測。

 つまり、冬の低温が発電所あるいは自動車のエンジンの燃焼効率を下げて排気ガスを増大させ、或いは汚染度を高めているのではないかということ。

 特に自動車については質が悪いと言われるガソリンと、安い価格の中国車エンジンの問題が大きいような気がする。

 多くの中国製品は、ある一定の基準の条件下では性能を発揮出来ても、条件を変化させた途端に極端に性能が悪化する場合がある。

 まあデータが無いので憶測でしか物が言えないが、中国車の場合はエンジン、オイル、ガソリンなど何れも日本車などに比べ質が悪いと仮定するならば、気温の低い冬場にさらに性能が悪化し、その悪化状況が相まって排気ガスが量・質ともに増大する可能性は否定できない。

 例えば寒さでエンジンオイルの性能が低下すれば粘性が増して平温時より燃料を余計に必要とする可能性があり、さらにその燃料そのものがやはり気温で性能低下すれば燃焼が足りずやはり余計に燃料を消費することになり、結果排気ガスが二乗的に増加する可能性があるということになる。

 それ故か比較的質の良い車が走っている上海では大気汚染が比較的軽く、内陸部で深刻な状態となっており、実はその差の理由はその都市の自動車とガソリンの質に要因があるのではないかと疑っている。

 また火力発電所についても然りで気温の低下で日本の設備のそれよりも燃焼効率がかなり変わっているのではないかという疑いを持っている。

 つまりこういった低温がもたらしている大気汚染であるが故に、現在のように暖かくなってくると状況が解消していく、そう考えるのだがどうであろうか?

 この理屈で行くと自動車の台数を考えるより、「質」を考える方が答えは近いであろうという気がしている。

 春節の花火が大気を汚染しているなどといった一時的な状況に責任を押し付けるのではなく、もっと日常的な状況に目を向けて問題を解決していってほしいものである。