上海交響楽団と日本と朝比奈隆さん

 日本にいる期間、中国で使っていた音楽サービスが使えないので、YOUTUBEで音楽を聴くことが多くなったが、鑑賞対象としてブルックナーを選択するケースが多いので、故朝比奈隆さんの指揮の映像を見ることが増えていた。

 朝比奈隆さんは、彼の最晩年において東京で演奏会がある際は可能な限り通って聴きに行っており、私にとってはかなり思い入れのある指揮者であって、ブルックナーやブラームスをよく聴いていた。
 今の上皇陛下の平成天皇の天覧演奏会に偶然接したときに振っていたのも朝比奈さんだったので「天皇陛下の思い出」としてよく覚えている。
 最近そんな朝比奈隆さんについてネットで調べていたのだが、その中でなんと上海交響楽団をかつて振っていたという記述を目にした。
 よくよく調べていくと、戦中の日本が上海に進駐していた1943年に真珠湾攻撃の2周年を記念して、日本から朝比奈さんが派遣され4か月ほど上海交響楽団を振っていた時期があったようだ。

上海音楽庁

 ただ、その頃の上海交響楽団は今のような中国人メンバーによる中国人に向けたオーケストラではなく、イギリス租界やフランス租界の外国人に向けた、イタリア人やロシア人メンバー中心のオーケストラだったようだ。
 中国人奏者や日本人奏者もいたようだが、日本軍進駐後は従来あった上海交響楽団から「上海音楽協会交響楽団」と改称して日本側で運営を行っており、詳しい経緯は分からないが、日本の欧米に対する面子的な意味のために残してあったようである。

 さらにこの時代の上海は、件のナチスドイツの迫害であの有名な杉原千畝さんのエピソードで日本の通過ビザの発給を受けていた話があるように、欧州からこの地にたどり着いたユダヤ人音楽家(千畝さんがビザ発給した人かどうか分からないが)も沢山いたようだ。

 これらのユダヤ人たちは終戦後にイスラエル建国を機にそちらへ流れていったとのことで、上海とここのオーケストラはユダヤ人にとっても歴史の節点にあったと言える。

 そういった人種的に混沌とした環境の中で日本人としての面子をかけて欧州メンバー中心のオーケストラを指揮していたのが朝比奈さんということになる。
 そう考えると、日本人指揮者の中でも朝比奈さんが飛びぬけて気骨がある印象というのはこういった戦中の経験から生まれていた戦後の彼の音楽活動というか姿勢だということを改めて知らされる。

上海交響楽団音楽庁(コンサートホール)

上海交響楽団音楽庁(コンサートホール)

 そしてその最晩年の朝比奈さんの演奏を沢山聴いていた私が、朝比奈さんが2001年に亡くなった後に上海に渡り、日本人の磯崎新さんの設計したコンサートホールで上海交響楽団の演奏を聴いていることは歴史の流れに自分もいるようで不思議な縁を感じる。
 磯崎新さんの作品には水戸(芸術館)でも接点があった。

 それと同時にこの上海交響楽団というオーケストラは、1879年創立ということで単に古いことが自慢のローカルオケという印象もなくはなかったが、こういった歴史的経緯を考えると世界の激動の渦中で歴史を体験した貴重なオーケストラであり、国際的に稀有な存在であることを改めて知ったのである。





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