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知ったかぶりの上司

 自分より立場が上の人に堂々と知ったかぶりをされると厄介である。

 数年前、ある自分より上役的立場にある人が、WEB関連の技術者に向かって「PHPよりワードプレスを勉強した方がいいよ」と言ったのを聞いて驚いたことがあった。

 ワードプレスというのは、主にブログなどに使われているオープンソース(ソースコードが公開されている)プログラムのことなのであるが、必要な機能がコンパクトにまとまっており、最近非常に広く使われるようになっているものである。

 それに対してPHPというのはWEBを動かすためのプログラム言語の一種で、比較的平易な内容となっているため、私も本格的に勉強した訳ではないが、ちょっとなら理解できる状態になっている。

 で、上述の上役の言葉の何に驚いたかと言えば、実はワードプレスと言うプログラムはPHPの言語で開発されたものであったからである。

 つまりPHP言語で開発されたワードプレスを持ち出して、「PHPよりワードプレスを勉強せよ」と言う言葉は、その上役の無知さ加減をさらけ出す形となっており、分かっている人間からすれば「おっしゃっている意味がわかりません」状態ということになる。

 普通の素人の人間がPHPやワードプレスを知らなくてもそんな恥ずかしい事では無いが、さも物事を知ったかのように間違ったことを人に説いている姿は滑稽にしか映らない。

 しかしながら、こういった滑稽さも自分より下の立場の人間であれば、「知ったかぶりするな」と馬鹿にすれば済む話であるが、相手が自分より上役であると非常に厄介である。

 結局この時はあまりにも間違っていた講釈に対して、本人の面子もあり顔を立てる意味もあって口に出せず、指摘出来ないまま聞き流してしまったのである。

 まあこの時の件自体は自分に直接実害がない話ではあったのではあるが、結局この後はその上役の言葉が信用しきれない状態になってしまった。

 何を言っていても、もしかするとまた知ったかぶりなのかもしれないという印象になってしまったのである。

 こういった言葉の知ったかぶりは政治の世界でもよく飛び出しており、「憲法は王権を縛るものだ」とのたまわる首相や、「ワイマール憲法は静かにナチス憲法に変わった」など認識している副首相など、立場が高い人に明らかに間違っていることを堂々と知ったかぶりで話されると、やはり指摘できないので厄介であるという気がする。

 まあ誰しも人生のシーンの中で多少の知ったかぶりをすることはあると思うが、私の場合は人から「○○を知っているよね」と言われたときに、「うんうん」とうなずく程度で、さすがに調べてもいないような事を人に説くようなことはとても出来ない。

 世の中、立場がある人ほど、言葉と言うのは是非確認してから話してもらいたいものである。


とってつけたような知識の押し付け

最近地下鉄の中のモニターでよく流れている科学の豆知識的な番組。
宇宙についてとか、地球の自然についてとか、はたまた中医学的知識などが放送されているのだが、どうもそれらに全ておいて共通して感じるのは「AはBである」といった紋切り型の知識の押し付けである。

 それぞれの科学分野においては、世の中にはいろんな考え方や学説があり、その「AがBである」ためにはいろんな条件が必要であろうと思われることに対して、たった一つの視点から「AはBである」ということをただひとつの真理であるかのように断定的に言い切っている。

 私はこの点が非常に気になる。

 その伝えている事実自体は間違っているとまで言わないまでも、条件が崩れれば正しくなくなるであろう場合が多々あるからである。

 中国の実際の教育の内容は知らないが実は全てがこれ式なのであろうかと思うとちょっと怖い点がある。

 もし中国の教育が全てがこれ式であるならば、「AがBである」ことの理由を知ろうとする訓練がされていないことになり、その成立条件が崩れたとき、どうして「AがBではなくなる」のかについて理解できないと思うからだ。

 今回の高速鉄道事故で「雷が原因である」といった報道を盲目的に信じている中国人の姿がテレビで報道され、このことも非常に気になった。

 雷で事故が起きたとすれば、雷がどうなったからあの事故に繋がっのだとという思考の組み立てが本来あるはずなのだが、そのインタビューに答えている彼はそれなしに盲目的に信じていたのである。

 また中国伝統の知恵とされている中医学の知識などもよく「Aを食べるとB」だという現象は多く整理されているが、「何故、Aを食べるとBになるのか」について成分分析などを検証しているといった事実はほとんど見たことが無く、どうも表面的現象を取り上げた自然科学の端緒とは言えても医学とまで言えるような理屈・理論はあまり表に出てくるような状況にはなっていない。

写真はイメージ

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 掘り下げてみれば実はAがBになっているのではなく、AがCになるとき、Dという条件であればさらにCがさらにBになるのかもしれず、Dの条件によってはAはBにはならないかもしれないのに「Aを食べるとB」という知識で終わっている。

 これらのように、どうも中国人たちは「AがBである」という形で覚える以外の形で、別の答えの可能性があるかもしれないという考え方に慣れていないようだ。

 逆に我々日本人からすると、そんな「AはBである」式の決め付けの押し付け的な言葉は、どうも思慮が浅く見え辟易するのであり、そこがいろんな場面で日本人が中国人を馬鹿にするひとつの理由であるように思う。
 
 事故で亡くなられた方は気の毒だが、まだちゃんと事故原因究明も安全対策も施されていないのに、「もう安全」という言葉をそのまま信じらされている方々が日本人からするともっと気の毒だと思う。

今回の高速列車の事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

上海ワルツ

知識の羅列はわかりにくい。

今日は一日文章の修正などに明け暮れた。
細かい情報がたくさん並んでかかれていた文章だったのだが、整理がきちんとされておらず、文章としてかなり読みづらかったのだ。

流れや構成がよくないのは無論のこと、インデントや番号の付け方がぐちゃぐちゃで、こりゃ誰も読みたくないだろうと逆に感心したほど整理がされていなかった。

 まあそこまでひどくなくても、文書というのは長くなればなるほど山谷を付けなければどんなにいいことが書いてあってもわかりにくくなる。

 特に知識や情報を紹介する文章などは、全体の中の位置付けや構成をきちんんと把握せず書かれていると、文章として明らかに支離滅裂な状態になっており、こちらがその知識の専門家でなくても文章状態からその文章を書いた人が本当の意味でその知識を把握していないことを見抜けてしまう。

写真はイメージ

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 また単に知っている知識をこれ見よがしに垂れ流す文章もやはり読んでいても苦痛である。
 ブログなどで専門家を名乗って知識を鼻にかけるような文章も時々みかけるが、どうもそういった文章は鼻につく。

 そしてそういう文章に限ってどうも書き手がきちんと情報を整理した形で把握できていないんだなぁということを見抜けてしまう場合がある。

 勉強不足が見え隠れするのである。

 たぶん書いた本人は自信たっぷりに書いているのかもしれないが、そんな文章を書くこと自体が既に青さを露呈していることに気づかないうちは駄目である。
 まあ文章を書く人が慎みを学ぶかどうかは各自の自由だが、全体が見えずに知識が羅列されたような文章はやはりわかりにくく、そんな文章はどんなに正しいことが書かれていても意味がないのである。

 文章を直しながらそんなことを思った一日であった。