Monthly Archives: 7月 2014

血液型と性格に関連は本当にないか?

 先日のニュースで日本で言われる血液型性格の関連について、九州大学の縄田健悟講師(社会心理学)が関連がないということを発表したということがニュースになっている。

 ニュースによれば日米1万人以上を対象に生活上の好き嫌いなどを訪ねた意識調査を行ない、血液型によるその差異がほとんど見られなかったことから、血液型による性格の差はないとの結論に至ったとされている。

 私はこの報道を見て、九州大学の講師にしてはあまりにも稚拙な調査だなという印象に感じた。

 結論から言えば私は血液型性格傾向の肯定派だが、それは別にしても、この講師の調査では血液型に関する傾向の考え方の否定も肯定も出来るものではないという気がするのである。

 この調査で一番稚拙なのが、質問項目の設定である。

 「楽しみは後に取っておきたい」「ギャンブルはすべきではない」などの質問を行なったと言うが、これは思考の結論部分だけを取り上げた質問であり、血液型が関連する性格の部分とは何ら関係がない設問である。

 一般的に血液型によって差異が生まれるのは、結論に達するための思考パターンというか、結論の導き方に差異があると言われるのであって、結論の差異にその差が現われるわけではないものである。

 つまり「A型は規範に従って判断する」「B型は観察分析によって自己判断する」「O型は直感的に判断する」「AB型はA+Bの思考パターン」のような分類で一般的に言われており、その思考パターンの傾向と結論とはまた別モノなのであるから、思考パターンは別でも結局結論の傾向は同じだというのが現実のところではないかと思う。

 そういった一般的に言われている仮説に対して、この講師の設問は結論だけを問うていて、結論に至る思考パターンを問うておらず、ほとんど意味がない設問になっている。

写真はイメージ

 もし、血液型に関する性格の違いを否定したい調査をするのであれば、回答者が何故その結論に結びついたのかという、もう一段或いは二段掘り下げた設問を用意すべきであろう。

 例えば「ギャンブルはすべきではない」という設問に対しては、結論だけでなく何故そう思うのかを問えば「禁止されているから」「儲からないから」など回答理由にばらつきが生まれてくるという気がするのである。

 まあ私は科学的分析で血液型行動パターンの否定が実証されるなら、それはそれで一向に構わないが、今回の調査は従来の血液型仮説を否定するにはあまりにも理解不足で、それ故の稚拙な調査だというのが私の見立てである。

妊婦さんと太ったおばさんの見分け

 今朝、地下鉄に乗った時にたまたま優先席に座ってしまった。

 まあ優先席とて空きシートには変わりなく、優先すべき人がいなければ座っても良いし、譲るべき相手が来たら譲ればいいだけの話であり、朝の通勤時間帯には、老人などはほとんど乗って来ないので、それほど気に掛けることもなく座れる。

 ところが、今朝はそこへ座って数駅通過した時に、数席離れた人が突然人に席を譲っていた。

 よく見ると譲られた人は妊婦さんだった。

 優先席に座ってしまったこちらとしては、申し訳けないなあと思いつつ、その妊婦さんが元々立っていた位置は私からかなり気が付きにくい位置だったので、こちらとしてもどうしようもなかったので、自分の心の中で弁解しつつ、そのまま座り続けることにした。
 
 そんな時、ふと正面を見ると、夫婦と思しき人が二人で立っており、旦那さんと思われる人が奥さんと思われる女性をかばうように立っていた。

 30歳前後に見えるその女性のお腹はそれほど大きいようには見えなかったが、女性の靴に目をやると踵の無い靴を履いていた。

 最初は何でこのカップルは朝からべたべたしているのかなぁという印象であったが、ひょっとすると妊婦さんだとすれば、そのカップルの態度も合点がいった。

 もし妊婦さんならば気が付くタイミングは遅くなったが席を譲ろうかなと考え始めたのだが、その2人まで距離があり確証も持てなかったので、声をかけるかどうか迷ってしまったのである。

 しかしそうこうしているうちに、列車が次の駅に着いてしまい人がどどんと乗ってきてしまった。

 結局そのカップルと私の間に人が大勢入って来て、完全に声をかけるタイミングを失ってしまった状態になり、もうアクションできない状況なってしまった。

 ちょっと大失敗である。

 その後そんな何だかモヤモヤとした葛藤をずっと抱えながら、列車は混雑した状態で何駅か過ぎたのだが、私が下りる駅の一つ手前で、今度は明らかに妊婦さんと分かる女性が乗ってきたのである。

 私は「お、ようやくチャンスだ!」と、ここぞとばかり席を譲り、優先席に座っているのに席を譲らなかった葛藤から逃れることが出来たのである。

 ところが、そんな解放感気分で席を譲って立ってドア際に移動した時に、私の席のそばに何駅も前から立っていた女性に気が付いた。

 30過ぎの女性で、若くはないがややお腹が大き目であり、やはり踵のない靴を履いていた。

 「え?」

 場合によってはこの女性も妊婦さんだった可能性もあると、その時になって気が付いた。

 まあややおばさん顔だったので、単に太っていただけの可能性もあるが、妊婦さんである可能性も捨てきれなかった印象の女性だった。

 もしその女性が妊婦さんだったら、私は何駅も気が付かず目の前で優先席を独占していたことになり、さらに事もあろうか新たに乗ってきた若い妊婦さんに目の前で席を譲ってしまったことになる。

 まあ気が付かなかった、分からなかったと言えばそれまでだが、どうも良心が痛む気分になった。

 太った女性と妊婦さんはどうも見分けがつきにくい。

 結局その立っていた女性が妊婦さんかどうかは確証が持てないままに私は車両を下りたが、どうにも後味の悪い乗車となってしまった。

 日本と違って、上海では妊娠しても仕事をギリギリまで続けるので、街には妊婦さんがウヨウヨする状態になっている。

 それ故に優先席を譲る譲らない、座る座らないはもとより、迂闊な接触などは絶対避けなければならいので、非常に気を使う通勤時間帯の上海の地下鉄である。

中国の七夕の絵は大間違い

中国の七夕は日本のように新暦の7月7日ではなく旧暦の7月7日に設定され、夏の情人節と言われ冬のバレンタイン同様に恋人の日とされる。

 最近、この七夕に関する調べ物をしていた時にとんでもない間違ったイメージが横行していることに気が付いた。

 それは七夕のイメージ図に「満月の絵」が多用されていることである。

 中国のウィキペディア的存在とも言える百度百科にもやはり満月の七夕の図がイメージ図として使われている。

百度で検索した七夕のイメージ

 確かに恋人達のロマンチックな夜のイメージに、真ん丸の満月は似合うのかも知れないが、こと七夕に関してはそれは大間違いの使い方である。

 何故なら七夕が旧暦の7月7日の伝統行事であるなら、旧暦とはつまり月の満ち欠けを基にした太陰暦のことであるわけだから、太陰暦の7月7日であれば絶対に満月にならないのである。

 この太陰暦の7月7日はおよそ上弦の月の半月の頃であり、満月ということは絶対に有り得ず、満月の絵は七夕のイメージに使用する絵としては間違っていることになる。

 また中国の七夕のイメージの中には一応僅かにこの半月を意識したような半分の月のイメージ図も見られなくもないが、残念ながら弧の部分が虹のように上になっており、これもまたやはり間違ったイメージである。

 上弦の月と言うのは太陽に約6時間遅れて進む月であり、日没時点ではおよそ天頂にあるもの、そこから深夜に向かって沈むわけだから光の当たる部分は下(太陽の方角)になり、弦(直線部分)は上になる。

 それ故に上弦の月と呼ばれるのであり、虹のように上部が扇のように弧を描く月の姿の絵は、やはり七夕の頃の月とは言えず間違いなのである。

 寧ろ七夕の頃の月は、船に見立てて織姫が天の川を渡る姿として見るべきであり、それ故の上弦の月こそが絵姿としてハマルべきものであろう。

 これら単なるイメージ図と言えども伝統的成り立ちを無視して、満月のイメージ図が横行する現代の七夕を見ていると、どうも中国のクリエイター達の浅はかさを感じずにはいられない。

 原掲載