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上海ディズニー駅

上海ディズニーランドの入り口まで行ってきた。

 昨日、上海ディズニーランドの最寄り駅が開業したというニュースを聞いて、たまたま昨日は時間の融通が利いたので、私はのこのこと見に行くことにした。
 私は元々特にディズニーファンでもないし、東京ディズニーランドにさえ行ったことがないのであるが、世間で話題のものには触れておきたいというやじうま根性に足を向けさせられてしまった。

 ニュース報道によると、上海ディズニーランドの正式開園は6月16日と報道されており、初日の入場券も先日売り出され即日完売したとのニュースが伝わっている。

 じゃあなんで鉄道(地下鉄11号線)の駅はこんなに早く開通したのかとの疑問が湧くが、恐らく駅の運営の習熟や内部で働く人の通勤の足として、早めに開通したのかなという気がする。

迪士尼駅外観

迪士尼駅外観

 で、早速到着してみると、駅の内装デザインからしてほかの駅とは一線を画している。 

上海ディズニー駅ホーム

上海ディズニー駅ホーム

 白を基調にし、案内表示の看板も通常の四角いものではなく、楕円形の和らかいものである。

ディズニーキャラクターのシルエット

ホームドアにディズニーキャラクターのシルエット

 そして駅のここそこにディズニーのキャラクターのもの思われるシルエットがちりばめられていてディズニーランドの玄関口であることが演出されている。

上海ディズニー駅のエスカレーター

エスカレーターにもキャラクターが

 エスカレーターを上がってコンコースに出てみると、天井が高く天窓から光が差し込む広々とした空間が広がっていた。

上海ディズニー駅コンコース

天窓が開き光が差し込む

 開園後はここが人で満杯になるのであろうと想定されるが、残念ながら11号線の輸送力を考えると果たして捌ききれるのだろうかという心配がもたげる。

 11号線は6両編成で1両150人と想定すると、列車1本あたり900人の輸送力となるのだが、週末の運転間隔は5分と発表されているから1時間当たり10800人しか輸送できない計算となる。
 東京ディズニーランドの休日入場客の1日8万人をそのまま当てはめると、11号線だけの輸送では8時間もかかってしまう計算となる。

 もちろんバスが輸送力を補完するとしても、かなり不安を覚える輸送力である。

上海ディズニーリゾートのバス

オレンジが基調のデザイン塗装

 それはさておき、この日雨が降ってはいたが、実際の上海ディズニーランドの入園ゲートの近くまで行けそうだったので、そのまま入園ゲートまで行ってみることにした。

徒歩5分程度ととても近い

徒歩5分程度ととても近い

 途中途中にはオープニングスタッフの方々が何をするでもなく、ニコニコと、ニィハオと手を振りながら挨拶してくる。
 全身着ぐるみを来たキャラクターこそいなかったが、手だけの着ぐるみ?をしたスタッフが大きな手を振ってくる。
 東京ディズニーランドを知らない私にとってはちょっと面食らうと言うか、照れくさいこれらのスタッフの対応である。
 

入場ゲート前のミッキーの噴水

入場ゲート前のミッキーの噴水

 さて入場ゲートこそさすがにブルーシートで覆われバリケードで塞がれていたが、ショッピングタウンとなっている外側のエリア部分は出入りが可能だった。

 

上海ディズニーランドの入場ゲート

入場ゲートにはまだ柵があった。

 この日の時点では流石にどのお店も開いておらず、中で研修やミーティングを必死に行っている姿が見えただけの状況であったが、雰囲気は十分であり、トイレなども普通に使えるようになっていた。

上海ディズニーのショップ

上海ディズニーのショップ

上海ディズニーショッピングタウンのレストラン

中で研修をやっているようだった

 街の雰囲気に関しては東京のディズニーランドに行ってないので何とも比較が難しいのだが、ヨーロッパの街並みというより、中国の古鎮の石畳の街並みに近いような印象を持ち、さすが中国ディズニーランドなのかなという印象だった。
 

上海ディズニーの石畳のショッピングエリア

石畳のショッピングエリア

 柵の向うにはロンドンのビッグベンを思わせる時計台や、シンデレラ城を感じさせる塔もかすかに見えるが、現時点では近寄れず、これらは開園してからのお楽しみということになる。

上海ディズニーランドの時計台

ビッグベン

上海ディズニーのシンデレラ城

シンデレラ城もかすかに見えた。


 まあ6年前の上海万博で開幕後も工事をしていたことがまだ記憶の片隅にある私としては、あと2か月で本当に開園が可能かはまだ疑心暗鬼だが、とりあえず準備が整いつつあり、開園が間近に迫っていることが実感できたこれらの風景である。

アマチュアオケはつらいよ?上海ブラスの演奏会から

上海音楽院

上海音楽院

 昨年の暮れのことだが、上海ブラスの演奏会に声がかかったので聴いてきた。
 まあ無料だったのと、生の音楽に飢えていたのもあって、足を運んでみたのであったが、結構楽しい時間を過ごすことが出来た。

 演奏水準を言いだせば、所詮はアマチュアということになってしまうが、アマチュアの演奏家たちこそ音楽が好きでたまらない人間の集まりであり、その彼らが演奏する音楽はかなり音楽愛に溢れているという気がする。

  着ぐるみ的な格好をして演奏する姿などはプロでは絶対有り得ないと言っていい演奏姿あり、非常に楽しんでいることがよくわかる。

 プロが義務で演奏をやっているとは言わないが、仕事としてこなしている面が少なからずあるのに比べ、彼らは誰に強制されるのでもなく音楽を奏でるのが喜びとして取り組んでいるわけで、それが音となって表れてくるのである。
 音楽というのは、人が楽器を弾いて人が聴くものだから、観客と演奏家の間のコミュニケーションとして捉えれば技術の上手い下手は二の次であって、演奏家の気持ちが観客に伝わればいいのである。

 休憩中にも、正式なプログラムではない小品の曲を数人ずつのアンサンブルがかわりばんこで演奏する姿も、音楽が好きでしょうがない彼らの象徴的な姿だったという気がする。

賀緑汀音楽ホール

賀緑汀音楽ホール

 そういう点で言えば、アマチュアの演奏会はある意味プロの演奏会より楽しいし、気楽に音楽に向き合える。

 ただ少し感想を言えば、アマチュアの方々の演奏会は非常に苦労して作り上げられているなぁという印象だった。

 まず、今回の演奏会では参加者の楽器構成がどうもバランス良くないという印象で、標準的吹奏楽団の構成に比べ、ピッコロやクラリネットなどの木管が少なく、その割には金管はしっかり揃っていたという印象であった。

 まあ、上海(外国)という特殊な地域の事情上、東京のように気軽にエキストラ奏者を頼めるわけではないので、どうしてもいる人間で、やれることをやろうということになるのであろう。

 しかし、こうなると苦労するのは楽譜を用意するアレンジ担当の人間と指揮者である。

 プロの楽団なら曲目によって指揮者が奏者を外したり加えたりできるのだが、こういったアマチュア楽団相手の状況では、目の前のいる楽器構成で何とかバランスを取り、音を形にしなければならない。

 例えば本来の楽譜上の音の割り振りそのままでは、バランスが悪くなったり構成する音が足りなくなってしまう可能性があるため、楽譜で指定された楽器以外の近い音域の楽器にそのメロディを割り振るなんてことも必要になるのかも知れないのである。

 また、演奏者たちの技術水準もやはりピンキリなわけで、プロ水準の人から素人同然の人もいるだろうに思われる楽団では、音を揃えて形にするのもまた一苦労な話かと思われる。
 つまりこういったアマチュアの楽団の指揮者に抜擢された方は、ある意味プロの指揮者とは違った別の才能を要求される訳であり、プロ以上に大変なんではないかと察する。

上海ブラスのチラシ

上海ブラスのチラシ

 しかし、そういった苦労を乗り越えてでもどうしても、音を奏でたい、人に聴いてもらいたいと思い、演奏を続けるのが彼らアマチュアの演奏家たちであり、上記のような大変な状況の中を察すれば、彼らの今回演奏した音楽は随分よくまとまっていたという気がする。

 今回音楽を楽しむとはどういうことなのかを改めて教えてもらった演奏会となり、招待してくれた団員の方にとっても感謝をしている。

妖怪と幽霊は違う

ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげる先生が先日亡くなった。

まあ私としては特別ファンだったということでもないのだが、子供の時にはもちろんアニメの「ゲゲゲの鬼太郎」は見ており、目玉オヤジはキャラクターとしてよく印象に残っていた。
 目玉オヤジや鬼太郎は、最近のクールジャパンのイベントで着ぐるみで登場している姿も良く見かけた。

 そんな水木しげるさんの作品と言えば、やはり妖怪が特徴的なのだが、どうも我々の中で妖怪幽霊を混同してしまっている面がある。
妖怪と幽霊はいずれも人間に恐れられている正体不明の存在ではあるが、その存在概念の背景を探ると、同じものではないのである。

昨日もあるところから送られて来たメルマガタイトルに、今回の訃報に即して「水木先生が妖怪の世界へ旅立たれた」とタイトルに書かれていたのだが、これはどうも妖怪と幽霊を混同して理解されているように思えたのである。

もちろん妖怪と幽霊はどちらも科学的にはっきり証明されているものではなく、人間社会で何となく概念として存在しているだけのものなので、その定義を争うのはナンセンスかもしれないが、言葉を調べて行くとやはり存立する世界が別々のものとなっている。

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まず、妖怪というのは自然現象、生体現象、など人間の人知を超えた実在のものを人間が誤認したり憶測を加えたりして概念として成立させたもので、基本としてこの世の物であり、理解が出来ないから恐れられている存在ということになっている。

これに対して幽霊というは、あの世という死生観が絡んでおり、人間の死人、もしくは人間が可愛がっていた特定の動物の精神の不滅性を象徴する存在となっており、生死の分類で言えば死であり、この世にも現れることもあるが、あの世が主なる世界となろうか。

もちろん、この世の理解できない超常現象の原因を霊を理由として、あの世として結びつける面もあるが、幽霊は基本的に死の世界と結びついた存在となっている。

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ところが妖怪に関しては、霊の存在やあの世の存在を前提としておらず、この世の怪現象や未確認の怪動物を指しているのであり、つまりこの世に存在するものを指す言葉となっている点で幽霊とは前提が大きく違うのである。
 まあ水木先生のゲゲゲの鬼太郎にも、墓場に妖怪が出てくるため、見ている側にとっては霊と混同しやすい面はあるが、やはり妖怪はこの世の現象存在なのである。

従って、上述のメルマガタイトルは妖怪をあの世のものと扱った前提で書かれている点で間違っていることになる。
つまり、先日亡くなられた水木先生は、妖怪の世界に旅立ったのではなく、人と妖怪の世界(この世)から旅立たれたこととなるのである。

妖怪のいない世界に旅立たれて、水木先生はさぞかし寂しい思いをされているのではないかと私は思うのだが果たしてどうだろうか?。

今時のアニメキャラ

 YOUTUBEというものが世の中に出来て、子供の頃の古いアニメを見る機会も時々あるのだが、それらを見ると子供の時の思い出と言うこともあって、今見てもそこそこ楽しく見ることが出来る。

 しかし、そういった昔の作品を探している途中で見つけるのが、それらの作品をリバイバル製作された最近(主に2000年以降)のアニメ類である。
 あのころのアニメがどんな風にリニューアルされているのか、ちょっとばかり興味を持ってみようとするのだが、見始めるとあっという間に興味を持てなくなり、酷い場合には生理的に受け付けなくなってしまう。
 30分とか最後までずっと見続ける気にならないのである。

 はて、この違いはなんであろうかと思う。

 確かに世代差による感覚の違いは大いにあろうかと思うが、昔とはアニメの本質が大いに違ってしまった感も否めない気がする。

 まず第一にアニメのキャラの体格の描かれ方で、昔は8頭身のスマートキャラなどほとんどいなかった気がするが、今のアニメには8頭身のスマートな主人公が沢山登場する。
 現代の中高生の実際の体格を投射したものかもしれないが、以前はドラえもんの2頭身に始まり、のび太は3頭身に近く、アラレちゃんは2.5頭身で、着ぐるみにしても違和感がないキャラばかりで、かっこいいキャラでもせいぜい6頭身止まりだった。

 それが現代ではのび太でさえ4頭身以上に描かれ、ヒーロー級のキャラは7頭身8頭身が当たり前になった。
 人の姿を現実の世界に近づけたのかもしれないが、それがアニメの世界が中途半端にリアルにする結果になり、寧ろ親しみが持てなくなった感がある。

 また台詞についても、昔は独特の個性的な声をもったキャラクターが活躍していたが、最近は最初からアニメの声優を目指して訓練してきて入ってきたような画一的な声質の持ち主ばかりで、どうも耳になじまない。
 台詞廻しまで、型にはまったような教科書的読み方をする声優ばかりで、やはり親しみにかける。

 背景の描かれ方も同様で、最近のアニメではビルや商店などリアルさを追求した綺麗な街並みが描かれているが、それが却ってアニメ自体を現実に近づけてしまい、つまらなくしている気がする。
 背景などは昔のサザエさんやバカボン、あるいはクレヨンしんちゃんの街並みのように、あまりリアルに描かれないようなある意味いい加減な絵の方が観ている側からすると入りやすい気がする。
 リアル過ぎると、どうもアニメの世界から現実に引き戻されてしまうのである。

 そういった点では最近までヒットを続けていた一連の宮崎アニメなどは例外で、8頭身キャラはほとんど出てこないし、背景も柔らかくリアル過ぎないし、画一的な台詞しか言えないアニメ専門声優は極力排して、リアルな舞台で活躍する俳優や個性的な声の持ち主を採用しているため、映画にメリハリがあって、別の意味でのリアリティが存在する気がする。

 まあ、こういったアニメの姿が変遷している背景には、子供向けで作ることが前提だった昔から実写映画同様に大人が観客の対象となり、大人たちの世界もやはりアニメで描かれるようになり、性愛的なものも含めてリアルな人間関係が包含されるようになったという事情があるのかもしれない。
 またパイオニアたちが手さぐりで作品を作っていた時代と違い、クリエイター達がアカデミックな教育を受けたがゆえに、リアルに近づけるためのテクニックを持つがゆえにどうしても駆使したいという事情があるのかもしれない。

 まあ時代とともに社会におけるアニメの位置づけも変わって来ているので、固定観念として昔の方が良かったとは必ずしも言えないが、2頭身キャラのクレヨンしんちゃん以降、親しまれるアニメキャラが生まれず「ゆるキャラブーム」に時代のキャラクターの主役を持って行かれているような状況を考えると、現代のクリエイター達はキャクラクターづくりにもう一工夫する必要があるのではと考えてしまう。

 アニメは独特の世界があればよく、リアルである必要はないという気がするのである。

ネットの情報の半分はパンダ

いろいろ紆余曲折した会社の移転問題だが、実は先週末にほぼ決定した。
移転時期に関してはまだ流動的だが5月中の移転完了を目指すとの事。
これを受けて、先週の自分の部屋探しを始めようとまずネットで市場調査を始めた。
中国には上海だけでもかなりの数の部屋探しサイトがあり、かなりの件数の物件が掲載されている。
使いやすいサイト、使いにくいサイトいろいろあるがそのサイトの構造に限らず、掲載されている情報の半分は客寄せパンダ的なダミーの物件情報であるという。

 従って、条件の良い物件を見つけて連絡をとってみるとその物件はもう成約したと言われ、別の物件を探して紹介するがどうかと必ず言われる。

 確かに上海の空室市場は流れが速く、条件の良い物件はすぐに埋まってしまうので、本当に不動産会社の言うとおり成約済みの可能性もあるが、やはりどうにも疑わしい。

 果たして、本当にその物件があったのかどうかもこちらには知るすべがないので確かめようがない。どうにも顧客集めの客寄せパンダのにおいがする。

 実は先週末これと同様のことがあり、見事引っかかってしまった。
私自身が部屋探しのためにネット上で情報を探し、良さげな物件があったのでそこに電話をかけたのだが、相手からその物件はもうないといわれたのである。

 しかしながらその物件情報の登録日時は前日の夜の7時であり、私がその情報を見つけたのは夜中の1時頃、そして電話をかけたのが朝の9時である。真夜中に契約が成約したとしか考えられない状況である。もちろん上海とてそんな真夜中に部屋を見て契約するようなことは常識的に有り得ない。

 結局は元からそんな好条件の物件など存在しなかったのである。

  そして、次の瞬間から不動産屋からの紹介攻撃が始まる。まあこちらとしてはこの「客寄せパンダ物件」と同等の物件が用意されるならば言うことないのだが、そんなやり方をする不動産屋に限って、ロクな情報を持っていない。しかも話が通じない。言葉が通じないのではなく話が通じないのである。

その不動産屋から数件の物件を紹介され、部屋を見て回ったのだがどうにもこちらの要求がまったく通じていないような条件の部屋を紹介された。

説明しても、どうも部屋と相場のバランスがあっていない気がする。日本人だからなめられている部分もあるかもしれない。

 こんな不動産屋に付き合っていると3日たっても見つけられそうにない気がしたので、そうそうに離れた。
次の日に電話が掛かってきた時には「もう決まった」と嘘をいえばそれで終わりである。パンダのお返しなので罪悪感もなく言える。
 不動産選びというのは実は不動産屋選びがまず重要なことだと教えられた。ネットには着ぐるみを来たパンダがたくさんいる。
 今回の教訓は「パンダに気をつけろ!」である。

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