ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげる先生が先日亡くなった。
まあ私としては特別ファンだったということでもないのだが、子供の時にはもちろんアニメの「ゲゲゲの鬼太郎」は見ており、目玉オヤジはキャラクターとしてよく印象に残っていた。
目玉オヤジや鬼太郎は、最近のクールジャパンのイベントで着ぐるみで登場している姿も良く見かけた。
そんな水木しげるさんの作品と言えば、やはり妖怪が特徴的なのだが、どうも我々の中で妖怪と幽霊を混同してしまっている面がある。
妖怪と幽霊はいずれも人間に恐れられている正体不明の存在ではあるが、その存在概念の背景を探ると、同じものではないのである。
昨日もあるところから送られて来たメルマガタイトルに、今回の訃報に即して「水木先生が妖怪の世界へ旅立たれた」とタイトルに書かれていたのだが、これはどうも妖怪と幽霊を混同して理解されているように思えたのである。
もちろん妖怪と幽霊はどちらも科学的にはっきり証明されているものではなく、人間社会で何となく概念として存在しているだけのものなので、その定義を争うのはナンセンスかもしれないが、言葉を調べて行くとやはり存立する世界が別々のものとなっている。
まず、妖怪というのは自然現象、生体現象、など人間の人知を超えた実在のものを人間が誤認したり憶測を加えたりして概念として成立させたもので、基本としてこの世の物であり、理解が出来ないから恐れられている存在ということになっている。
これに対して幽霊というは、あの世という死生観が絡んでおり、人間の死人、もしくは人間が可愛がっていた特定の動物の精神の不滅性を象徴する存在となっており、生死の分類で言えば死であり、この世にも現れることもあるが、あの世が主なる世界となろうか。
もちろん、この世の理解できない超常現象の原因を霊を理由として、あの世として結びつける面もあるが、幽霊は基本的に死の世界と結びついた存在となっている。
ところが妖怪に関しては、霊の存在やあの世の存在を前提としておらず、この世の怪現象や未確認の怪動物を指しているのであり、つまりこの世に存在するものを指す言葉となっている点で幽霊とは前提が大きく違うのである。
まあ水木先生のゲゲゲの鬼太郎にも、墓場に妖怪が出てくるため、見ている側にとっては霊と混同しやすい面はあるが、やはり妖怪はこの世の現象存在なのである。
従って、上述のメルマガタイトルは妖怪をあの世のものと扱った前提で書かれている点で間違っていることになる。
つまり、先日亡くなられた水木先生は、妖怪の世界に旅立ったのではなく、人と妖怪の世界(この世)から旅立たれたこととなるのである。
妖怪のいない世界に旅立たれて、水木先生はさぞかし寂しい思いをされているのではないかと私は思うのだが果たしてどうだろうか?。