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スマホ撮影に夢中な人たちは損をしている。

 上海に来て10年以上たつが、最近ようやく上海のコンサートに定期的に足を運ぶようになった。

 まあ、昔のような激しい頻度ではないものの、1~2か月に一回という割りと普通の人よりは多めの回数になったのでは無いかと思う。
 それというものの、演奏会によっては結構安くチケットが手に入ることがわかったからである。

上海東方芸術中心外観

 特に東方芸術中心の上海フィルハーモニーの若手の指揮者の回だと100元とか50元(=約850円)とかで売り出されている場合があり、そういうのをうまくチョイスして通うようになった。

 まあ若手の指揮者の場合、深みや味わいという点では巨匠たちに比べ劣るものの、素質は十分で優秀なためスマートな演奏という意味では十分聴き応えがあり、コストパフォーマンス的には十分すぎるくらい堪能できるのである。

 で、このように貴重な機会を得て、コンサートホールに足を運ぶ習慣が復活したのだが、やはり気になるのは観客たちのマナー水準である。
 以前は演奏中おしゃべりや雑音、座席移動、拍手などかなりひどかったが、最近ではこの点では以前よりかなり向上している。

 ただ、そういった部分のマナー向上に反比例して目立つようになったのが、スマートフォン関連のマナーの悪さである。

 一応会場では、演奏中の撮影・録音を禁止する旨のアナウンスや掲示があるのだが、中国人聴衆たちは気にせず係員の目を盗んで、写真や動画の撮影などをちょくちょくやるのである。
 先日など、演奏中にフラッシュを焚いたおばさんがいて、こちらはドン引きして振り返ったのだが、本人は意に介さないようだった。

 また演奏の動画を撮影して、その場で再生をして音を出したというとんでもないおばさんもおり、スマホの機能向上によってもたらされた酷いマナーは後を絶たない。

 この点、今の日本のコンサート会場の現状がどうなっているかわからないが、少なくとも都心の主要コンサートホールで行われるプロオーケストラの演奏会ではそんなことはないのではないかと察する、
 まあ、演奏中の写真撮影などは他人に大きな迷惑をかける行為ではないものの、肖像権の問題もあるし、背後の聴衆にとっては暗闇の中で光る液晶画面が気になり、集中力がそがれるのである。

 
 しかし個人的にはそういう迷惑の有無や著作権の問題を抜きにしても、聴衆は演奏中の録音や撮影はやめたほうがいいと強く思っている。

 まず第一に、演奏中に録音や撮影に気を取られることによって生演奏の空間を体験するという貴重な時間が失われるからである。

 自宅でCDなどもメディア再生による音楽を聴くのと違い、瞬間瞬間の命を持った音楽を会場空間の響きとともに味わえる時間というのは、人生や生活の中で貴重な体験であるはずで、その時間を撮影や録音作業に気を取られることによって失うというのは非常に勿体ないのである。

 CDの音楽のように何度も聴ける響きならば、気の済むまでやり直しが利くが、生の音楽はその一瞬だけなのである。

 そしてその空間にお金を出してわざわざ足を運んで訪れたのに、演奏中に録音や撮影に気をそらすとは私にとっては何とも勿体ない行為に映り、彼らはとても損をしているように映るのである。

 さらに第二の理由としてどんなに高性能のスマホのカメラや録音機能であっても、そこで撮影・録音されたものは、ほとんどゴミのような写真・音にしかならず、プロが撮るような綺麗な状態にならないからである。

 マイクを立ててバランスよく録音できるわけでもなく、きちんと露光を測った撮影が出来ない状態では、ロクな録音や写真が期待できるわけがなく、そういったものは結局ゴミデータにしかならず、見返したり聞き直したりすることはほとんどないのである。

 故に、どうしてもコンサート会場に来た記念が欲しければ、演奏会の前に自撮り写真などを1~2枚残せば、おおよそ事足りる。

 もちろん演奏会終了後でもいいが、演奏会後は音楽の余韻を味わう時間であり、私はその余韻を抱いたまま自宅に帰り寝たいので、写真云々に気を使いたくなく写真を撮ることはほとんどない。

 そのため、記念撮影的な写真は演奏前に済ませておくのである。
 
 現在は録音媒体技術が発達し、自宅や地下鉄などの移動中にも気軽に音楽を聴ける環境があるので、我々はついそれをコンサート会場に持ち込んで、演奏者を前にしても気軽な態度で演奏を聴いてしまいがちになり、ついついスマホに手が伸び撮影などを行う人もいる。

 しかし、それはライブ会場での体験の貴重さを考えると非常に勿体ない行為であり、お金を出して会場に足を運んだのに損をしていることに気付いてほしいのである。


アーカイブ時代の噺家の大名跡襲名は出世か?

 日本の古典芸能の中には、芸の世界での出世を表す一つの象徴として名跡を襲名する芸能がいくつかあるが、映像や音楽の記録技術が進歩する現代社会の中においては、この名跡襲名制度が不便になりつつあるような気がする。

 名跡襲名を行う有名な芸能と言えば主に歌舞伎と落語があるのではないかと思うが、このうち歌舞伎については、役者個人だけで舞台が完結するわけではなく、生の舞台のライブ公演が主で、まずは公演の演目が大事なものとなるため、役者の名前はその次となる。
そしてそれをアーカイブ(記録保存)化して残すDVDなど記録媒体は、現時点では補助的な役割でしかなく、やはり生の舞台が鑑賞の主力なので、例えば「市川團十郎」などと役者の名跡を名指しするときは大体当代だけを考えればよいという気がする。

 ところが、これが落語になるとどうも事情が違う。

 まず落語は個人芸であるため、演目よりも演者に価値が置かれ、演目は二の次となる面があり、噺家の名前そのものが看板となる。
 しかも、噺自体が歌舞伎に比べ短く、映像を必ずしも必要としないため、音声媒体だけでもよく、相対的にアーカイブ化されやすいという特徴がある。
 この結果、歌舞伎に比べ過去の名人・巨匠の名演が、噺家の名前を看板として沢山残され、現代でも誰でもが気軽に触れられる環境が生まれてしまっている。
 例えば、30年以上前に亡くなった古今亭志ん生さんや三遊亭円生さんの噺などは今でもYOUTUBE上に音源や映像を見つけることが出来る。
 しかしよく考えてみると、この「志ん生」という名跡は五代目、「円生」は六代目であり、本来は先代との区別に苦労することもありそうだが、インターネットも記録技術もほとんど無かった時代には、先代が死んだあとは人々の記憶とともに忘れ去られてしまうので、先代没後に間もなく名跡を襲名しても問題はなかったという気がする。

 ところがである。

 近年記録技術が発達し、映像や音声媒体にたくさんの記録が残ってしまった噺家が亡くなったあとの襲名はちょっと厄介である。
 その記録がいつまでも再生可能な状態で残るからである。

 しかもそういった噺家たちはテレビなど媒体電波に乗って、名前と顔がやたらと宣伝されてしまっているため、人々の心に強く印象が残ってしまっている。

 その一つの代表格が、例えば「三遊亭圓楽」という名跡であり、「林家三平」という名跡なのではないかと思う。
 例えば三遊亭圓楽という名跡は、2009年に先代の五代目が亡くなった直後に1年程度で六代目が襲名したものだが、六代目があまりにも長くテレビに出演して印象が強いため、現在でも圓楽=五代目の印象がぬぐえない。
 またそれを継いだ六代目も長く「三遊亭楽太郎」を名乗ってテレビやマスコミに出てしまっていたために、現時点では「圓楽」としては認識されにくく、六代目とわざわざ断らなければ区別できないのが現実だと思う。
 同様に林家三平という名跡も先代が初代だがテレビで強烈な印象をばらまいたため、2009年に襲名した現二代目が三平と名乗っても、息子でもあるためか、先代の印象を拭ってはみられないという状況が起きている。

 このように名跡の先代の功績が大きすぎる場合は、アーカイブ化された記録やメディアでの露出が多すぎるために、名跡を継いだ人間がなかなか自分のイメージに染められないという状況が発生してしまう。
 逆に、若い時からテレビやマスコミに多く出てしまった噺家も自分の名前が売れすぎてしまったために、大名跡をついでも昔の名前で呼ばれ続けることもあり、上記の楽太郎さんや先日亡くなった橘家圓蔵(月の家圓鏡)さん、上方の桂文枝(桂三枝)さんなどが良い例かと思う。
 文枝さんの顔を見ても三枝の名しか思い出せず、文枝の名は思い出せないのである。

 それに故に現代のテレビやアーカイブの時代では、昔なら当たり前と思われた大名跡の襲名が、必ずしも喜ばしい出世とは言えず、実利的にはマイナス面もある可能性があるのである。

 例えば数年前からもめている「円生」の名跡継承問題もそれぞれ名乗りを上げている者のはいるものの、いずれも60を超えているベテランで、現在の名跡の印象が染みついていて、今から襲名したところで新しい「円生」のイメージは作れないと思われる。
また何より先代のイメージを強く持っている人がまだ大勢いる上に映像や録音が残っていてそれを塗り替えるのは容易ではないという気がする。
 逆に「志ん生」の息子「志ん朝」が親の名を継がなかったのもある英断といわれており、今もなおファンがアーカイブ映像・録音を楽しんでいる現実があるため、迂闊な継承襲名は望まれていないと思われ、現在ではどちらも止め名(誰も継がない名跡、野球の永久欠番的なもの)的な状態となってしまっている。
 
 このように現代のような保存メディアが発達した時代では、古くから伝わる伝統芸能の世界にさえ影響を与えている面があり、大名跡の襲名が必ずしも栄誉ある出世とは言えず、襲名の価値をよく考えなければならない時代になってしまっている。

JAPANの語源はニッポン?

 日本の英語名称として定着しているJAPAN(ジャパン)という名称だが、日本(ニホン)という自国語の呼び名に比べ、随分と発音の印象に差があることにかなり以前から気になっていた。
 自国語の発音と全く違うような発音である[ジャパン]が何故日本を意味するようになったのか?結構不思議な謎ではある。

 よく言われるジャパンの語源の一つの説として、かのマルコポーロが日本を「黄金の国ジパング」と呼んだことに由来するというものがある。
 つまり、ジパングが変化してジャパンになったというのである。

 まあこの説には疑いを挟む余地はあまりなく、詳しく調べたわけではないが、東方見聞録がヨーロッパで各国語で翻訳される過程で、ZIPANGが地域によって発音を優先した結果、「JIPANG」などに表記が変化し、最終的に英語圏でJAPANというような表記になったのだというような事は十分に有り得るわけで容易に想像ができるのである。

 しかしである。

 ジパングがジャパンになったことは理解できるとしても、では何故ジパングが「ニホン」を指す言葉であったのかと言う疑問が残る。

 この点について実は中国語を勉強する過程において、そのヒントを見つけることが出来る。

 まず日本という漢字は、中国語のピンイン表記すると[riben]となる。
 このうち[ri]の発音は、日本人はついローマ字読みをして「リー」と発音したくなるが、中国語のテキスト素材を正しく読むと巻舌音で発音するとされており、巻き舌になるのでどちらかと言えば「ジー」という音に聞こえるものとなっている。
 つまり[riben]は「リーベン」ではなく、「ジーベン」が耳に伝わる音に近いのである。
 (巻舌音をカタカナで表記するのには限界があり、日本語で「ジーベン」と読んでしまうとそれはそれで違うのだが)

 よって現代の中国では日本を「ジーベン」と呼ぶわけで、マルコポーロが来た時代にはやや発音がずれてて、例えば今よりも「ジバン」という表記に近い発音で読んでいたというようなことは十分考えられるのである
 そんな時代にやってきたマルコポーロが、日本を指す言葉として「ジバン」を聞き覚え、書き記す最中に発音上のスペルとして最後にGが加わってZIPANG(ジパング)になった可能性は十分に成り立つであろうに思うのである。

或いは日本国と表記した場合には、発音はジーバングオ[ribenguo]になるので、それがジパングと変化した可能性もありうる。

 故にジパングの語源は漢字の「日本」の中国語読みという可能性が高いと推測され、発音の変化の過程を詳しく研究できれば実証できるのではないかという気がする。

 さてさて、もしジパングが中国語の「日本」だとしても、今度は中国語[riben]と日本語の[nippon]の距離が気になることになる。

 これを考える上で、朝鮮語の存在が一つヒントを与えてくれるような気がする。

 ハングルで日本を表記すると[일본]となり、無理矢理カタカナ表記されたものを見ると[イルボン]となるが、実はこの[イル]の部分は巻き舌で発音するのが正式な発音となってる。
(ハングル文字は、口の形と舌の形で表記されているとされ[일]の己の字のような部分は巻き舌を表しているとされる)

 巻き舌で発音ということは、つまり巻舌音ということになり、中国語の[日:ri]と近い発音ということになるのである。
 この2つの発音の共通性から推測すれば、「日本」という漢字の発音が朝鮮に伝わる過程で発音が変化したものと推測出来なくもないのである。

 で、この現在の[일본:イルボン]の発音は、実際に耳にすると[ル]が飛んで[イッボン]と聞こえるような発音であり、発音具合によっては[イッポン]とも聞こえないことも無いわけで、つまり「ニッポン」に近い発音を持っているとも言え、それがニッポンに変化したとも言えなくはないのである。

 ただ問題は[ippon]と[nippon]の差、つまり頭の[n]がどこで付いたのかということになる。
 普通に考えると[i]と[ni]の発音の変化は非常に難しいからである。

 ただこれも実は朝鮮語が問題を解くカギだという気がする。

 ハングルの勉強をしたことのある人なら知っていることだが、ハングルでは文字の並び方によっては実は前の文字と発音が繋がって発音されることがあり、前の文字のパッチムと呼ばれる子音と次の文字の母音が結びついてしまうことがあるのである。
 つまり[일본]の前に[n]の子音(パッチム)を持つ文字が来てしまうと[○×ニルボン]という発音に変化してしまうルールになっており、このルールを適用すれば、イルボンがニッポンへと変わる[n]のピースが埋まるとも考えられるのである。

 まあ、ハングル文字自体が出来たのが15世紀でありこの連音化のルールが正式に決まったのはその頃なのであるが、朝鮮語自体はそれ以前から存在していて固有の発音ルールがあったようなので、この連音化についても同様の法則があったと思われ、一つの説としては成り立つのではないかと言う気がする。

 ただこのほかにも、日本語の古代の漢字の発音である「呉音」という発音にも[にち]という[n]の発音があり、その流れで[ニチホン]の発音が既に成立していた可能性もあるとされる。
 しかしこの「呉音」自体がどこからやってきて成立したものなのかははっきりせず、一説によれば南方系中国の発音だともされているが、何せ録音技術のない古代の話のため、どうやら元は中国の方らしいとぐらいにしか言えないようなのである。

 ただこうやって、壮大な言葉の繋がりを追っていくと、恐らく「ニッポン」と「JAPAN」は同じ漢字の「日本」の発音を語源とするものではないかと言う推測が成り立つことになる。

 まあ[n]の壁の問題を考えると、どうやら伝達の流れは「ニッポン→ジパング」ではなく「ジパング→ニッポン」の流れであるほうが正しいような気がするのだが、いずれにしても一つの発音を起源とした国名が東西に分かれて伝達し、地球をぐるっと回ってきた結果、現代の日本で「JAPAN」と「ニッポン」という同じ国を指す別の言葉ととして存在しているようなのである。

 何千年もの時間をかけて人類の歴史が産んだ「JAPAN」と「ニッポン」という国名、並べてみると何とも不思議な印象である。