Monthly Archives: 5月 2011

国産にこだわったため人気が落ちたキリン生茶

今日は紹興のお茶工場に見学に行った。

そこで茶に関する各種いろんな専門話を聞いたのだが、その中で一番興味深かったのが日本のキリン生茶の話。

 この商品の発売当初は中国産の茶葉も使っていたが、数年前から中国産食品に対するイメージが極度に落ちたため、茶飲料に使われる茶葉も例外ではおれず、国産茶葉100%に切り替えたのだが、そのために従来の味が保てず人気がなくなったとのこと。

 そういえば日本のこのキリン生茶、私も発売当初は非常においしく感じ好んで飲んでいたが、最近、、、といってもしばらく前ではあるが、生茶を飲んでもそれほど香ばしさを感じず、渋みだけが目立ち、以前ほどおいしくないなと感じた印象のときがあった。

 これは単に自分の思考の変化や慣れの問題だと当時は感じていたが、今になって現実に途中に茶葉の切り替えがあったのだと聞くと納得するものがある。

中国茶葉の袋

中国茶葉の袋

 まあ当時の日本人の中国食品に対する嫌悪感や警戒感はすさまじいものがあり、(もちろん今も決して安心できる状況とはいえないが)その影響で本来なんの品質の落ち度は無かったであろうこの中国茶葉にまで風評被害が及び、国産茶葉100%にこだわらざるを得なかったことはある意味しかたないことだとは思う。

 しかし、これによって味を保ち切れなくなったメーカー側の開発者の心境を察すると、結構気の毒なものがある。

 これは形としては風評被害を事前に回避したケースであるが、その後実際に売り上げが落ちたとなるとこれも結果として風評被害の一種と言えるのではないだろうか。

 まあ震災後、福島原発の影響で風評被害のニュースは絶えないが、今回のキリン生茶のケースのように、直接表面に出ない形での風評被害も実は世の中にたくさんあるのではないか、そう感じた今回のキリン生茶の話であった。

地方発を謳いながら国家を振りかざす知事

 少し前になるが、日本の某有名知事が教職員に対して卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかったら必ず辞めさせると息巻いている、といったニュースを目にした。

私はこのニュースを見て、

「あれ、なんだこの知事、言っていることとやっていることが矛盾しているな」
という印象を持った。

 この知事、確か「地方発で国を変える」ということを盛んに発言し、つまりボトムアップで政治を行おうとしているという印象を受けていたが、この発言はどう見ても上から権力を振りかざし、命令に従わそうとしているという姿勢に見える。

 特に「地方から」といっているのに国家の象徴である「君が代」に敬意を払えと国家を振りかざし人事権で力づくで従わせようとしている点が非常に不可解だ。

 うーんこの知事も地方発だと言いながら、結局は権力志向で天下人を夢見る存在なのか、そんな印象を持ってしまった。

 そういえばこの人が中心になって参加している某地方政党のネーミングもどうも頂けなく、改革が旗印のように見えて実は単に幕末ロマンに自分に重ねて酔っている人たちの集まりなのではないか、そんな印象を持ってしまう。

 歴史好きの政治家には幕末ロマンに自分を重ねている人は少なくないが、俺は龍馬だの、奇兵隊だの、そんなことを口走った政治家達が中身のある政治を行えず、ロクな成果を挙げていないのは周知の通りである。

 しかも当の明治の政治家たちも新体制といいながら中身は薩長政治だったといわれるように、偏った地域出身の政治家たちで固められた政権体制になってしまったことを考えると、当代の彼らも明治のそれらと何ら変わりない単なる野望家達の集団なのではないかという印象につながる。

写真はイメージ

写真はイメージ

 私自身は国歌と国旗などは特になくてもいいと思っているが、それらがなければ自分を日本人だと認識できない人が世の中に沢山おり、その人たちから日の丸と君が代を奪うほどの理由は自分の中にはなく、彼らがそれによって心の安定をもたらされているのならば強く反対するほどの否定意識を持つわけではないので、消極的肯定というような考え方でこの2つの存在を見ている。

 故に、私から否定することはもちろんしないが、逆にこれを強制されることには非常に抵抗感を覚える。

 つまり強制されること=国家権力の振りかざしの印象を受ける。

 それは私からすれば公務員だからといって強制されるべきものではなく、業務の忠誠とはまた別のものであるという考え方である。
 しかも今回のそれは地方公務員に対しての発言であるから余計に不可解だ。

 そんな私の目から見ると、今回のこの知事の発言はどうも彼の矛盾をさらけ出しているように感じるのである。

フルオート事業システム幻想

事業や経営を行う人なら恐らく誰でも持ったことがあるのだろうと思われるのがフルオート事業システム幻想。

 つまり、いったんシステムを作り上げてしまえばほとんど手をかけず、システムが自動的に利益を稼ぎ出してくれる事業形態のことである。

写真はイメージ

写真はイメージ

 まあ、確かにそんなシステムを築き上げられれば後は非常に楽で手間もかからず、経営者的には理想の形態である。

 経営者達がこれを理想と考える裏側には、「人を雇うということはコストも手間もかかるし、うまくいかないリスクも抱え込むことになる」などのそういった人に対する煩わしさから、「機械の正確性のほうが信用性が高い」というところに意識があるのだと思う。

 故に人の手を極力省いたシステム、究極的には事業そのものをフルオートメーション化したシステムを構築できれば、あとは全て利益になるのではないかと理想を抱く。

 しかし、そういった理想は結局幻想でしかないというのが人間の世の中だというのが私の考え方だ。

 まず第一の理由として、そのシステムが儲かるのなら必ず同じものを作ったり、それ以上のものを作る人が現れ、結局は人の手を入れなければ競争に負けてしまうこと。

 つまり余ほど真似のできないようなオリジナルの技術があったり、特許で保護されているものがあれば別だが、そうでなければシステムは作った瞬間から常に競争にさらされることになる。

 第二に人が働く部分をどんどん機械に置き換えていったところで利益をもたらしてくれる相手は機械ではなく、それは結局人間にほかならず、その人間の社会というものが常に不安定なものであるが故に、永遠に同じ動作で動くものは人間に飽きられてしまう可能性があるということ。

 結局は人が事業で儲けるためには、常に人が働きそこに日々常に新しい価値を注入し続けることが必要で、そうでなければ実は進化が止まることになり、世の中が絶え間なく進化している分だけこちらが歩みを止めた時点から相対的に退化していく存在になってしまうのが人の社会というものである。

 であるが故に、人がプログラミングした範囲でしか動作しないシステムだけを、いくら高度に積み上げていったところで永遠に利益に稼ぎ出してくれるシステムにはありえないのである。

写真はイメージ

写真はイメージ

 

もちろん、ならば永遠に価値を生み出してくれるようなシステムなどという幻想もまた生まれなくないが、新しい価値とは既存の物事を推し量るパラメーターでは計れないところに出現するから新しい価値なのであり、それを永遠に追いかけることはその時代の社会に生きる人間だけが成しえる業であり、たとえ3年でも5年でも過去になってしまったものの中からは生み出しえないものだと思う。

 そう考えていくと、やはり人がいるから価値が生まれ、事業というものが回るのであり、表題に掲げたフルオート事業システムなどは絵に描いた餅に過ぎず、やはり幻想なのだと思う。

もうすぐこの街ともお別れ

会社の引越しまであと一ヶ月程度となった。
2年前に、会社とともにこのエリアに引っ越してきて、まあたった2年とは言え自宅も職場も同じエリアにあったものだからこの街に馴染んできていた。

 無茶苦茶気に入っていたわけでもないだが、日々の生活圏がここにあってそれなりの愛着もあった。

 しかしこのたび会社の再移転が決まったため自宅は一足先に先月に引っ越してしまったのですでにこのエリアから生活圏はなくなった。

 そして来月は職場もこのエリアからサヨナラである。

職場の窓からの風景

職場の窓からの風景

 まあ、そんなに遠くに引っ越すわけではなので、ここへ戻ってこようと思えばタクシーで10分かそこらで来れてしまうのだが、毎日来ることは有り得ず、やはり縁遠くなってしまうのは確実である。

 そう思うと時間の流れを感じてちょっと寂しくもある。
ここにいた時間は辛い時間が多かったが、今はもう過去になる。

店によって値段が違ったカルフール

私は某ローカルメーカーの冷凍餃子をいつも切らさないよう冷凍庫にストックするほどに愛用しているのだが、このメーカの商品は今のところカルフール以外で売っているところを見たことがなく、この餃子が仕入れるときはいつもカルフールへ行く。
そして先日、古北のカルフールに行って買い物していたときのことである。

古北のカルフール

古北のカルフール

いつものように冷凍食品コーナーを覗いて、件の冷凍餃子を買おうとしたら、付いている値段がどうも変だった。
いつも買っている値段より高い気がするのである
種類ごとに1パック9.6元から10.7元などという値段がついていた。

あれれ?おかしいなぁ、値上がりしたのかなぁ?
確か先日は6.7元とかそういう値段だったはず。
こんな短期間に3元も値上がったのか?
いくら最近の食品価格の高騰が激しいからといって、この上がり方は激しすぎる、約50%もの値上げになってしまう。
今後もこの値段だったら参ったなぁと思った矢先、あることを思い出した。

うーん、そういえば先日買いに行ったのは同じカルフールでも「中山公園店」だった気がする。
まさか同じカルフールでもそんなに値段が違うのか?

 そんな疑問を持った私は、その店でこの冷凍餃子を買うのは止め、改めて翌日にこんどは中山公園店に行ってみた。
 そして真っ先に冷凍食品コーナーに行ってみたのである。

あ、やっぱり・・・。

案の定、6.7元の値札が付いており、この中山公園店の件の餃子は元の値段のままだったのである。

 つまり、同じ会社のカルフールでも店によって値段が違うのである。
これにはちょっと驚いた、値段がこんなに違うなんて。

 まあほかの商品も値段比較をしてみたところ、必ずしも古北店が一方的に高い商品ばかりというものではないようだが、やはり価格は同一ではなく、商品によってはやはりこのように価格差があることが判明した。
 今まで私は、同じカルフールの同一エリアの店舗なら価格は基本的に同じと勝手に信じ込んでいたので、この価格差の事実に私にはちょっとしたショックを受けた。

 そうだったんだ、、、今後は気をつけないと・・。

 まあ実際こういう状況がわかったからといっても、全ての商品について価格比較してから店を選択して買うなんてことはできないので、今後もある程度の妥協の中で買い物をするとは思うのだが、このような価格差の存在を知ったのはよい勉強になった。
 
 勝手な思い込みはいけない、ここは日本とは違う、それを改めて感じたこのカルフールの価格差であった。