Monthly Archives: 4月 2010

冗長な開幕式

全く見ないと文句も言えまいと、万博の開幕式の中継をテレビを見ていたが、あまりにも緩急のない単調なごり押し演出に飽き飽きしてしまった。
どうして中国という国はこんなにもセンスがないのだろうと改めて感じてしまう。
パワー、壮大さのごり押し、中国が万博をやるとここまで下品になってしまうのか、そう思いたくなるようなひどい内容だった。
 こんなことに、大金をかけてまでやる必要があるのかと疑問に思う。

 万博って何?そう問いかけずにはいられない上海万博の開幕である。

特に上海が好きなわけではない

 上海生活が長くなっていると、時々人に「上海が好きですか?」と尋ねられることがある。
 実はこう尋ねられるとちょっと答えに窮する。
何故ならば、上海を好きとか嫌いとか感情的な理由でここに住んでいるわけではないからだ。
まあ嫌いでもないが、特別この街を気にいって住み始めたわけでもない。

 個人的理由や、仕事上の理由、経済の趨勢その他によって、たまたま選んだのがこの上海という町で、中国という国の文化その他に魅力を感じてここにいるわけでもない。
 それが証拠に、確か以前も書いたと思うが私は三国志にほとんど興味がないし、その他中国の伝統文化や4千年の歴史にも興味があるわけでもなく、また今後も興味を持ちたいという気にはなっていない。また逆に発展の様子を見るのが好きだというほど物好きなマニアでもなく万博を楽しみにしていたわけでもない。

 確かに日本人にとって上海は住みやすい町になったし、時間が長くなるにつれ、それなりに愛着は出てきたが、じゃあ上海にずっと住み続けるのか問われれば、現時点では私はあまり明確な答えをもってはいない。
 特に上海の夏の暑さは非常に堪え、今でさえ夏の間だけでも大連などの東北に移り住めないか真剣に考えている。つまり、仕事や都市生活の環境が整えば別に上海でなくてもいいのだ。

 でも今は上海にいて、上海の街の中で仕事をしている。まあ敢えて言えば上海での仕事は日本の仕事よりやりがいがあるということになる。

 実は私のような日本人は結構多いのではないかと思う。上海に10万人いるといわれる日本人だが、本当に上海が好きでここにいるということではなく、世の中のビジネスの潮流で上海に流れ着いたり派遣されたりして、長らく上海にいることになってしまったような人が大半のような気がする。

 もちろん、外国であるので大陸の気質と合う合わないが必ずあり、水が合うと思った人間が残っているのだとは思うが、まあいずれにしろビジネス的な理由が主たる滞在理由であり、それが失われてしまえばここを去ることになるであろう。

 きっと私もそんな一人であるが、まあ今の上海の勢いを考えれば、この街を離れる
日が近いとは考えにくいのものまた事実である。

 されば、ここにいる時間を何とか楽しいものにしたいというのが目下の生活の目標
となるしそう思って生活している。

パリの空の下<sous le ciel de Paris>

なんとなく都会生活に滅入ったような気分の時、このレイモンルフェーブルの曲は結構しっくり来る。

上海の外灘の夜景

上海の外灘の夜景

 華やかな都会生活の裏通りに押し込めらた生活感あふれた耐乏生活。
出会いと別れが交錯し、人生の意味や愛の葛藤に悩まされ続ける日々。
そんな状況でも、どこかに希望を見つけながら時に楽しく、時に寂しく生きていく。
建物と建物の間から見上げた空が唯一の希望であるような生活。

 そんな人生の光と影を見事に描ききったフランス・シャンソンの名曲「パリの空の下」。

 そしてこの曲は、大都会となったこの上海の生活にもしっくりくる曲のような気がする。

 いろんな人が歌っているようだが、私はアコースティックながらも、このレイモンルフェーブルグランドオーケストラの演奏が断然好きである。

 この曲を聴くと、この上海の空の下の、時に華やかで楽しいが、時になんとなく切ない人生の甘さと苦さを感じてしまい、妙にこの曲のメロディに納得させられてしまう。
 私もこの上海の空の下に生きているのだと。

説得力

言葉は同じ言葉を同じ意味で使っても、使う人によって説得力が違う。

あいつのブログは会社の宣伝ばかりだと、非難している本人のブログに本人の宣伝が載っていたら説得力にかける。

部下の休暇申請を疎む上司が、よく遅刻したりよく休んでいては説得力にかける。

言葉は使う人によって同じその価値や重さが変わって来るから不思議である。

 

日本の民意は沖縄負担継続?

沖縄の普天間問題の動向が日本から連日伝えられているが、結局日本国民の本音のところは「沖縄県民さん。これからも我慢してください、ゴメンナサイ」というのが実際のところのように見える。

恐らく「沖縄県の負担を減らすべきだ!」と声高に叫んでいるのは、自分の家のそばに絶対に基地は来ないだろうと思い込んでいる都会の人間なのである。

もし例えば沖縄の負担を減らすために東京湾の海ホタルや関西空港に基地機能を移転するだのという話が出れば、これまでの沖縄負担軽減派はたちまち沈黙してしまうように思えてならない。

つまり、沖縄の負担を減らせという掛け声はそのくらい中身のない意見のように見える。

 現実的には今や日本全国どこにも基地を受け入れても良いという地域は表れず、結局のところ沖縄県の負担軽減は絵空事で、国民の民意としては沖縄負担継続が本音なのだろう、、、

と、書いていたら、その移転候補地の一つとされている徳之島出身の友人からこんな話を聞いた。

「先日、徳之島の全島民反対意思の象徴として1万5千人が参加して行なわれたといわれる集会は、実は普段は島にいない奴を大勢かき集めて行なわれたのかもしれない。
 3万人しかいない島でそんなに集まれるわけがなく、つまり彼らは反対派が多いのだというパフォーマンスを行なったのであって、それを真に受けたマスコミが島民全部が反対しているように報道しているが、現実はそうではなく基地受け入れの推進派もそれなりの人数がいる。

 推進派から見れば、島に住まずのうのうと都会暮らしをしている人間が、もっともらしく反対の看板を掲げているが、それは島を守り続ける人間に今までどおり貧しい暮らしを続けろという身勝手な言い分だ。 」
、、、とのこと。

 まあ、友人一人の話なので実際どのくらいの割合で推進派がいるかはわからないが、決して徳之島は全島あげて反対している状態ではないというは確かのようだ。

 つまり、積極的に受け入れたいという人が、少くなくともこの徳之島にはいるし、そのほかの候補地とされている地域にもそれなりの推進派はいるのだと推測できる。

 また市町村単位では積極的に受け入れたいのだが、県などに迷惑がかかるから手を挙げられない、また金目当てだと批判されたくないから手を挙げられない、そんな市町村も実はあるのではないか?
 沖縄自身だって本気で基地に出て行って欲しいと思っているのかは、実は微妙なところではないのかと思われる。

 しかしそんなことマスコミの報道からは全く出てこない。

 こういう話をマスコミが書かず偏った報道しているから、報道見て反応する識者といわれる人たちは、我が意を得たりとますます「鳩山首相はどうするんだ?」と批判を強めたりしている。
 「沖縄負担軽減」「徳之島は反対」「鳩山責任論」などなど、どうも浅はかな偏った報道や意見によって世論というものがかなり振り回されている気がする。

 本当の民意はどこか?マスコミには表面的な取材で終らせず、ちゃんと深層を掘り出して伝えて欲しいものである。

 日本のマスコミはどこかの国と違ってそれが出来るはずである。