日本人として当然はいつからか?

 時々聞かれる「日本人として当然」という言葉。  礼節から始まって、日の丸や国歌、天皇制との向き合い方の問題まで幅広く言及される「日本人として」という言葉だが、実はその具体的なイメージが作られたのはいつの頃かというのが最 Continue Reading →

吉祥寺は中国語スタートの場所だったのに

 吉祥寺の路上で通り魔殺人が発生し若い女性が亡くなる痛ましい事件が起きた。  あまりオシャレとかファッションに縁の少ない私だが、私が中国語学習をスタートさせたのはあの吉祥寺の街だった。  半年間、毎週一回吉祥寺の街に通い Continue Reading →

日本人と中国人の時制感覚のずれ

 日本人と中国人で物の考え方が圧倒的に違うなというのは時間軸の捉え方のような気がする。  中国語にはよく過去形がないと言われ、英語のように過ぎ去った動作に対する表現がうまく出来ないと言われる。  動詞の後に「了」をつけれ Continue Reading →

先入観や固定概念は可能を不可能にする

「先入観や固定概念は可能を不可能にする」  これは日本ハムに入団した大谷選手が言ってたらしい言葉。  二刀流の挑戦や自身の野球に対する取り組みを表す言葉らしく、もちろん彼とてどこからか学んだ言葉だろうが、いい言葉である。 Continue Reading →

見切り千両

 「見切り千両」という言葉がある。  株式や投資を行なっている人に広く知れ渡っている言葉だそうで、まあ簡単に言えば投資などについてダラダラ未練を残さず諦めて(見限って)しまったほうが損が少なく、結果的に利益に繋がるので千 Continue Reading →

上杉鷹山公の「為さねば成らぬ何事も」の解釈

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」 この言葉は、かの米沢藩主上杉鷹山公が残した言葉で、世間に名言として広く伝えられ座右の銘として私も大事にしている言葉である。  あの米国のケネディ大統領もこの言 Continue Reading →