Category Archives: 事故災害

ブレーキ踏み間違え防止システムが発売に

 ここ数カ月というか数年、日本ではブレーキとアクセルを踏み間違えた高齢者ドライバーによる事故が相次いで報道されている。

 先日の池袋における事故も、まだ事故原因は断定されていないが、やはり同様の原因なのではないかと言われている。

 こういった事故が増えた原因の一つは、AT車(オートマチックトランスミッション車)の急激増加とMT車(マニュアルトランスミッション車)の現象と、高齢者ドライバーの増加だと言われている。

 特にMT車は操作ミスをしてアクセルを踏み込んだ場合でもクラッチペダルを同時に踏み込んだ場合は、クラッチが切れるので車が急加速する心配はなく、やがて減速して止まれるので、暴走の可能性はAT車よりは低くなる。

 私も免許取得時は大変苦労したが、MT車で免許を取ったので、AT車の運転は物足りないというか逆に慣れないのである。
 (中国渡航以降、現地でも免許は取ったが中国はもちろん日本でもほとんど運転していないが、、)

 故に、私のようにMT車を知っている世代にとってはAT車よりMT車の方が安全に感じる。

 そして、そんなAT車増加とともに高齢化進行で高齢者ドライバーも増え、彼らも恐らくは免許を取得したころはAT車だったのだろうが、歳をとってAT車に乗らざるを得なくなって、不幸にも事故を起こしてしまっているのであろう。

 もちろん歳をとってからの身体反応の衰えもかなり影響している部分もあると思うが、それを考慮にいれるならなおさらMT車の方が危険は少ない。

 しかし、そうは言っても世の中で販売される自動車の98%はAT車になっているようだから、MT車を選択しづらいのも現実である。

 そんな、社会の現状を見据えたとして、アクセルとブレーキの踏み間違え防止システムを開発した方が某ラジオ番組で紹介されており、間もなく発売になると紹介されていた。
 それが下記のナンキ工業さんのSTOPペダルである。

 ナンキ工業さん「STOPペダル」

 このペダルの仕組みはいたって単純で、万が一の際にとっさに誤ってアクセルを踏み込み過ぎると、STOPペダルユニットが作動して自動的にアクセル機構がオフになり、同時に連結しているブレーキが働くシステムとのこと。
 このため、止まるつもりでブレーキを踏み込んだ時に、誤ってアクセルを強く踏み込んだとしても、ブレーキが作動して減速して止まれるとのこと。

 もちろん通常のアクセル操作の際には装置は作動せず、深く踏み込んだ時だけ作動するようになっていて、作動点は調整できるようだ。

 この装置には、一時解除機構もついているようで、高速道路への合流など急加速が必要な時は解除ができるようであり、加速後は元に戻せばよいとのこと。
 まあこの機構解除操作については、この装置がついているという車の特性を把握した上で運転しないと高速上で思いっきり加速しようとした時にブレーキがかかってパニックになる可能性もないとは言えないが、通常の踏み込み幅では機構が作動することはまず無いようだ。

  大手の自動車メーカーもこの装置を見学しに来たこともあるようだが、電子プログラムレベルで対応できると取り合わなかったらしい。
 しかし、結局同じような思想のシステムは実現されていなのが現状であろう。

 開発者さんによるとこのような単純な機構であるゆえに、ほとんどの自動車に取り付けが可能で、本体価格は99,800円(消費税・取り付け費用は別)とのこと。

 まあ人によって感じ方はそれぞれだとは思うが、車全体の値段と安全性を考えたら安価なのではないだろうか。

 今回この開発者さんたちに頼まれたわけでもなく、ラジオで聴いただけの立場ではあるが、最近の高齢者ドライバーの事故に憂いている一人として、少しでも安全につながればと思い、微力ながらネット上にでている情報を紹介させていただく。

◇ 開発会社
  ナンキ工業さん「STOPペダル」

◇ 取扱い業者
 パートナーズ株式会社 

3.11イベントへの遠慮

 震災から8年が経ち、日本国内では多くの追悼イベントなどが行われている。
 チャリティコンサートのようなイベントだったり、流し雛のようなイベントなど様々行われている。

 日本国内だけでなく、こちら上海でも東北地方の関係者が色々集まって、イベントが実施される。
 まあ、それらのイベントについては、とても有意義なことであり続けられる限り続けたほうがいいとは思う。

 ただ自分個人としては、そういったイベントごとに参加することに対しては、やや気兼ねを感じてしまう。
 その理由として自分自身は震災当時に既に上海におり、震災を体験していないということが大きい。

 あの震災によって、自分は被災してないし家も家族もほとんど被災してないこともあって、自分は震災の被災当事者ではないという気持ちが小さくないのである。

 まぁ親戚の一部で避難生活を送っているところもあるようだが、亡くなったような友人や親せきはおらず、そこまであの日が自分にとっての節目になったような強い印象がないのである。
 もちろん、被災者の気持ちに寄り添いたい気持ちは十二分に持っていて、彼らの苦しみを感じているつもりだが、毎年のように行われる追悼イベントへの参加となると、やはり心に遠慮が生じてしまう。

 「その場へ足を運ぶ資格が果たして自分にあるのだろうか。」
 
 何の被災もしていない自分がのこのこと本当の被災者たちと顔を並べても、被災者の一人のような顔して同じ時を過ごす資格があるのだろうかと感じていたたまれなくなってしまいそうなのである。

 そういう居心地の悪さの予測が、震災の追悼イベントなどにはなかなか積極的に足を向けられない原因になっている。
 参加しないことも参加することにも何れも胸が苦しいが、今のところ参加しない選択をしている。

 故に本当の被災者の方々には申し訳ないが、この日の震災イベントなどは、外側から静かに応援させていただくことに留めている。 

大阪北部地震の被害に見る日本の耐震化の進展

 先日の6月18日、大阪府北部を震源とする震度6弱の地震が起きた。

 報道によると、一昨日19日現在でこの地震により4名の方がなくなり、負傷者376名、住宅の全半損壊が252棟あったと報告されている。
 工場なども一部壊れたり、ガス水道などのインフラ復旧にも数日かかっている場所があるようだ。

 亡くなられた方の一人は9歳の女の子で、建築法違反であったプールの目隠しブロック壁の下敷きになって犠牲となったと報道され、世間の耳目を集めている。
 ただ亡くなられた方やケガをされた方は大変気の毒だが、大阪という大都会エリアにおいて震度6弱の地震が起きて、たったこれだけの死傷者の数で済んだというのはちょっと驚きでもある。

 しかも、現在関西圏は外国人観光客が非常に多く訪れており、人的な面でいえば地震という現象に未体験の人も少なくなく、そういった環境において大きな混乱もなかったということも含めて日本の地震対策は凄いなという感想である。

 一部では、電車の復旧まで7時間を要したことに不満も出ていたようだが、あれだけ大きな地震の後に、たった7時間で交通インフラが再開できたことのほうが逆に驚きであり、復旧に対して安堵の言葉ではなく不満になってしまう時点で、いかに現代の日本の社会の耐震化が進んでいるかを示している。
 それだけ阪神淡路大震災や東日本大震災の教訓を経て、都市の耐震化が進んでいるということになるのだろうか。

 地震被害の単純な比較はなかなか難しいが、2016年の台南地震では100人以上が亡くなり、2008年に中国四川省で起きた地震では1万5千人もの人が亡くなった。
これらと比べると今回ずいぶん犠牲者は少ない。

 もちろんゼロではなかったのだから人数の問題ではないのだが、やはり地震対策というところでは、かなり完璧に近いところまで来ているのが日本の現状なのかなという気がする。

 ただ天災に関しては油断大敵であり、手抜き工事や点検漏れなどをさせない厳しい社会の目が必要なことには変わりはなく、さらには各自の室内の地震対策や日常の防災意識の徹底は必要かなとは思う。

しかし日本国民が取り組んでいる都市の耐震対策の効果がかなり出たといえるのが今回の地震を取り巻く状況であったという気がしており、犠牲者がゼロになるよう、あとちょっとの差を早く解決してほしいものである。

終戦記念日に思う戦没者追悼式と天皇陛下と靖国参拝問題

 昨日の終戦記念日に日本で「全国戦没者追悼式」が行われた。
 終戦記念日を「終戦」と呼ぶかどうかについて2年前に「終戦記念日と言う言葉への批判」書いたが、この日に改めて追悼式について考えてみる。

 ところで、今回の式典では異例のことが起きたと報道されている。

 天皇陛下が式典からご退席の際に、慰霊の碑をじーっと眺めて1分ほど立ち止まったというのだ。

 気になってYOUTUBEで式典を通してみてみた。
 (考えてみれば、戦没者追悼式を通して見るのは初めてである)

 すると、報道通り天皇陛下は退席の際に1分ほど慰霊碑のほうをジーと眺め、御動きにならなかった。
 まあ司会から特に言葉が無かったので、次に動くきっかけのタイミングを待たれていたのだと推測できなくはないが、美智子皇后陛下が声を掛けるまで動かなったのである。

 天皇陛下があの時に何を思ったかなどは私には知る由もないが、何となく陛下は今回の追悼式の対象に、日本人戦没者しか含まれていないことに気づかれたような気がするのである。

 まあ日本政府が主催する追悼式なので、追悼の対象が戦争で亡くなられた日本の軍人や日本の民間人であることは当たり前ではあるのだが、そこに陛下の心にひっかかった部分があったのではないかという気がするのである。

 どういうことかと言えば、天皇陛下は美智子皇后を伴ってここ数年慰霊の旅を実施しており、当初は広島、長崎、沖縄など国内が中心だったが、その後、パラオやサイパン、フィリピンにまで足を伸ばして慰霊の祈りを捧げる行動を続けている。

 もちろん、その現地はかつて日本軍が多くの戦死者を出した場所ではあるが、同時に敵方であったアメリカ軍もそれなりの戦死者を出している場所でもあった。

 それぞれの地で天皇陛下は、敵味方関係なく戦争で命を落とした軍人や現地住民たちへ慰霊の祈りを捧げており、戦争の犠牲者に敵も味方もないことを直接肌で感じ取ったのではないかという気がするのである。

 この流れから言えば、政治状況さえ許せば中国へも訪問したい意識はあるのかもしれない気がする。(まあ現在の政治状況では流石に難しいのだろうとは思うが。)

 実はそういった天皇陛下の分け隔てない気持ちは、今回の追悼式で述べられたお言葉にも現れており、今回戦没者を自国民に限定せずお話になられていることが伺える。

具体的に書きだせば

「(前略)先の大戦においてかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。(後略)」

 と述べられており、自国民に限られない犠牲者に追悼の意を表しているのである。

 もちろん、日本政府の主催する式なので、日本人だけが対象ととらえられなくもないが、直前に安倍総理が式辞で「三百万余」と日本人限定を示唆する言葉を敢えて言ったことと比較すれば、天皇陛下の追悼の意を表したい相手とは、戦争で亡くなった人全てなのではないかと思えるのである。

 それがあの追悼式での立ち止まりであり「全国戦没者追悼之霊の碑」の「全国」という言葉に考えらえるところがあったのではないかと勝手に推測している。

 ところでこの終戦記念日で必ず話題になるのが、時の政権の首脳が靖国神社へ参拝するかしないかの問題であり、隣国からの非難も含めてなかなか難しい政治問題化している。
 まあこの靖国参拝問題は、本来は外国に気を使う必要のない内政のことと言い切れそうな気もするが、靖国神社自体が戦前の国家体制の象徴であるから、そう簡単な問題でもない。

 今の靖国神社をどうとらえるかは、終戦記念日を境とした前後の日本をどうとらえるかにかかっているような気がする。

即ち、靖国神社を含めた戦前の国家体制を、終戦を機に全て否定したから今の日本があると考えている人と、終戦とは戦争に負けたり憲法が変わったりしただけで明治からの日本が基本的に続いていると思っている人では、自ずと靖国への思いは違うだろうと思う。

 この違いにより、同じ戦災で亡くなった人に対しても、国のために命を捧げたと感じるのか犠牲になったと感じるのかが違うのだろう。

ただ毎年行われている戦没者追悼式はそういった、靖国という政治的なイデオロギーを排除したところで政府が主催して行われている。
これに関しては諸外国も口出しをしていないことから分かるように、純粋に追悼の場として認められており、靖国参拝とは明らかに意味が違うものとしてとらえられている。
 
 やはり靖国は戦前の象徴であり、私は現在の日本は戦前を否定したからこそ、平和と繁栄を得られていると考えており、靖国はもう政治家が政治の世界に持ち出すものではないと考えている。 

 故に今回閣僚全員が参拝をしなかったのは、賢明な判断だととらえている。

ベトナム人少女殺害の現場は私の地元

 今朝、日本の我孫子市で起きたベトナム人少女殺人事件の容疑者が逮捕された。

 どうやら、少女が通っていた学校のPTA会長本人が容疑者ということで、非常に驚きの展開となっている。

 まあ、逮捕されたとは言えまだ本人は黙秘を続けているとのことで、容疑者を迂闊に断罪することは避けたいと思うが、少女が松戸市六実の児童であり、我孫子で死体遺棄されたこと自体は事実であり、このことに現在遠く上海に住みながらも驚きを隠せない。

 何故なら我孫子は私の地元であり、あの現場は実家から自転車で行けてしまうような場所であって、車なら10分もかからず行ける身近な場所だからである。
 さらに、少女が住んでいた六実についても実は私はよく知る場所なのである。

 昨年まで両親がその近くで働いていたこともあって、私や私の両親は常に我孫子と松戸を行き来きしており、例えば刑事ドラマの言うところの土地勘のある人間を洗い出せということであれば、私の家族は完全に該当してしまっていたのである。

 さらに言えば私の父親はその松戸の職場をリタイヤ後、あの現場のそばでアルバイトをしており、現地近くをよく行き来する状況となっていたため、あの現場もよく知っているはずなのである。

 従って、まあ私の父親のことなので流石にあのような所業をする人間とは思わないものの、運が悪ければ疑いを掛けられ冤罪で逮捕されるくらいのことは十分あるような条件は整っていたのである。
 もちろん人間に100%はありえ無いし、多くの犯罪者がそうであるように家族が想像だにしなかった人間の本性が突然現れるということはゼロではないので、この事件が報道されて以後、父親のことは信じているものの心の何処かにほんの僅かだけの準備はしていた。

 そして実際今回逮捕された人物はPTA会長ということで、誰もが「まさかあの人が」と思われる人だったのであり、直前まで普通に暮らしていた地域の隣人の一人だったわけである。
 しかも聞くところによると容疑者は私と同年代であり、これまで同じ時代を生き、もし私が今も地元に居れば逮捕の直前まであの容疑者も私と同じ視線が世間から当てられていた存在なのである。

 つまり訳の分からないまったく遠い国の人の話ではなく、私と等身大の人間があのような事件を起こしたらしく、今回容疑者として逮捕されたのであり、それゆえに衝撃は大きかったのである。

何が容疑者にあのようなことをさせたのかは分からないが、あのような普通の隣人が何かの拍子で一歩間違うとあのような犯罪者と化してしまうことがこの社会ではあり得ることを改めて知らされたこの事件である。

被害者の方のご冥福を深くお祈りいたします