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桃の花の咲かない桃の節句「ひな祭り」

日本では今日3月3日はひな祭りとされている。

ひな祭りは別名「桃の節句」とされて、童謡「うれしいひなまつり」の中でも「…お花をあげましょ、桃の花」と歌詞に歌われている。

しかし、実際には日本でこのひな祭りの時期に桃の花が咲くことはあり得ない。

よほど異常気象がなければ日本で桃の花が咲くのは早くても3月末から4月初旬にかけてで、4月こそ桃の花の最盛期であり、3月の初旬に桃の花が咲くことは無いのである。

では何故「桃の節句」などと言われてしまうのか?

それは、ひな祭りが旧暦(太陰太陽暦)における行事に由来するものであるからである。

元々ひな祭りは旧暦3月3日の暖かくなった季節に行われていた祭りであり、それを明治6年の改暦以降も改暦によって季節感がずれてしまったにも関わらず、現在は太陽暦(グレゴリオ)暦)の3月3日という日付のみが残って、行事を行っているのである。

つまり世の中が便利になって桃の花の存在などどうでも良い人々が騒いでいるのが新暦における現代の「3月3日版ひな祭り」ともいえる

ただ、この季節の違和感をよしとせず、夏のお盆同様に月後れの4月3日をひな祭りとしている地域も、日本各地にある。
また、旧暦に従ってひな祭りを行う地域もあるようで、今年で言えば2019年4月7日がひな祭り当日となる。

4月3日や4月7日であれば、桃の花も開き始めた頃であり、野山に毛氈を敷いたお雛様を準備し、宴を開くのは違和感がないであろう。

しかし、現代では何故か3月3日のひな祭りが主流であるかのように喧伝されている。

それは何故か?

まず一つの理由として、月後れの4月3日や旧暦の3月3日は年度替わりの時期でもあり、ひな祭りのような行事ごとを行うにはあまり都合が良くないという現代の社会的事情がある。

さらに、ほぼ同時期に桜の花の咲く時期が重なってしまい、ひな祭りの影が薄くなってしまうという理由があり、時期をずらした新暦の3月3日に置いたのであろうと察する。

そしてこれが一番大きい理由であろうと思われるのが、商業ビジネス的な戦略に載せられているという意味があるのではないかということ。

商業の世界では、新暦上では新年を迎えた正月以降、春の暖かくなる時期まで閑散期が続き、消費者がお金を使うタイミングがない。
そこでひな祭りを年中行事の空白時期に固定して、ひな人形やら宴会やらでお金を使わせようという目論見なのではないか。

今でこそ、この時期には「バレンタインズデー」や「節分の恵方巻」などの新たな商機が生まれているが、それまでは冬は商人にとっても冬の時期であり、その商業イベントが3月3日のひな祭り商戦として伝統行事をアピールされてきたように思える。

これが旧暦や月後れの時期のひな祭りでは、上述のように桜の花見に隠れてしまうため商機を1回損することになり、離れた時期に分けて実施する必要があったのだろう。

悲しいかな日本の家庭は「伝統」という言葉に弱く、特に「娘」の幸せに関する支出には金に糸目をつけない傾向があり、成人式の晴れ着や雛飾りには大きな支出が当たり前だと刷り込まされているため、そこから抜け出せない。
そういった心理を巧みに突かれて実施されているのが現代のひな祭りで、横並びから逸脱する勇気を持てない日本人が、桃の花も咲かない桃の節句をお祝いさせられているのが現状なのだと思う。

 

 

アーカイブ時代の噺家の大名跡襲名は出世か?

 日本の古典芸能の中には、芸の世界での出世を表す一つの象徴として名跡を襲名する芸能がいくつかあるが、映像や音楽の記録技術が進歩する現代社会の中においては、この名跡襲名制度が不便になりつつあるような気がする。

 名跡襲名を行う有名な芸能と言えば主に歌舞伎と落語があるのではないかと思うが、このうち歌舞伎については、役者個人だけで舞台が完結するわけではなく、生の舞台のライブ公演が主で、まずは公演の演目が大事なものとなるため、役者の名前はその次となる。
そしてそれをアーカイブ(記録保存)化して残すDVDなど記録媒体は、現時点では補助的な役割でしかなく、やはり生の舞台が鑑賞の主力なので、例えば「市川團十郎」などと役者の名跡を名指しするときは大体当代だけを考えればよいという気がする。

 ところが、これが落語になるとどうも事情が違う。

 まず落語は個人芸であるため、演目よりも演者に価値が置かれ、演目は二の次となる面があり、噺家の名前そのものが看板となる。
 しかも、噺自体が歌舞伎に比べ短く、映像を必ずしも必要としないため、音声媒体だけでもよく、相対的にアーカイブ化されやすいという特徴がある。
 この結果、歌舞伎に比べ過去の名人・巨匠の名演が、噺家の名前を看板として沢山残され、現代でも誰でもが気軽に触れられる環境が生まれてしまっている。
 例えば、30年以上前に亡くなった古今亭志ん生さんや三遊亭円生さんの噺などは今でもYOUTUBE上に音源や映像を見つけることが出来る。
 しかしよく考えてみると、この「志ん生」という名跡は五代目、「円生」は六代目であり、本来は先代との区別に苦労することもありそうだが、インターネットも記録技術もほとんど無かった時代には、先代が死んだあとは人々の記憶とともに忘れ去られてしまうので、先代没後に間もなく名跡を襲名しても問題はなかったという気がする。

 ところがである。

 近年記録技術が発達し、映像や音声媒体にたくさんの記録が残ってしまった噺家が亡くなったあとの襲名はちょっと厄介である。
 その記録がいつまでも再生可能な状態で残るからである。

 しかもそういった噺家たちはテレビなど媒体電波に乗って、名前と顔がやたらと宣伝されてしまっているため、人々の心に強く印象が残ってしまっている。

 その一つの代表格が、例えば「三遊亭圓楽」という名跡であり、「林家三平」という名跡なのではないかと思う。
 例えば三遊亭圓楽という名跡は、2009年に先代の五代目が亡くなった直後に1年程度で六代目が襲名したものだが、六代目があまりにも長くテレビに出演して印象が強いため、現在でも圓楽=五代目の印象がぬぐえない。
 またそれを継いだ六代目も長く「三遊亭楽太郎」を名乗ってテレビやマスコミに出てしまっていたために、現時点では「圓楽」としては認識されにくく、六代目とわざわざ断らなければ区別できないのが現実だと思う。
 同様に林家三平という名跡も先代が初代だがテレビで強烈な印象をばらまいたため、2009年に襲名した現二代目が三平と名乗っても、息子でもあるためか、先代の印象を拭ってはみられないという状況が起きている。

 このように名跡の先代の功績が大きすぎる場合は、アーカイブ化された記録やメディアでの露出が多すぎるために、名跡を継いだ人間がなかなか自分のイメージに染められないという状況が発生してしまう。
 逆に、若い時からテレビやマスコミに多く出てしまった噺家も自分の名前が売れすぎてしまったために、大名跡をついでも昔の名前で呼ばれ続けることもあり、上記の楽太郎さんや先日亡くなった橘家圓蔵(月の家圓鏡)さん、上方の桂文枝(桂三枝)さんなどが良い例かと思う。
 文枝さんの顔を見ても三枝の名しか思い出せず、文枝の名は思い出せないのである。

 それに故に現代のテレビやアーカイブの時代では、昔なら当たり前と思われた大名跡の襲名が、必ずしも喜ばしい出世とは言えず、実利的にはマイナス面もある可能性があるのである。

 例えば数年前からもめている「円生」の名跡継承問題もそれぞれ名乗りを上げている者のはいるものの、いずれも60を超えているベテランで、現在の名跡の印象が染みついていて、今から襲名したところで新しい「円生」のイメージは作れないと思われる。
また何より先代のイメージを強く持っている人がまだ大勢いる上に映像や録音が残っていてそれを塗り替えるのは容易ではないという気がする。
 逆に「志ん生」の息子「志ん朝」が親の名を継がなかったのもある英断といわれており、今もなおファンがアーカイブ映像・録音を楽しんでいる現実があるため、迂闊な継承襲名は望まれていないと思われ、現在ではどちらも止め名(誰も継がない名跡、野球の永久欠番的なもの)的な状態となってしまっている。
 
 このように現代のような保存メディアが発達した時代では、古くから伝わる伝統芸能の世界にさえ影響を与えている面があり、大名跡の襲名が必ずしも栄誉ある出世とは言えず、襲名の価値をよく考えなければならない時代になってしまっている。

春節にあって元日にない根拠

春節(旧正月)にあって元旦(元日)にないもの。

答えから先に書くとそれは暦の上でその日を定める根拠ということになる。

「旧暦」つまり月の動きを使った太陰暦をベースにした中国の正月である「春節」の日は、毎年「新月の日」と決まっている。

春節の花火2011

春節の花火2011

それゆえ西洋のグレゴリオ暦を使っている我々日本人からすれば、春節は毎年の日付が移動する為に不便さを感じる面は少なくなくないが、春節の決定はきちんとした暦の考え方、つまり月の動きに基づいて決まっているので、何らぶれることが無い。

同様に例えば旧暦の7月7日の七夕は必ず半月であり、伝説の由来から言えば月が天の川を渡る舟になったということから、七夕の月は人が乗るため半月でならなくてはならないので「7日」となっているなど、それぞれに根拠がある。

さて振り返ってグレゴリオ暦を調べてみると、その1年の精度は非常に高いものがあるものの、肝心のスタートとなる1月1日元日の設定にはほとんど根拠がないようだということが分かった。

確かにグレゴリオ暦の精度が高いため、毎年の1月1日の黄道上の位置はほぼぶれることが無いようなのだが、問題は何故そのタイミングが1月1日と設定されたかということになる。

太陽の動きをベースにするグレゴリオ暦の精神に従うのなら、本来の元日の最も分かりやすい基準は「冬至」であり、冬至が1月1日なら春分は4月1日前後、夏至は7月1日前後、秋分は10月1日前後と太陽の位置と月の区分の仕方がほぼ一致することになる。

まあ1年が正確に365日ではなく、365日と5時間45分45秒ほどと半端であるから夏至の日付などそれぞれは一定しないかもしれないが、この点に関しては太陽暦なのになぜ「月(month)」という制度がそのまま残ってしまっているかを考えると、夏至の日付が一定しない不合理な理由は「月の定め方」にあると言える。

今の暦では月の定め方として毎月の日数が同じでないばかりか、その大小の月の並び方にも一定性がなく、しかも閏年の閏日(2/29のこと)の挿入時期だってよく考えれば中途半端である。

この太陽暦と月の定め方についてはグレゴリオ暦の前身であるユリウス暦採用の紀元前153年まで遡ってしまうのだが、どうやら当時の宗教的政治的思惑で月の日数配分が決められたらしく、それが変えられないまま現代まで2000年以上も続いてしまっている。

それ故に現代のグレゴリオ暦の中では、冬至でも何でもない黄道上のある地点が、ぽつんと1月1日の元日として定められ、我々日本人はその日を「初日の出」だの「正月」だのと言って大切にしてしまっていることになる。

まあ伝統行事の形と言ってしまえばそれまでだが、日本がグレゴリを暦を導入する前の天保暦などのほうがよほど天文学的に根拠のある正月を定めていたと言えるはずなのに、今は根拠があるのだかないのだかよくわからない日を元日・元旦と言って崇めている我々がいる。

これもどうやら当時の明治政府の政治的思惑によってグレゴリオ暦に改暦させられ(一説によると13か月目の給料を払いたくないから12か月の制度に移行したとも)た時にこうなってしまったようで、その時に変えられてしまった正月の設定が実は現代まで続いている。

ゆえに現在では真冬の寒さ真っ只中の季節に「新春」などピンと来ない言葉を書くことになる。

こうして考えると日本の伝統文化を有形無実にした罪は明治政府にあるとも言えるのである。

本来はグレゴリオ暦の導入と同時に二十四節の設定をきちんとやり直し、文化季節は文化季節として残し、例えば中国のように春節(旧正月)を正月とする制度を残せば、今のような「形だけの正月」を祝うような文化にはならなかったはずなのに、残念ながら今の日本の正月は「形だけの根拠の無い正月」になってしまっているのである。

まあ、このように不合理な面がいっぱいの現代のカレンダー制度であるが、世界中が長い間これに基づいて動き、今ではコンピューターなどの面でもシステム化されてしまっているため、今更不合理だと気付いても変更というのはほぼ有り得ない話ではある。

しかしせめて地球に生きる生物として季節文化を大切にしていくため、二十四節季のようなものは再定義をして、太陽の動きに基づいた季節を計りやすい物差しをつくり、それに合わせた社会の季節行事を再定義してもいいのではないか、中国の春節制度を見ていてそう感じざるを得ないのである。


人形浄瑠璃の魅力

私はかつてほんのちょっとしか人形浄瑠璃を見たことがないが、その人形とは思えない動きと表情に鳥肌が立ったことがある。

 人形に表情?などと疑問に思う人もいるかもしれないが、人形浄瑠璃が表現する人の表情や感情の機微は実に奥深く、下手をすると人のそれを上回る可能性だってあるのではないかと思うこともあるくらい絶妙なのである。

 手の動きや顔の上げ下げなど、人形であるがゆえにその動きの幅には限りがあるはずなのだが、それを感じさせない奥深い感情表現がそこにある。

 恐らく人の舞台が同じ役でも役者によって味わいが違うように、人形師によってもその表現の個性が違い、それがそのまま表現される役どころの内面表現の違いとなって現れ、その違いを楽しむのが浄瑠璃のツウな楽しみ方であると思われる。

人形浄瑠璃の様子

人形浄瑠璃の様子(引用元

 故に浄瑠璃においてストーリーというは、実はその楽しみ方に於いて第一義的に重要なものではなく、あの噺家だから寄席に行く、あるいはあの歌手が歌うからこのオペラを聴くといった、出し物にこだわるわけではないように、ストーリーは単に名人芸の魅力を引き出すためのツールでしかなく、ストーリーに囚われて浄瑠璃を見るのは実は何も浄瑠璃の魅力に気づいていないということになる。

 先日某市長から浄瑠璃のストーリーがああだこうだというコメントがあったが、あの発言は結局ストーリーにこだわり過ぎて、人形の表現する人の心の機微を感じられなかったのかなと思うと非常に残念な発言である。

 まあ本当かどうか知らないが、彼は先日の週刊誌の記事では昔不倫相手とコスプレを楽しんでいたという嗜好が描かれており、あれが本当だとすれば相手の女性の内面的な心と向き合うのはなく、単なる外観的なイメージで人と付き合っていたのかと思わせられ、そういう外面でしか人を捉えられないというのではないかという人の本質が見える。

 つまり、そういった彼のものの捉え方の本質が今回浄瑠璃への感想にも表れたということになる。
 そういえば、入れ墨だのタバコだの外面的な規制には厳しいが、人を人として捉える話はこの人からあまり聞いたことがない気がする。

 さて、当の地元で浄瑠璃について補助金の問題が取り上げられているが、まあ支える意思がないところに無理強いするのも馬鹿馬鹿しいので、例えばJALなど去年大きな利益を上げた企業にスポンサーになってもらい、日本の文化の国際PRのシンボルとして担ぎあげてもらうなどの別の生き残り策をさぐるのはどうだろうかと思う。

 目先のほんのちょっとのお金の問題であの浄瑠璃の名人芸が衰退してしまうのは実に惜しい話だと思う。

翻訳には日本語力が必要だ

最近、よく翻訳の仕事を頼まれる。
といっても仕事というほどではなく、中国語から直接訳すのではなく、中国人が訳した日本語文を整えてあげたりチェックしたりするような作業である。

当然報酬も何もない話で、せいぜいあとで食事をおごってもらう程度である。

 とはいえ先方にとっては頼みの綱的に頼ってこられるのでなかなか断りがたい。
 それも結構翻訳会社の人たちから頼まれる。

 彼らの約した日本語は意味は通じるのだがやはり、日本語としてはちょっと表現力不足である。

それだけ日本語が難しいともいえるのだが、手伝ってみてなかなか翻訳には日本語力が必要だなぁと思う。
これは中国人にとってだけでなく、日本人の私にとってのなかなか骨の折れる仕事である。

日本語は表現の幅が広く、言い回しが一つ違っただけで伝わるニュアンスがだいぶ違う。

中国語にはその差があまりないので、彼らにはその微妙なニュアンスを捉えることが非常に困難なのであるが、それは我々にとっても程度は違えどやはり苦労は同じで、言葉選びは慎重になる。
 言語脳をフル回転させて文章をチェックする。

 「てにをは」はもちろんのこと、主術関係や言葉の定義、修飾と被修飾関係、「デスマス」の文体、さらには業界用語や俗語、慣用句まで日本語として豊かな表現力が求められる。

通訳会社に発注されるくらいの文書であるので、相手はれっきとした日本人で、正しい日本語の文章が求められる。ここのブログは徒然に書いているので大して気を使っているわけではないが、翻訳の文章にはブログの何倍もの気を使う。

 中国に来て何故か日本語力が鍛えられている今日この頃である。