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日中往復運賃5元という誇大広告

 先日、上海にある某旅行会社のダイレクトメールで
上海から名古屋中部往復 たった5元!
という航空券の宣伝があった。

 まあ、この手の大胆な広告には慣れているが、今回もどうもキナ臭い。

 早速メールを開いてみると、春秋航空利用で航空券は確かに5元のようだが、その他に必要な費用としてTAXとサーチャージで1280元と説明してある。

 「やっぱり、、、」

 まあ往復合計1285元であっても確かに安いが、5元という表示から受ける印象とはかなり開きがある。

5元航空券の説明

5元航空券の説明

 実際に日本を往復できれば詐欺とは呼べないかも知れないが、少なくとも広告表現としては誇大広告に近い内容という印象である。

 しかも春秋航空の日本版WEBサイトをよくよく調べてみると、日本円決済なら4月以降の日本発の春秋航空のサーチャージは廃止され0元となっていた。

 ただ中国発分に対してまだ280元が残っているようであり、往復なのに往復適用されないのかという疑問はあるが、それはさておき現在では日本円で買う往復航空券に対してはTAXが280元だけかかる状態であり、上記の1280元という金額はいつの金額設定なのかという程にこの航空会社のサイトの数字とかけ離れている。

  さらに、次にやはり春秋航空のサイトで決済通貨を人民元に切り替えるとまた別な不思議な数字が出てきた。

春秋航空の公式サイトの運賃表示

春秋航空の公式サイトの運賃表示

 
 人民元決済で運賃を調べると、日本発便が280元+税等133元などで413元、中国発便が570元となり、運賃以外に往復合計983元のサーチャージなどの費用が必要になる状態となっており、日本円での決済の場合と全く違う内訳構成なのである。
 
 まあこの違いについては、それぞれの通貨の国家の許認可に基づく設定なのであり得る話なのではあるが、一般ユーザーから見ると不思議な現象である。

 しかもこれとて、上記の1280元にはまだ足り無い。

 現在、春秋航空における日本行きの航空券は最低価格で片道9元程度のものがあるが、この運賃状況をもとに算定すれば片道150元設定の航空券X2枚に、上記のサーチャージその他中国空港建設費・TAX983元を乗せた金額が上記の1280元+5元にほぼ一致するという推測が成り立つ。

 ここから推測すれば、実は今回の5元航空券は広告用に内訳構成を変えて表現しているだけなのではないかという疑いが発生するのである。

 まあ利用客からすれば総額が変わらないということにはなり、何れにしても格安には違いが無いのであれば詐欺にはならないのかも知れないが、やはり看板の5元という表示とは食い違うという印象は否めない。

 もしDMで書かれるように実際に現時点で販売する航空券のサーチャージその他が1280元となるなら、航空会社の公式サイトとの差額を説明する必要がある。

 本来あるべき表示とは違う価格表示でお客の目を引くのは、どう考えても誇大広告であり、これを中国だからといって頭の良い商売と見過ごすわけにはいかない今回のDM表現なのである。
 

強調マークは実は不安隠しの現れ

 最近よく、インターネット上の掲示板などでは「(笑)」や「WWW」などといった笑いを強調するようなマークが散見されるが、私はあれは不安隠しの一種だと思っている。

 もちろん、ちょっとしたメールなどメッセージのやり取りであっても散見されるが、同様にやはり心理的な不安の現れだと思っている。

 要するに言葉だけだと、感情が伝わりにくいので補足する意味で使われるわけで、笑いマークでにこやかな意味で捉えてもらえないと、怒らせてしまう可能性があることを不安に思い、添加するのである。

 また、チャット上の議論の際に相手に対して余裕を見せる意味で、「(笑)」のマークを使う人もいるが、あれは心に余裕がなくなっている状態を見せまいとした、強がりの一種だと思っている。

 つまりチャット上の議論などの最中に「(笑)」や「www」のマークを付けてくるのは実は自分に余裕があるように繕う行為であり、裏返せば本当は余裕が失われつつある状態が生まれていると察することができる。

 要するに「自分のほうが上だ」と示したい示威行動であり、それを示さなければ「自分が下に見られる」「なめられる」といった、不安がそのマークを使わせるという気がするのである。
 そういった議論の最中の(笑)マークは、嘲り的な意味合いであり、受け取った側は嫌な印象を受けやすいが、落ち着いて考え相手に余裕が無くなっている状態なのだと分析すれば、何の気にならなくもなるという気がする。

 実はこういった強調=不安・不足感の裏返しの法則は、(笑)マークに限らず全てのシーンにおいて応用してみることが出来る。

 例えば広告で、文字を強調するのは埋もれて見逃されてしまいそうだという不安の裏返しであると考えられる。

 或いは仕事をリタイヤした人が、名刺で「元○○」などと過去の経歴を載せるような肩書を時々見かけるが、要するに現在の自分に自信がないため過去のポジションにすがりたい心理の現れとみることが出来る。

 またフェイスブックなどで、自分の業務服…例えば医師が白衣を着た写真をわざわざ使っている人を見かけるが、あれは医師であることを強調しなければ自分という人間の価値を認めてもらえないといった不安の現れと見ることが出来、それ故にわざわざ白衣を来た写真を使ったりしていると察することができるのである。

 本来、自分に自信があれば、仕事上でのポジションや社会的肩書などというのは、自分を示す一部分ではあっても、それが全てではないはずで、それにすがるということは、如何に仕事以外での自分に対して自信が無いかを逆に示してしまうことになるのである。

 このように、人が何かを強調するときは、実はその裏に不安が隠されている可能性が非常に高く、それをよく見て相手の状況を見極めないと、勢いだけの強がりに騙されてしまうことになるのが人の世の中だという気がするのである。
 

「噴火警戒レベル1」の誤解

 先月9月27日に発生した日本の長野県と岐阜県の県境にある御嶽山の噴火事故が連日日本のニュースで流され、現時点までに47人もの死亡者が確認される大参事になっていることが伝わっている。
 御嶽山は日本第二の高さを誇る山にも関わらず、比較的容易に登れる山であり紅葉シーズンだったことも重なって被害が拡大したとも言われている。
 しかも活火山であることは早くから知られていたが、気象庁の出している火山の噴火警戒予報が警戒レベル1という通知であったこともあって、どうも警戒感が薄れていて山頂に大勢近づいてしまったようである。

 この点に関して 巷からは「警戒レベル1」なのに何故噴火?と言う声があちこち聞かれるが、果たしてこの「警戒レベル1」というものが、どういうものなのか気になって気象庁のホームページを調べてみた。

 気象庁によれば「警戒レベル1」は「平常」の状態で火山活動は静穏としながらも、実は「火口付近には噴煙が見られる状態で火口付近では生命に危険が及ぶ状態」となっている。
 つまり火山活動は静穏だが止まっていない状況と説明していて、実はどこにも安全とは書いていない状況になっている。

 どうもここに、誤解しやすい表現上の問題がありそうである。

 5段階のうちのレベル1は一番低いランクであり、しかも「平常」と表現されていれば、見る方は安全だと勘違いしそうになる。

 しかし実際は火口付近では噴煙が上がり火山活動は止まっていないので、危険をはらんでいる状態には変わりなく、火山の常識から言えば前触れなくいつ噴火してもおかしくないともいえる。
 もとより御嶽山は24時間監視体制が敷かれている山でもあり、決して安全な状態ではなく、当時レベル1だったとは言え警戒すべき山であったのである。

 しかし、そこへ「警戒レベル1」と聞けば、警戒を促す指標なのにどうにも警戒が緩んでしまいそうな気がするし、登山者たちは誤解をして安心して安全だと思い込んでしまったのかも知れない。

 実際、今回の噴火の報道を見てみると被害地点は山頂付近に集中していると言われており、もし登山者たちが「警戒レベル1」を正しく理解していたならば、少なくとも火口や山頂付近に近づくのは躊躇われたはずである。
 それでも怖いもの見たさで山頂に近づく人はいるかも知れないが、それは危険を覚悟した自己責任であり、少なくとも今回ほどは被害者は多くならなかったかと思われる。

 まあ気象庁が「警戒レベル1」などと、分かりやすい指標にしてくれているのは有り難いが、降水確率100%は1ミリの雨が一瞬観測されれば当たりと判断されるのと一緒で、指標として整理されてしまうと、どうも実際の感覚とは違った印象を与えられる面もあり、誤解を招かないためにもこの「警戒レベル1」という表現は見直してほしいという気がする。

自己陶酔的な形容詞

 中国語の文章を読んでいるとやたら出てくるのが華美な形容詞であるが、日本人の私はあれが苦手である。

 特に観光地の説明文章などにはそういった華美な形容詞がやたら目につく。

 どうも書いた人間が自己陶酔している感が伝わってきてしまい、ちょっと気色が悪く私には受け入れがたいのである 

 そういった華美な表現に含まれている形容詞の大体は主観的なもので、共感できない場合が多く、結局は物を見る判断材料としての現実を何も伝えてくれない場合がほとんどである。

 従って翻訳が必要な文章の中にそういった内容が含まれる場合、表現者には悪いがそのほとんどはカットすることになる。

 その代り一つの事実を伝える時はそういった主観的な言葉ではなく、なるべく必要最低限かつ不足のない客観的データを羅列し、受け取り手の頭の中で一つの像を組み立て易いような材料を提供するのが、中国語を翻訳して日本語で表現する時の心構えだという気がする。

 ただ、場合によっては言葉は主観的な表現をするからこそ意味を持つ場合もあり、その場合には、逆に敢えて幅がある形容詞を使うことに意味がある。

 例えば人と人のコミュニケーションにおける言葉であり、女性に対して「あなたは美しい」と褒める場合は言葉が主観的であるから意味があり、それを客観的に「目と鼻と口のバランスが素晴らしい」と褒められても言われた人は嬉しさが半減するため、曖昧さを含んでいた方がいいのである。

 しかしながら受け取り手が不特定多数の説明的文章の場合は、やはりこういった主観的なあいまいな言葉はなるべく排除するようにしている。

 まあ私自身が文章を書く際に、いつも気にするのは自分が感じている感覚をどう損なわずに同じように受け取り手に受け取ってもらうかであるが、そこに自己陶酔的感覚を感じられてしまったら、感覚の押し付けになりその時点でアウトだと思っている。

 こうやって考えると、中国語の自己陶酔的表現はいかにも一方的な押し付けという気がするが、中国語の文章の世界では当たり前のように氾濫している。

 中国人にはそれだけ自己陶酔している人が多いのか、或いは礼儀的な意味で脚色することが文化なのか、今の時点ではその理由は分からないが中国語の華美な形容詞にはいつもうんざりしている。

凄すぎる日本メーカーの炊飯器へのこだわり

 日曜日に新しい炊飯器を買った。

 従前の中国製の炊飯器も壊れていなかったのだが、どうも炊き上がりが悪くかつ保温が長く持たないのですぐにご飯が駄目になってしまっていた。
 まあ100元程度で買ったものだから仕方ないと思いつつも、これでは自炊していても米に無駄が多く出てしまい、ひょっとすると体にも悪いかなと思い買い換えることにした。
 とはいえそんなに予算も無かったため今回買ったのは高価なIH炊飯器でなく電気炊飯器である。

 ただ今回は購入の目的が目的であるだけに値段はともかく日本メーカー製という条件にはこだわった。

 何故なら、日本メーカーの炊飯器の情報を調べていくうちに並々ならぬ努力というか工夫が炊飯器という商品に詰め込まれていることを知ったからである。
 特に東芝社製の炊飯器は、自動電気炊飯器を初めて作ったメーカといわれるだけにこだわりようはハンパではなく、その商品説明の内容からして驚きの連続であった。

「真空吸水うるおい仕込み」
「圧力剛熱はりつや炊き」
「真空仕上げ」
「酵素活性 甘み引き出し」
「真空美白保温」
「真空うるおい予約」
「発熱体ディンプル ダイヤモンド銀釜&釜底WAVE」

 などと、おいしそうながらも新鮮な言葉がたくさん並んでいる。しかも主婦層を意識しているのか化粧品につくような形容詞がたくさんついている。

 各々の技術の詳細はメーカのホームページなどを見ていただければいいと思うが、この言葉だけを並べてみても、たかが炊飯器によくぞまあここまでこだわれるなぁという開発者の心意気を感じとれる内容である。

 つまり現代の炊飯器は技術者の知恵がこれでもかと詰め込まれ、そんなところまで気を使っているのかと思えるような工夫の結晶のような商品になっている。

 そして恐らくこれらは他の技術の転用などではなく、ひとえに「おいしいご飯を炊く!」ためにだけ開発された技術であろうということは、このこだわり方から何となく想像がつく。
 まさに日本人の「ご飯をおいしく食べる」ということに対する異常なまでのこだわりがここに現れている。

写真はイメージ

 こんな「おいしいご飯を炊く」ということにこだわる日本メーカーの商品だからこそ、例え価格が安い電気炊飯器であっても、その炊き上がりのおいしさを信じて買うことができる。

 実際今回買った電気炊飯器は東芝社製の399元と非常に安価なものであったが、昨夜炊いた炊き立てのご飯は無論のこと、今日まで残したご飯も非常においしくいただけた。

 今までの中国製メーカーのものではあり得なかったうまさである。
さすが日本のメーカーさまさまといったところである。