Tag Archives: 伝統芸能

笑点の新メンバーに三平さんが選ばれた理由

先週の日曜日になってしまうが、日本テレビの番組「笑点」の大喜利コーナーの新メンバーに林家三平さんが選ばれた事に、ネット上では色んな反応が出ている。

またその前の週では、桂歌丸さん降板後の新司会者は誰になるのかというのも、話題になっており、内部昇格案や外部招聘など色んな人の名前が取り沙汰されていたが、結局は内部昇格で春風亭昇太さんが選ばれる結果となった。

この新司会者と新メンバーの人選について、巷からは色んな意見があると思うが、現笑点メンバーの構成を考えると、必然に近い人選であったことがわかる。

実は、現在の笑点メンバーの経歴を過去にたどっていくと、全てのメンバーがある一人の噺家に深いゆかりを持つことがわかる。

その噺家とは先代の林家正蔵(八代目)、つまり林家彦六師匠(1895年5月16日 – 1982年1月29日 本名は岡本 義)である。
(以後、本人の各時代の名跡に依らず彦六で統一)

林家彦六

林家彦六 
引用元

ウイキペディアの情報をもとに、笑点メンバーがどのように彦六師匠とゆかりがあるかを一人一人示すと次の通りとなる 。
(敬称略)

林家木久扇
彦六師匠の直弟子。入門時は三代目桂三木助門下だが死後に彦六門下へ。
三遊亭好楽
彦六師匠の直弟子。彦六師匠の死後、圓楽一門に移籍した。
三遊亭小遊三
表面上の繋がりはないが、前座時代に三遊亭好楽の自宅に居候しており、その師匠である彦六ともゆかりがあると推測される。
六代目三遊亭圓楽
圓楽の名は、実は彦六師匠が真打ち昇格時につけていた名跡で、五代目を経て現六代目として受け継いでおり、名跡の直系としての関係。彦六は三代目の圓楽。
春風亭昇太
入門と同時期に彦六師匠は亡くなったが昇太の師匠の春風亭柳昇と彦六師匠は仲が良かった
落語協会分裂騒動で、三遊亭圓生から破門された三遊亭好生を彦六が客分格弟子とした後に柳昇から春風亭の亭号が許可された経緯があり、彦六師匠からすると恩がある関係の弟子ということになる。
林家たい平
初代林家三平の孫弟子であり(師匠は林家こん平)初代三平の父は七代目林家正蔵。彦六師匠は正蔵の名跡を八代目として借り受けた関係で、初代三平一門(師匠こん平含む)とも親交深い関係で、たい平自身も七代目正蔵の直系の弟子という位置づけとなる。
二代目林家三平
初代林家三平の息子であり(師匠は林家こん平)、七代目林家正蔵の孫。彦六に正蔵の名跡を八代目として貸していた海老名家の家系で初代三平と彦六師匠の関係から子供時代に親交。

(リタイヤメンバー)
桂歌丸
歌丸の師匠の古今亭今輔が彦六師匠と非常に仲が良かった。
林家こん平
初代林家三平の直弟子であり初代三平の父は七代目林家正蔵。初代亡きあとは一門を預かっており、現九代目正蔵の兄弟子、二代目三平の師匠でもある。こん平自身が落語協会分裂騒動のきっかけとなった面があり、圓生に反目する彦六側の存在だった。
五代目三遊亭圓楽(故人)
圓楽の名は、実は彦六師匠が二つ目から真打ちに昇格する時代につけた名跡で、彦六が可愛がっていた五代目(当時は全生)にせがまれて名前を譲った関係。彦六は三代目の圓楽。

このように、笑点の現メンバーは、故林家彦六師匠(林家正蔵)に非常に縁深い系譜の中にいるメンバーであり、同族メンバーに近いような非常に狭い人間関係で運営されていることが分かる。
或いはここに隠されているアンチテーゼとして、圓楽の師匠、三遊亭圓生の芸への厳しい考え方への反発があったメンバーの系譜だとも言え、その象徴として圓生と犬猿の仲だった彦六師匠という存在が浮かびあがっているとも言える。

いずれにしてもこのような状況から言えば、巷で言われていた大喜利司会へのタモリさんや上方からの招聘抜擢などは考えられず、さらに言えば五代目の柳家小さん門下系統の落語家も、落語協会分裂騒動以後は縁が遠く考えにくい状況だったのである。

こういった笑点の置かれている状況の中、七代目正蔵の直系親族であり、元メンバー林家こん平の直弟子でもある二代目林家三平さんがチョイスされるのは必然だったと言える。

そして今後、笑点メンバーの高齢化に伴う交代があったとしても、この枠を大きく崩すとは考えられず、彦六師匠の系譜の範囲で次の人選も行われる可能性が高く、そこを見渡せばおよそ候補の見通しが立つのだと私は感じている。

50年もの放送を続け、世間の人気番組となった笑点であるが、メンバーについては番組の人気ほどには公共性はないのである。

ということで長々とした説明で「どうもすみません」。

アーカイブ時代の噺家の大名跡襲名は出世か?

 日本の古典芸能の中には、芸の世界での出世を表す一つの象徴として名跡を襲名する芸能がいくつかあるが、映像や音楽の記録技術が進歩する現代社会の中においては、この名跡襲名制度が不便になりつつあるような気がする。

 名跡襲名を行う有名な芸能と言えば主に歌舞伎と落語があるのではないかと思うが、このうち歌舞伎については、役者個人だけで舞台が完結するわけではなく、生の舞台のライブ公演が主で、まずは公演の演目が大事なものとなるため、役者の名前はその次となる。
そしてそれをアーカイブ(記録保存)化して残すDVDなど記録媒体は、現時点では補助的な役割でしかなく、やはり生の舞台が鑑賞の主力なので、例えば「市川團十郎」などと役者の名跡を名指しするときは大体当代だけを考えればよいという気がする。

 ところが、これが落語になるとどうも事情が違う。

 まず落語は個人芸であるため、演目よりも演者に価値が置かれ、演目は二の次となる面があり、噺家の名前そのものが看板となる。
 しかも、噺自体が歌舞伎に比べ短く、映像を必ずしも必要としないため、音声媒体だけでもよく、相対的にアーカイブ化されやすいという特徴がある。
 この結果、歌舞伎に比べ過去の名人・巨匠の名演が、噺家の名前を看板として沢山残され、現代でも誰でもが気軽に触れられる環境が生まれてしまっている。
 例えば、30年以上前に亡くなった古今亭志ん生さんや三遊亭円生さんの噺などは今でもYOUTUBE上に音源や映像を見つけることが出来る。
 しかしよく考えてみると、この「志ん生」という名跡は五代目、「円生」は六代目であり、本来は先代との区別に苦労することもありそうだが、インターネットも記録技術もほとんど無かった時代には、先代が死んだあとは人々の記憶とともに忘れ去られてしまうので、先代没後に間もなく名跡を襲名しても問題はなかったという気がする。

 ところがである。

 近年記録技術が発達し、映像や音声媒体にたくさんの記録が残ってしまった噺家が亡くなったあとの襲名はちょっと厄介である。
 その記録がいつまでも再生可能な状態で残るからである。

 しかもそういった噺家たちはテレビなど媒体電波に乗って、名前と顔がやたらと宣伝されてしまっているため、人々の心に強く印象が残ってしまっている。

 その一つの代表格が、例えば「三遊亭圓楽」という名跡であり、「林家三平」という名跡なのではないかと思う。
 例えば三遊亭圓楽という名跡は、2009年に先代の五代目が亡くなった直後に1年程度で六代目が襲名したものだが、六代目があまりにも長くテレビに出演して印象が強いため、現在でも圓楽=五代目の印象がぬぐえない。
 またそれを継いだ六代目も長く「三遊亭楽太郎」を名乗ってテレビやマスコミに出てしまっていたために、現時点では「圓楽」としては認識されにくく、六代目とわざわざ断らなければ区別できないのが現実だと思う。
 同様に林家三平という名跡も先代が初代だがテレビで強烈な印象をばらまいたため、2009年に襲名した現二代目が三平と名乗っても、息子でもあるためか、先代の印象を拭ってはみられないという状況が起きている。

 このように名跡の先代の功績が大きすぎる場合は、アーカイブ化された記録やメディアでの露出が多すぎるために、名跡を継いだ人間がなかなか自分のイメージに染められないという状況が発生してしまう。
 逆に、若い時からテレビやマスコミに多く出てしまった噺家も自分の名前が売れすぎてしまったために、大名跡をついでも昔の名前で呼ばれ続けることもあり、上記の楽太郎さんや先日亡くなった橘家圓蔵(月の家圓鏡)さん、上方の桂文枝(桂三枝)さんなどが良い例かと思う。
 文枝さんの顔を見ても三枝の名しか思い出せず、文枝の名は思い出せないのである。

 それに故に現代のテレビやアーカイブの時代では、昔なら当たり前と思われた大名跡の襲名が、必ずしも喜ばしい出世とは言えず、実利的にはマイナス面もある可能性があるのである。

 例えば数年前からもめている「円生」の名跡継承問題もそれぞれ名乗りを上げている者のはいるものの、いずれも60を超えているベテランで、現在の名跡の印象が染みついていて、今から襲名したところで新しい「円生」のイメージは作れないと思われる。
また何より先代のイメージを強く持っている人がまだ大勢いる上に映像や録音が残っていてそれを塗り替えるのは容易ではないという気がする。
 逆に「志ん生」の息子「志ん朝」が親の名を継がなかったのもある英断といわれており、今もなおファンがアーカイブ映像・録音を楽しんでいる現実があるため、迂闊な継承襲名は望まれていないと思われ、現在ではどちらも止め名(誰も継がない名跡、野球の永久欠番的なもの)的な状態となってしまっている。
 
 このように現代のような保存メディアが発達した時代では、古くから伝わる伝統芸能の世界にさえ影響を与えている面があり、大名跡の襲名が必ずしも栄誉ある出世とは言えず、襲名の価値をよく考えなければならない時代になってしまっている。

日本政府が伝える間違った浴衣の常識

上海の浴衣フェスタ

 今月上海の領事館などが主催で上海市内で浴衣フェスタなるものが行われているが、ここで喧伝される内容が、どうも間違っていることが気になっている。

 日本の浴衣はその文字が示す通り、元々入浴の際に着た服装が原型となっている。

 それがその後の時代になってお祭りの縁日や花火大会など、入浴後に気軽に近所へ出かけるための略式着として発展し、近年では花火見学デートなどをターゲットとして大変おしゃれな柄の浴衣も増えてきたが、浴衣はあくまで浴衣であり室内着の延長の扱いの存在である。

 分かりやすく浴衣の和装の中の格を洋服で例えて言うならば、Tシャツと短パン或いはジャージのようなものであり、つまり日中の外出から戻った際に着る室内着の位置づけなのである。

 故にちょっと家の外に出て近所のコンビニに買い物に行く程度、或は近所の夜間のお祭りや花火大会に行く程度なら良いが、電車に乗ったりするなど街中の公共空間で着るには、どんなにおしゃれなデザインであってもやはりそぐわない服装となる。

 近年服装への発想が自由になりつつあるとはいえ、日本の服装は人間関係や場などTPOを考慮してきた日本の伝統的価値観に基づいて構成されており、その文化の極め付けといえる和装文化の中にあって浴衣の位置付けは今でも略式着の域を出ないのが常識であろう。

 しかしながら上海で行われている浴衣に関するイベントは、浴衣を夏の日常着や外出着などと間違った説明をし、あたかも日本の和装文化の象徴のごとく喧伝しており、どうも違和感を覚えてしまうのである。

 またイベントの内容を見ると、某百貨店の中で実施されることになっているようだが、まず百貨店という空間において浴衣姿が不釣り合いであるのと、夜間着用が基本の浴衣について真昼間から着用体験が実施されるというのはちょっとおかしいと言える。

 さらに企画の中で浴衣姿で寿司屋を訪れた方にはプレゼントがあるといった案内があるが、店頭で寿司折を買って持ち帰るだけならまだ許される範囲かもしれないが、浴衣姿のままで寿司店への入店ははばかられる行動というのがやはり日本の常識だろう。

 本来どうしても寿司屋に和装で行きたいなら夏ならせめて単を着るべきなのが礼儀であり、そこの区別が大事なははずである。

 どうも浴衣とその他の和装の区別が全くついていない人、或は浴衣を売りたいだけの人が企画し、浴衣、浴衣と騒いで嘘を吹き込んでいるだけの印象を受ける。

 和装文化はこういった区別の意味があって、初めて意味のある文化として存在しているはずなのに、その意味を伝えずして中国人へ浴衣の上辺の艶やかさだけを伝えるのでは、結局形だけの中身のない文化輸出であり間違った常識だけが伝わってしまうことになる。

 まあ、これが単なる個人商店が実施した小さなイベントであれば目くじらを立てて文句を言うこともないのだが、日本政府の出先機関である領事館が実施し、日本政府の予算を使って日本文化を発信する目的で実施されているイベントなると、疑問を呈さずにはいられない。

 恐らく領事館自身もどこからか持ち込まれた企画をそのまま吟味せずイメージだけで実施しているのだと思うが、日本文化の発信を謳うなら自国の文化が間違ったまま伝わらぬように、正しい知識で実施し、やむを得ない部分は説明で補足して誤解を招かないようにするなど、もう少し慎重な企画が求められるという気がするのである。

落語はお笑いじゃない

 最近、立川志の輔さんの落語にはまっているのだが、そんな彼の噺のマクラで興味深い言葉があった。

 それは落語をお笑いに分類するというのはどうも違うというのである。

 彼が言うには、確かに落語の噺の中にはふんだんに笑いの要素が含まれているが、それは噺のアクセントをつけるために取り入れているのであって、決して笑わせるためだけに噺をしているわけではないというような言い方をしていた。
 言われて見ればその通りであり、落語の噺の中には人情話あり艶話ありで、全てお笑いだけの要素で話が構成されている訳ではないのである。
 英語では落語がcomic storyと訳されることもあるようだが、これも落語をお笑いと決めつけた翻訳であり、本質を見ない誤訳と言ってもいいのかもしれない。
 
 もちろん噺家によっては爆笑王と言われた橘家円蔵師匠や桂文珍師匠のようにひたすら笑えるネタを提供する噺家もいるが、名人芸と言われる噺家を名人足らしめる要素は実は笑わせる能力ではないのである。(上記の2名も素晴らしい噺家で私は好きだが)

 幾つもの人物像を1人で語り分け、あたかもそこに複数の人がいるかのように話を進め、聞き手を惹きつける能力こそ落語家の真骨頂であり、心に残る物を聴き手に与えられる芸こそ高い技術を持つ噺家であろうという気がする。

 ちなみに世の中には「1人芝居」と言うジャンルもあるが、1人芝居は基本的に1人が1人を演じるのであって、複数人芝居の延長と言ってよく、もちろんそれはそれで技術的には難しいものが有るが、1人が同時に複数の人を演じる落語とは技術的には一線を画すものであろうという気がする。

 先日YOUTUBEで早くに亡くなった古今亭志ん朝さんの「芝浜」を見たが、夫婦の掛け合いを演じ分け、夫の話をきちんと遮って妻が言葉を入れるさまなどはごく自然であり、本人は当たり前のように流暢にやっているが、自らが演じることを考えれば自分で演じている1人と別の1人が掛けあうというのはとても技術的には難しい芸だという気がするのである。

 さらに、一流の役者の如く、登場人物の気持ちを心の底から訴えるさまを演じる姿は、涙を誘われるし、それを一人で使い分けるのは並大抵のことではできないだろう。

 少し話はそれるが、クラシックの有名な作曲家バッハの代表的な曲に無伴奏チェロ組曲という有名な曲があり、文字通りこの曲はチェロがソロで主旋律と伴奏旋律を1台で演奏する物となっているのだが、聴いているほうとしては楽器1台で演奏しているものとは思えない広がりをもつものとなっている。

 落語家の噺もこの無伴奏チェロ組曲の如く、複数の要素を一人で使い分け流暢に表現している訳で、両方とも同様に高度な技術のなせる業だという気がするし、本当にいい芸に接した時は笑いだけでなく涙も誘われる。
 そういった意味で、確かに落語には笑う要素が多分にあるが、単にノリだけで笑いをとっている「お笑い」に分類されることは志の輔さんの言うとおりどこか違う気がするというのはもっともだという気がするのである。

 やはり落語は「話芸」なのであり、先日柳家小三治師匠が人間国宝となったように講談や歌舞伎のような文化的な「芸能」として考えるべきなのであろう。

人形浄瑠璃の魅力

私はかつてほんのちょっとしか人形浄瑠璃を見たことがないが、その人形とは思えない動きと表情に鳥肌が立ったことがある。

 人形に表情?などと疑問に思う人もいるかもしれないが、人形浄瑠璃が表現する人の表情や感情の機微は実に奥深く、下手をすると人のそれを上回る可能性だってあるのではないかと思うこともあるくらい絶妙なのである。

 手の動きや顔の上げ下げなど、人形であるがゆえにその動きの幅には限りがあるはずなのだが、それを感じさせない奥深い感情表現がそこにある。

 恐らく人の舞台が同じ役でも役者によって味わいが違うように、人形師によってもその表現の個性が違い、それがそのまま表現される役どころの内面表現の違いとなって現れ、その違いを楽しむのが浄瑠璃のツウな楽しみ方であると思われる。

人形浄瑠璃の様子

人形浄瑠璃の様子(引用元

 故に浄瑠璃においてストーリーというは、実はその楽しみ方に於いて第一義的に重要なものではなく、あの噺家だから寄席に行く、あるいはあの歌手が歌うからこのオペラを聴くといった、出し物にこだわるわけではないように、ストーリーは単に名人芸の魅力を引き出すためのツールでしかなく、ストーリーに囚われて浄瑠璃を見るのは実は何も浄瑠璃の魅力に気づいていないということになる。

 先日某市長から浄瑠璃のストーリーがああだこうだというコメントがあったが、あの発言は結局ストーリーにこだわり過ぎて、人形の表現する人の心の機微を感じられなかったのかなと思うと非常に残念な発言である。

 まあ本当かどうか知らないが、彼は先日の週刊誌の記事では昔不倫相手とコスプレを楽しんでいたという嗜好が描かれており、あれが本当だとすれば相手の女性の内面的な心と向き合うのはなく、単なる外観的なイメージで人と付き合っていたのかと思わせられ、そういう外面でしか人を捉えられないというのではないかという人の本質が見える。

 つまり、そういった彼のものの捉え方の本質が今回浄瑠璃への感想にも表れたということになる。
 そういえば、入れ墨だのタバコだの外面的な規制には厳しいが、人を人として捉える話はこの人からあまり聞いたことがない気がする。

 さて、当の地元で浄瑠璃について補助金の問題が取り上げられているが、まあ支える意思がないところに無理強いするのも馬鹿馬鹿しいので、例えばJALなど去年大きな利益を上げた企業にスポンサーになってもらい、日本の文化の国際PRのシンボルとして担ぎあげてもらうなどの別の生き残り策をさぐるのはどうだろうかと思う。

 目先のほんのちょっとのお金の問題であの浄瑠璃の名人芸が衰退してしまうのは実に惜しい話だと思う。