上海にいると人命への尊厳がマヒする

 先日の京都祇園の事故は大騒ぎだったが、今日またもや京都で無免許運転の車が小学生の列に突っ込むという痛ましい事故が起きた。

 しかし、ほぼ時を同じくして上海近郊でも13人もの人が亡くなるバス事故が起きている。

 実は中国にいると日本以上に凄惨な事故で人が死んでいるニュースが毎日のように流れる。

 本来は死んだ人の人数で事故の大小を騒いではいけないはずだが、中国の事故のように死亡者の数が2ケタの人数になる事故が日常になってしまうと、どうも日本の交通事故は死者数を見ても大きくない事故に見えてしまう時がある。

 しかし死者の数が何人であろうが人が死ぬということは重大な事態であり、周囲の者にとっては身を切られるより辛い事である。

 故にそういった身の回りの人間を失う立場を想像すれば、死んだ人数の多い少ないなど言ってられないはずなのだが、中国にいるとどうもその感覚がマヒしがちになる。

 しかもそれは長く居ればいるほど深刻になるようで、意識的に心をキープしないとどうも人の死にマヒし全く反応しなくなる場合もあるようだ。

 例えば昨年温州で起きた列車事故でも多数の人間が亡くなったが、事故当日のある中国が長い人のブログには、壊れた新幹線車両の姿が惨めだという感想や日中の列車の責任争いや事故原因の分析などがつらつらと書かれていたが、結局車両や鉄道についての文章に終始し、あの映像からすぐ想像できるそこで犠牲になったであろう人間への配慮が全くなかったのである。

 あれくらい凄惨な事故であれば普通の日本人は人の命にまず配慮が行くはずだと思えるが、中国に長いその人は人の命に対する感覚がやはりマヒしているようで、犠牲者や乗客に対する配慮の言葉が一文も現れなかったのである。

 つまり中国に長く居続け、数多い悲惨なニュースの中にいるとそういった配慮を忘れるくらい人の命への尊厳がマヒした人間になってしまう可能性があるのである。

 そういう人の命の重さを忘れた人の心を知ってしまうと人として非常に悔しい思いでいっぱいになる。

 まあ中国では悲惨なニュースが多すぎるため、日々のニュースに心を痛めすぎても暮らし続けるのは大変だが、そうは言っても人の命への尊厳がマヒするような人間にはなりたくないので、長くここに滞在したいと思うなら意識的に心を保って過ごす必要があるかもしれない。

 まずは京都の2つの事故と中国の今回の事故の犠牲者の冥福をお祈りするとともに負傷者の1日も早い回復をお祈りします。



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