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ポケモンGOに見る世界同時流行現象の理由

 日本で先週末からポケモンGOの配信が始まったと話題になっており、日本だけでなく世界を席巻しているとのニュースになっている。

 残念ながら私のスマートフォンはポケモンGOには対応していないようで、インストールできなかったのだが、機会があればちょっとは触れてみたいという気にはなっている。

 ただ、ベースとなっているシステムがGoogleということもあって、中国国内では当面サービスは提供されないかもしれない。

 その代わり似たような紛い物が出回っているとの噂を耳にしたが、まあどんなウィルスが入っているかも分からないので、とりあえずそっちは手を出さないで置こうと思っている。

 ところで、改めて気づいたのだが、ここ数年こういった世界同時多発の流行のような事象が増え始めているという気がする。

 こういった世界中で同じものが同時に流行すると言ったことは、少なくとも私が若いころにはなく、かつては流行の発生が始まった場所からタイムラグがあって世界に広がっていったような状況だった思う。

 FACEBOOKやLINE、ツィッターなどSNS関連も今現在は世界中で使われているが、一挙に爆発的に会員数・利用者数が増えたというよりも口コミでじわじわ増えたという印象が強い。
 ところが最近は世界同時に流行するものが出てきており、自撮り棒ポケモンGOがその代表例である。

 これら二つは国籍や世代などに全く関係なく世界中の人が使っている。

 こういうニュースを聞きつけると、地球上の世界各国というのは実は一つに繋がっているのだなと実感できるし、逆に世界の狭さも感じさせる面もある。

写真はイメージ

写真はイメージ

 とにかく、世界中の人々が同時に一つのことに夢中になる大流行というのはインターネットの無い時代から生きてきた私にとってはとても奇異な風景なのだ。

 しかし、それが現実に起きている

 どうしてこういった世界同時流行が生まれるようになったかを考えると、やはりスマートフォンという共通プラットフォームが世界に行きわたったことが大きいのだと言える。

 当然スマートフォンの代名詞となっているiPhoneの登場が非常に大きく影響しており、iPhoneが切り拓いたスマートフォン市場そのものが、同時に世界共通のヴァーチャル市場のプラットフォームの構築に役立っているのである。

 そういう環境の中、満を持してというか、GoogeleMapのグローバルな世界とリアルな世界を結びつけてエンターティメントしてしまったのが、ポケモンGOという存在だということになる。

 これまでは国家や言語圏などのエリア単位で行われていたマーケット開拓が、スマートフォンというグローバルプラットフォームが準備されていることにより、一挙に世界市場戦略を進めることが可能になったのである。

 もっとも今回のポケモンGOの場合、GoogeleMapという広大なインフラがあっての流行爆発とも言えるので、一般企業のマーケット戦略にはそれほど参考にならないかもしれない。
 しかし、これからの時代の市場戦略は、iPhoneなどのスマートフォンを通じて世界同時進行の戦略プランが可能になったということを示してくれたのが、今回のポケモンGOの流行といえるのである。

ピンクレディ―だけの特殊性

 最近、WECHAT上で私の知り合いが、どこかの飲み屋か何かの女性2人がピンクレディの振り付けでUFOを踊っている姿をアップロードしているのをみかけた。

 それを見て私も何だか懐かしくなり、YOUTUBEで当時のピンクレディー本人たちの振り付けを探して見てみることにした。

 当時の動画を見ると、今思えば多少恥ずかしいほどの派手な振付の連発で、意外と2人の動きはずれており完璧なシンクロだったという記憶はどうも思い込みだったらしいことに気づく。
 ただこうやって「UFO」「サウスポー」などのいくつかの曲を見ていくうちに、彼女たちのヒット曲には有る特徴があることに気がついた。

 それは彼女たちが歌った曲は、あまり恋愛恋愛しておらず、愛だの恋だのというテーマが前面に出てきていないということである。 

 他の数多の歌手たちの殆どが恋愛をテーマにした曲を歌っている中にあって、彼女たちは確かに「ピンクレディー」の名前の通りセクシーさを売りにしている面はあるが、作詞家の阿久悠さんの書いた詩はどちらかというと当時の時事ネタ的な曲を歌っており恋愛世代以外にも受け入れられやすい万人受けする歌になっているのである。

 それ故に当時子供だった私も容易にピンクレディに飛びつけたのである、

 逆に1979年のジパング以降は大人の恋愛を歌った歌が多くなり、急激に売上が落ちていくことになる。
 もちろん、本人たちが飽きたとか大人の女性へ成長する過程において、恋愛の歌を歌いたくなったのかもしれないが、結局裏目に出て、以後ヒット曲が出なくなる。

 私の考えるところ、このジパング以降はピンクレディらしい特殊性が無くなったが故に売上が落ちたのではないかと思うのである。

 つまりピンクレディーたちだけが持っていた特殊性とは、男女間の恋愛を素材に使いながら、時事ネタをうまく取り込んで恋愛に偏らない歌を歌ったということではないかという気がする。

 男女間の恋愛というのは(現在では恋愛は男女間に限らないが)、確かに歌を生み出す最も重要な要素ではあるものの、普遍的にありすぎるテーマであり、恋の歌を幾ら歌っても今現在恋愛がテーマになって生活している人々以外には受け入れられにくい。

 もちろん恋愛歌であってもいい歌であれば恋愛中の人には共感を得られるが、やはり万人受けというのは難しいものである。
 「ピンクレディー」というのはその後のアイドル同様のセクシーさを持ちながらも、恋愛に依らない歌を歌ったと言う点でかなり特殊な存在である。
 それにしても彼女たちの歌った私の知っている曲はほとんど77年と78年の2年くらいの間に発表されたもので、もっと長く活躍していたように感じていた私にとっては驚くほど短期間である、
 それほどインパクトの強い存在だったということであり、今なお日本や中国で物真似される程の存在なのである。

 歌手というだけでなく、振付を含め強烈に時代を捉えたエンターティナ―であったのがピンクレディーであり、今後いくら新しい歌手がデビューし上手な歌を歌ったたとしても恋愛歌の枠にとどまっている限り、やはり「ピンクレディー」を超えることはできないのではないか、そう感じてしまう彼女たちの存在である。

美容師の思い込み?

 先日ある飲み会で日本人美容師と思しき方が、中国人女性に対して、もっと髪型をこうすれば男の子にモテるよと話仕掛けている光景を目にした。
 この光景を見ていて思ったのは、私からするとその女性は黒髪のストレートの綺麗な女性であり、今更わざわざカールやパーマなどのアクセントを付けなくても十分に美しいように映ったのである。

 もちろんその美容師は職業柄から女性がオシャレに髪を飾ったり髪型を変えたりすることに夢中になればそれだけ商売にも繋がるわけで、そのために焚き付けている面もあるだろう。
 しかしそれだけでなく、どうも最近美容師と呼ばれる人たちには「おしゃれ・流行は絶対だ」的な思想が間違って染みついているのではないかという気がしたのである。
 つまり、「よりおしゃれであることはより良いこと」だというベクトルである。

 それは一見正しいようだが、やはり偏った一つの見方にしかすぎないという気がする。

 例えば「流行に敏感である」ことは、一般的には良い意味で捉えられているが、悪い面から捉えれば実は「流行に流されやすい」ことをも意味し、節操がなかったり自分という軸を確立できていない悪い意味も含んでいる可能性があるのである。

 それゆえに、自分を流行に弱い人間だと思われたくない女性ほどいわゆる保守的な髪型、例えば黒髪のストレートこだわっている気がしており、派手な髪への装飾を嫌っているように思える。
 おしゃれが進んだとされる上海でも、街中を観察する限りでは、上海はまだそういった保守的な意識の女性が多いような気がする。
 また男性からも黒髪ストレートが根強い人気といわれるのは、やはり同様の理由と思われ、流行に流されにくいという保守的なイメージから「芯が強い」「保守的で生活が安定」「浮気の心配が少ない」」「服代がかからない」などといった安定性への期待から人気が高いのではないかという気がする。

 さらに言えば、女性というはファッションや流行に対して男性の目より同性の目をより強く意識するとされる。
 つまり男性の目を意識して服や髪型を選ぶより、同性同士の仲間内の視線の中で可愛く映りたいものを選んでおり、仲間内で敬遠されるような奇抜すぎるものは避けて選んで着たりしている。
 男性(異性)に対する振る舞いに関しても同様で、男性にどう映るかも大事だが、男性にどのようなアピールしているように見えるかという女性側の視線を非常に意識して行動しているのが女性とされる。
 故に女性からの批判的視線を無視すれば、多くの男性に媚びるような大胆なファッションや振る舞いも行えるが、媚びたような態度は同性から蔑まれる面があるため、その行動は所属する女性集団に強く影響される。

 それゆえに多くの女性は男性受けするおしゃれだけに走ることを控えているわけで、世の中の全ての女性がセクシー合戦にならならないのはそういった理由からだと思われる。
 またセクシーすぎる女性は男性にとっても印象的ではあるが競争率の高さや軽さを感じる部分が不安要素となるため、結婚のような安定的な関係を求めるにはマイナスと判断される面があり、必ずしもセクシー=モテるわけでもない。
 こうやって考えていくと、服や髪型に「よりおしゃれであること」や「アピール度が高いこと」が、女性たちにとって必ずしもプラスではないことになり、逆に「アピール度」を抑えることが本人や周囲に安心を与えプラスの評価となる面があることになる。

 実はこのバランスの中で世の中のおしゃれや流行の軸は形成されているのであり、美容師の考えるような「おしゃれベクトル」の反対側では、常に「保守的な外観」へのベクトル方向の意識が働いているのである。

 まあこの保守的な外観イメージも実は時代とともに移り変わっていて常に一定ではないのだが、やはり美容師たちの思う流行のおしゃれベクトルだけが世の中のファッションを決定したり、価値を持っているわけではないのだと私は考える。

 そこはおしゃれを引っ張る美容師たちだからこそ、勘違いしてほしくなく、逆に意識してもらいたいことだという気がするのである。