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地下鉄は街を発展させるとは限らない

 昨日、12月28日は毎年恒例というか、中国的な年度末の公共工事の完成ラッシュの特異日というべき日付で、今年も恒例に違わず上海と北京で地下鉄の新路線が開通している。

 万博前からほぼ連続して、毎年この時期に地下鉄が開通しており、年々路線網が伸びる状況となっている。
 ただ最近感じるのは地下鉄と言うのは、重要な社会インフラの一つであるが、実は地下鉄を開通させただけでは街を発展させるとは限らないのではないかということ。

 地上の鉄道ならともかく、地下鉄というは意外と都市の発展に対するインパクトが弱いのではないかと感じるのである。

 それというのも上海の地下鉄2号線など比較的早い時期に完成した駅の周辺ではそれなりの商業発展がみられるのだが、近年開通した地下鉄のように地下駅しかなく、もともと商業蓄積のない場所ではあまり駅周辺の変化が見られないのである。
 それに1号線や2号線などは地下鉄が商業発展させたというより、商業発展している場所に地下鉄を通したという言い方が正しく、地下鉄が触媒となって発展したとは考えにくいのである。

 こういった上海の状況を見ると、地下鉄開通は街に何をもたらしたのかをちょっと考えてしまう。

 私なりにその原因をよく考えたところ、実は地下鉄が地下を走っていることが街の発展を阻害する原因なのではないと考えた。

 当たり前のことだが、地下鉄はその名の通り地下を走るので、駅以外の場所では地上との接点が無く走っている姿を見ることが出来ない

 また地下鉄の乗客からも同様であり、駅に停車した時以外はその土地に対して接点はなく、どこをどう通っているのかなど意識することなく目的地へ辿りつけるので、路線図上でその場所に駅があるのは分かっても、その周辺に何があるのかはほとんど分からないのである。
 つまり、この視覚的に遮断された関係が、地下鉄が街の発展に影響を与えない原因なのではないかという気がするのである。

 むろん地下鉄を単なる交通手段と考え、点と点を結ぶその機能だけを考えれば、地上交通同様に十分機能を果たしており、地上の交通や生活を遮断することなく非常に合理的な乗り物であると考えることは出来る。
 しかしながら、人は鉄道などを利用する際に単なる移動手段として利用するほかに、実はその移動時間中にかなり多くの視覚的情報を受け取っている

 例えばそれは車内の広告だったり車窓の風景であるのだが、地上交通であれば目にできる車窓の風景は、地下鉄では目に出来ないのである。

 もし地上に線路があれば、例え駅周辺の立地でなくても鉄道沿線にある商業施設は車窓から見えるように広告看板を設置し商業PRをするであろうし、商業機会があると目論む人が増えて商業施設の数も沿線に増えるだろうと思われる。
 また行政機関も駅が物理的に地上にあれば、その物理的条件に合わせて都市整備を行ない、自然と街の中心となり交通ターミナルとなっていく。

 それが地下駅であると、駅周辺こそは駅と言う点を中心に商業立地を生む可能性はあるが、それ以上の線的面的広がりを生むことは有り得ないのであり、鉄道が与える商業発展の影響は限定的となる。
 また行政機関による都市整備も、地下駅だと何故か焦点ボケしてしまい、駅前広場などの設置が行われず、駅を中心とした街や補助交通機関(バスなど)の組み立てが行われないケースが多いように思われる。

 実際上海で近年立地している大型商業施設はほとんど3号線などの高架駅周辺であり、既存の商業エリアではなく新規の地下鉄駅のそばに出来た大型商業施設というのは現時点ではほとんど思い浮かばない。

 どうも商業施設の投資事業者も、何も見えない地下駅周辺よりも実際に鉄道が見える、つまり鉄道から見える場所を自然と選んで投資しているのではないかという気がするのである。

 こう考えていくと、日本で行われた東京の小田急下北沢駅周辺の地下化や東急東横線の渋谷駅地下化なども、今すぐは影響が出ないにしろ長期的には駅周辺の商業競争力の相対的低下を招くのではないかという気がしている。

 今まで車窓から何気なく目に見えて自然な広告作用を得ていた施設が、地下化によって隔絶され、意図的な広告発信などに依らなければ存在を知られなくなるというのは非常に影響が大きいと思われるからである。
 開かずの踏切とか騒音とか何かと悪い評価も生まれやすい地上や高架の鉄道に比べ、非常にスマートに見える鉄道の地下化だが、スマートな分だけ鉄道利用客と街が切り離される可能性があるのである。

 つまり、地下鉄は地上の街を壊さないという意味では非常に優秀だが、その逆として街に人を惹きつける力が弱い交通機関とも言えるのであり、同じ鉄道(駅)ではあっても目的によって使い分ける必要があるという気がする。

 中国や日本の各都市では地下鉄計画や地下化があちこち進んでいるが、街の発展を期待する場合は、鉄道の地下化は必ずしも有効な方法とは限らないという気がするのであり、安易な地下化推進は実は文字通り墓穴を掘るの行為なのではないかと私は感じている。

高く見えない上海環球金融中心

 金茂大厦と上海環球金融中心はどちらも上海を代表する高層ビルで並ぶように立つのだが、金茂大厦は高さ420m、上海環球中心は高さ492mと環球中心のほうが72m程高く、実際環球中心の最上階の展望台からは金茂大厦が見下ろせる。

 しかしながら陸家嘴駅付近からこの二つのビルを眺めると重なるように見え、しかも遠近法の関係で奥にある上海環球中心のほうが若干低いかのように見えてしまう。

 

陸家嘴駅からみた金茂大厦と上海環球金融中心

陸家嘴駅からみた金茂大厦と上海環球金融中心

 もちろん十分な距離をもった位置から見れば確かに、環球金融中心のほうが高いのは明確なのだが、このビルとビルの間隔がせいぜい200mそこそこなため、至近距離から見ると金茂大厦のほうが高く見えてしまう。

 しかもこの角度は、東方明珠塔など観光客の多い場所からの方向なので、多くの観光客は勘違いしやすいだろう。

 まあこんな世界ランキングに並ぶような2つのビルをこんな至近距離に建ててしまうことに問題の根源があるのだが、これにも懲りずまた道路一本挟んだすぐ隣に上海中心大厦という高さ600mのものが建設されている。(写真右)

 高さを争いたいというのが明確な上海のビル達だが、そうならばお互いもう少し離れて建てた方がそれぞれの魅力が出てくると思うのだが、上海の人にはそれがわからないのであろうか?

 上海環球金融中心のように、折角隣のビルを上回ったのに、そう見えないというのは非常にもったいない話だと思う。

外灘の夜景は外灘から撮影した方がいい

 昨日浦東陸家嘴に行ったついでに、黄浦江沿いに出て外灘の夜の風景を眺めに行った。
 そして例の如くカメラを構えたのだが、どうも収まりが悪い。

 外灘の建物一つ一つをアップで撮るには遮るものが無く都合が良いのだが、全景を収めるにはあまり良いアングルとは言えない気がしたのである。

上海の外灘夜景

上海の外灘夜景

 外灘の建物というのは、それほど高い建物はなく、それが横に長く並んでいるため、風景も横方向に非常に長く、縦方向はあまり幅が無いため、それ写真に収めると画面中央に真横に光の線が描かれる格好になり、夜景の写真としてあまり格好の良いものではなくなる。

対岸からの上海の外灘夜景

対岸からの上海の外灘夜景

 ならば斜めからと思うが、陸家嘴側からだとどちらかというと取り囲まれるような恰好で外灘の風景が広がるので、斜めから撮影できるアングルはほぼないと言っていい。

 黄浦江の幅の広さが邪魔をするため、陸家嘴側から奥行きのある外灘ショットは難しいということになる。

 故に、外灘の写真を撮りたいと思う人は陸家嘴側に期待せず、外灘の遊歩道付近の至近距離、或いは遊覧船に乗って撮るのが最適だと思った昨日の結論だった。

ハイウェイと書かれた田舎道

昨日は天気も良く新しいバス路線が出来たという情報に刺激され、ちょっと崇明島まで行ってきた。

とはいえ、申崇3線(区間)はというこの新路線は、以前にも乗ったことのある路線の区間運転という位置づけで、途中までのルートは以前と同じだったのでそれほど新鮮味のある路線ではなかった。

 本来なら申崇7線という新しい番号がついても良さそうなこの路線だが、許認可制度の面倒な中国ではこういった位置づけのほうが申請が通りやすいのだろうと思われる。

 さて、今回その申崇3線(区間)で辿り着いたのは堡鎮という街。

崇明島の堡鎮バスターミナル

崇明島の堡鎮バスターミナル

 まあ何の変哲もない田舎町だ。長江を渡るフェリーの港があり、島の玄関としてそこそこの商業発達はしているようだが、この街自体に何か特別な魅力を感じさせるものはなく、バスの乗るという目的は達成したのでとりあえず別の街へ移動することにした。

 そして乗ったのが「南堡支線」というバス路線である。この堡鎮からもうひとつの港町の南門を結ぶ。
以前来たときは、南門とのもうひとつの路線「南堡専線」に乗ったが、スピードは若干速いがあまりにも退屈な路線のだっため、今回は新たな路線を選んでみた。

崇明島の南堡支線バスの内部

崇明島の南堡支線バスの内部

 切符売りのお姉さんに「南門まで」というと、「このバスは遠回りだから時間がかかるよ」と言われたのだが・私は「可以(オッケーです)」と答えた。

それが目的だからだ。

そして案の定、バスは整備された幹線道路を越えて、どんどん田舎街に入っていく。
都会的な整った町並みよりどこか安心する農村の風景だ。
少なくとも前回の路線よりは楽しそうだ。

そしてある地点からバスは左に折れて西へ向かう道に入る。
道の名前の標識には「草港公路(caogang Hwy.)」と書いてあった。

崇明島の草港公路の標識

草港公路の標識

 Hwy!つまりこの道はハイウェイだというのだ。

ハイウェイといえば私はアメリカの綺麗に整備された高速道路をイメージしてしまう。あるいはアリゾナあたりの地平線までまっすぐ伸びた道路をイメージする。
 しかし、ハイウェイという言葉からイメージされる道とはこの道はおよそかけ離れていた。

 中央分離帯どころかセンターラインもろくにない、まっすぐな一本道である。
 どう見ても単なる田舎道である。

このギャップに思わず私は笑った。
まあこのあたりは文化ギャップのご愛嬌というところである。

崇明島の草港公路の風景

崇明島の草港公路の風景

そんなハイウィイをバスは走り出した。

ところがである。

この道は走ってみると意外と気持ちのよい道だった。

崇明島の草港公路の風景2

崇明島の草港公路の風景2

 どこまでも続く直線道路の両側には杉の並木が延々と続く。
 そしてその並木の幹に白い塗料が塗られ道案内をしてくれており、一瞬白樺の並木道かと感じてしまうほどそれが美しくもある。

 また並木の外側にはのんびりした農地風景が広がる。北海道の富良野や道東、茨城県南の伊奈あたりの風景に似ていてとっても気持ちが良い。

崇明島の草港公路の並木道

崇明島の草港公路の並木道

 道案内の標識やバス停は時々みかけるが、それ以外の商業的看板やコンクリの建物がほとんどない。ただただ畑や果樹園、林などが広がり自然と暮らす島民の風景のみがそこにある。

 雲ひとつない天気であったこともあり、色あせた葉にあたる陽が乱反射する光のモザイクもとても心地よい。
こういった風景はとっても目に優しく、心にも優しい。

崇明島の草港公路の風景

崇明島の草港公路の風景

どうやらこのバス路線を選んで正解だったようだ。

とっても心が洗われた気分になった。

崇明島の草港公路の風景4

崇明島の草港公路の風景4

 この路線、たぶん全線で1時間くらいの行程だったように思うが、いつまでも乗っていたい気分だった。

 あの風景はひょっとすると私の心の原風景かもしれないと、そんな休日のひと時を過ごさせてくれたハイウェイという名の田舎道だった。

遠雷の音は実は大好き。

昼間からごろごろと雷が鳴っている。
実は演劇の音響をやっていた時から雷の音は結構好きな音の一つだった。

それもドカンと激しく落ちる音ではなく、遠くで鳴っている音がごわんごわんごわんと、ビルや山でこだまを繰り返し広く響き渡るような音が好きである。

 雷の音はどんな狭い空間に暮らしていていても大地の大きさを知らせてくれる。地球の大きさを知らせてくれる。自分の小さくたたまれた心を大地の大きさの分だけ大きく拡げてくれる。

 実は芝居の中でもそんな使い方をよくしていた。

 遠雷のような広く包み込む音はそこにどんな音をも重ねられる。

 ジャズでもクラシックでも演歌でも何でもOKだ。
 ただし使い方を誤るとシーンが物凄く不安定になる。
 遠雷は大地から人間を揺さぶる自然の驚異の象徴でもあるからだ。だから使えるシーンはかなり限られる。

 直接的な落雷の方がよほど使い勝手が良い。

 でもだからこそ遠雷の音が好き。

遠雷が鳴るとじーっと聴き入ってしまい胸が高鳴ってしまう。

 まだまだ音響オタクの性質からが抜け切れていない気がする。