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昨日雷雨で古北カルフール前が水浸し

昨日の19時半頃に、豪雨の後の古北のカルフール方面へ行ったところ、歩道の周りに大きな水たまりが出来ており、道が渡れず、都会の真ん中なのに孤立状態になった。

古北カルフール前

古北カルフール前

 水城路駅の方からカルフール方面に渡りたかったのだが、たったそれだけの距離が前に進めなかったのである。

 雨は既に止んでいたので、いずれ水が退くだろうとは思ったが、そんなところで1時間も2時間も待ってられなかったので、そばに転がっていたレンガを水溜りの中に投げて、足場を作ってみた。

 するとまあ、なんとか渡れそうになり全く被害なしというわけにはいかなかったが、水の中に足首まで浸かるような事態は避けることが出来た。

 こうやって無事カルフール側に渡ったが、実は渡った先でもまた同じ状態に遭遇した。

 カルーフール前のタクシープールは、本物のプールというか水路と化していたため、タクシー待ちをしていた欧米人たちもお手上げのような状態になっていたのである。

 そして更に私は南下して栄華東道の交差点に差し掛かったら、やはり車道が冠水していた。

 無理に今日ここへ来るんじゃなかったなと思いつつ、突破口を探す。

 幸い栄華東道の歩道は冠水してないかったので、古北路方面に向かっていくと水溜りの幅が小さい場所を発見しそこを渡った。

 そこから先は大きな水たまりに遮られることも無かったが、結局やはり靴がそれなりに濡れてしまう結果となった。

 雨の量など色んな条件がそれぞれ違うので日本と上海を比較してどうのこうのいう事は中々難しいが、年中スコールのような雨に襲われる割には、雨水の排水など、水回りがかなり弱いのではないかと思われる今回の大きな水たまりであった。

オリンピックの足元

 先日東京オリンピックの一次審査通過の話題がニュースに出ていて、社会資本基盤が評価されていたような話があったが、実は東京の社会資本は非常にヤバい状態であることが言われている。

 つまり前回の東京オリンピックの時点で急速に整備された道路や水道などの社会資本に相当ガタがきており、いまその改修コストが非常に問題になっているのである。

 その代表格が首都高速で、近いうちに再建設並みの維持コストが必要だと言われていおり、そのくらい東京の交通機関などの足元は実はヤバい状態なのが現状らしい。

上野動物園のモノレール

上野動物園のモノレール

 東京に限らず日本の税金の使われ方というのは建設費には予算をつけるが、それを改修するためのコスト、所謂マンション建て替え積立金のようなメンテナンスコストがほとんど考慮されていないのが実態で、実は金銭の面では呆れるほどの無計画性のもとで行政が進んできたのが実態のようだ。

 もっともこの無計画性はお役所に限らず社会全体同様のようであり、物を作ったり導入したりすることは熱心だが、維持することには熱意が乏しいのは共通という気がする。

 私のまわりにも新しいものばかりもとめて飽きっぽい人がいかに多いことか。。。
 ある人が言っていたが、例えば一つの建物を建てれば、その後毎年その建設コストの1割くらいは維持費などにかかるはずので、それを覚悟した上での予算組をしないと建物は維持できないといっていた。

 普通のビジネスも同じで、実は新しいことを始めるときに、どうすれば永らえて維持することができるかを見越して動かないと後々苦しくなる。

 2020年の東京オリンピック、決して反対はしないが本当に足元は大丈夫なのか?かなり心配な東京の一次審査通過である。

 

24時間の強要の社会

 また日本で交通事故が起きた。

 深夜に金沢からTDLに向かうバス。

 運転士が居眠りをしていたということで、まあこの運転士や運営会社の責任は免れないところではあるが、それにしても深夜バスである限り、このようなリスクは避けられないような気がする。

 それにしても日本をはじめとして、社会の中にはありとあらゆる場所で24時間稼働が強要されている。

 今回の深夜バスは分かりやすい例であるが、走っているバスだけでなく高速道路を運営する会社や、それを監視する交通機動隊、さらに病院などは当然24時間体制で動いている。

 そしてその背後には、携帯電話やインターネットを支える通信会社、その電力を支える電力会社や発電所勤務の人などもやはり24時間稼働だ。

 

写真はイメージ

写真はイメージ

今の社会は当たり前のように24時間電話が繋がり、水道をひねれば水が出て、スイッチを突ければ電気がつく。

 我々はこのような24時間同様のサービスが提供されることを当たり前のように強要するのだ。

 強要しているつもりはないという人もいるかもしれないが、夜中に突然電気が切れたり、銀行でお金が下ろせなかったら誰だって文句を言うだろう。

 結局はそうやって24時間稼働していることを自分ではない誰かに強要していることになり、誰かに24時間稼働を強要するということは、その誰かは朝起きて夜寝るというサイクルではない時間帯で生活していることになる。

 まあ他人事だと思えば睡眠時間さえ足りていれば問題ないと思うか知れないが、夜起きて昼に寝るという生活サイクルの逆転は本人の体に何らかの無理を要求することになる。

 今回の事故を起した運転士だって、それなりの注意を払って生活していたに違いないが、どこか体調を調節しきれず居眠り運転に繋がってしまったのだろう。

 今回犠牲になってしまった人達には気の毒だが、深夜バスというのはやはりそれなりにリスクが伴うし、24時間稼働を要求し過ぎている我々への警鐘という気がする。

 24時間稼働の全てを否定する気はないが、こういった人の体に無理をさせることによりリスクが増大するような24時間の強要は社会としてなるべく避けるべきであろうと思う。

日本の人口の1.7%が外国人という現実

 最近、ちょっと機会があって日本の人口動態の資料を見ていたらこんな数字を目にした。
日本で外国人登録している外国人は2007年のデータでなんと200万を超えて、人口の1.7%に達しているという。10年前に比べ1.5倍に増えたという。

 これは軽く見逃せる数字ではない。小学校の同級生が100人いたら2人は外国人である割合だ。

 これはもちろん「外国籍」として登録している人の割合で、日本に帰化した人や、両親のどちらかが外国籍であるいわゆるハーフの日本人を含めると、外国の血を持っている割合は更に多くなる。不法残留の数を含めたら、その数字の大きさは計り知れない。

 私の子供の頃は学校に外国人などほとんどいないように感じたが、知り合いの話を聞くと今や学校のクラスに一人や二人そういう境遇の児童がいるのが当たり前になっている。

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 それを裏付けるように、最近の全婚姻数の6%が国際結婚であるという。16組に1組の割合だ。つまりこのままの状態が続き、彼ら夫婦が同じ割合で子供を産んだと仮定すると、日本の子供の6%はハーフとなり、親の3%も外国人とすると、実に人口の9%が、外国人かその子供となる。

 これだけで人口の1割近くとなり配偶者の日本人を含めると、人口比で全体の1割を超える家庭が外国との関わりを持つ家庭となる。上記の数字は更に増加傾向にあり、日本の生活はどんどん外国人と日本人の結びつきが強くなっていく。

 これらの事の是非の論議はあると思うが、これが現実に日本が迎えている実態で、日本が単一民族であるような状況を前提とした法律や教育の内容が、果たしてこのままでよいのかという現実に直面する。

 マイノリティの問題だといって切り捨ててしまうことは簡単だが、自分の家族や子供が外国籍だったり、自分が外国である中国にいて、逆の立場である事を考えたら事はそう簡単ではない。

 少なくとも全体の大半を占める従来の日本人に従えとばかりは言ってられなくなっている。
 これからますますボーダレス化が進むにつれ、国家制度と個人の関係として、どこまで調整ができるか非常に悩ましい問題だ。

原文

 

どんな休日にでも働いている人はいる

実は私の会社は中国にあるが日本の顧客対応のため日本人は日本の暦で休むことになった。
当たり前だが国慶節であろうが、春節であろうがどんな休日であっても働いている人はいる。
テレビやラジオの放送局、バスや地下鉄の交通機関、観光地の人、掃除のおじさん、電力会社、警察や消防関係、病院などなど。

 もちろん交代で休みはとるのだろうが、常に誰かが働かいていかなければ社会が回っていかない。社会が便利になっていくたびにコンビニ、ATMなど24時間稼動のものが増えていく。
 その便利さ享受できることは大変幸せではあるが、その分どこかで休日に働く人が増えていき、夜中に働く人が増えていく。休日を休日として休める人がどんどん減り、昼間だけ働く人がどんどん減っていく。

 社会の基幹部分だけが動いているうちはいいけれど、一般的な営利サービス企業が休日に動き始めてしまうと国やカレンダーで定める休みって何だという状態に陥ってくる。

正月休みだの、ゴールデンウィークって言葉が有名無実になってくるような気がする。どんどん社会の世俗文化が崩壊していき、その世俗文化を商機として捉えていたようにみえた企業が自らその状況を壊しているような気がする。
 社会のために休日に働く人は使命感を持って働く誇りを持てそうだが、会社のために働かされる人ってのはちょっとかわいそうな気がする。

 近年の日本の正月にスーパーが営業している状況を見てそのように思う。

 私のように既に日本の文化が崩壊している人間にとっては、まあトータルで辻褄が合えばいいと思っているのだが、それとて世間一般の世俗習慣の流れがあってこその相対的なスタンスであり、世間一般の習慣が崩壊してしまえば、私も世俗習慣を崩壊させている一部に思われてしまうことがとても心苦しい。 
 そう考えると休日や夜中に過剰なサービスを求めてはいけないように思う。