日本語には、古くから中国より漢字などの多くの文化が輸入されてきており、同時に数多くの中国の故事を基にした故事成語(故事成句)なども一緒に流れて込んできている。
これらは決して歴史の遺物ではなく、現代でも一つの重みをもった言葉として我々の生活の中でも日常よく使われる言葉として残っている。
その代表的なものとして四面楚歌や呉越同舟、或いは臥薪嘗胆などの言葉が挙げられるのではないかと思われ、これらは今でも使われているのは周知のとおりだろう。
ところが、こういった中国生まれの故事成語に混じって、日本生まれの故事成語が中国に逆輸入されているケースがあることをつい先ほど知った。
その逆輸入された言葉とは実は「天王山の戦い」という言葉である。
まあこの言葉は日本人なら誰でも知っているように、戦いの上で勝敗の分かれ目となるポイントを指す言葉であり、戦国時代の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と明智光秀が争った際に、京都府と大阪府の境目にある山崎の天王山を先に取った秀吉が勝ったことに由来する日本発の故事成語である。
この日本人なら誰でも知っている故事成語であるが、実は中国でも日常的に使われる言葉となっていたようなのである。
それを見つけたのが、実は先ほどまで見ていたサッカーのドイツブンデスリーガのネット放送であり、バイエルン対ドルトムントの試合のサブタイトルに、「天王山の戦い」と記されていたのである。
へぇー、これって日本の故事成語じゃんと思いつつも、ひょっとして中国にも同じような名前の場所で同じような戦いがあったのではないかと思い、百度(バイドゥ)で調べてみた。
しかし、出ていたのはやはり日本の故事を基にした言葉だという説明で中国に類似した言葉があったわけではないようだった。
これは非常に驚くべきことである。
まず、日本で生まれた故事成語が中国で使われていることが一つの驚きであり、さらにこういった「天王山の戦い」的な同様の意味を持つ言葉が中国の故事成語の中に無かった(残らなかった)ということがとっても驚きなのである。
言っては悪いが、中国の4000年の歴史なんてほとんどが戦乱の歴史であるからして「天王山」的な存在は過去にもありそうに思える。
しかし、日本発の故事成語、しかも16世紀末という遥かに遅い時代の言葉が輸入されてまで今まで残っているということは、中国の古代史には天王山に類するものがなかったということになるのではないだろうか?
懸命に探せば中国の故事に似たような言葉があるかもしれないが、この「天王山の戦い」という言葉が、しっかり中国に逆輸入され中国人が普通に使う言葉になってしまっているということは確かのようである。
今回日本人の私としては非常に驚く状況を発見してしてしまったようである。